34_天則の幻想
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・第五章-3
小津と赤井が車で周防との約束の場所へ移動していると、対向車線側の広場で人だかりができていた。その人だかりの中心、半円になっているドーナッツの中には龍樹院リショウが街宣車の上に作られた台の上に立っていた。
「街頭演説でしょうか」と言って赤井は「この辺で一度止めてください」と自動運転中の車内AIに伝える。車は静かに道路脇により、一時停止した。赤井は「この時間なら車の通りも少ないですし迷惑にはならないでしょう」と言ってドアを開けた。
──まったく、噂をすればである。
正直なところ今の小津は天則や龍樹院の顔など見たくもないので気が進まないが周防との約束の時間までまだ間があるようだ。それに天則についても識っていることと感情のバランスが悪いと大体良くないことが起こる。情報であると割り切って重い腰を車のシートから離し、外に出た。
『──ロボットは所詮機械。そして機械は進化しすぎました。もはやあれは人間を惑わす魔のモノ、つまり魔物です!見た目こそ我々に似せてはおりますが、その内には魂がありません。彼らが人間に牙を剥く日が来る──いや、すでに牙を剥きました!尊い人間の命をを奪ったヒューマノイド、それこそが揺るぎない証拠なのです!…このままでは第二、第三の“神罰”がくだるでしょう!人間が自ら作り上げた“魔物”に滅ぼされる──その闇が広がる前に、我々は立ち上がらねばなりません!』
龍樹院リショウは体格の良い身体をさらに大きく見せるように両腕を広げ、低くもよく通る声を拡張スピーカーで増幅して叫んでいる。
少し離れた場所から眺める小津は、その顔をしっかりと見るのは初めてだった。坊主頭に髭を蓄えた顔、その目はいつもテレビで観るのと同じ──ギョロリと大きく、まばたきをほとんどしない。まるで映像の中から抜け出してきたかのように、テレビと寸分違わぬ印象だ。
周囲には十数名ほどの信者らしき者が控えていて、龍樹院の周囲にオーディエンスの輪を作りながら、号令に合わせて合いの手のような声を上げたり、プラカードを掲げたりしている。プラカードには「AIは人類を滅ぼす!」「ヒューマノイド廃止を!」といった文字が並び、その下には白い雲を模した図柄――天則のシンボルマークが描かれていた。
『───今や私たちの生活圏、政治の世界まで、ヒューマノイドと呼ばれる“人形”どもがはびこっているのです。彼らは仮初の“三原則”なる呪文で隠蔽され、あたかも人間に従う安全な存在だと言わんばかりに振る舞っていますが…今回起きた酷い事件が物語るように、それは幻想です!我々はこの魔物たちを排除し、“天の則り”に立ち返らねばならない!』
龍樹院の檄に、信者たちが口々に声を上げる。「天則万歳!」「ヒューマノイドを滅ぼせ!」
まるで熱狂的なカルトのように聞こえるが、集まっている一般の通行人の中には真剣に聞き入る者もいる。
赤井は唇を軽く結んだまま、歯切れの悪い声で「なるほど、こういう感じですか…」と呟いた。
背伸びをして人垣の隙間から覗き込むように見ていた小津は、少しだけ眉をしかめる。昨日、自分の仮想空間をハッキングしようとしてきた連中と、この熱気を発している信者たちが同一なのかどうかは分からない。ただ、堂々と大衆の前で演説をしながら舞台裏では違法な手段を使っている──そう考えると嫌悪感が強まるばかりだ。
「それにしても今時街頭演説なんて珍しいですね。効率も悪そうですし…」
ずいぶん前からリアルの街頭演説は廃れている。それよりも仮想空間でアバターに喋らせた方が綺麗だし量産も簡単である。
「珍しいという点ではそうですが、効率は悪くなさそうですよ」と言って赤井は手帳に付属されたモニターシートを小津に見せる。どうやら、今この中にいる信者や野次馬が撮影している映像がライブ配信されているようだ。
「すごいですね。こんなに回るもんなんですか」と小津は驚いて映像に顔を近づける。回ると言うのはもちろん再生回数のことだ。
動画内では「今時これは恥ずい」「ここまでくるとカルトだな」という意見や「核心をついてる」「言ってることは正しい」といったコメントが流れている。要するにお祭り状態だ。
「今はこう言った街頭演説自体が珍しいですからね。それを逆手に取ってるんでしょう。みんなと逆のことをすれば注目されことを識っている。それに何人かが撮影しているからコストもかからず拡散ができる。古典的な手法ですが、だからこそ新しいモノや手法に馴染むことができない人にも受け入れられる。ちゃんと考えているようですね」
「どこまでの技術を否定するんでしょうね──」
ロボット、AI、仮想空間、ネットワーク…それらは連綿と、そして複合的に重なり合い、繋がり、少しずつ拡大していったものだ。言葉が違うから切り分けられると言う方がよほど幻想だ。
赤井もそうですね、と言ってから思いついたように
「どうします?昨日のことと併せて直接話を聞いてみますか?」
と隣で囁くように言う。しかしその顔は至って平然としていて「いつでも良いですよ」と顔に書いてあった。
「いやいや、僕たちが行っても“ヘンな因縁”をつけられる可能性が高いですよ。事を荒立てたくないですし…」
「そうですか」
赤井は視線だけを演説会場へ向けたまま少し残念そうに軽く頷いた。ナギサもそうだが赤井も輪をかけて強心臓である。そして何かを確かめるように、龍樹院リショウのしぐさや信者たちの動きをじっくりと観察しているようだった。
龍樹院の演説はさらに盛り上がっている。ある程度の手応えを得たのか、彼は両腕をさらに天へと掲げて声を張る。
『──なぜ人々はこんなに傲慢になってしまったのか!人間は神の摂理によって生きているというのに、ロボットをつくり、AIをつくり、挙句に“心”だの“自我”だのといった魂もどきを与えようとしている―!結果はどうだ?“子ども型”という、おぞましい姿でまで模倣して、ついには犠牲者を──』
『──我々は“AI文明”という魔術に踏み込みすぎたのです!三原則?そんなものは神の摂理を踏みにじる口実に過ぎない!このままではいずれさらなる犠牲者が出るでしょう。それを防ぐには、我々がロボットを廃し、“天の則り”に戻るしかないのです!』
さっきと同じような内容をバリエーション化した言葉で畳みかけ、盛り上がりを見せる信者たちと、その雰囲気に飲まれた野次馬が合唱する中、ふと人混みがざわつき始めた。最前列のあたり、髪をきちんとまとめた―しかし地味な装いの女性が、一歩大きく前へ踏み出す。
その横顔を見た瞬間、小津は「あっ」と息を呑んだ。彼女は君島アンナだった。
普段はカジュアルなニットやパンツスタイルを好む彼女だが、今日はえらく地味なスカートにジャケット。取材先への“潜入取材”なのだろうか。とはいえ、彼女自身のオーラはやはり隠しきれない。
「…いい加減にしてよ」




