空翔ける誓い
山の麓に、黒い軍旗が立った。
王都から派遣された軍――名目は“聖女の保護”だが、実際には“連行”のための武力行使だった。
隊長格の騎士が、高台を見上げて吐き捨てる。
「……竜など、所詮は力の塊。理でねじ伏せられぬなら、剣で制するまで」
「“あの女”がどうなろうと構わん。王命に従わぬならば、それ相応の罰を」
それが“王の正義”と信じて疑わぬ者たちの姿だった。
***
砦のような山城。
フォリアはその屋上で風を感じていた。
春が近いとはいえ、ここはまだ冷たい空気に包まれている。
けれど、その風の中に確かに感じるのだ――鉄と火薬の匂いを。
「……グラヴェル、来てしまいました」
「愚かな者たちだ。なぜ静かに暮らしている者を、引きずり出そうとする」
竜の声は静かだが、確かな怒りを含んでいた。
「彼らは、“力”を都合よく使えるものだと勘違いしているんです」
フォリアは淡々と言いながら、小さな鞄に書きかけの手紙をしまった。
“もしものとき”のために。
「わたし、やっぱり怒っています」
「いい怒りだ。お前が怒ってくれて、俺は嬉しい」
「……変な竜ですね」
「そうだ。お前にとっての変でありたい」
ふ、とフォリアが微笑んだそのとき。
砦の鐘が鳴った。
「……来ます」
グラヴェルが翼を広げる。
その広がりは空を覆い、夕焼けの光を散らすような金の煌めきを放った。
「わたしはあなたに命じたりしない。けれど、お願いがあります」
「言え」
「――あの人たちに、“恐怖ではなく、真実”を見せてあげてください」
竜はしばし黙り込んだ後、短く「応」と頷いた。
***
王都軍の先頭が門前に立ったとき、突如空が唸った。
風が渦を巻き、雷もないのに稲妻が一筋、雲を貫く。
そして――金の竜が降り立つ。
「な……!」
あまりの威圧に兵たちの動きが止まった。
それでも、騎士団長が叫ぶ。
「臆するな! 相手はたかが一頭の竜だ!」
次の瞬間、空が震えた。
それは吼えではない。
“竜の詠唱”だった。
空間が歪み、兵の視界に異変が走る。
錯覚のように、兵たちは自分の手が震えていることに気づく。
(何だ……これは……感情、か?)
それは“恐れ”でも“怒り”でもない――“喪失”の感情。
そして同時に、フォリアの声が届く。
「わたしは、“聖女”として、王命を拒否します」
「あなたたちが求めているのは、都合の良い偶像です」
「わたしは誰かに使われるために生きているわけではありません!」
風に乗せたその言葉は、兵たちにとってあまりに“人間らしすぎた”。
命令と理屈だけで作られた命の使い道が、あまりにも空虚に感じられてくる。
それは、王都の兵たちの心に“ひとつの疑問”を植え付けるには十分だった。
「……退け」
グラヴェルが、低く、静かに言った。
「それでも進むなら、お前たちの正義は、俺が砕く」
しばらくの静寂――
やがて一人、兵が剣を地面に落とした。
その音を皮切りに、他の兵も、次々と剣を捨てていく。
やがて、誰ひとりとして、フォリアへと剣を向ける者はいなくなった。
***
その夜。
グラヴェルと肩を並べてフォリアは空を見上げた。
「……ありがとう、グラヴェル」
「お前の意志が、彼らを止めた」
「でも、きっとこれは始まりなんですよね」
「……ああ。王太子は、これで引き下がるとは思えない」
フォリアは微笑む。
だがその瞳には、揺るがぬ光が宿っていた。
「なら、やれるだけやってみせます。今度は、わたし自身の物語として」
春はまだ遠い。
だが確かに、彼女の心の中にひとつの季節が、始まりつつあった。




