竜の翼
「“聖女が王命を拒否し、竜をけしかけた”――そういうことにしましょう」
カレン=ミスティアの口から発せられたその言葉に、王都の一角に集まった貴族たちは息を呑んだ。
「証拠は?」
「作ればいいのです。いくらでも」
カレンの瞳は笑っていなかった。
けれどその表情には、勝利を確信した者の余裕が漂っていた。
「竜は民衆の間では希望とされている。けれど、それが暴走し、人間の言葉に耳を貸さない存在だとしたら――?」
「それを従えている女も、当然、危険だということになる」
「“民を惑わし、王家の命令に背く偽聖女”……ね」
「その通りです。処罰対象に仕立てれば、あとはどうとでもなる」
こうして、フォリア=リーナを貶める“粛清のシナリオ”が動き出した。
***
それからわずか三日後。
フォリアのもとへ、またも使者が訪れた。
だが今回は、王家の紋章ではなく――査問状だった。
「王命を拒み、竜を政治の道具として利用し、王都への召喚を意図的に妨害した罪。……以上三点により、貴女を正式に“反逆の容疑者”と認定する」
使者の口調は冷たい。
そしてフォリアの瞳もまた、まっすぐに冷えていた。
「それが、王都のやり方なんですね」
フォリアは静かに言った。
「呼ばれて行かなければ“反逆”。断っただけで、竜を使ったと決めつける。……何ひとつ、わたしの言葉も聞こうとしない」
使者は目を逸らす。
フォリアの真摯な眼差しに、耐えられなかったのだ。
「……この城に、何も危害を加えるつもりはありません」
「けれど――」
その瞬間、風が鳴った。
グラヴェルが、静かに翼を広げたのだ。
大地がわずかに震える。
だが、それは威圧でも怒りでもなく、“ただそこに在る”という圧。
「去れ」
グラヴェルの一言に、使者はその場から逃げるように立ち去った。
***
「……もう、引き返せないのかもしれませんね」
夕暮れ。
山の高台から、王都のある南の空を眺めながら、フォリアは呟いた。
「でも、わたしは後悔していません」
「誰かに好かれるために生きてた頃より、今の方が――ずっと、胸を張って生きていられるから」
「……お前は、よく頑張っている」
グラヴェルのその言葉に、フォリアは驚いたように目を見開いた。
「いえ、あなたのおかげです。あなたがわたしに寄り添ってくれたから、こんなに強くなれた」
「俺は……お前が、少しでも笑っていられるようにと、ただ、それだけを思っていた」
フォリアは笑みを浮かべ、風に揺れる髪を押さえた。
「わたしは、あなたのそばにいられて幸せです。……たとえ、この先にどんな結末が待っていても」
その時、遠くの空に、不自然な黒煙が立ち上るのが見えた。
「……王都軍が動いてる。あの煙は、“威圧”の合図」
グラヴェルの声に、フォリアは静かに頷いた。
「来ましたね。ようやく」
***
王都。
王太子エルヴェルトは満足げに報告を聞いていた。
「よし。もう“聖女”ではなく、“国に牙を剥いた女”という空気が出来上がった」
「このまま一気に軍を派遣し、竜を制圧する」
「……必要なら、あの女も、“反逆者”として」
それを聞いていた側近が、おそるおそる言葉を挟んだ。
「……ですが、竜を相手取るのは危険かと。フォリア殿も、“ただの令嬢”では――」
「だからこそ。あの女は“あの日、俺が捨てた女”だ」
「今さら英雄のように扱われるのは、癪なんだよ」
王太子の顔には、貴族らしからぬ“私怨”が滲んでいた。
そしてそれが、王国という国家の命運すら左右する“暴走”へとつながっていく。
***
夜。
フォリアは、グラヴェルの横に並んで空を見上げていた。
星が少しずつ雲に隠れはじめている。
「嵐が来ますね、今度こそ本当に」
「ああ。……けれど、俺たちはもう、逃げない」
フォリアはそっと手を伸ばし、グラヴェルの鱗の上に手を置いた。
「一緒に戦ってくれますか?」
「お前が望むなら、俺の命はすべて預ける」
その言葉に、フォリアは瞳を閉じ、小さく笑った。
そして心に誓う。
これは――彼女にとっての“最後の決別”だと。




