22_僕らは魔法使いじゃない
・第三章-2
藤堂が外回りに出ている時間、周防は警視庁の地下区画にある「AI技術管理特別室」を訪れていた。
ここは捜査上、重要なヒューマノイドを一時的に隔離し、調査や解析を行うための専用施設である。外部ネットワークから完全に切り離され、複数の警備員と防壁フィールドが整っている厳重な場所だ。
部屋の中央には、ユウリがポツリと椅子に腰掛けていた。
「……起動はしてるのか?」
周防がいるのはユウリがいる隣の部屋、赤外線対策が施されたマジックミラー越しなのでユウリからこちらは見えないはずだ。同じ部屋に控えていたAI解析の専門家、冴木が端末から顔を上げて短くうなずく。
「はい。夜通し観察していますが、自律行動を停止しているようで……簡単な命令以外の動きはほとんど見られません。強いて言えば、時々、唇が微かに動く程度ですね」
そう言って冴木は視線をユウリに戻す。
部屋の片隅には高出力の電磁遮蔽装置が据えられており、万が一ユウリが外部からリモート操作されても通信を遮断できる体制だ。
「解ったこと、教えてくれるかい」
周防は右手で首をさすりながらそう言うと、椅子には座らず、冴木の端末が置かれている机に寄りかかった。
「アクティブログをチェックしていますが、自発的な内部演算はかなり抑制されている印象ですね。つまり、起動はしていてもコマンド待機に近い。何かしらのプログラムで“自己行動”を制限されているのかもしれません」
そう言い終えると、ユウリを横目で見やった。椅子に座るその姿は寸分も乱れがないが、人間であれば、今にも泣き出しそうなほどの無言の圧が漂っている。
「話はできるのか?」
「試みていますが、今のところ成果はこの子が大田黒を刺した瞬間の映像だけです。もちろん当たり障りのない会話くらいならできるでしょうが、肝心の事件に関する記憶や人格形成プログラムまで今は深層領域にあって膨大なセキュリティがかかっていている状態です。何と言うかその…上の空で薄い会話ならできますが、彼の魂自体は封印されているような感じですね」
「おいおぃ。相手はロボットだぞ。魂なんてそんなもんかあるのかね」
「周防さん、その考え方は古いですよ」
冴木は無表情に端末を見つめたままそう言った。この男も大概、ヒューマノイドのようである。
「ストレージの大容量化はもちろんですが、使わない記憶は徐々に解像度やフレームレートを下げて容量を圧縮する技術、記憶を呼び起こす時にリマスターする技術が確立されてから、その挙動は人間でいう覚える、忘れる、思い出すに限りなく近づいています。そのリマスター技術は歴史的には、一枚の絵を動画にする生成AIから始まっています」
生成AIと聞いて、周防も「あぁ」と応える。子供の頃確かに流行っていた。
「そうかもしれんが、それと魂は関係ないだろ」
「魂とは何か。観察者が被観察者を理解しようとする過程で疑念、畏怖、羨望、尊敬といった感情を抱き、その記憶の総和がもたらす現象や投影だとしたらすでにロボットは人間から魂を獲得している、そう言っているんですよ」
「クオリアの解明か。俺には難しい話だな」
「周防さん、まだロボットはお嫌いですか」
冴木は淡々としているが不思議と無感情というわけではない。周防を見て反応を確認している。
「あんまり好きではないな。ロボットは道具だと思ってる。擬人化するのも苦手だ」
「そうですか」
といって冴木は苦い表情を浮かべ、端末に視線を戻す。
「しかしそのロボットが絡んでいる以上、ある程度の考察は必要ですよ。理解するためには擬人化もやむなしと思ってください。深層領域に膨大なセキュリティがかけられている上、意図的なロックもかかっている。強引にこじ開ければ、自己防衛を目的としたウィルス生成による反撃や、最悪初期化される恐れがあるんです。そうなれば今回の事件に関するデータは永久に失われます」
「そういうもんか」
「はい。ヒューマノイドにとっても深層領域は“命綱”なんです。そこを無理やり改変すれば、精神活動が破綻したり、故障で動かなくなったり……」
「じゃあ、丁寧に解析すれば時間をかけて少しずつ解読できるのか?たとえば一週間、いや一ヶ月あれば―」
冴木は首を振る。
「急ぎすぎてもダメ、かといって悠長にもできません。捜査の力学、お分かりでしょう?」
そう言うと冴木はふっと息を吐いて口角を上げた。どうやら笑ったつもりのようだ。
しかし言わんとしていることは十分に伝わる。つまり。
「杜撰なことをやれば証拠がおじゃんになるかもしれない。かと言って時間が経過するほど捜査規模は縮小せざるを得ない、か」
「そうです。僕らは魔法使いじゃありませんからね、鍵穴を見つけてエンターキーをポンと叩いてコマンド実行したらあっという間に全部わかる、なんて映画の世界以外あり得ません。いや…そもそも鍵穴を見つけること自体が死ぬほど大変なんですけどね。ご理解いただけない方がなんと多いことか」
冴木は少しおどけたようにそう言うと、立っている周防を上目遣いで見た。
「解ってるよ。まぁ俺はさっきも言ったようにAIだのロボットだのは道具に過ぎないと思っているが、あんた達のことは尊敬しているよ。なにせ俺たちじゃ解らないことをやってくれてるんだから」
そう言いながら周防はふと思い出す。
「そういえば、ソフィアはここには入ってきていないのか?」
周防が部屋の中を見回す。監視カメラや各種端末、ソフィアは警視庁内の情報を統括しているオラクル級のAIだ。この様子も見られていても不思議ではない。
不思議ではないが、そんな超高度AIがいるのなら目の前にいるヒューマノイドの解析も任せれば良いではないか、と思ったのだ。
冴木は鼻を膨らまし、ふーっと鼻息を吐いた。どんな感情かはよく解らないが、清々しい気分というわけではなさそうだ。
「椎名警視正に言われてここには入れないようにしています。もしあの子の内側に人を攻撃するようプログラムされた未知のウィルスが存在している場合、解析したソフィアが感染してしまうことを恐れているんだとか。至極真っ当な判断です」
そういうと冴木は「僕が椎名警視正の立場でも同じ判断をしたでしょう」と付け加えた。
「ソフィアは、ユウリがハッキングされたことを疑っているんじゃなかったか?」
「えぇ、ですがそれはソフィアの推論ではあって僕がユウリを解析した結果ではありません。その色眼鏡で解析をしたら見落とすものもあるでしょう。今はフラットに見るように心がけてます。ただ一つだけ言えることは―」
そう言いながら、冴木はユウリを指差しながら続けた。
「あの子には何らかの秘密が意図的に隠されています。それがAIによってなのか、人間によってなのかは判りませんがね」
【ep.22の解説的な後書き】
クオリアとは、一言でいえば「厳密な共有が不可能な、自分の内側にしかない感覚の質」でしょうか。
だから周防の言葉も「感覚の質の解明か。俺には難しい話だな」といってもそんなに問題はありません。
でもこれだとリズムが悪いし、そもそも周防ならそんなふうに言いません。
この辺の解説は、Chat GPTの方が得意そうです。そんなの知っとるわ、な方は読み飛ばして下さい。
↓
たとえば、あなたが「赤いリンゴ」を見たとき、
•「赤いと感じる」という視覚の体験、
•「甘いと感じる」という味覚の体験、
•「リンゴの香りがする」という嗅覚の体験、
これらはすべて、あなたの内側にしか存在しない“感じ”ですよね?
それがクオリアです。
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ほぉーなるほどーですね。
SFなんかだとよく題材にはなっていると思いますが、10年後、20年後のAIは人間が「こいつ本当に魂があるんじゃね?」と思うくらいのレベルになってるかもしれません。
例えば量子コンピュータなんかは最初、「計算がめっちゃ速い」と宣伝されていました。確かに理論的には爆速になるようですが、僕が驚いたのは「0と1が同時に存在できる」 というところ。そして「0と1が同時に存在する」といっても、最終的に観測した瞬間にそのあいまいさが崩壊し、どちらか一方に“確定”してしまうらしいところ。
これは、文系的に想像力を膨らませると「好きだけど嫌い」といった甘酸っぱい「自分でもどっちかわからない感情」、でも「なんでオレのこと避けるんだよ!嫌いになったのか?」みたいな感じで観測者から見るとどちらか一方に確定してしまうところと似ています(笑)。
量子コンピュータがあと30年で小型化して普及するのはちょっと現実的ではないと思っていますが、擬似的なものは意外と早く登場するんじゃないかなぁ、と妄想しています。