47_鬼人たる所以
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・第六章-3
石床を蹴って最初に飛び掛かったのは、素手の大男だった。派手なカンフー映画のように体に回転をつけたかと思うと、右の掌底で赤井の眉間を狙った。
しかし赤井は、相手の足が床に着くより早く半歩前に出たと思ったら男の着地点の横に移動し、目にも止まらぬ速さで殴打した。
大男から見れば、赤井が突然消えたように見えただろう。そして突然の左からの衝撃。顔面を押さえることさえせずに吹っ飛び、そして受け身も取らずに倒れた。
次に、正面と背後、そして左手から三名が襲う。一人は背後から白蝋棍を水平に薙ぎ、正面の一人は低い足払いを重ね、左手からは喉を狙った肘。
赤井は一歩も下がらない。それどころか前に跳躍すると、まず足払いの男の顔面を蹴った。
男は鼻血を出しながら仰反る。かろうじて意識はあるようだが脳が揺さぶられた状態ではもう戦闘はできないだろう。
そんな男の状態を視認する前に赤井は身体を捻り、重心を下げたと思ったら左手から襲ってきた男の鳩尾に拳を打ち込んだ。相手は顔を歪ませ、呼吸もできずに思わず蹲る。
そして白蝋棍を持つ男の手首を掴んでドアノブを回すように捻ると、可動域限界を超えた二の腕は“みしり”と音を立てる。男は叫びながら体を半回転させ、石床に背面を強打した。
三人をあっという間に片付けた様子を見ながら、小津は赤井から離れ過ぎず、しかし近づき過ぎて邪魔にならないように注意を払いながら必死で走り回る。戦いの渦に吸い込まれないよう、倒れた信者を跨ぎ、飛んで来た棍を回避する。
「赤井さ──」声を上げかけた瞬間、すぐ横を新たな刺客の鋭い突きが鼻を掠めた。
「うわっ!」と悲鳴をあげて冷や汗が頬を伝う。
小津は戦闘の中心から少し遠ざかろうとドタバタと逃げるが、足がもつれて尻もちをつく。そこを武闘派の信者が追撃をしようと小津に突進してきた。…が、目の前でぴたりと動きを止めて、そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。後ろから赤井が手刀を喰らわせたらしい。
「問題ありませんか?」と言って赤井が手を差し伸べる。
「え、えぇ。ありがとうございます…」と言って小津は赤井の手を取って立ち上がる。
なんとも情けない話だが、リアルの世界において小津に戦闘能力は皆無なのだ。
既に五人を戦闘不能にしておいて息一つ切らしていない。本当に人間だろうか、思ってしまう。
「さすがは鬼人の異名を持つ者よ──。だが遊戯は終わりだ」
龍樹院がそういうと、赤井に向かって新たな三人が突進した。
しかしそれを見て小津は不思議に思う。
(どういうことだ?さっきと同じじゃないか)
棒使いと足払い役、そして左手から向かう敵。
周りを見渡す。まだ信者達はいるものの、手を出そうとはしていない。遊戯は終わりと言いながらワンパターンな陣形で向かって来ていることに、違和感を感じずにはいられない。
(おかしい…何を企んでいる?)
そう考えていた時。
「小津君、後ろ──!」と赤井が叫ぶ声が聞こえた。
その声で小津が後ろを振り返ると—。
(空間の揺らぎ!これは…!)
何も無かったはずの空間に、淡い光が揺らぎ、人型の“歪み”が浮かび上がった。量子干渉フィルムのステルス迷彩。
透明な影の腕が伸び、小津の首元へナイフ状の黒い刃をかけた。圧倒的な固定力。小津は喘ぎ声を漏らし、足元の砂を掻く。
迷彩の縁がゆらりと剝がれ、長身の黒装束が迷彩の隙間から見えた。
(こいつは、街頭演説の時にいた──!)
君島アンナを拘束しようとした男だ。
「動くな、鬼人オリザ」
刃が小津の喉元に突き立てられる。刃は触れていないが下手に動けば刺さるだろう。
「──こいつが、どうなってもいいのか?」
息を止めている小津の肩を、影はきつく締める。
「知っていると思うが、暗殺を生業にしている人間は、いるものだよ」
龍樹院の鷹揚な声が響き渡る。勝利を確信した者独特の余裕のある波長だ。
「さて──、投降してもらおうか…。そして命乞いをするが良い。一人は生かしてやる」
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・第六章-4
時間は天則へ向かう前に巻き戻る。
「周防さん、すみません」と言って小津は身につけていたイヤーカフ型のウェアラブル端末を周防に差し出した。
「つけたまま行くと盗られるかもしれないので、預かっていただきたいんです」
「あぁ、なるほど…了解した」と言って周防はイヤーカフを受け取る。
「いやぁ、しかしなんで僕が…邪魔になるだけのような気が…」
盛大に肩を落とす弱気な小津に、周防はふっと息を漏らして笑う。
「ははぁ。まぁ大丈夫だろ。行きたきゃ一人で行く人だし、連れて行くってことは君が必要だってことだ。それに命は保証するだろ」
あの人はそう言う人さ、と周防は肩を竦めた。
「しかし…」
「小津君、キミはどうして赤井さんが“鬼人”なんて言われてたか知ってるかい?」
「え?」と小津が聞き返す。そういえば聞いたことがない。
「それは…めちゃくちゃ強いからとか」
そのまんまであるが、そのくらいしか思い浮かばない。
それを聞いて周防は、「はぁ〜やっぱり言ってないんだねあの人は」と言って頭を抱えるような仕草をした。
「じゃぁ、鬼の語源って知ってるかい?」
「いえ…なんです?」
「鬼の語源は諸説あるが、その中にオヌ、つまり「隠」というものがあるんだよ」
「隠…」
「そう、今でこそ角を生やした異形の怪物のことを指しているが、もともとは目に見えない…、姿形を知覚できないこの世ならざる恐ろしいものを言っていたんだ。冗談じゃなく──…あの人がその気になれば世界一の暗殺者になれただろうね」




