声無き拒絶、そして火種
「……断られた、だと?」
王太子エルヴェルトは報告を受けた瞬間、机を強く叩いた。
「王家の正式な招待を、たかが追放令嬢が跳ね除けたというのか!」
「しかも――竜に睨まれたと?」
使者がうなずくと、部屋に重い沈黙が落ちた。
王太子の眉間には深いしわ。
手にしたグラスが、音もなく砕ける。
「……やはり、竜が鍵だ。あの女を放っておけば、いつか王位継承にまで影響するかもしれん」
「では、次は強制的に?」
「それはまだ早い。だが――」
エルヴェルトの瞳に、冷たい光が宿る。
「“あの女が王家の敵になるかもしれない”という、空気を作るのは容易い」
「風評を操作すれば、“聖女”の名も剥がれる。あとは世論が勝手に排除するだろう」
***
一方、王太子派とは逆に、第二王子ルカはひとり、書斎で報告書を読んでいた。
「……“焚き火で書状を焼いた”か」
淡々と記された記録に、ルカはふっと笑みをこぼす。
「彼女らしい。口ではなく、行動で返すあたり、実に真っ直ぐだ」
「だが……そうか、あの竜は“守る”と決めたのだな」
ルカは目を伏せ、少しだけため息をついた。
(どうか、このまま、無事に……)
願いは、祈りへと変わる。
だが王都の風は、穏やかな祈りに応えるほど、優しくはなかった。
***
フォリアのもとへ再び届いたのは――王都からの贈り物だった。
豪奢なドレス、金の装飾、純白の靴。
それらすべてに添えられていたのは、今度こそ“王太子からの私的な謝罪”の手紙だった。
「……見苦しいですね」
フォリアは、静かに呟いた。
「今さら“聖女”として扱うことで、すべてが帳消しになると思ってるんでしょうか」
グラヴェルは言葉を発さず、ただその装飾品のひとつ――銀の細工をひと睨みした。
パリ、と音を立てて金属がひび割れる。
「やめてください」
フォリアが慌てて止めた。
「せっかく作られたものを壊すのは、あまりにも報われないですから」
「……すまん」
グラヴェルが謝るのは、いつも決まってこの瞬間だけだった。
怒りを抑えられず、フォリアの前で感情を乱したとき。
「でも、あなたが怒ってくれるのは、少しだけ嬉しいです」
「わたしのことを、そんなふうに想ってくれる人なんて、今までいなかったから」
グラヴェルは返事をしなかった。
けれど、彼の尾がそっとフォリアの椅子に絡み、背中を支えるように揺れた。
それは、“傍にいる”という無言の約束だった。
***
その日の夕暮れ、王都の裏路地ではまたひとつ、新たな火がともる。
「“竜の力”、ね。確かに使い道はある。あの聖女、少しばかり頭が固すぎるようだ」
「なら、奪えばいい。民の英雄が、突如“竜をけしかける暴君”に成り下がったとしたら――」
「……今こそ、彼女を“祭り上げる”のではなく、“失墜させる”機会かもしれませんね」
仮面をつけた数人の男女が交わす、冷たい声。
その中には、あのカレン=ミスティアの影もあった。
「いいえ、もっと美しく堕ちていただきましょう。“愛された女が、国を裏切った”という劇場の脚本を、私が書いて差し上げますわ」
彼女の指が、ワイングラスの縁をゆっくりとなぞる。
その音は、まるで不吉な鐘の音のように――夜の静けさに響いた。
***
山の城に戻る夜道、フォリアはふと足を止めた。
風が変わった気がした。
冷たさではなく、どこか乾いた、刺すような気配。
「……嵐が来ますね」
「来るなら迎え撃つだけだ」
背後から聞こえたのは、グラヴェルの声。
その言葉に、フォリアは小さく笑う。
「はい。わたしたちなら、きっと大丈夫です」
たとえ過去に傷つけられても、今の自分には、守るものがある。
たった一人でも信じてくれる存在が、隣にいる。
だから――
たとえ、どんな策略が迫ってこようとも。
彼女はもう、誰かの“人形”ではない。
彼女はただの“聖女”ではなく、自分の人生を歩む者になっていた。




