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29_怒りのフレイヤ

***

ALAを使いロディの深層領域にダイブしていた小津は突然、世界から引き剥がされるような感覚に襲われた。


それは一瞬とも言えるだろうが、自分の意思とは正反対に進む時間はとても粘着質で、思わず何かに捕まらなければ、と虚空に手を伸ばすほどだった。


そしてそのままブラックアウトし、次の瞬間目を覚ました。


汗ばんだ額を左手で抑えると、腕にしている時計のウェアラブル端末が今もけたたましく音を出しながら振動していることに気付く。おそらく先ほどまで微弱な電流を流して小津の意識を覚醒させたのだろう。時間にはまだ余裕がある。つまり緊急事態ということだ。


「フレイヤ!何があった?!」


気持ちを切り替えて小津がフレイヤに問いかける。仮想空間は解除されていないものの、すでにユリは離脱しているようだった。


「何者かが干渉、もしくは盗聴をしようとしたようです」

「干渉?またソフィアか?」

「いいえ、違います。ソフィアではありません」

「僕らの暗号化された仮想空間の所在を特定して干渉しようとしてくるなんてこと…」


そこまで考えて、小津は天井を見上げる。


「なぜソフィアじゃないと言い切れる?」


「攻撃手段が()()()からです。粗野で品性の欠片もなく、ソフィアの足元にも及びません。攻撃をわかりやす可視化します」


フレイヤがそう言った直後、暗くなっていた部屋の壁面が一瞬ざわつき、色鮮やかな光が目まぐるしく踊りはじめた。

小津のいる場所を中心として地面は草原となり、夜空は満点の星空へと変貌しサイバー空間に漂うデータの海が鮮明に可視化される。


夜空には無数の小さな光の粒子が星のように瞬きながら奔流となり、その軌道の中を武器を持つ()()()()()()が攻撃を仕掛けてくるのが見えた。


「かなり多いね」


空中にいるからくり人形の数は百や二百ではない。ハンマーを持ってフレイヤの防御シールドを叩き割ろうとするもの、刀で切りつけてくるもの、レーザー銃で穴を開けようとしているものなど多様な攻撃を受けている。


「ネットワークトラフィック*による外部からの攻撃を可視化しています。現在複数のボット化されたPCやデバイスが大量のパケット*を叩きつけてきている状況です。見た目は派手ですが、単調でつまらない攻撃ですね」


「なんか怒ってる?」


最後の言葉に棘がある感じがするので、一応聞いてみる。


「私に怒りという感情はありません」

「あ、そう」


なら良いのだが。


「しかし小津を標的にしたことは万死に値します」


「やっぱりちょっと落ち着いてくれるかな」


小津がそういって空を見上げた時、さらに攻撃量が増えた。からくり人形の種類が増えてランダムになっている。


「陽動だね。確かに分かりやすい」と小津がいうと、フレイヤも「はい」と返事をした。

「今の攻撃はこちらのリソースを削ることを目的としているので、本命は別にあるはずです」

「このまま待つ?」

「いいえ、時間がかかっては小津の就寝時間が遅くなります。こちらからおびき寄せます」


すると一瞬映像にグリッチがかかったように僅かなダブりを見せたと思ったら、世界が二つに分裂した。

気づくと遠くに小津たちのいる世界が、隣にもう一つ作られていた。からくり人形達はその「もう一つの世界」に総攻撃を仕掛けていて実際の小津は傍観者となり、その攻撃を隣から見ていた。


「これは…」

「本物と同じデータ、同じディレクトリ構造*があるように見せかけて、こちらの偽装システムを攻撃させています」

「なるほどね。ダミーフィールドってとこかな」


名前がないとイメージがしづらいので小津が適当に言ってみると、フレイヤは「素晴らしい名前だと思います」と褒め称えた。


「万が一ダミーフィールドの防壁が突破されたとしても、あそこにあるのは文字通りダミーの暗号化データです。解析するだけ敵の時間ロスを生産します。彼らでは防壁すら突破できないと思われますが、それでは逆探知に時間がかかるので次のフェーズに移行します」


ふと、ダミーフィールドの世界に目を凝らすと、草原に先ほどまで無かった()()のようなものが浮かんでいるのが見えた。辺り一面に夜の闇が広がるサイバー空間の中で、その香炉だけが仄かなピンク色の光を放ち、仮想空間では感じることができないはずの甘い匂いがするような錯覚を持たせている。


その光景が、先ほどまで感じていた緊迫感を一瞬だけ忘れさせるほど幻想的だった。


しかし次の瞬間、その香炉の上空で何かが揺らめいた。

無数の小さなデータの粒子が光の筋を描いて舞い散ったと思ったら、まるで巨大な花火を逆再生しているかのように再集束し始める。

そして眩い光を放ったと思ったら、攻撃していたカラクリ人形たちを一瞬にして消し去った。


「ショーとしては中々見応えがあるかな」と小津が呟く。


しかしこれから何になるんだ?


そう思ってみていると、カラクリ人形たちを消し去った発光体の中から、真っ白なローブを身にまとい、翼をはためかせた天使が現れた。


(なんだ?こいつは)


両翼を広げた仰々しい姿をしても違和感を感じないのは神や天使の特権でもあるが、サイズ的にかなり大きい。


「恐らくこの天使は、原因不明の攻撃者を倒し、我々を助けにきたホワイトハッカー*という設定です」


フレイヤの解説を聞いてあぁ、と納得する。

確かにフレイヤのような高度AIを持つ者は稀だ。あのカラクリ人形の攻撃も、通常個人に仕掛けるような代物ではない。

しかし、こうして冷静に傍観している小津には、あの天使も敵側で確定であることくらいわかる。

天使は鷹揚に、ゆっくりと草原に降り立ち、そして香炉を見下ろした。


「こいつが本命ってことか」


小津は身構えながら問いかけるが、フレイヤの声は淡々と響いた。


「はい、味方のふりをして近づく、そしてより複雑で高度な侵入を試みようとしています。データ濃度から攻撃の規模も飛躍的に向上していると推測されます」


ホログラムで映像化されているからというのもあるのかもしれないが、神々しささえ感じられる姿であるのに、なぜか小津の心は先ほどからざわざわと逆撫でられるような感覚に襲われている。


(なぜ天使の格好をする?防御壁の外側からの攻撃はフレイヤが単なる信号をわざと可視化させたものだ。しかしダミーとはいえ仮想空間の敷地内に入ってきたあの姿は敵がプログラムしたもの。狙いは一体なんだ?)


「ダミーフィールドに仕掛けた罠は、あの香炉だね?」と確認する小津にフレイヤが静かに応える。

「はい。あの香炉はこちらにわざと脆弱性があるように見せかけておびき寄せる、いわゆる()()()()()()*です。ポットに接触した相手のアクセス情報を逆探知し、こちらでデータを収集・解析します」


なるほど、と小津はフレイヤに感心する。


あのハニーポットはセキュリティホール*の象徴なのだ。

弱点を見つけたらそこを攻撃する、あるいはそこから情報を吸い上げるのはサイバー戦の常套手段。

もちろんフレイヤが配置したものは偽りの弱点なのだが、最初からではなく少し時間を置いて出現させたのは相手に攻撃が効いたと錯覚させるためだ。


実際にダミーフィールドには、さっきの大量パケット攻撃でこちらを弱らせたつもりの敵が、意気揚々と偽の拠点へ攻め込んでいるのだ。

攻撃力が弱いとはいえ、数が多いということは一つ一つは大した情報がないしランダムに攻撃地点を変えたり分散しているため本拠地の特定に時間がかかる。しかし勝ちを確信した敵は今、こうして一箇所に集まり畳み掛けようとしている。その様子をみていると


「ダミーフィールドを作って正解でした」とフレイヤが珍しく独り言のように呟いた。


「え?」

それを聞きながら小津が目を凝らしてみていると、天使は左手に持っている教典のような本を開いた。

なんだあれは?

教典が光ると、香炉から出ている煙を吸い上げ始めた。


「敵が罠にかかりました。今敵が吸い上げている煙は虚偽のディレクトリ構造とダミーデータです。まもなくそれに忍ばせたトレース用のコードが敵のアクセス元を逆探知し、素性を暴いてくれています」


了解、と言って小津はその様子を見つめる。

フレイヤに対して落ち着けと言ったものの、仕事の邪魔をしてくるばかりか、執拗に攻撃してきた挙句、弱みに漬け込もうとする敵に今更ながら沸々と怒りが湧き出てくる。


「さっき言っていたダミーフィールドを作って正解って、どういう意味?」


「こちらでは音声をオフにいますが敵はパルス音や脳波を状態をリラックス状態に誘導するバイノーラルビートを発しています。これは」


「洗脳、か」


「はい、実際に聴覚パルス信号だけで洗脳できる科学的根拠はありませんが、高度な仮想空間上で自分の危機を助けにきた大天使、神々しい光とバイノーラルビート、これらを組み合わせれば、相乗効果の可能性は出てきます。この後の行動推測としては対話、つまり敵の目的は小津の洗脳であることはほぼ間違いないと思われます…逆探知成功。“天則”と名乗る組織からのアクセスを確認」


淡々と報告をするフレイヤの言葉を聞きながら、小津は無言で対岸にいるダミーフィールドの大天使を睨みつける。恩を売って対話に持ち込み洗脳を行う。全て自作自演の猿芝居であり、こちらが仕掛けた罠にも気付かず、見られていることにも気付かず、今ものうのうと我が物顔で香炉から出る甘い煙を吸っている様はこの上なく滑稽で醜く、


堪らなく不愉快だった。


小津は宗教自体に対して批判的ではないし、何かしらの思想があるわけでもない。信じるのも自由だし自分が良いと思ったものを布教という形で広めたい気持ちも理解はできる。

しかし、どのような崇高な理念があったとしても、このような手口で無理やり個人を洗脳するなど許されるはずがない。


(巫山戯るのも大概にしろ…!)


酷く、気分が悪かった。


「敵が対話を要求してきました。ホスト・セラフと名乗っています。どうしますか?」

「必要ない。フレイヤ、悪いけどもう終わらせてくれるかい」


分かりました、というとフレイヤは一瞬にしてダミーフィールドを“()()()”。


端末の電源を切るようにぷつりと切れて、先程までの攻撃による光や音はなかったように平穏な静寂が、冷徹さをより一層際立たせた。


天則側のハッカーは、こちらに探知されたことはわかっていないだろう。恐らく単に対話の交渉が失敗し、相手にネットワーク回線を絶たれた程度にしか思っていない。


奴らの狙いは主に二つ。洗脳と、個人および周辺情報の奪取。


洗脳は対話に持ち込んだ後、複数回にわたって徐々に行う可能性もあり得る。

もし対話が成立しなかったとしても、奪い取った個人情報や連絡先一覧を切り売りすることも考えられるが、今回のように手に入れたダミーデータやログは解析したところで無駄であり、つまり奴らの収穫は最初からゼロだ。

しかし今の小津にはそれが偽物であろうが、一時でも敵に勝利の美酒を振る舞うことに腹立たしさを感じた。


「今回のアクセスログは暗号化して保存し、必要に応じて解除できる状態にしています。すでにキーとなる回線IDや複数の感染元デバイスのMACアドレスも押さえました。ハニーポットを介して、敵の“裏口”へ繋がるルートがほぼ把握できそうです」


MACアドレスとは、通信機器が持つ識別番号のことだ。ネットワークに接続するためのハードウェアに割り当てられていて、通信時に装置を区別する役割を果たしている。各機器が固有の番号を持っているので、それを追うことで攻撃元をある程度特定しやすくなるのだ。

【ep.29_わからなくても困らない用語ゆる解説】

▶︎ ネットワークトラフィック…ネットワーク上に流れるデータの通信量

▶︎ パケット…データの小包。大きなデータを小分けして送ることをパケット通信と言っています。データのデ⚪︎アゴスティーニ的な。

▶︎ ディレクトリ構造…データやファイルを階層別に整理する仕組みのこと

▶︎ ホワイトハッカー…悪いハッカーから守ってくれる良い奴

▶︎ ハニーポット…サイバー戦において攻撃者を引きつけて、その行動を観察・記録したり、攻撃を検知・分析するための囮

▶︎セキュリティホール…セキュリティ上の脆弱なポイント。弱点


・本作のフレイヤは小津を守るためのガーディアンAIです。言ってみれば小津を守ることにしか興味がありません。彼女にとって創造主であるナギラ・ユリの言うことは別ですが。

しかしフレイヤといえば、美と愛の女神というイメージもあります。しかもその愛は妖艶で蠱惑的です。

なので、「ハニーポット」という甘い汁を用意して、敵を誘き寄せる戦い方をしました。


「干渉?またソフィアか?」▶︎【ep.8_オラクルAI】

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