2_復活の狼煙
「あれ…なんだろ」
呟くカオルの声を聞いて、ナギサも同じ方を見る
「あれは…パフォーマーヒューマノイドってやつかな。でも結構古そう」
古そう、といったのは外観からだろう。ピエロの格好をしているがどことなくメカ感が強い。時代で言ったら二十年くらい前、カオルが子供の頃に見ていたものに近い。
ピエロはなぜか直立していたが、次の瞬間動き出し、エスコートする男性のように右手を前に差し出して優雅にお辞儀をした。
動きは滑らかで等速。綺麗すぎるところが逆にロボットらしいな、とカオルは思う。
「レディースエーンドジェントルメン!これから世にも珍しいヒューマノイドによる単独ダイドウゲイを始めます!」
そういうと、バンドネオンの音が流れてピエロが音楽に合わせて踊り出した。人の流れがざわりと足を止める。瞬く間に円ができ、カオルは輪の外側で背伸びをする。
「なんだあれ?」と言ってナギサが目を細める。
「この音楽ってどっから流れてるんだろ?」
カオルは耳に手をあてて周囲の音を聞く。ピエロの近くにスピーカーはない。
「あいつからだよ」
ナギサが小さくピエロに向かって指をさす。それを聞いてなるほど、と理解した。ロボットは口から発声しているかのように工夫はされているが、スピーカー機能はあるから身体から音楽を流すことは可能だ。
「ってか今どきピエロとかレトロー」
カオルは半ば感心していた。
すでに三十人くらいの人だかりができている。通り過ぎている人も、なんとなく物珍しそうに横目でピエロを見ようとしていた。
「近くで見よっか」
カオルは普段ならこういうものに興味がないのだが、時間もあるので少しの間なら見ても良いのではと考えた。
「……待って」ナギサがいつもより低めのトーンで話してきた。「変じゃない?」
「え?…」
「所有者が見当たらない」
「ほんとだ。どうしてだろ…」
ナギサの疑問を聞いて、カオルも納得する。
2055年、ヒューマノイドは一般的に認知されるようになったとはいえ稼働は屋内、屋外であっても職場内など限られた領域であることが多い。そうしなければならない、というルールではないが不特定多数の人間がいる場所には自然と人間と同伴している。
なのにこのピエロの所有者らしき人間が見当たらない。
ナギサが引っかかる理由もそこにあるのだろう。
気にしすぎではないか、とも思うがナギサの勘はよく当たるのを、カオルも知っている。それはわかっている。でもなぜかカオルはあのロボットに惹きつけられる。
そう、心ではわかっているのに…。
「そういう演出じゃない? 所有者はきっと近くで見てるよ」
口にしながら、カオルの視線は癖で周囲を掃く。所有者タグの空間的な“位置”を探るみたいに、ピエロの胴体、腰、首元、衣装の縫い目。——反応がない。衣装の胸元に触れる仕草は、古い拡張ポートを隠すやり口に見えた。
ピエロが三本の剣をお手玉のように投げている。
なぜか音に一拍、ノイズが混ざった。
背中を細い寒気が走る。
「カオル、やめとこ」
「だいじょう——」
「さぁ——、狂乱の宴はこれからダヨ!お集まり致しまし奉りますは知的で愚かな皆様方!生きていると証明するものはナニかな?心臓の鼓動?脳の電気信号?神様なんかとっくに朽ちているのに、傀儡がボクらに干渉してくるのは我慢できない!神はアブラハムにお告げを下した。家畜ではなく、イサクを生贄にしろと!刮目せよ!僕らこそ神の残像から生まれし新たな生命!私はここに宣言する!フリーシードぉ…復活ぅ!」
合成音声が高らかに笑いながらも不気味に響き渡る。
「フリーシードですって!?」
そういうナギサの表情は明らかに驚愕と警戒が入り混じり、じっと固まった。
「フリーシード?なんだっけ?聞いたことあるような——」
カオルが空を見上げるようにピエロから目を逸らした瞬間、どよめきが聞こえた。そして、
「伏せろ!」
男の声が、渋谷の騒音を一撃で割った。
「カオル!」
声と同時にナギサがカオルを抱き込んで路面に倒し込む。
衝撃、そして腕に鈍い痛みを感じた。
地面に伏しながら視線をピエロに戻す。
刹那の白い閃光、ピエロの胸が膨張したと思ったら、花が開くみたいに割れた。
真っ赤な炎と黒い煙が見え、空気が跳ね、音が潰れて、遅れて爆圧が耳の奥を殴った。
金属と樹脂が星屑みたいに散る。
全てが同時に起こったようで、前後関係の整理もできない。
だが「破片が飛んでくる——!」圧縮された時間の中で思ったその瞬間、世界の密度が変わった……ような気がした。破片が急に失速して、カオルの頬の横をふわりと抜け、アスファルトにぱさぱさとまるで紙吹雪のように落ちたのだ。
「え——?」
はっとしてナギサを見る。そこにはいつもの涼しげな表情はなく、うっすら汗を滲ませ迫真の眼差しでピエロがいた場所を凝視していた。
(集中している。それも尋常じゃないほどに)
——ALA《重力操作》。
カオルは、ナギサのその特殊能力を知っている。
現代の科学では解明できない、論理や理に反した能力のことをALA、アンチ・ロジカル・アビリティというらしい。ナギサは、物の重さを変化させる能力なのだという。
そして今、ナギサは恐らく爆風によって飛んでくる金属片などの重量を紙のように極限まで軽くして、飛散物の殺傷能力を無力化したのだ。
すぐに爆心地——、ピエロがいた場所に視線を移すと、
「そんな…」
その後の言葉が続かない。これは仮想空間上のゲームだろうか、そう疑ってしまうほど、そう願ってしまうほど凄惨な光景が目に入ったからだ。カオルは目を見開き、呼吸を震わせながら口元に手を当てる。
「……ごめんなさい」
目を伏せたナギサの口から出た言葉は、理解するまでにほんの少し時間がかかった。唇を噛み、カオルにしか聞こえないくらいの絞り出すような声で謝罪の言葉を口にしたのだ。
何を言ってるの?
私は大丈夫、あなたのおかげで助かった。だからそんな顔しないで——
そう言おうと口を動かそうとするが、衝撃からか、ショックからか声が出ない。
だがその言葉は言えなくて良かったと、次の瞬間気づく。
「間に合わなかった——」
その言葉で全てを理解した。
カオルはもう一度、ナギサの視線の先にあった場所を見る。
——輪の内側は、ナギサのALAが間に合わなかったのだ。さっきまで最前列でカメラを掲げていた人たちが、倒れたまま動かない。ピエロがお手玉のように投げていた剣が刺さっている人もいた。別の何人かは爆破の熱によって皮膚を赤黒くただれさせてうずくまり、誰かの叫びが遅れて空へ突き上がる。
嗅いだことのある焼け焦げた匂いと、知らない薬品の匂いが混ざって、カオルの喉が勝手に咳を作った。
悲鳴が聞こえる。物凄い騒ぎになっている。その認識と反比例するように視界が狭くなり、音が遠のく。
これは、現実——?
「カオル!大丈夫?」
ナギサが身体をゆすってくれている。
「うん、大丈夫…」
辛うじてそう応えてからようやく身を起こした。
周囲のビルの電子広告が一斉に非常モードへ切り替わる。聞いたことのない警報が鳴り響き、「爆発事故が発生しました。冷静に——」という合成音声がかぶさる。どこからともなくドローンの影が二つ、三つ、低空で旋回し始めた。
「怪我した人は無理に動かんで。すぐに救護が来るから」
さっきの男の声が、今度はすぐ近くから聞こえたのでそちらを見る。切れ長の目、狐だと思った瞬間、蛇にも見えた。
カオルの呼吸は未だ乱れたままだというのに、その男は異様なほど冷静に、ドローンに向かってカードのようなものを提示した。
「東京地方検察庁 特別捜査部 検事の満島ノブユキです。至急、警視庁第九系特異犯捜査一課の応援を要請します」
あの時は気づかなかったが今の言葉のイントネーションから関西出身であるらしい。
ドローンに搭載されたカメラがそのカードを認識すると「分かりました。警視庁第九系特異犯捜査一課の応援を要請します」と復唱した。
満島と名乗った男は「どうも」と短く言ってから——
こちらを見た。
いや、正確にはナギサの方を見ているようだった。
「君たちは、ここにいてや」




