39_十種子
「ALA?あなたやっぱりALAが使えるのね?」
突然そう言って会話に割って入ったのは君島アンナだ。
「ずっと都市伝説だと思っていた。まさかこんなところで立ち会えるなんて!えぇっと、私しか見ないと誓うから録画してもいいですかぁ?」
そう言って君島は自分のしているメガネを指差した。
小津はこの場にナギサがいなくて良かった、とつくづく思う。その発言を聞いた瞬間に問答無用で彼女のメガネを握り潰していたに違いない。
もちろんそれははっきりと断った。君島はそれは残念そうにしていたが、食い下がることもなく了承した。今後のことも考えれば一時の興味を優先せずに信頼関係を築いた方がメリットがある。そういった計算と判断はできる人物のようで良かった、ととりあえず安心する。
「それよりも」と言ったのは周防だった。
「君島さん、あんたがここに来れたのは理由がある。わかるね」
そう、君島は周防が許したからここにいるのだ。
「わかってますよぅ」と君島はなぜか口を尖らせる。
「ユウリが大田黒を殺害していない可能性があるっていうのは、どういうことかな?」
周防の様子は表面上は相変わらず脱力系だ。しかしその目の奥は君島の言動を覗き込み、絡めとるような視線を送っている。
君島は、大田黒が元々フリーシードの幹部だったこと、龍樹院リショウ率いる天則との繋がりがあったことを話した。
その話だけでも周防は明らかに驚いている様子だったが、気鋭のジャーナリストはさらに決定的な一言を続けた。
「大田黒は、Seed-Ω(オメガ)だった」
君島の言葉を聞いて、周防が固まる。
「なん…だって?おぃおぃ、それはどこから…」
「それはもちろん企業秘密よ」
「いやしかし証拠がなければそんなものすぐに信用できるわけ…」
「どこにも公表されてない十種子のことも知っているのに?」
「──!」
周防は目を見開き、言葉にならない声をあげる。
「どうして、君が…」
「まぁ良いじゃありませんか」と赤井がフランクに割って入ってきた。
「いや、良いわけないでしょう、赤井さん」
「確かに君島さんの情報網は興味深いですが、我々もまさにそのことを共有しにきたんですよ」
そうですよね、小津君、と急に話を振られたので「え?えぇ」と中途半端な返答をしてしまった。
「確かにロディの深層記憶の中にも、大田黒自身がフリーシードの組織にいたと言っている映像がありました。データ抽出も完了しています」
ですが──と言って小津が首を捻る。
「僕自身は正直、何のことなのか分かってません。オメガ?完結って意味があるよね、それってどういう…」
というと、君島がふふん、と鼻を鳴らした。聞いてほしいらしい。
「このギリシャ文字で担当領域が決められているの。大田黒は三原則改変をもたらす技術的な分野を研究していたようね」
「具体的には?」
「大田黒が開発していたのは《Adaptive Monad Patch》、略してAMP。単一コアが孤立するとリミッターが自動で掛かる保護仕様よ。逆に“対のモナド”が近くにいると、ふたりの演算領域が連結して本来の力を引き出す」
「対のモナドって…ロディのことか」
「そういうこと。そして翻ってユウリが三原則を突破して人間を殺すほどの内部異常があればロディが検知するはず…だった。でも事件当時、ロディはスリープ状態で特段何かを訴えたり知らせたりすることもなかったわ」
なるほどそれが根拠か、と小津も小さく頷く。
「だけどテンシードっていうのは」
「それについては、私が説明しましょう」
そう言ったのは赤井だった。いつもと変わらないし微笑を湛えているが、口調は冷気を漂わせたような暗さを感じた。
赤井が「よくそこまで調べ上げましたね」というと、君島は「私の取材力を舐めないで欲しいわね」と胸を張って威張った。
そうですね…―。と赤井は思い出すように目を細めた。
「フリーシードには、十人の幹部がいた、とされています」
「されている?確実ではないんですか?」
「あくまで掴んでいる情報の範囲です。でも旗揚げであるα(アルファ)はその幹部のことを総称して「十種子」と呼んでいたので多分本当なんでしょう」
十種子、確かに小津がロディの記憶を視た際に、大田黒が言っていた言葉だ。「フリーシードの十人の幹部って意味だったのか」と心の中で納得する。
その表情を汲み取ったのか、赤井は一度頷き、そして続けて説明した。
「十種子は、他にβ(ベータ)、γ(ガンマ)、Δ(デルタ)、ε(イプシロン)、Ζ(ゼータ)、Ω(オメガ)、λ(ラムダ)、Σ(シグマ)、φ(ファイ)というギリシャ文字が振り当てられていました。しかし少なくとも、そのうちα(アルファ)とΣ(シグマ)の二人はすでに死亡していて、三人は獄中です。残りの五人である γ 、 Δ 、 ε 、 Ω 、 λ はデータが抹消されていて誰だったのかすらわかっていませんでした」
「その…データが抹消されていた五人のうちの一人が大田黒だったと」
「そうでしょうね。小津君がロディの記憶から見た、モナドという言葉を聞いて私も確信しました」
「えっと、獄中にいる三人はだれも口を割らなかったんですか?」
「割らないんじゃなくて、知らなかったんだよ」と周防がうんざりした口調で言った。彼もまたその事件に関わった一人だから、その当時を思い出しているのだろう。
苦々しい表情をしている周防を横目に、赤井は微笑を崩さず淡々と続ける。
「そう、彼らはお互いのパーソナルな情報を一切持っていませんでした。というより関心がなかったという方が正しい言い方です」
「関心がなかった?同じ組織にいる仲間なのに?」
「ゴミと一緒なんですよ…自分の宝は他人から見れば無価値なものであることはよくあることです。彼らにとっては、オンラインで全意識を共有するという進化を目指す思想に共感し、実現に繋がる何らかの技術を持っていればそれ以外の個人的な情報は不要なゴミ同然なんでしょう」
「でもそれって矛盾してますよね?全意識を共有するのなら、自分の情報を全て共有するってことじゃ…」
そこまで言って小津は動きを止めて思考する。そして「いや、なるほどだからモナドか、でも…」と呟いた。それをみて赤井も頷く。
「そうです。モナドとはライプニッツが唱えた〈世界を構成する最小不可分単位〉です。フリーシードはそこにAIの魂を重ねた。モナド同士を束ねれば新しい宇宙が生まれるという理屈を掲げました」
「それの、何がいけないんでしょう?」
そう言ったのは藤堂だった。いつの間にか戻ってきて話を聞いていたらしい。青年刑事の表情は、らしからぬ表情とでも言うのだろうか。眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をしている。
「もちろん賛否両論はあるんでしょうが、オンラインで必要な意識を共有し仕事を進めて成果を出す。で、パーソナルな部分には踏み込まないって…ある意味理想ですよね」
「ガワだけみればな」と周防が応える。
「全意識を共有して統一し、楽園を作る。だがその楽園には、人間が不在なんだよ。例えばお前の意識、思考パターンをそのままコピーすることができたら、現実世界のお前はもう用済みだ…。それが何を意味するかくらいわかるだろ。さて、おしゃべりが長くなっちまったな。そろそろお願いできますかね」
そう言うと周防は、小津に向かって手を挙げた。
十種子のざっくり設定
Seed-01α(アルファ)死亡<初動/起源>先導者・創設者旗揚げメンバー。思想・資金調達ラインを構築
Seed-02β(ベータ)獄中<試行/調整>AI倫理改変テスター。三原則バイパス実証班(こいつはめちゃくちゃ危険)
Seed-03γ(ガンマ)データ抹消<増幅/拡散>データウェアハウス掌握・プロパガンダ担当
Seed-04Δ(デルタ)データ抹消<分岐/変異>遺伝的アルゴリズムで自己進化コードを生成
Seed-05ε(イプシロン)データ抹消<誤差/揺らぎ>ノイズ注入による監視攪乱・ステルス技術
Seed-06Ζ (ゼータ)獄中<閾値/臨界>阻害因子検知と "臨界モード”安全装置の設計
Seed-07Ω (オメガ)大田黒レオ・死亡<終端/帰結>自己権限昇格パッチを用い、三原則との「折り合い」を研究。モナド計画を担当
Seed-08λ(ラムダ)データ抹消<無限級数/連鎖>分散AIネットワークの同期・感染ロジック
Seed-09Σ(シグマ)死亡<総和/統括>多拠点資金洗浄・暗号台帳の一元管理
Seed-10Φ(ファイ)獄中<黄金率/均衡>外部パートナー折衝・表/裏資本のバランサー




