8_オラクルAI
◾️第二章-1
小津マモルは、自身のプライベートな仮想オフィスで仕事をしていた。
赤井、ナギサと食事をした後は特別なアポイントもなかったのだが、それでも明日以降の予定はそれなりに埋まっている。ロボット専門の葬儀とはいうものの、生物の葬儀は行わないというだけで実際はその周辺業務も多い。
デジタルの書類が空中に浮かび、指先の動きに合わせてページがめくられていく。
静かな音楽が流れる中、一通りの仕事が終わった後は今日の事件に関する記事やデータが公開されているか気になったのでオンラインにしたところ突然、仮想空間に僅かなノイズが入ったような気がした。
「フレイヤ、いる?」
「小津、既に重要書類は切り離し、ログシールドを展開しました。ネットワークの遮断を提言します」
今この空間にいるのは小津だけではない。視覚的な姿はないが、小津の仮想空間を管理しているガーディアンAIであるフレイヤが応答する。彼女(と小津が勝手に捉えている存在)もノイズを検知し、既に防御対策を実行していた。
「了解。ネットワークは一時遮断。空間内をフルスキャンした後キャッシュはクリア」
通常小津がノイズを感知できる程の攻撃はほぼない。大体がフレイヤの防御壁によって遮断され、定期的なレポートによって小津が確認する程度だ。つまり、
かなり危険な攻撃を受けている可能性が高い。
「小津」
「なに?」
「ネットワークの完全遮断に失敗しました」
「何だって?」
小津は眉をひそめ、仮想空間内の制御パネルを操作する。しかし、操作は無効化されていた。
「フレイヤ、どういうことだ!?」
緊急事態であることは間違いない。さらに返ってきたのは小津の質問に対する回答ではなかった。
「不明アカウントからコンタクトを希望されています。どうしますか」
小津は心の中で舌打ちする。冗談じゃない。
「多分今のノイズの大元だろう。身代金要求の可能性は?」
「ないと思われます。現在のところデータを奪われた、もしくはコピーされた形跡、及び破損ファイルや機能停止は発見されていません」
「なら拒否する。嫌がらせか何か知らないが攻撃した後コンタクトなんてふざけるのも大概にしろ」
「了解…拒否に失敗しました。不明なアクセスを検知。ソースの特定が困難です。侵入者は高度なプロトコルを使用しているため解析には時間を要します」
「格納庫とこの空間を切り離して被害を最小限にするんだ!」
「小津、仮想空間に変化があります」
周囲の景色が揺らぎ、デジタル書類や家具が次々と消えていく。代わりに、白い光が満ち始めた。
「これは…?」
光の中から現れたのは大自然の景色。周囲を囲むのはアルプス山脈のような岩山で、径もない草原の上に小津は立っていた。
(仮想空間の強制上書き?!おいおい嘘だろ…)
何がなんだか解らない。目まぐるしく変化した仮想空間内を頭で整理するよりも早く聴覚が刺激された。小鳥の鳴き声がしたので後ろを振り返ると、丘の上に一人の女性が立っている。薄手の白いドレスが微風になびき、銀色の髪は仄かに輝いている。吹いているはずのない風を感じている小津に、深い青の瞳が真っ直ぐに向けられていた。
頭の中ではずっと警報が鳴っている状態だが、なるべく平静を装い、招かれざる客人に対峙した。
「君がさっきのノイズか」
背丈は大人の女性だが、顔はどことなくあどけなさが残る。魅了効果のありそうな蠱惑的な微笑を讃えた唇が開いた。
「初めまして、小津マモルさん」
「君は誰だ?どうやってこの空間に入った?」
小津は警戒心を隠さずに強めの口調で問いかける。
「私は…ソフィア。警視庁の捜査支援AIです」
「ソフィア…捜査支援AI?なぜ僕のプライベート空間に侵入した?」
「手荒な真似をして申し訳ありません。正式な手続きを踏むには時間が足りなかった。それでもあなたとお話がしたくてここへ来ました」
ソフィアと名乗った彼女はそういうと、瞳を閉じて静かに頭を下げた。
「手荒な真似どころじゃないな。プライベート空間のハッキングは不正アクセス禁止法違反だぞ?警視庁のAIというのは法を破ってもごめんなさいで済ませるのか」
今はまだ盗まれたものがないとはいえ、落ち着くようなことでもない。
しかし小津の怒りが滲んだ言葉にも彼女は動じる様子もなく「いいえ」と言って首を振る。
「ですが、小津さんたちも今日は似たようなことをしたのでは?」
彼女を視界から外さないよう、小津は目を細めて考える。
似たようなこととは恐らく大田黒の邸宅内に入ったことだ。それを知っているのは当事者である小津たちと、周防をはじめとした警察だ。
小津は反論せずに相手の出方を待つ。おかげで少し頭を冷やすことができた。もしかするとこれもソフィアの狙いだろうか、と考える。
彼女は十分に間を置いた後、微笑みながら話を続けた。
「それに今回あなたとのコンタクトは、内容も含め警視庁内部の人間に知られることがないことを保証します」
「それって君の独断でここへ来たってこと?」
何らかの理由で内部の人間に知られたくないと考えたのは彼女自身なのか否か、それは結構重要な気がした。
ソフィアは回答しない。
(黙秘した?ならこの質問に対する回答は「ノー」ということか)
「警視庁のAIと言ったね。証拠は?」
小津からの問いにソフィアは静かに頷くと、手を軽く動かした。すると、仮想空間の一角に警視庁の公式ロゴと認証コードが浮かび上がった。