8_経験と克服へのアクセス
◾️第二章-2
小津が玄関の鍵が音を立てる前に、内側からロックがカチリと外れた。
「おかえりなさーい!」
廊下をかけて笑顔で出迎えたのはユウリだった。タイガーアイのような琥珀色をした瞳。関節の動きはほれぼれするほど滑らかでモーター音もほぼしない。身長百四十センチほどの子ども型のヒューマノイドだ。
ユウリの後から、ロディが歩いてくる。ユウリよりも控えめな表情。仄かに明るい髪で透き通るようなターコイズブルーの瞳を持つその姿は英国貴族の子息を彷彿とさせるような品を感じる。そして彼もまた、ヒューマノイドである。
小津は先日の事件に巻き込まれた成り行きで、ユウリとロディを引き取る形になった。
つまり今はヒューマノイド二体、ガーディアンAIという「ロボットとAI」に囲まれた生活を送っていることになる。
「お帰りなさい、小津」
ロディが、それは見事なリップシンクと滑らかな発音で出迎える。リップシンクは声帯を持たないロボットにとっては全くもって無駄な動きなのだが、この辺は芸術に近い開発者の拘りや思いが感じられて小津も気に入っている。
「ただいま。遅くなったね」
「フレイヤから聞いたよ。大変だった?」
ユウリが小津のカバンを持って片付けながら聞いてくる。
ユウリとロディは普段はオフラインだ。つまり人間と同じように自分の目に入ってくる映像と聞こえる音声を蓄積して学習する。オンラインにして直接情報を収集することも可能だが、高度なウィルスに感染するリスクを考慮して、オフラインにしている。唯一、ガーディアンAIであるフレイヤがチェックし、蒸留したものであれば通信による情報の受け渡しを許可していた。
「あぁ——そうだね。大変だった」
そう言いながら、二人の頭を軽くぽん、と叩いた。ユウリの琥珀色と、ロディのターコイズブルーの瞳が同時に細くなる。そしてユウリとロディを交互に見て少し笑った後、口を一文字にして深い鼻息を吐いた。
それを見たユウリとロディは互いの顔を見合わせる。
「小津、どうしたのかな?」
「笑ったのに困ってるみたい」
「はは…なんでもないよ」
乾いた笑いをしながら言ってみるがなんでもない、というのは嘘だ。
ため息を吐いたのは昼の事件——ピエロの自爆について同じヒューマノイドの彼らにはどう映ったのか、どう感じたのか…聞いてみたい衝動に駆られたが、その質問をする自分が傲慢なようにも思えたし、果たして人間的な問いだろうか?と疑問を持ったからだ。
『私は小津が無事であれば問題ありません』
「へぇ…僕の心が読めるのかい?フレイヤ」
小津はリビングの壁につけられているスピーカーに視線を向ける。もちろんそこに彼女がいるわけではない。声がした方向を向いただけだ。
『いいえ、読めません。ですが推測はできます。AIに今日のテロをどう思ったか聞きたいのではないですか?』
小津は「やっぱり読めるじゃないか——」と呟いたあと
「…まぁ、そんなところだよ」と白状した。
「そんなの許せないよ!」
「ボクも、良くないと思う…」
ユウリとロディはほぼ同時にそう言う。ユウリの方が活発で明瞭。ロディの方が控えめで落ち着きがある。これは二人の設定であり役割だが、言っている意味はだいたい同じだ。
「そうだね、許しちゃいけない」
小津、とフレイヤの声が聞こえたので顔を上げる。
『AIはこの三十年でできることが飛躍的に増えました。しかしそれだけに、できないことが浮き彫りになったのも事実です』
「それは?」
『一言でいうなら——、AIは悲しみを理解することはできますが、悲しみを生きることができません』
「…誠実な回答だ。ありがとう」
『どういたしまして』
フレイヤの言葉は決して主旨とずれていない。むしろ小津が質問したかったことに対し「分からない」ということを正確に表している。
人間は悲しい時、涙を流したりそれを堪えたりする。気分が落ち込んで何も手につかないことだってある。
何が悲しいのかは涙を流さなくても理解することはできるが、涙を流す、食事が喉を通らないという経験の繰り返しから悲しみとは何かがわかるようになる。経験とは単なるデータではなく感情や痛み、体の反応、記憶の形成や自己の揺らぎ、恐怖や希望が統合されて初めて経験と呼べるものになる。
そしてそれらを克服したり、時に諦めたり、喪失に向き合ったりしながら前に進んでいく。
ヒューマノイドの自爆、という凄惨なテロ行為に対して「悪である」という評価はAIにもできる。
「この出来事は悲しみが生じる条件を満たしている」と推測することもできる。
しかし身体の重さ、呼吸の乱れ、喉の渇き、胸の痛み、
「なぜ」という問いが堂々巡りして戻ってこない焦燥、
他者の言葉が届かなくなる時間の鈍化、
それでも前に進まざるを得ない現実との摩擦——
常に最適解を求めるよう設計されているAIは、それらを記述することはできても、感じることはできない。
感じられない以上、そこから「立ち上がる」という過程も持てない。
フレイヤが言った「悲しみを生きられない」は、それら全てを凝縮した言葉だ。
思考の散歩はまだまだできそうだが、「まぁでも」と言って小津は人差し指を立てた。
「AIは僕の旅にとって必要な存在だ」
『そういうところが、小津の長所だと思います』
「そりゃどうも」
『ところで小津』
「ん?」
『ユリ様からの伝言です。今海外にいるので明日会うのは難しいと』
ナギラ・ユリは小津と同学年の友人であり、R/F社の提携エンジニアとして一緒に仕事をする仲間だ。
「あ、そうだったんだ?うーん困ったなぁ。よくわからんから見てもらおうとおもったんだけど」
小津は眉根を寄せて口を尖らせると、ユウリがその顔を真似しながら「こまったなぁ」と言った。
「ユリさんに何か用があったの?」
ロディが不思議そうな顔をして聞いてくる。
「そうそう、ちょっと調べてもらいたいファイルがあってね…。ヒューマノイド内部にあったもので怪しかったから持って帰ってきた」
そう言って小津は、カバンの中にあるPCを指差した。
それがなんなのか、感染するものなのか、トリガーや危険度がどの程度なのかわからないため、クラウド上にアップロードするのは憚られる。だからこの端末ごとユリに直接渡して調べてもらいたかったのだ。
「ボクらが調べてあげるよ!」
と言ってユウリがはい!と手を挙げる。
確かに彼らの言動は子どもだがプログラミングスキルは持っている。オンラインにしなくたって人間のようにPC操作はできるのだ。
しかし、フレイヤは『それには及びませんよ』と応答した。
『ユリ様から紹介をいただいています。信頼できる方だと』
「へぇ…ユリが信頼しているんだ。誰?」
小津がそう言うと、モニターがつき、プロフィールらしき女性の写真と紹介文が映し出された。
「如月マキ…ふぅん。でもなんだか信頼できる人って言ってる割に、注意事項が多いね」
まるで取り扱い説明書のようだ、と思う。
フレイヤはこのデータを当然読み込んでいるので一般的なプロフィールには当て嵌まらないことを理解しているだろうが、淡々として続けた。
『ユリ様に最初にプログラミングを教えた先生だと伺っています』




