9_ソフィアの依頼
「これが私の認証情報です。どうぞ確認を」
小津は警戒を緩めずに、その情報を見つめ、記憶させる。
「フレイヤ、解析して」
「了解。解析を開始します……認証情報は正規のものと一致。偽造の痕跡はありません」
プライベート空間では無くなった時点で目の前の侵入者から目を離すことはできないが、不安要素は一つずつ潰していくことは大事だ。
「本物である可能性が高いってことね。でもまだ信用できないな。言っちゃなんだが、捜査支援のAIごときがこの空間に強制的に入れるとは思えない。君は一体何なんだ?」
問いかけをしながらも答えの予測はついている。生半可なAIではない。いきなりラスボスのような奴が何の前触れもなくやってきたのだ。
小津は自分の背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「私の実態は警視庁のデータベースにフルアクセス可能な管理者的な存在。名前は、世間体を気にした人間が決めたものです」
「名は体を表してないってことだ」
「名前のために生きているのは人間くらいのものですよ」
その言葉を放つソフィアの顔がわずかに冷笑に変わったように見えたのは、小津の思い過ごしなのだろうか。
ため息を吐く。とりあえず相手のペースに乗ってでも話を前に進めよう。
「それで?君が警視庁の管理者だとして、僕に何の用?まさか城下町を散歩してみたくなったお姫様ってわけでもないだろ?」
何しろフレイヤの防御壁を突破して仮想空間の上書きができるほどの超高度AIだ。
しかし逆にいえば、そんな芸当ができるようなAIは限られてくる。それも本物かもしれないと思う理由でもあった。
ソフィアは一歩前に進み、真剣な眼差しで答えた。
「ユウリの事件について、あなたの協力が欲しい」
「ユウリの事件…それって今日の子どものヒューマノイドの名前?」
「はい。彼の無実を証明するためには、あなたの力が必要です」
小津は目を細めて考える。確かに今日の事件はショッキングな内容ではあるが小津が協力できることなど何もないはずだ。
「ちょっと待ってくれ」
軽い目眩を堪えながら、小津は額に手をあてる。よろめきそうになると、それに反応するように簡素な椅子が一脚現れた。小津はそれに座り込む。
「あの子の無実を証明するために、僕が、協力する?」
「えぇ、この事件には、きっと小津さんのALAが必要になる。ヒューマノイドと話をするだけでその記憶を読み取ることができる小津さんのALAが」
「周防警部か…」
小津は額に手をあてて息を吐く。簡単ではあるが小津のALAについては話をした。シークレットファイルに情報を記録したとしても管理者としてアクセス権限を持つ彼女なら意味はないだろう。
「ヒューマノイドのコアメモリー、すなわち深層記憶領域にアクセスができる能力。その能力の前には高度なシールドやブロッカーも無意味という点も驚異的です」
「まぁ、コアが近くにないと視れないけどね」
「十分です」
「いやいや…」といって小津は背もたれに体を預けて天井を見上げた。
「ユウリというヒューマノイドが無実だとしたら、証明は君がすれば良いし、真犯人の捜査は警視庁の人間を動かしてやればじゃないか」
そうだ、小津が介入する理由も必要もない。
「警視庁内部は、ユウリが犯人で良いと考える人間が殆どです」
「犯人で良い?」
わざとだろうが引っかかる物言いだ。まるでそうではないと判っているようではないか。
「実際には、事件があった当時、ユウリは何者かによってコア内に侵入され一時的に制御、またはハッキングされた形跡がありました」
「ハッキングだって?」
小津は仰け反るように驚いた。ヒューマノイドのハッキングは、今の時代重罪だ。それは仮想空間のハッキングとは比較にならない。しかも殺人をするような指示を出したのならその人間は殺人罪と同じで執行猶予なしの実刑、少なくとも十年の懲役になるはずだ。ソフィアはそんな小津の驚きを意に介すことなく「そうです」と頷いた。
「警視庁内部は、それを知っているのか?」
「もちろんです。私がその情報を隠す必要はありません」
「なら、ハッキングを行った人物や組織を捜査するべきでは?」
小津の質問に、ソフィアの笑みに変化があった。やはり彼女の思考に連動して表情が変化しているのだ。それ自体は機械的な連動かもしれないが、何を表現しようとしているのかは明確だ。
そしてこの場合は、自嘲というべきだろうか。
「…そのように提言していますが、意見が分かれているのが現状です」
「どうして?」
「真実が一つではないように、思惑も一つではない」
そういうと、ソフィアは何かに気づいたように空を見上げた。
「雲の流れが早くなってきました。このままではいずれ夜になる」
「え?」
小津もつられて上を見る。透き通るような青空を、綿菓子を引き延ばしたような薄い雲がゆっくりと風に流されていた。
「放置すればいずれ復讐へ繋がる…この事件には、小津さんのALAが必要です」
小津がソフィアに視線を戻した時、彼女は宙に浮遊する列車に乗ろうとしていた。
「ちょっと待ってくれ。君の目的は何だ?」
御伽話に出てくるような塗装の剥げたレトロな列車に乗りながら、ソフィアは小津を振り返る。
「もう直ぐ、小津さん宛に仕事の依頼が来るはずです。それを引き受けてほしい。私のことは知らないから話さないでくださいね」
ソフィアが唇に人差し指を立ててそういうと、彼女の指先から小さなキューブのようなものを出現した。そしてそれを小津の方へとふわりと飛ばした。質問に応えるつもりはないらしい。
「僕は君たちを信用したわけじゃないし、協力するかは僕が決める。ソフィアにもそう伝えておいてくれ」
小津がそういうと彼女は、出会って初めて驚いたような顔をした。
一瞬の停止は、長い髪が風で靡いたことでかろうじて動性を保っていたが、やがてふっと吹き出した。
「あなたと会えてよかった。あなたはユウリの無実を抵抗なく受け入れてくれた。えぇ、そう伝えておきます。小津さんにもよろしく伝えてね」
車窓からお辞儀をする彼女を乗せて、銀河鉄道のように宙に向かって列車が走り出すと、あっという間に消えていった。