45_魂の行き場
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市街からおよそ二十五キロ、丘陵を背負った複合施設〈天則ターミナル〉。
近代寺院建築とソーラーパネルの鋭角屋根が混ざり合う不思議なシルエットが、薄曇りの空に墨絵のように浮かぶ。
正門には蓮を象った銀色のエンブレム、その下で二体のサービスロボが無言のまま訪問者をスキャンしていた。
赤井と小津の乗った車がゲート前に止まると、灰色の法衣を着た案内僧が頭を垂れる。
「ようこそ、天則へ。赤井社長、そして…小津様」鼻母音を強調した抑揚のない声。
「お取りつぎ感謝します」赤井は名刺代わりにスリムカードを差し出した。僧はカードを受け取ると、掌に埋め込まれたRFセンサに触れ、瞬時に身元を認証する。
「…本人確認は完了しました。龍樹院師は中央ドームの本堂にてお待ちです」
車を敷地外にある脇の駐車場に停め、小津たちは境内へと足を踏み入れた。
ウェアラブル端末をはじめとした通信機器は境内より先は持ち込めない。寺院受付で一時保管もできるが、小津としては天則を信用していない。だから身につけていたイヤーカフ型端末は予め周防に預けておいた。
石畳が真っ直ぐに敷かれ、本堂へと続いている。
白い壁、朱色の柱、金色の装飾。
比較的新しい建築なのだろう。歴史的な重みは感じられないが、本堂というだけあって威厳を放っていた。
ふと、ナギサならこれを見てなんというだろうか、と考えてしまう。
『やっぱり趣味悪いわね、ハリボテって感じ』
そんな言葉が脳内再生されて、口角が上がりそうになるのを抑えた。
本堂の入り口は閉じられているものの、特に警備のような人の気配は感じられない。
意外に思っていると、両開きの扉が内側へと自動で開いた。
「入れってことのようですね」
そう言いながら赤井が歩を進め、小津もそれに続く。
短い通路を抜けると、円形の広場のようなところに出た。
中央ドームというだけあって、天井は中心に向かって高く、そして開放的だった。窓も等間隔でつけられている。昼間なら陽光が差し込み神聖な雰囲気を演出してくれるだろう。
そしてドームの中心に直径六メートルの円形盆地が作られている。その最奥、朱色の玉座に袈裟を着た龍樹院リショウが腰掛けていた。
(こいつが…!)
改めて対峙すると、小津の心の中で昨夜受けた天則からの奇襲攻撃の記憶が蘇ってきた。それが龍樹院の指示によるものなのか、計画的に小津とわかって狙ってきたのか、何が目的だったのか、問い詰めたいことは山ほどあるが、向こうは攻撃したことがバレていないと勘違いをしているはずだ。
(敵の本拠地で下手に問い詰めて刺激すれば、何をされるかわかったもんじゃない。ここは一旦黙っておくか)
舌打ちしたい気持ちをグッと堪えていると、赤井が一歩前に出て、龍樹院に近づいた。
盆地を囲むように設えられた白砂の縁を、赤井は音もなく踏み越えた。龍樹院は玉座にもたれ、数珠を右手で弄びながら来訪者を見下ろしている。円蓋、その中心に位置する導師の肉体は、小津の目には何故か巨大な回路のハブに鎮座するCPUのように映った。
「よくぞお越しくださった」
最初に発生したのは龍樹院。低い声がドーム壁で多重反射し、わずかな残響を帯びる。
「ご招待感謝します。R/F社代表、赤井でございます。本日は弊社の〈終焉支援プログラム〉について、具体的な協業の道を探れればと」
龍樹院の唇がわずかに釣り上がる。
「終焉支援―実に香り高い言葉だ。貴社の告別セレモニーは、役目を終えた機械に“魂の通路”を設えるということか。なぜそこまで丁寧に葬る?」
「生まれた媒体が炭素か珪素かは、本質ではありません」
赤井の声は滑らかで、研磨された刃物のように淀みがない。そして更にこう続けた。
「我々は、存在が織りなしてきた履歴を見て、それを魂と呼ぶことがあります。その履歴は、最期の儀式で丁寧に包装されることで、残された者の倫理体系を浄化します。人間であれAIであれ、それは同じです」
生き物でもAIでも、何を見て感じ、思考し、選択し、どう影響を与えたか。その蓄積こそが魂である、赤井が言っていることはそういうことだ。
はっきり言えば小津はそこまで深いことは考えていない。残された者が悲しんだり、時には後悔する時間も必要だ。しかしそれらは、絶望に変換されてはならないと思う。
「履歴こそ魂…なるほど、情報論的な輪廻と言ったところか。そこは賛同しておこう。だが、ならば魂は抜き出して再利用することはどうかな?」
龍樹院の目の奥で赤い火花が弾けるような笑み。小津は無意識に肩を強張らせた。
赤井は―頷いた。
「再利用を“冒涜”と断じるつもりはありませんが―、履歴の正当な継承者が誰なのかを見極められぬままに複写を行えば、魂は“商品”へ堕してしまいます」
「なるほど。だが商品こそ供養の果てにある真理、という見方もある。形骸化したAI三原則に縛られたまま朽ちるより、桎梏を断ち切り新たな役割を得る方が尊いとは思わぬか?ひとたび重力から解放された魂は、自在に天空を泳ぐのだ」
小津は思わず訝しげな表情になる。
(こいつは一体何を言ってるんだ?)
物事の本質は、それを表そうとするほど抽象的になるのは分かる。数式はその良い例だ。
しかし龍樹院はそれっぽい単語を混ぜながら繋がった言葉に酔っているだけだ。
そしてタチが悪いことに、教祖の声は威厳を押し付けてくるような重さをもっていて、奥底で異質な熱を孕んでいるようにも聞こえる。
赤井が聞き流すように「そうですねぇ」と応える。
「しかし製品としての購入は大なり小なり責任が伴います。カッターナイフを買っても人に向けてはいけないように…、所有者だからといって法律を無視してロボットに対し何をやっても良い、ということではありません」
龍樹院は面白そうに目を細めた。
「責任―カルマの負債と言い換えてもよいな。それを背負う覚悟がある者こそ、魂を扱える。たとえば貴社のような器量に恵まれた組織が、我らと手を携えれば、導くべき魂の入れ子は無数に手に入る」
話が噛み合っているかは別にして、何となく小津にも龍樹院の欲しいものが理解できてきた。
(奴が欲しいのは潤沢な試験材料、しかもどう扱ったところで誰からも文句が出ないもの…)
それと同時に、恐らく最初から龍樹院の狙いを理解していたからこそ応酬を続けていたであろう赤井の引き出しに脱帽する。
そして当の赤井は笑みを崩さず、一段低い声で応じる。
「導師は弊社の物流網や解体ラインを高く評価して下さっているようだ。だが、先に確認させてください―拘束を解いたヒューマノイドを新造・販売する計画は、我々の掲げる倫理的循環と必ずしも重なりません」
龍樹院はほんの一瞬だけ動きを止めた。沈黙。その沈黙に、空調の低周波がじわじわと侵入してくる。
「興味深い」
低く囁き、すぐに戯けたように首を振って続けた。
「しかし杞憂だ。私はただ魂の行き場を求めているだけだよ。私の理想は、人も機械も等しく…いや、真に共に往生できる世界だ…そんな世界に興味はないかね。鬼人オリザ、そして小津マモルよ」
不意に、龍樹院の笑みに色濃い影が宿る。




