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12_守りたかったもの

「そ、それは…私は…」

 否定の言葉は出てこない。

 カオルが一歩前に出る。


「岩岡さん、何を隠してるの? これ、保険の査定以前の話になるよ」


 岩岡は視線を泳がせ、停止しているモーリィを見て、すぐに目を逸らした。


「まぁ、その辺は調べればわかることよ」

 如月はそう言ってMORI Care Unitに視線を向ける。その口元は上がっているが形だけで目は笑っていない。

「例え記憶(データ)を消していたとしても復元はできる。…さぁ、どうする?私はあなたの立場に欠片も興味がないからわかったことをありのまま報告するけど、素人の浅知恵は状況を悪化させるだけよ」


 その言葉で岩岡は項垂れた。観念した、という表現が似合うような瞬間だった。


「――三日前です。モーリィが…報告に来ました。職員の一人が入居者さんに()()()()()()()と…映像も記録しているから警察に通報すべきだと」


 岩岡の声は掠れていた。

 その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一段だけ重くなる。


「……は?」


 カオルの表情から血の気が引いた。仕事の顔が、怒りにすり替わる。

 小津も言葉を失う。

 介護施設の「事故」ではなく、暴力。

 しかも、モーリィがそれを報告したという。

 如月だけが、ゆっくりと頷いた。

 予想通りの答えを聞いた時みたいに。


「なるほど。だから警察沙汰にしたくないのね」


 声音は軽い。だが、刃が混じっているような音圧だった。

 岩岡は顔を覆い、指の隙間から震える声を漏らした。


「違うんです。隠したかったわけじゃ…ただ……」

「ただ?」

「……施設が終わると思ったんです。家族に知られれば、行政も入る。営業停止になる。スタッフは離れる。入居者も……行き場がなくなるかもしれない」


 岩岡は唇を噛んだ。


「だから、まず内部で処理をしようと――」


 消え入るような声だが、三人とも黙って次の言葉を待つ。


「職員本人から事情を聞き、停職にして……。映像も、外に出ないように……消しました」


 その言葉にカオルは右手で顔を覆うが、隙間から頭痛を我慢するときのような表情が見えた。

 そして、怒気を押し殺した声で言う。


「……モーリィは、その映像を記録してるって言ったんですよね」

「はい……」


 岩岡の視線が、停止しているモーリィへ滑る。

 まるで、目の前の三人よりもモーリィに怯えているようでもあった。

 如月はそのモーリィを見たまま、淡々と続けた。


「その時、モーリィは『警察に通報すべき』と言った。つまり、モーリィは優先順位を知ってる。施設の体裁より、入居者の安全を上に置いた」


 皮肉なことだ、と小津は心の中で思う。

 モーリィの判断は正常だ。倫理的にも、そして世間的にも正しい。しかしその正しさのせいで真面目に働いている職員にまでなんらかの風評被害が出てしまう。

 モーリィの正しさは、施設側から見れば――脅威になる。


 そう、おそらく他の職員もわかっていたはずだ。岩岡がタブレットからシャットダウンのコマンドを出すという、緊急事態にしては非効率な動作を他の職員が「空気を読み」()()()()()()()だったのも、そういうことなのだろう。


「それで?」如月が促す。

「……それで、どうしたの。岩岡さん」


 岩岡は歯を食いしばり、絞り出すように言った。


「……モーリィを、メンテに回すことにしました」

「メンテ」

「はい。Hニューロン社に相談して……過剰な介入の可能性があるから、遠隔診断を受けろと」


 如月の目が細くなる。


「遠隔診断を受けたのは、いつ?」

「三日前のその日の……夜です」

「その後、モーリィはどうなった?」

「……一度、正常に戻ったように見えました」


 岩岡は続けた。


「通報の話はしなくなった。職員のことも、口に出さなくなった。……私は、ほっとしたんです」


 カオルが苛立ちを露わにする。

「通報の話をしなくなったら正常に戻ったって……それ、口を塞いだってことじゃない」

「違います! 私は……ただ、施設を――」

「守りたかった?」


 如月が穏やかに言う。


「なるほど。でも、あなたは一番危険な手順を踏んだ」


 岩岡が顔を上げた。


「危険……?」

 如月は、モーリィの背中側に回りながら言う。

「外に繋いだ。診断って名目で、モーリィの中身を外に晒した。それが『誰の目』に入ったか、あなたは確認していない」

 岩岡の目が揺れる。


「Hニューロン社の……はずで……」

「はず」


 如月はその言葉を噛みしめるように繰り返した。

「あなたは、接続先を見てない。見ないで済むなら、見ないようにした」


 小津は黙って、端末の画面を見た。

 モーリィはシャットダウン状態のまま。

 穏やかな笑顔。――その笑顔(デフォルト)が、今にも何かを言いたそうに見える。

 小津は、岩岡に向き直る。


「岩岡さん。三日前の件、モーリィが持ってる映像って、具体的にどこに記録されたって言ってました?」

「……え?」

「本体の内部メモリ? 施設のサーバー? それとも、クラウド?」


 岩岡の顔色が変わる。

 その反応だけで、答えは半分出ていた。


「……モーリィは、施設の監視ログと同期している、と」

「同期、ね」

 如月が小さく笑う。

「便利な言い方ね」


 カオルがすぐに言った。

「監視ログのサーバー、見せてください。今すぐ」


 岩岡は口を開けたまま固まり、次の瞬間、慌てて首を振った。

「そ、それは……管理者権限が……」

「あなたが責任者でしょ」


 カオルの声に、もう優しさはない。

 岩岡は観念したように、震える手でタブレットを操作した。

 しかし、画面に映ったのは――ログイン画面ではなく、見慣れないエラーだった。


『認証に失敗しました』

『この操作は許可されていません』


「……え?」


 岩岡が固まる。


「そんな……そんなはずは……」

 如月が顔を寄せ、画面を覗き込む。

 口元が、ほんの少しだけ上がった。


「起きてる。もう施設の中じゃないわね」

「な、何が……」


 岩岡の声が裏返る。

 如月は、淡々と告げた。


「権限が変わってる。あなたが責任者じゃなくなってる」


 岩岡は顔面蒼白になった。

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