ニクラス
モンサーム伯爵家の娘を王子妃にしてはどうかと言い出したのは母上だった。
王子妃候補には侯爵家と別の伯爵家が挙がっていたが、自分にはどれも興味がなかった。
あの時はまだ12歳だったから、自分の好みで選べばいいと思っていた。
王子ではあるけれど、王になるわけでも無いし、いずれ臣籍降下して公爵になるのだから、相手は誰でもいいと思った。
母上の言うモンサーム伯爵というのは、その美しさで有名な夫妻だと聞いていたし、妖精夫妻とまで呼ばれている夫妻を生で見たら、今まで見た中で誰よりも一番奥方が綺麗だった。
だからきっとその娘も同じ姿形をしていると思い込んでしまった。
初顔合わせの時やって来たジュリーが、母親似ではなくて父親似で驚いた。
既に外堀を埋められてしまっていたから、今更嫌だとは言えなかった。
ジュリーは不美人ではないが、自分が好きな顔立ちではなかった。
側近らには、数年もすればもっと美しさが増すだろうから、楽しみですねと言われてなだめられた。
婚約した相手は、一見大人しそうなのに案外勝ち気で、ハッキリものを言うところがある。
自分を無神経とか馬鹿だと言い切った女はあいつが初めてだった。
あの時はもう婚約破棄でもいいかと思ったのに、「あなたが悪いのです!」と母上に激怒されてしまい、謝罪できないならば廃嫡よと言われて仕方なく謝った。
こちらが折れたら、あいつも素直に頭を下げてきたから、まあまだ婚約破棄しなくてもいいかと、先延ばしにした。
母上は、あれぐらい未来の夫にきちんと発言できるくらいがあなたのような息子には丁度良いのですと、ますますジュリーを推した。
それからあいつは急に歴史の研究に没頭するようになって行った。
そのせいなのか前から俺に興味がなかったが、更に関心が薄れたみたいだ。
8歳違いの叔父のリアムとの仲は、先生と生徒みたいなものだと誰もが言っていたし、確かにあいつもリアムに恋をしている風でもない。
あいつが恋をしているのは、王家の歴史だよな。本当に変な奴だ。
お互い16歳になったが、四年前からそんなに見た目は変わらない。背は伸びたがそれほど美しさが増したとも思えない。
真面目でマナーもしっかりしているから王子妃としては問題はないし、人間的には嫌いではない。でも異性としては好きにはなれない。
何かが足りないんだ。
俺はこの歳まで恋愛はしたことがない。だから一度でいいから恋をしてみたいんだ。
今日デビューできたら、これからそんな出会いがあるだろうか?
そんなことをジュリーを待ちながら考えていたから、ジュリーが傍に来たことに気がつかなかった。
「殿下、お待たせしてすみません」
「あっ、ああ」
まずは二人揃って陛下達へ挨拶に行かねばならない。
「エスコートをよろしくお願いいたします」
「···ああ、行こう」
今日のジュリーはいつもの何割り増しで可愛いくはあったが、照れ臭いので、ニクラスはそれには触れなかった。
言った方が良いことは相手に伝えず、言わなければ良いことばかり放つ、このような点をもっと早くに彼が改善できていたら、二人の関係はもう少し違っていたかもしれない。
陛下への挨拶を済ませ、本日デビューする者達の個別の紹介も無事に終ると、ジュリーはニクラスとファーストダンスを踊った。
「ニクラス様、デビューおめでとうございます。ここまで来るのが長かったですね」
「···ああ、そうだな」
ニクラスはどこか気がそぞろだった。
「緊張なさっているのですか?」
「いや···」
次のターンをした時、ジュリーはようやくニクラスがしきりに目で追っている人物に気がついた。
ジュリーは内心溜め息しきりだったが、ショックではなかった。
「ニクラス様、もしお好きな方ができましたら、その方とどうぞご結婚なさって下さいませ。私はそれで構いませんので」
「え?」
ニクラスは目を見開いて、一瞬動きを止めた。
「すみません、こんな日に言うことではありませんでしたね」
「い···いや」
ニクラスは動揺している。
「今日はお付き合いいただきましてありがとうございました。殿下にとって楽しい一夜でありますように」
曲が終わると同時にそう言って、さぞ待ちきれなかったであろうニクラスをジュリーは解放した。
ニクラスは、ずっと目で追いかけ続けていたご令嬢をまっすぐ目指して行った。
あの方は黒髪なのよね、···銀髪とかはもうどうでもいいのかしら?
それが恋というもの、恋に落ちるとそうなるものなのね?
殿下は好きな子はいじめないそうだから、きっと優しくできる筈よね、それなら心配はないわよね。
ジュリーは、今宵で婚約破棄が決まる······
そんな予感がしていた。