11_欲しいもの、欲しくないもの
◾️第三章-1
車を降りると、空気が変わった。
住宅街の静けさ。昼間なのに、人の気配が薄い。
着いたのは小さな介護施設だった。外観は清潔で、玄関の鉢植えも丁寧に手入れされている。整ってるな、と言うのが最初の印象だった。
小津がそう感じた瞬間、入口から手を振る人物が見えた。
「小津君!」
西宮カオルだった。
彼女は髪をひとつに束ね、いつもより表情が硬い。
「来てくれてありがとう。……それと、そちらの方は?」
「紹介します。如月マキさん。えっと」
「解析のプロです」
如月がにこりと微笑んで首を傾げる。先ほどまでの鋭利な雰囲気は一旦収めている。猫をかぶる系なのだろうか、と心の中で驚きながら、表面上は平静を保つ。
「そう、プロの方。僕からお願いして来てもらいました。事情も話しているので安心してください」
プロというのはプロフェッショナルの略だから、この場合何も間違っていない。
何より如月の技量は、片鱗とはいえ小津も確認したのだ。
カオルは少しきょとんとしていたが、すぐに仕事の表情になる。
「ナギサちゃんももうすぐ来るけど、先に案内するね」
「はい、えっと、僕らは別に良いんんですが、大丈夫ですか?」
大丈夫か、というのは介護施設の許可は必要ないのか、という意味だ。介護施設は誰でも入って良いような場所でもない。
「えぇ、それは大丈夫。保険金査定に必要な故障の状況を確認してもらう体で言ってあるから」
そしてカオルは周囲を気にする素振りを見せた後、小津に顔を近づけた。
「それと、なるべくなら警察沙汰にしたくないって考えてるみたい」
耳打ちするようにそう言ってカオルは顔を離し、仕事用の明るい表情を見せた後、くるりと翻って施設の中に入って行った。
小津は一拍遅れて、如月と目を合わせる。
如月は「へぇ」とだけ口元で作り、肩をすくめた。
「わかりやすい構図ね」
「……え?」
「欲しいのは補償金。でも欲しくないのは騒ぎ。人間って、そういう時いちばん綺麗な嘘をつくのよ」
如月の声は軽やかだ。けれど、目は笑っていなかった。
小津は黙って頷く。余計なことを言ってしまえば、ここから先の情報が閉じてしまう。
施設の自動ドアが開く。
消毒液の匂いと、乾いた空調音。
職員は一見通常どおり働いているようだ。何人かは一瞬こちらを見るが、小津が見返すとすぐに視線を逸らした。
「こっち」
カオルが先導し、廊下を進む。
床は磨かれ、掲示板の紙もまっすぐ。
整然としているのに、どこか落ち着かない――気のせいだとわかっていてもそんな違和感が背中にまとわりつく。
途中の角で、カオルが足を止めた。
「……今、入居者さんは別室に移してある」
「お怪我をされたんですか?」小津が聞く。
「痣はできてたけど、骨は折れていない……」
カオルは何かを言いかけて、止めた。
「拘束されたんですね。拘束されたのは、認知症の方でしょうか」
小津がさらりと引き継いだ。カオルは少し驚いたような表情になった後すぐに頷く。
「え、えぇ。――すごいね。そんなこと分かるの?」
「なんとなくです」
小津は首を振って応えたが、これは勘ではなくて推測だ。
介護施設に入居するのは高齢者が多い。施設によって異なるだろうが約半数は認知症がきっかけで入所しているとも聞く。
カオルは前を向きながらため息をする。
「そう。ヒューマノイドに拘束されたらしいんだけど、本人がそんなだからどうして痣ができたかも憶えてないの。まぁ職員の方から証言はあるんだけど」
「故障?もしくはなんらかの誤作動ですかね?」
「まだなんとも。力加減を司るシステムが壊れてるのかも」
「力加減?あぁ、そういうことですか」
小津の反応にカオルが口をへの字に曲げたところで、部屋の入り口の前に到着した。
扉が開くと、無精髭を生やした男と、停止したヒューマノイドがいた。
男は五十代くらい。背筋だけは妙に伸びているが、口元が乾いている。施設責任者らしい。
「……お待ちしておりました」
男はカオルに頭を下げ、次に小津へ視線を移す。
「保険の……」
「はい。小津と申します。こちらは技術協力の――」
小津が言いかけたところで、如月が一歩前に出て柔らかく微笑んだ。
「如月です。状況の整理をお手伝いできればと」
「施設の責任者をしている岩岡と申します……助かります。ええ、本当に」
岩岡と名乗った男は安堵したように笑う。
だがその笑いは、どこか硬い。
小津は岩岡の隣にいるヒューマノイドを見る。
座っているが身長は女性の平均身長くらいだろうか。薄いブルーの制服に白いパンツ。髪は乱れないよう短く整えられている。シャットダウンの状態だが穏やかな表情をデフォルトとしているのは入居者に安心を与えるためだろう。
「その…入居者やご家族に余計な心配はかけたくないと思っています。もちろん今回、あの子がしたことを隠蔽をしようなどとは考えていないのですが」
小津が口を開きかけるより先に、如月が頷いた
「ご安心ください。必要な範囲でしか動きません」
必要な範囲が何を指すかは、如月の匙加減にもなりそうだが、もちろん黙っている。
責任者はその含みを読み取れないまま、ほっとした顔になった。
カオルが促す。
「まず、何があったかを教えてください」
岩岡は喉を鳴らし、言葉を選ぶように一度だけ視線を落とした。
まるで、自分の中で「どこまで話すか」の線を引いているようだった。
「……昨日の午前九時過ぎです。入居者さんの一人が、居室で落ち着かない様子になりまして」
「落ち着かない?」
カオルが聞き返すと、岩岡は苦笑いを浮かべた。
「ええ。その……認知症の症状がある方です。『家に帰らなきゃ』と……そういう日が時々あります」
認知症は記憶力、時間感覚や判断力といった認知機能を慢性的に低下させる。2055年になった今でも、根本治療するような薬は開発されていない。
「職員が声をかけて、いつも通り落ち着いていただく予定でした。危険行動もありませんでしたし、暴れていたわけでもない」
岩岡はそこで、ほんの一瞬だけ言い淀む。
「……ただ、その入居者さんが玄関の方へ行こうとして」
「外に出ようと?」
如月が言葉を継ぐ。声は柔らかいのに、岩岡の表情が少しだけ硬くなった。
「はい。雨の予報でしたし、外は滑りやすい。転倒のリスクもあります。ですから職員が『今日はやめましょう』と……」
「その時に、そのヒューマノイドが割り込んだ?」
如月が、さっき小津が観察したヒューマノイドへ視線を向けた。
岩岡は頷いた。
「……突然、です。職員と入居者さんの間に入り込んで、腕を掴みました」
岩岡は目を伏せた。
「抱え込むように固定しました。動作は丁寧に。――そう見えました」
「……なのに痣ができた」
小津が呟くと、岩岡は小さく息を吐いた。
「長かったんです。そのうち入居者さんが「痛い痛い」って泣き始めたので慌てて職員が引き剥がそうとしました。私もタブレットからシャットダウンのコマンドを送りましたが受け付けず、背中のカバーを外して主電源を落としました」
「その子は、何か言ってなかった?」
如月はそう言うと、なぜか楽しそうに口元を僅かに上げた。
岩岡は、眉を寄せて少し思案する素振りをしたが、やがて顔を上げ口を開いた。
「……『だいじょうぶ』と」
「だいじょうぶ」
「はい。繰り返しそういっていました。……多分、自分ではあやしているつもりだったんだと思います。でも実際の力加減が誤っていた。えぇ、そういう症状の故障に見えました」
「なるほど。ありがとうございます」
如月が微笑みを崩さずゆっくりと礼を言うと、岩岡は「あ、あの…」と半歩前に出てきた。
「やはりご家族の方に説明は必要でしょうか」
岩岡の質問にカオルが応える。
「はい、それは必要になります。ご家族の方の反応次第になりますが損害賠償を請求された場合、責任の有無や妥当額の査定は行います」
「よろしく…お願いします」
「あの、このヒューマノイドの名前は?通称か、型番でも良いですけど」
小津が右手を挙げて質問する。知らなくても話は進められるが、目の前にいるのに名前がわからないのも気持ちが悪いと思ったからだ。
「はい、モーリィ、と呼んでいます。MORI Care Unitから来ています」
「MORI Care Unit?Hニューロン社製ですね」
「え、えぇ、よくご存知で…」
「起動しても良いですか?」
「しかし」
「岩岡さん」
小津は無表情で岩岡を見る。
「はい…?」
「モーリィのシャットダウンは、タブレットからコマンドを送ったのが先なんですか」
「え?えぇ…でも受け付けなかったので主電源を…ほ、本当です。それは調べていただいてもいい」
「どうしてでしょう?」
小津は首を傾げる。そのやりとりを如月は楽しそうに眺めていた。
「どうして…というと」
岩岡は少し戸惑うような表情だが、小津と目を合わせようとはしていない。
「普通、緊急事態なら本体の主電源を先に落とすんじゃないですか?今回のケースならそっちの方が早いし確実ですが、岩岡さんはタブレット操作を最初に試みた」
「それは……そう言われればそうかもしれません。しかし…そう、私も動揺していました」
岩岡は明らかに落ち着きなく顔を触り、唇を噛んだ。
「時間稼ぎっぽく見えるんですよね」
「い、いえそんな…」
「例えば…痣は職員の方がつけたとか」
そういうと、岩岡は目を見開いて顔を上げ、口をぱくぱくさせた。
カオルは「なんですって?!」と声を上げた。
小津はそれに反応せず続ける。
「いえ、モーリィがつけた痣も実際あるのかな。でも先に職員の方がつけた痣があった。岩岡さんはそれを知っていたから、モーリィが入居者の方を拘束した時、咄嗟に今回の事故を利用できるかもしれないと考えた、とか」
この辺は当てずっぽうですけどね。ははは、と頭を掻きながら言うも、乾いた笑いが部屋に響いた。
「え?あぁ、そうなんですね。それはそれは」
小津は少し気まずそうに頭をかいた。
……どうやら当たったらしい。
岩岡の喉が、ひく、と鳴った。
口元が乾いている。さっきまでの「施設責任者の顔」が、今はただの気の弱い疲れた男の顔になっていた。




