竜狩り
風が止まった。
静寂――それは嵐の前触れのように、渓谷の空気をぴたりと凍らせた。
焚き火の揺らぎさえ、何かに怯えたようにおとなしくなった。
「……グラヴェル?」
フォリアの声は、風よりも細く頼りない。
だがその隣で、大きな影がゆっくりと立ち上がる。
「来るぞ。……間違いない、“狩人”だ」
グラヴェルの金色の瞳が夜の闇を切り裂く。
次の瞬間、空を裂く鋭い音――!
ヒュンッ!
放たれた矢は音速に近く、目視すら困難。
だがそれを、グラヴェルは翼で軽々と弾いた。
刃のように研がれた竜骨の矢が、石を砕いて地に突き刺さる。
「……反応するか。さすが、最古の竜」
その声と共に、森の奥から黒ずくめの男が現れる。
顔の下半分を布で覆い、背には巨大な弓。
その歩みは静かだが、確かな殺意を帯びていた。
「“竜狩り”……!」
フォリアはグラヴェルの背に隠れながら、男を睨む。
「王子の命で来た。あんたを殺し、その娘を連れ戻せとさ」
「ならば引け。……その命を惜しむならな」
グラヴェルの声は低く、だが空気を震わせる威圧感があった。
だが男は、まったく動じなかった。
「“命を惜しむ”のは、お前の方だろう、竜よ」
竜狩りは、次の瞬間にはもう地を滑っていた。
異常な速度。人間の枠を超えた動き。
矢は連続で五本、絶妙な角度とタイミングで放たれる。
だが――
バシュッ! ガンッ! ヒュンッ!
すべての矢を、グラヴェルの翼が弾いた。
音すら遅れて聞こえる速度で、彼は矢の軌道を読み、叩き落としていた。
「くっ……避けるなよ、化け物がッ!」
竜狩りは弓を投げ捨て、双剣を抜く。
次の瞬間、竜の鱗の隙間を狙って一閃。
その動きは、まるで月光のように鋭く――
ギィン!
刃は竜の胸を狙ったが、鱗に弾かれた。
衝撃で剣がしなり、男の腕に負荷が走る。
「なっ……通らない……!?」
「愚か者が。俺の鱗を破るには、人の理など百も足りぬ」
言葉と共に、グラヴェルの尾が唸る。
ドゴォォォンッ!!!
渓谷が揺れた。地が割れ、木がなぎ倒される。
竜の尾の一撃は、爆風と土煙を巻き起こし、竜狩りの姿を飲み込んだ。
「……終わった、の?」
フォリアがそっと顔を上げる。
だが――土煙の中から、血まみれになりながらも立ち上がる影があった。
「まだ……だ……」
ボロボロの体で、竜狩りは再び構えを取る。
「ならば見せてやろう」
グラヴェルが一歩、前へ出た。
「――“竜”とは、ただの巨大な生き物ではない。神々と対話し、時代を超えて存在する使者」
次の瞬間、グラヴェルの身体から金色の光が溢れ出した。
彼の瞳孔が細く鋭くなり、口から吐き出された息は、霧ではなく――雷。
「終焉を告げよう。――“竜牙の咆哮”」
グォォォォオオオオオ!!!
天地を揺るがす咆哮が放たれた瞬間、空気が震え、音が潰れた。
音そのものが押しつぶされるような衝撃。
竜狩りは剣を構える暇もなく、咆哮の波動に吹き飛ばされた。
木々がなぎ倒され、地面が裂け、男の体は遠くの岩壁に叩きつけられた。
……沈黙。
やがて、崩れた岩の中で、竜狩りがピクリとも動かないのを見て――フォリアはようやく、息を吐いた。
「……終わった?」
「ああ。これで終わりだ。奴は二度と立ち上がれん」
グラヴェルは、元の姿へと戻りながら、静かに言った。
「この人も可哀想な人なんだわ、きっと」
「……だが、必要とあらば容赦はせん。それが“竜”だ」
月が差し込み、夜の霧が晴れ始める。
血と硝煙の匂いが消え、ふたりの周囲には穏やかな静けさが戻ってきていた。
たとえ、この戦いが王子からの追っ手の始まりだったとしても。
今だけは――勝利の余韻と、確かな絆だけを噛みしめていた。




