王敵
「……失態だ」
王都議会殿の一室で、エルヴェルトは静かに言った。
すでに議場から民衆は去り、重厚な扉は外界の喧騒を遮断している。
「民の掌で、裁きの場が茶番に成り下がるとは」
机を叩いた側近が口を開く。
「申し訳ありません、殿下。我らの下知が行き届かず……」
「よい。既に次の手は打った」
王太子は椅子にもたれかかり、冷ややかに笑った。
「“聖女”など、もとよりどうでもいい。問題はあの竜……グラヴェル」
「彼女の発言を思い出せ。竜は王家の命に従っていない。つまり、今なお野放しの脅威だと……そう、民に理解させればいい」
「まさか――!」
「“王国の敵”と断じてしまえば、正義はこちらにある」
「そして、“その竜と行動を共にしている女”もまた……敵というわけだ」
エルヴェルトの目は、微塵も笑っていなかった。
「罪人としてではなく、敵として討つ。そうすれば、どんな声も届かぬ」
「民の声など、都合よく操作すればいい。いくらでもな」
***
一方その頃。
フォリアは王都郊外の、簡素な宿に身を置いていた。
広場を離れた後も、王都のざわめきは静まらない。
「見た? 本物の聖女様よ!」
「裁判であんなに堂々と……私、涙が出ちゃった……」
「でも……あの竜、大丈夫なのかな。王太子さま、きっと黙ってないよね……?」
(……やっぱり、始まる)
フォリアは手にしていた新聞の見出しを見つめる。
《“竜の主”は王家に従わぬ反逆者か》
(わたしじゃない。狙われるのは、グラヴェル……)
彼は、わたしのせいで危険に晒される。
それだけは、何としても避けたかった。
けれどその夜、グラヴェルはあっさりと言った。
「俺は、王家に狙われるくらいでお前の傍を離れるような存在ではない」
「……でも、あなたが捕まってしまったら?」
「そのときは、全てを壊してでも戻るまでだ」
「冗談、ですよね……?」
「……九割本気だ」
フォリアは笑って、そして少しだけ、目元をぬぐった。
「困ったなぁ……優しすぎて、泣きそうです」
「弱音を吐け。ここにいるのは、聞いてくれる相手だ」
「……ありがとう」
その夜、ふたりは久しぶりに暖かな夜を過ごした。
***
だが翌日。
その穏やかな時間を打ち砕く知らせが、王都を駆け巡る。
《王都近郊にて“竜による襲撃未遂”の報》
《王家、竜の拘束に向け動く方針》
報道されたその事件は、明らかに“作られた”ものだった。
「……グラヴェルがそんなこと、するわけない……!」
フォリアは宿の中で新聞を握りしめ、怒りを押し殺す。
その直後だった。
――コン、コン。
「お届けものです」
扉の外から届いたのは、簡素な封筒だった。
中には、見覚えのある字体。
《フォリア様。竜とともにいられる時間は、もう長くはありません。この国は、あなたを“聖女”としては認めなかった。ならば……次は、何者として生きますか?“名もなき少女”か、“竜の主”か――それとも、“王家の敵”か。》
送り主の名はなかった。
けれど、宛名の端に滲んでいた香油の匂いから、フォリアは察する。
(……エルヴェルト。あの人……わたしに、“選ばせる”気なの?)
フォリアの手が震えた。
でもそのとき――
背後から、グラヴェルの重い声が届く。
「選ぶ必要などない。お前はお前として生きろ。それ以外の道など、最初から必要ない」
フォリアは、封筒を握りしめたまま目を閉じる。
「……わたし、間違っていませんよね」
「間違っていたとしても、俺が正す」
「……ありがとう」
春の空は、まだ曇りがちだ。
けれどその曇天の向こうに、確かに光はある。
それを信じて、フォリアは歩き出す。
たとえ、王家が次に仕掛けてくるのが――“宣戦布告”であったとしても。




