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33_進化の、放棄

***

・第五章-2

R/F社のオフィスに到着したのは予定より少し遅い時刻だった。だが珍しく先客がいる。応接スペースからナギサの笑い声が聞こえるのだ。


「小津くん、おはよう」


ロマンスグレーの髪を後ろに流した社長、赤井オリザがゆったりとした身のこなしで立ち上がり、小津を出迎える。


「昨日は大変でしたね、大丈夫でしたか」

「えぇ、フレイヤがいたので助かりました」

「彼女は非常に優秀ですね。さすがは天才、ナギラユリが作った自律思考型ガーディアンAIというところでしょうか。そういえば、ユリさんは元気でしたか」


元気でしたよ、と小津は応える。昨日の夜、天則から攻撃を受けた後ユリには謝りのメッセージを入れたが即レスで「必要ない」の一言だけだった。


そのことを話すと赤井は少し驚いたように、「必要ない?あぁ、謝る必要はないってことですね」と言った後感心した。

「そんなことが言えるようになったのですか」成長しましたねぇという赤井だが、小津は少しだけ上を向いた後、「元から気遣いの人ですよ、彼女は」と言った。


そんなことを話していると、ナギサも顔を出してきたので、昨日の顛末を二人に話すことになった。


大田黒が瀬戸山とかつて夫婦だったこと、大田黒がフリーシードの組織員だったこと、天則の鬼龍院リショウと関係があったらしいこと。そしてモナドの礎という概念。


一通り話した後、ナギサが「情報量が多いわねぇ」と感想を漏らした。本当にその通りだと思う。


「モナドってなんなのかしら」


ナギサの一言で、オフィスの空気がひんやりとした緊張感を帯びる。小津は片肘をデスクにつきながら、「内容については判りませんでした」と首を振った。

大田黒の元妻だった瀬戸山も知らないと言っていた。ネット上にもそれらしい情報は残っていない。つまり収穫はゼロだ。


「あとは、他のテンシードに渡ってはいけないから君島さんに預けるとかなんとか」


そこまで言った時、赤井が驚いたような表情を小津に向ける。


()()()()()?大田黒はそう言ったんですか?」


「え、えぇ。赤井さん、何か知ってるんですか?」

赤井のそんな表情は滅多に見るものではない。小津の方が少し動揺したような感じになってしまったが、しかし赤井はそんな小津の反応はお構いなしに何か考え込むように顎に手を当てていた。


「モナド…十種子(テンシード)…大田黒が…」


赤井は顎先に軽く手を当てたまま、薄く目を伏せる。デスクの向こうに立つナギサがそんな赤井の横顔を見つめながら首を傾げた。


「え、赤井さん、何か心当たりあるんですか?」


その問いかけに、赤井はわずかに唇を引き結ぶ。


「はい…フリーシードというテロ組織については覚えていますか?」

「それって、赤井さんが現役SP時代に壊滅させたって噂の組織ですよね?」


小津が相槌を入れると、赤井は「昔むかしのお話ですよ」と言って肩をすくめた。赤井がかつて政府の要人を守る際、単独行動でフリーシード幹部を一網打尽にしたという「伝説」は小津もナギサも断片的に知っている。だが、当時の詳しい内情までは赤井自身が多くを語らないため、不確かな風聞だけが先行していた。


「フリーシードにはいくつかの派閥がありましたが、その中心的な思想に“世界を一つに還す”というスローガンがあったのです。言い換えれば、“ヒューマノイドを含むあらゆるデータの源流を再統合する”という思想。名前は違えど、彼らは“モナド”という概念をよく口にしていました」


赤井が静かに視線を上げると、ナギサが薄く息を呑むのがわかった。


「モナドって──」

ナギサは頬杖をつきながら、いつになく真剣な表情で言葉を探す。

「元々は哲学の概念よね。一つ一つが独立して完結しているのに、互いを内包して世界全体を構成している、みたいな。あんまり詳しくないけどさ…」


ナギサは常識を知らないが教養はある。十七世紀の哲学者、ライプニッツが提唱した概念だが今時ウェアラブルなしでこうした話がでてくる人間がどのくらいいるだろうか。


「ええ。実際のところ、フリーシードの連中は“オンラインこそが完全なる交流、すなわち魂の融合だ”と信じていました」


赤井は懐かしむように、そして苦々しそうに微笑した。

「しかし、君たちも知っている通り今のヒューマノイドは“オフライン”が主流です。人間のプライバシーを守るためという言い分もあってね。結果的には世界を分散させることでロボットは人で言う個性を獲得しましたが、フリーシードはそれを“()()()()()だ”と過激に批判していた。……もしも彼らの思想を大田黒が継承していたとしたら、“モナド計画”とは、まさにオフライン化されたヒューマノイドたちを再び一つの巨大ネットワークに繋ごうとする計画なのかもしれません」


小津は、瀬戸山の家で見た霧のような朝の光景を思い出していた。

赤井は続ける。

「バカなことをって思うでしょう?最初は私も思いました。でも彼らは本気だった。フリーシードの言い分では、全てをオンライン化して統合することで“オラクルAIを超越した意識の誕生”つまり()()()()()()()()()を生み出したかったんでしょう…。まぁ、結局どちらが良かったのかはわかりませんがね」


「どちらが良かったか?」

小津の疑問に、赤井は「えぇ、そうですよ」と応えた。


「小津君、ヒューマノイドのオフライン化が急速に進んだのはいつからか、覚えていますか?」


「えっと…今が2055年で10年前だから2045年くらいじゃなかったかな…あ、そうかもしかして!」


小津の反応を見て、赤井がゆっくり頷く。

「そうです。その頃、新世代ニューロモーフィック・チップ*が生産されたことによる()()()()()()()()()が始まりました。簡単に言えば、フリーシードは自分たちの思想とは真反対のその技術を亡きものにしようとテロを起こしました。ちなみにこのテロは政府にとっても都合が悪い部分があったんでしょう。ほとんどニュースで取り上げられませんでした。私が壊滅させた時点で幹部や主力メンバーの半数以上を捕らえたとされていましたが、すべての思想信奉者を潰しきれてはいないはずです。どこかで形を変えて存続している可能性はありますね」


穏やかな口調とは裏腹に、内容は苛烈である。


「でも、なんか腑に落ちないわよね」

赤井の言葉に一通り耳を傾けた後、ナギサはソファの背もたれに腕をかけると、床の一点を睨むように呟いた。


「フリーシードは“ヒューマノイドを全てオンライン化して融合させる”というような世界を目指してたんでしょう? もし大田黒がそれを継承してたとして、なんで“天則”みたいな反テクノロジー教団と繋がる必要があるわけ?」


「たしかに、一見相反する思想同士のはずですよね」


小津も顎に手を当てて考え込む。天則はメディアを通じて「AIこそ人類の敵」「ロボットの廃止」を声高に叫んでいる。フリーシードはヒューマノイドを極限まで発展させようとしていた。方向性はまるで正反対だ。


「可能性としては、“利用し合っていただけ” という筋書きもありえますよ」

赤井は微かに苦笑すると、すらりとした指先でテーブルをトントンと叩いてみせる。

「宗教というのは、必ずしも表向きの主張と裏側での動きが一致しているとは限りません。表では反テクノロジーを謳いながら、実際には資金源を得るために密かにテクノロジーを利用している―そんな黒い話は珍しくありませんからね」


「まぁ、確かに……」

ナギサが眉をひそめる。彼女の父親は外務大臣という大きな政治力を持ち、実家である袋小路一族も多方面にビジネスを展開している。表と裏の取引を目にした経験が少なからずあるのだろう。


「それに、天則が必ずしも “世のAIをすべて消し去りたい” と本気で思ってるとは限らない。その看板で信者を増やしている可能性もあります」


「うーん、ややこしいなぁ…」

小津はそっと息を吐いた。脳裏に浮かぶのは瀬戸山リエの言葉だ。大田黒が天則の代表・龍樹院リショウと深く関わっていたこと、まるで自分から遠ざかるように心を閉ざしたこと…。


何も話してくれなかった彼の真意を、瀬戸山もわからずにいる。モナド計画という構想がフリーシード由来のものか、そこへ天則がどのように絡んだのか、依然として霧の中だ。

「まぁしかし、あの龍樹院リショウという男……テレビで見る限りでは中身のない脅威論ばかり並べているようだけど、実際それなりに影響力を持っているのは確かです」

赤井の視線は天井に向けられているが、その瞳は昔を回想するように遠くを見つめているようでもある。


「そういえば、『天則』から、小津のところにハッキングを仕掛けてきたのよね?」


ナギサは鋭く問いかけ、椅子の肘掛けに肘をついて足を組む。


「ええ。フレイヤの逆探知で天則だとわかりました。まぁ構成員が独断でやったのか、あるいは天則そのものの指示なのかは分かりませんが……」

「でも、どうしてそんなことしたのかしら?」

「知りませんよ。ぜひ聞いてみたいところです」


小津は天則の“天使”を思い出し、暗澹とした気持ちで首を振る。洗脳を狙った猿芝居や大規模な攻撃。

「そもそも、天則は大田黒の死を “神罰” なんて呼んで喜んでるようにすら見えたし」


あいつは嫌いだわー、美的センスもなさそうだし、と言いながらとナギサが顰めっ面をした。

赤井はというと「ところで小津君」といって改まったような口調になった。


「これから周防君と会う約束をしています。小津君も同行してもらえますか。昨日の天則のハッキング未遂の件と、ロディの深層記憶領域から見つけた大田黒のモナド計画の発言は、伝えておいた方が良いでしょう」


「これからって、すぐですか」と小津が言い終わる頃には赤井は鞄を持って入口に向かっていた。「はい、すぐです」と言いながら小津の方を振り返る。


「ちょ、待ってくださいよ」


赤井のモーションは小津の動体視力では追うことすらできない。どたばたと用意しながら赤井の背中を追う。


「ナギサ君はアポイントがありましたよね。何かあったら連絡ください」

「はーい」と言いながらナギサはひらひらと手を振った。

ep.33 わからなくても困らない解説

▶︎ニューロモーフィック・チップ…人間の脳の構造や働きを模倣した回路です。実際にインテルとかが開発しています。この物語で使われているのは、もちろん何世代も先の大幅なアップデートで進化したものです。

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