42_モナド・インプラント
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世界は、存在している。
それが「現実」であるか、「仮想」であるか、「電子」であるかの違いだけで、あらゆる世界は「存在」している。
小津は今、ALAを使いユウリの意識化を探索している。そして深層領域への入り口、停止したルービックキューブの前に立っている。小津の手がその立方体に触れるほど近づくと面の二つが音を立ててスライドし、長方形の穴が空いた。
これがユウリのコア、深層領域への入り口なのだろう。
「じゃぁ、内宮へ向かいますか」
ルービックキューブの中は、さらに別の世界が広がっていた。といっても先ほどのような都市的な構造はなく、もっと混沌とした世界。数え切れないほどのモニターが小津の周囲を公転している。
ここからは、少し集中力が要る。
小津は目を閉じ、ユウリ、大田黒、そしてロディのことをイメージする。
(何か手掛かりになるような記憶はないか…)
小津が意識を研ぎ澄ますと、周囲を巡るモニターの軌道がゆるやかに揺らぎ、まるで遠くの星座が呼吸のリズムに合わせて瞬くように位相を合わせてきた。
すぐに視点が切り替わる。ユウリの記憶に触れたのだ。
視点はユウリによるもの、少し顔を見上げている先には大田黒、そして龍樹院がいた。
(ここは…大田黒のラボ?)
自宅ではないようだ。周囲にはいくつもの端末やスリープ状態のヒューマノイドが見える。
「モナド・リバース計画、忘れてはいまいな?」
巨漢の僧侶は、ぎょろりとした目を動かしながら大田黒に向かってそう言った。
「あぁ、覚えているとも、忘れるわけがない」
「モナド・リバースは、人間の意識をオンライン上に格納し、不老不死を実現するための計画」
「不老不死ではない。人類救済のためだ」
大田黒の言葉を、龍樹院は鼻で嗤う。
「同じことだ。制約にまみれた肉体を脱ぎ捨て、病や老化を捨て、不死の楽園を作るのだ」
「いや、まだ死は克服ができないんだ」
喉を震わせた訳でもないデータに焼き付いた音声は、幽かな残響を持ちながら意識体である小津の耳に入ってくる。
「γ、わかっているだろう。個人の人格をそのままコピーするには時間が必要だ。モナド・インプラントもまだ途上…焦ればまた犠牲がでるぞ」
(龍樹院が…γだって?そうか、あいつは十種子の一人だったのか…!)
小津は声をあげて問いただしたい衝動に駆られるが、ここはユウリの記憶の中。再生中の記憶で流石に自由に動くことはできない。
今は再生される記憶に耳を傾けなければ、と気持ちを落ち着かせる。
モナド・インプラント…龍樹院が下品な笑みを浮かべながらその言葉を反芻する。
「側頭葉と海馬の間に埋め込んだ種子が、人間の脳内活動で起こる電気信号をアップロードし、時間をかけて無意識層も含めた人格を完全にマッピング、コピーする…あれこそまさに人類を楽園へと導くための種子だ!」
「確かに成功すればだが…それを開発していたλとは連絡がつかない。不完全な種子を入れて副作用が出てしまったらどうする」
大田黒の言葉に龍樹院は「はっ」と声を出して冷笑する。
「今更何をいうかと思えば…何にでも犠牲はつきものではないか、Ωよ。救済すべきは心だ。肉ではない。それよりも―」
と言ってギョロ目の怪僧は、その纏わりつくような視線をユウリに向けた。
「こやつがモナドの入れ子か」
「…あぁ、そうだ。モナド・インプラントでアップロードした人格がこの子の中に入る」
(ヒューマノイド…ユウリに人間の人格を入れるってことか?!)
「すばらしい…!ヒューマノイドと人間の境界を取り除く第一歩となるわけだ。ところでこの前まであったプロトタイプは?」
「処分したよ」
ロディのことだろうか、大田黒は即答したが、少し俯きながら静かに言った。それは「これ以上語るつもりはない」という意思表示にもとれた。龍樹院もそれを理解したのか、「そうか」と言って鼻を鳴らしただけだった。
***
また別の記憶に触れたのか、今度は大田黒の部屋の様子に切り替わる
(これは…!)
小津は心の中で叫ぶ。
大田黒を刃物で刺す瞬間。
その映像が小津=ユウリの視点で映し出される。
大田黒が苦悶の表情になり、二歩後退りしてから身体が崩れ落ちる。
明度の低い部屋、その後ろの壁が見えた後
視線を落とし、仰向けに倒れている大田黒を見下ろした。
この間、恐らく十二秒。
しかし。
なぜ無音?
そして次の瞬間、ジリ…とノイズが入ったと思うと、
視界に入ったのは、部屋の扉。
──ず──ん
何かがおかしい。
なんだ?この違和感は。
─お──くん
煩い、もう少し待ってくれ。
刃物、視点、そして視線…
──おずくん。
そうか、そういうことか。
***
「小津君!」
小津ははっと目を覚ます。
ユウリの深層領域世界にあった意識が一気に重力のある現実世界に戻ることで酔いそうになって額を抑える。
見ると、目の前に赤井の横顔があった。手を掴まれ、今にも担ぎ出そうとしている様子だ。
「赤井さん…これは」
そこまで言って異常事態であることに気づく。
「よかった、気がつきましたか。一旦ここを離れます」
警報が鳴り響き、閉められていたはずの出入り口が開いている。そこからうっすらと煙が見えた。
「何があったんですか?!」
「研究所内で突然爆発がありました。爆発物の詳しい場所や原因はまだ分かっていませんが冴木君が負傷したようです。とにかく今は急ぎましょう」
「しかし…」と言って小津はユウリを見る。赤井は小さく首を振る。
「混乱している状況で信頼度の低いヒューマノイドを起動させるさせるわけにはいきません。ナギサ君もいないのでこのままにします」
赤井の言っていることはもっともだ。小津は頷くしかない。とにかく二次災害が起こるかもしれない状況では悠長なことは言っていられない。二人は早々に建物の外へと走り出した。




