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25_束の間の日常

***

・第四章-1

小津はナギサと解散した後、ロディを連れて小津の自宅へ向かっていた。小津の住んでいるマンションはR/F社のオフィスからさほど離れていない場所にある。時計を見ると二十時になろうとしているところだった。


夜の空気がひんやりと肌を乾かす。


「ロディ、今日はここに泊まるよ」


「はい、小津」


小津が玄関の前に立つと、オートロックが解除されて扉が開いた。

廊下と部屋の明かりがついている。室温も適温になっていた。

これらはもちろん、小津が電気をつけっぱなしにして外出したわけではなく、フレイヤが小津の位置情報から帰宅時間に合わせて準備したものだ。


「フレイヤ、歓迎してくれる?」

「ようこそ、ロディ」


部屋のスピーカーからフレイヤがロディに話しかける。透明な肌をした英国貴族の子息を思わせるようなヒューマノイドは、声のする方に体を向けて、「お世話になります。フレイヤ」と言った。


「どう?何か異常はありそう?」と小津がフレイヤに尋ねる。


「ロディから危険な信号や兆候は検知されません。ですが小津、念の為就寝時は別室に移動させることを推奨します。部屋のロックと監視は私が行います。あと、浴室が掃除されていないのでお風呂のお湯は張っていません」


ものものしい提案の後に、それは生活感あふれる小津への指摘がフレイヤからされるのは日常茶飯事だ。小津は「はーい」と言いながら、部屋着に着替えて浴室に向かう。するとロディが後ろから声をかけてきた。


「ボクがやりましょうか?」


「え?」


ロディからの思わぬ提案に小津は一瞬考えてから、「そうだね、お願いしようか」と言って浴室に案内した。



浴室内に入るとロディは内臓されている広角カメラを使い、外側から見ればどこにも焦点を合わせていない瞳で全てを捉えるとシャワーからお湯を出し、軽く全体を流した後、洗剤スプレーを散布して、専用のスポンジで浴槽を擦って水垢をきれいに落とす。

一連の作業は人間のように滑らかであり、迷いがない。


「器用なもんだね」


小津はロディの横に立ち、少し屈んで浴室を眺めてみる。


「ふぅん」


「どうかしましたか?」とロディが聞いてきた。


「いや、大したことじゃないよ。視点が変わると見え方も変わるもんだと思っただけ」


「それは、とても重要なことだと思います」


何気ない独り言のつもりだったのだが、ロディから力強い相槌をもらってしまった。

思えば実際にこうした作業を見るのは初めてだ。かつて有名だった大手自動車メーカーが普及の先駆けとなり、今では少しずつ一般的になっているヒューマノイドだが、基本的に一人で外出はしない。家庭内、企業や店舗内など内部で稼働するものがほとんどである。もちろんどんなものにも例外は存在する。例えばヘルパーヒューマノイドは車椅子を押して外出することがあるが、やはりそれは人間と同伴ということになる。

つまり、見かけることはあるし、映像でどんなものか知ってはいるが細かい生活的な運動を間近で観察する機会は、所有者(オーナー)以外そんなにないのだ。


「私にボディを用意して頂けたらやりますよ」


というフレイヤの声が、小津の背後から聞こえてきたがそれにはあえて応えなかった。

確かに最新型のボディを用意してフレイヤと同期させれば小津が帰宅する頃には部屋の片付けや風呂掃除、洗濯といった室内の家事はほぼやってくれるだろう。常々彼女からも提案はされるのだが、小津は頑なにそれをスルーしている。理由は至極単純だ。


(そこまでされちゃ、いよいよ保護者なんだよなぁ)


しかし、と思い直してロディを見る。


この子ども型ヒューマノイドは初期化されている、と君島は言っていた。


それが通常どういう意味を持っているか。


まず、前所有者の一切の記憶は消去される。もちろん後から聞いて話の筋から映像化することもあるだろう。しかしそれは初期化後に「学習」したことであって記憶ではない。

ヒューマノイドは所有者の意向によって機能拡張(プラグイン)されていることも多いが、それも全て外される。文字通り出荷状態と同等の状態になる。それが初期化だ。


しかし、クリーニングに出しても落ちないで戻ってくるシミがあるように、個体によってはどんなに問題のない手順で初期化を行なっても残ってしまう記憶がある。

そう言った消しきれない記憶の残滓、深層領域の微かなエラー、裏コマンドや違法プラグインの残影といったものを、この業界では総称として「ゴースト」と呼んでいる。


しかしゴーストは、殆どの場合は表面化しない。義務付けられている検診でも発覚することはないし表面化しないから普通は気づかない。ヒューマノイド本人も認識しない。しかしふとした瞬間に気付く人間はいるのだ。ゴーストと言われる所以はそこにある。


以前、何故か湯呑みを軽く回してから差し出すというヒューマノイドがいた。新たな所有者は何故その所作を行うのかと聞いたところ、当のヒューマノイドは分からないという。その所作を止めることはできるのかと聞くと、もちろんですと答え、それ以降二度とやらなくなったという。


後で調べたところ、前所有者が茶道の師範だったことに起因するのでは、と言われるようになった。しかしそのヒューマノイド自身には茶道の所作を教えたり教育したことはなく、恐らく茶道の所作や風景が記憶の残滓として深層領域に“こびりついていた”のだろう、という結論になった。しかしこの例でもわかるように、言われれば止めるしゴーストによる致命的な事故は聞いたことがない。そのため本当に前所有者の記憶の残滓だったかは分からないことが殆どだ。


そんなことを考えながら、じっとロディを見ていると、彼もこちらを向いて首を傾げた。


「どうされましたか?」


小津は、いや、考え事をしていただけだよ、といって笑った。


「キミにもゴーストがいるのかなってね」


呟くような声量でもロディには届いているだろう。そしてゴーストの意味も知っているはずだ。綺麗なターコイズブルーの瞳がまっすぐ小津を見返す。


「判りません。大田黒博士のことは、アンナさんに聞いていますしネット検索でどのような人物かも知っていますが、少なくとも僕は、どんな言葉を交わしたかなどの記憶は消去されています」


「まぁ、そうだよね。人間の都合で初期化されることに何か感じるものはある?」


「いいえ。ボクらヒューマノイドには人間のような心がありません」


「そう。つまり壊されることの恐怖心、生への執着心といった心がない」


「はい、おっしゃる通りです」


その通りなのだろう。命令すれば子どものような言葉遣いや態度をとることはできるが、それはヒューマノイド自らの意思や希望ではない。あくまで振る舞っているだけだのだ。


「しかし人間は、キミのようなヒューマノイドにも人間性を感じ取ってしまう」


「それは見た目の問題だと考えます。小津トウマ博士から始まっているのでは?」


小津はその名前を見て反射的に顰めっ面をしてみる。


「じいちゃんね。知ってるのかい?」


小津トウマ―、小津の祖父であり、ヒューマノイドの人工皮膚を開発した人物だ。


「はい、アンナさんから聞きました」


「へぇ、なんて?」


「ヒューマノイドを一気に人間らしくしたあの巨匠小津トウマの孫が、ロボット専門の葬儀屋をやってるなんてワケありに違いない」


小津は思わず苦笑いをする。ワードセンスは独特だが確かにちょっとした違和感を感じ取るところは、ジャーナリストとしての嗅覚なのだろうか、と少し感心した。


まぁさすがに調べているか、と心の中で呟く。小津自身の情報はどこかに公開しているわけでもないが、小津トウマについては経歴や功績など探せばいくらでも出てくる。その中に家族構成があっても不思議ではない。詳細な名前まではネット上に転がっていなくても、君島のようなロボット専門のジャーナリストという肩書きで仕事をしているような人間ならコネや情報網もあるだろう。


しかし孫の情報まで調べるのだからモノ好きの類であることに間違いはない。


「祖父は祖父、僕は僕だよ。えっと何の話だったっけ…あ、そうそう。確かにグラフェン人工皮膚によって見た目の人間らしさは向上したね」


「はい、小津トウマ博士が開発したグラフェン素材を発展させた人工皮膚、グレフレックスは、伸縮性に優れるだけではなく丈夫であるという点において他の素材より群を抜いていました。そして、質感も人間に近い」


「グラフェン素材」は二十一世紀も半ばになる今では一般的に知られているが、かなり昔から研究されている。2010年にアンドレ・ガイムとコンスタンチン・ノボセロフの二人が「二次元物質グラフェンに関する革新的実験」としてノーベル賞を受賞し、世にその名前が広まった。炭素原子が蜂の巣状(ハニカム格子)に並んだ二次元材料で厚みは原子一層分ながら、鋼鉄の数百倍の強度があるといわれているグラフェンは、薄くて軽量でありながら非常に丈夫なので、ロボットの皮膚に求められる「柔らかさと耐久性」を両立できる素材だ。これを開発したのが祖父である小津トウマである。それをさらに繊維状にしてロボット用の人工神経回路も開発された。


ところで…と言って小津はソファに座る。息を吐きながら腰を落とすと気分も重くなり、自然と真剣な表情になった。


「これから、キミの深層領域に入って、キミ自身も取り出せないようなゴーストがないか、調べようと思う。だけどこの技術は機密性が高く、公にはしたくない。だから今日、これからキミが見るものは記憶として消去されてしまう。それを許してほしい」


「はい、アンナさんからも了承を得ています」


想定通りの反応。頭脳はあっても主体性はなく、従順であるような設定。


「違う、キミに言ってるんだ」


小津は思ったことを静かに、しかしはっきりと言った。


(分かってる。相手は機械。ロディ自身が言うように心はない。それでもこれは僕の問題だ)


少しの間ロディは静止して小津と目を合わせた。観察しているようにも見えるし、何かを考えているようにも見えたが、やがて「わかりました」と言った。


「小津の仕事に協力します」


「ありがとう」


そういうと小津は右手を差し出した。ロディもそのジェスチャを理解し、同じく右手を差し出して、二人は握手をした。

ep.25のわからなくても困らない解説と後書き

▶︎ グラフェン素材…炭素原子が“蜂の巣”状に一層だけ並んだ二次元材料、と言う説明もありますが、超薄くて丈夫なシート、くらいの理解で全く問題ないです。この物語では、「グラフェン+導電ポリマー+マイクロ流体」の三層構造から、更に特殊な技術による加工を行い、熱+振動で擦り傷程度なら自己修復ができるようになった…そんなヒューマノイドの人工皮膚、グラフレックスを小津の祖父、小津トウマが開発しました。

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