26_ロボットの体温
小津とロディは握手をする。
人間の体温よりは少し低めなその暖かさは、ボディ内を巡る熱制御システムの排熱によるものだ。しかしそんなところにも人間らしさを垣間見てしまう自分がいる。
手を離した後、小津は顔を上げ「フレイヤ」と呼びかける。
「大田黒の情報、今わかる分を要約してくれる?」
「はい、こちらです」
フレイヤがそういうと、リビングの壁に大田黒に関する情報が映し出された。小津は人差し指を上下させるジェスチャで、映し出された情報をスクロールしながら眺める。そこには大田黒レオの経歴プロフィールと、いくつかの写真が並んでいた。
1. H.ニューロン社の元CTO —— 大田黒はロボット工学と量子演算の大家であり、特にヒューマノイドのコアアーキテクチャ開発において最前線を走っていた。
2. オーダーメイドヒューマノイドの“試作” —— 大田黒は、公式ではないが自身の研究室で試験的に複数の特別モデルを開発していた。ユウリもその一体で、正式な特許書類には記載されていない機能を多く備えている可能性が高い。
3. 三原則への独自改変 —— 大田黒が三原則の定義を独自に捉え、拡張や再調整を行っていた形跡がある。ロボット三原則を忠実に守りつつも、「ヒューマノイドが人間に近づく」ための思考や自我を強くする方針をとっていたのではないか、といった分析レポートもあった。
「改変?」
思わず声を上げた。
強化ではなく改変という言葉、なかなかリスクのある研究と言えるだろう。
小津の疑問に、フレイヤは淡々と続ける。
「自我を強くする、というのは技術者の間で非常にデリケートなテーマです。三原則を護りつつも、限りなく人間に近い思考を与えたいという研究者は少なくありません。彼の資料を漁っていたら、こんな一文も見つけました」
そう言いうと、フレイヤが引用文を追加した。
“人々がロボットの自我を否定しながら三原則の絶対性を盲信するのは、
いわば魂なき神を崇めているも同然ではないか。
——私は、彼らに魂を宿さなくてはならないと思うのだ。”
「これは?」
「五年前の季刊誌ロボティクス・ジャーナルでの取材記事の抜粋です」
「ロボットに魂を…」
小津は独り言を呟いてその意味を反芻する。
AIは既に人間のように振る舞うことは可能だ。しかしその指向性は人間によって制限されている。
それ自体、議論の余地があるかもしれない、と思う時がある。ただ同時に、危険でもあるのだ。
三原則が撤廃された世界でロボットは、人間の善き隣人になれるのか、と。
もちろん海賊版のロボットにはこの三原則自体がインストールされていない場合がある。しかしそれは例外であって、当たり前の話ではない。
このお話は、当たり前と例外が逆転した時だ。
だから三原則は、その理念が遂行できる技術が確立されてからはアンタッチャブルなものになっているのも事実だ。口ではロボットにも人権を与えるべき時代だとメディアで宣っているインフルエンサーが、いかにも人間に都合よくできたヒューマノイドを連れていたりするのはよくある話で、しかもそれほど不思議に思われない。
「ユウリは大田黒の個人的なプロジェクトで生まれたモデル。社内には正式な開発コードがなく、通常のセキュリティプロトコルと異なる独自に作成した暗号やロジックが随所に仕込まれている可能性が高いです」
「いわゆる秘蔵っ子ってやつかな。キミもそうなのかい?」
そういって小津は、ロディに問いかける。
「判りません。ただ、先にボクが作られました。恐らくボクがプロトタイプなので、身体的な能力はユウリの方が優っているはずです」
「なるほどねぇ…」
君島アンナの真意は、ロディの廃棄と葬儀ではない。ロボティクス関連のジャーナリストという肩書きと彼女の実績、それと印象を総合するとかなりプロ意識が高い人物だと思った。ならば安易なロボットの廃棄がどれほど環境や人間の生活に悪影響を与えるか分かっているはずだ。君島もまた、ロディの記憶から何か暴けるのではないかと思っているのだろう。
彼の深層領域にある、彼自身も思い出すことができない鍵のかかった記憶。何故それを知りたいのか、何故それを知るために小津の元へ現れたのか。前者は主観が入るが、後者は考えるほどソフィアの介入を疑わざるを得ない。
小津は一度短いため息を吐く。
とにかく、今は考えるよりもやることがある。答えを手繰り寄せるなら一つでも行動を起こすことだ。そう自分を奮い立たせてソファから立ち上がった。