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響く、もう一つの名

王都の社交界がざわつきはじめたのは、早春の風が通り抜けた翌日だった。


きっかけは、小さな地方紙の一面。

「北方の竜と暮らす、“緑玉の瞳の聖女”――王国の新たな守り手か?」


王都では名の知れた“貴族令嬢の噂帳”にも、同じ名前が躍った。


《彼女は、北方の竜と心を通わせたと言われている》

《その姿は美しく、金の髪と翠の瞳が神々しくさえ見えたという》

《奇跡の風が吹いた日、彼女は竜と並んで空を見上げていた――》


その名は、フォリア=リーナ。


「……フォリア」


王太子エルヴェルトは、書類の上にそれを書き殴ったような名を見つめていた。


あの時、自分の前に跪いた少女。

気品はあるが、血筋は辺境貴族。取り立てて美しいわけでも、派手な装いをしていたわけでもない。

政略として選ばれ、そして――何の未練もなく婚約を破棄した、はずの女。


「ありえん。竜と……? あの女が?」


従者たちの前では表情を変えないエルヴェルトだが、心中には小さくない苛立ちが渦巻いていた。


(なぜ……俺が捨てたはずの女が、今になって称賛されている?)



***



同じころ、王太子妃候補として名を連ねたカレン=ミスティアも、社交界の噂に顔をしかめていた。


「“緑玉の瞳の聖女”ですって? あの地味令嬢が……?」


誰に向けるでもない苛立ちが、言葉ににじむ。


「“捨てられた令嬢が竜を従えた”――そんなおとぎ話、民たちが喜ぶのも無理はないけれど。だからといって、私たちの格まで落とされては困るわ」


けれど、すでにその“物語”は貴族の間にも静かに浸透しつつあった。


「やはり王太子殿下は見る目がなかったのでは?」

「第二王子殿下が動いたのも当然ですわね」

「緑玉の瞳の聖女……民衆からの人気が出れば、政治にまで影響が――」


噂は尾ひれをつけて、すでに“事実”と化していた。



***



北方の山城では、その余波が届く前の静かな午後が流れていた。


フォリアは中庭で草を摘みながら、グラヴェルに声をかけた。


「……王都では、わたしのことが少しだけ話題になっているみたいです」


グラヴェルは、ゆるやかな尾で風を巻き起こしながら言った。


「“少し”ではない」


「え?」


「王都からの風が変わった。……お前の名を含んだ風だ」


グラヴェルにしては珍しい言い回しに、フォリアは小さく笑った。


「なんだか、風って便利ですね。いつも、いろんなことを運んでくる」


「だが、嵐も運ぶ。気をつけろ」


グラヴェルの瞳が、少しだけ鋭くなった。


フォリアはその意味を、まだよく理解できなかった。


けれど、確かに空の気配は――少しだけ張りつめているように感じた。



***



その晩、王都の一角では、第二王子ルカが集めた密会が開かれていた。


「すでにフォリア殿の噂は王宮全体に広まりつつあります」


「“竜の従者”というだけでなく、“癒しの風”や“奇跡の象徴”という別称も出ています」


「それに、民衆の中では『真の王妃』とまで――」


報告を受けたルカは、額に手をあててため息をついた。


「……完全に、民の心をつかんでいるな。彼女自身は望んでいないだろうが」


「はい。ですが、第一王子派がいよいよ焦りを見せはじめています。なかには“彼女を再び王都に戻し、都合よく祭り上げよう”という動きも」


ルカの眼差しが鋭くなる。


「そんな真似はさせない。……彼女は、ただ静かに生きているだけなのだから」


***


王都がざわつくなか、ある貴族の邸宅で、別の動きも生まれつつあった。


「“緑玉の瞳の聖女”……いい素材だ」


低い声が呟く。


「利用する価値はある。あの女を担ぎ上げれば、いずれ政敵にも対抗できる」


冷たい計算の中、フォリアの名が、またひとつ“道具”として書き込まれていく。


そして、それは――

かつて彼女を捨てた者たちへの、静かな崩壊への前奏だった。

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