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32_過去は過去のまま

瀬戸山はテーブルの上に両手をそっと重ねる。その指先は少し震えているようだったが、彼女は表情を崩さない。

彼女の希望をどう受け止めるべきか――それを返答に乗せる前に、小津はほんのわずかに息を整える。


「厳密に言うと、完全に何も覚えていないわけではないんです。ヒューマノイドの深層記憶には、例えクリーニングされてもゴーストのような痕跡が残ってしまうことがある。しかし、それはあまりに不確実で…ご本人やユイちゃんの姿を見ても、ロディは思い出すことはありません」


「復元は、できないのでしょうか?」


「残念ながら難しいです。データの消去は、文字通り消し去ってしまうことです。バックアップがあれば話は別ですが、大田黒氏から所有者変更が行われた段階で前所有者(オーナー)にいた頃の記憶は消されるルールです」


残酷な言い方だが、はっきりと言っておかなければ更に落ち込ませることになる。

小津がそう言うと、瀬戸山は「えぇ…」と、曖昧に声を漏らす。

彼女は小津を見つめ一度唇を開いたものの、静かに閉じる。

暫くの間規則的な呼吸音だけが深く、そして浅く。


様子を伺うような、タイミングを測っているような、まるで細波のように小津たちのいるリビングにわずかな振動を与えた。


「あぁ、ダメですね。バチが当たったんだわ」


突然の発声。

思い切ったように。

何かを振り払うように。

瀬戸山は恐らく、精一杯明るく言おうとした。

しかし明らかに声が掠れて震えている。


「バチ、ですか」と静かに小津が聞き返す。


「はい」と瀬戸山は穏やかに言って、再び目を伏せる。


「カンタのことを、あれからずっと考えていました…ロボットとはいえ人間の言葉を理解し、ユイとずっと一緒に遊んでくれた。そんなカンタを、私はぬいぐるみだからという理由だけで卒業…いいえ、廃棄しておいて、人型のロディがユイのことを忘れていると聞いた途端に、こんなにショックを受けるなんて…本当に都合の良い話ですよね。だから」


と言って短く息を吐く。


「だからきっと、そんなことを思ってしまう私にバチが当たったんです」


瀬戸山は微笑もうと口角を上げているが、明らかに失敗だ。


「瀬戸山さん。思い詰めてはいけません」


現代のロボット、人工知能は人間に対し生命を感じさせるほど発達してしまった。だから思いやりのある人間ほど、失った直後は自責の念やロスと言った状態に陥りやすい。

場合によってはケアも必要だろうか。もちろんそのプログラムもある。しかし瀬戸山はそんな小津の考えを汲むように、「大丈夫です」と言った。


「えぇ、大丈夫です。宗教にも入信していませんから安心してください」


宗教、と聞いて小津は自分の瞼が少しだけ痙攣したのを自覚した。


「宗教だなんて、そんな」

「小津さんには、話しておこうと思います」


そう言って瀬戸山は静かに語り始めた。


「大田黒は、天則という宗教団体と関わりがありました」

「天則…ですか」


鼓動が早くなるのがわかる。昨日のことが思い出されたからだ。


「ご存知ですか?」

瀬戸山からの問いに「え、えぇまぁ」と言って頭をかきながら愛想笑いをして誤魔化す。知っているも何も向こうから攻撃を受けたのだが、それは流石にここで話すべき内容ではない。


「そうですよね、今はメディアなどでよくみるようになりましたからご存知だとおもいます…。大田黒がいつからか、どのくらいの関わりがあったかは定かではありません。私が気づいたのは離婚する一年前。教祖である龍樹院リショウと一緒にいるところを、私が見てしまったんです。もちろん彼には問いただしました。だけど、君には関係のないことだ、の一点張りで何も教えてくれなかった」


瀬戸山はソファの背もたれに、すとんと身体を預けるようにして小津から視線を外した。彼女の横顔は落ち着きを装っているようだが、どこか痛みに耐えている雰囲気が伝わってくる。


「それから…私たちの関係は一気に悪くなりました。今思えばきっかけは“天則”という宗教に関わっているかどうかというより、何も話してもらえなかったことですね。私は大田黒を信じたかったのに、彼は心を閉ざしてしまった。そして別れは、あの人から切り出されました」


「大田黒さんの方から…」


「えぇ、ですから私にとって天則は、私から大田黒を取り上げたものです。正直言って恨んでいます」

瀬戸山はそう言うと、今度は本当の笑顔を見せた。もちろんそれは、オレンジ色の明るさを持っているわけではないが、ほんの少しだけ空気が軽くなるような、そんな儚い笑顔だった。


小津は瀬戸山の表情をうかがいながら、言葉を選ぶ。

彼女が思い出を掘り返すほど辛さが増すのは明白だが、天則という存在が事件に深く関わっている以上、話を聞かないわけにもいかない。ロディの行方やヒューマノイド葬儀の関係だけでは済まない可能性もあるのだ。


「その…瀬戸山さんは、龍樹院リショウという方と話されたことはあるんですか?」


「いいえ、私は怖くて近づくこともできませんでした。たぶん、向こうも私のことは認識していなかったんじゃないかしら」


そうですか、と言って小津は少し考え込む。

何か違和感がある。しかしそれが何に対してなのかが漠然としない。

もう少し話を聞こうか、と思ったが一方でこれ以上自分が首を突っ込んだところで、小津自身が捜査をするわけではないし、できるわけでもない。


「警察以外の方に、そのお話はされていますか?」


「いいえ、していません。こんな話、普通はしませんもの。でも…ロディの話を聞いたらなんとなく小津さんには話しておかなくちゃって思いました。ご迷惑だったらごめんなさいね」


いえいえ、とんでもないと言って小津は頭を下げた。

「モナド…という言葉や概念については、何か聞いたことがあるでしょうか」


小津がそう問うと、瀬戸山リエはわずかに首を傾げた。


「いいえ、名前すら初めて聞きます。大田黒はそういう話も一切してくれなかった。もしそれが彼の研究か信条に関わるものなら、なおのこと…。もう少し胸の内を話してくれていたら、こんな結末にはならなかったのかもしれませんけど」


最後は小さく呟くような声だった。もはや彼女の表情に取り繕う様子はなく、瞼を伏せながら静かに俯いている。


「そう、ですか。すみません、唐突な質問をして」

「いえ、小津さんが謝らないでください。逆に…ありがとうございました。あの子――ロディのことを教えてくれて」


そう言って瀬戸山は椅子を立ち、台所の方へ向かった。キッチンの棚から箱ティッシュを取り出すと、自分の目頭を軽く拭いながら、小津の前にも一箱置く。


「私、ユイが生まれてからずっと、ロボットはただの便利な道具かもしれないと思いながらも、カンタやロディと交流しているうちに“命みたいなもの”を感じるようになっていったんです。でも……最終的には人間の都合で初期化されて、記憶さえなくなる」


「…そうですね」


「何もできなくても、誰も覚えていなくても、あの子たちと過ごした時間は本物だった。過去は過去のままだけど、それは人間にもロボットにも変わらない事実なんだなって」

そうして二人の会話は一度区切りを迎えた。


やがて小津が玄関へ向かうと、瀬戸山は最後にこう言って深くお辞儀をした。


「ありがとうございました。あの子のこと、ロディのことも…何か動きがあれば教えていただけると助かります」

顔を上げた瀬戸山の瞳には、揺れるような迷いと決意が同居している。小津はその視線を真正面から受け止めると、


「はい。できる範囲でお伝えしますね」


と静かに答えた。

何かを問いたそうな瀬戸山だったが、それ以上は言わなかった。彼女は別れの挨拶をして、そっと玄関扉を閉める。


外に出ると、秋の冷たい空気が小津の頬を撫でていった。


(天則——やはり絡んでるのか)


昨夜、フレイヤのハニーポットにまんまと接触してきたのも“天則”からのアクセスだった。もはや偶然と言い切るにはあまりにも符号が揃いすぎている。

だが、小津一人で動くことには限界がある。加えて自分は捜査官でも調査員でもない。下手に踏み込みすぎて、かえって瀬戸山親子を危険に晒す可能性だってありうる……。そう考えると胸の奥がざわつくような感覚に襲われた。


「行動を起こさないほうがいい…か」


誰にでもなく、独り言のように呟く。

けれど瀬戸山の言葉が頭から離れない。ロディとユイのあの楽しそうな光景を想像すると、ロディが完全に“不要品”として廃棄されるシナリオを、どうにも受け止められない自分がいるのだ。仕事だと割り切れない以上、ここから先は自分の意志で動かなければならない。

車に乗り込み、ドアを閉める。エンジンをかけず、しばらくハンドルに額をつけるようにして目を閉じた。


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