リアム 1
ジュリーが気分転換したくなった時やどうにも煮詰まってしまった時に王城で唯一息抜きできる場所は、王族専用の図書館だった。図書館といっても、その中ではなく、図書館塔の苔むした建物と建物の間の空間で、周囲からは死角になってくれる場所だ。
そして腰掛けるには丁度良い石段があるのだ。
先ほど怒りにまかせてニクラスに吐いた自分の暴言については後悔はしていなかった。
だが、それでも悔しくて涙が止まらない。
侍女のウルスラが追いかけて来たが、「来ないで!一人にして」と制止してここまでやって来た。
朽ちた石段の傍の、あまり手入れされていない遅咲きの薔薇、「夏の終わりの薔薇」と呼ばれる桃色の薔薇が優しく香り立ち、その香りに癒されて余計に涙が溢れてくる。
破談になったらもうここには来れないのね。いいえ、来る必要もなくなるわ。
涙も収まり、怒りも一段落した頃、見知らぬ男性がこちらに近寄って来た。
その男性はジュリーの前に来るなり、臣下の礼を取った。
よく見ると、控え目ではあったが王族の装束を纏っていた。
「お立場はお察し致します。ですが皆があなた様を探しております。姫様、どうかお戻り下さいますように」
「······姫?」
ジュリーは怪訝な顔で聞き返した。
「ええ、この国の真の王家の姫君はあなた様ですから」
「······!」
なぜこの方はご存知なのだろうか、それは公式には知られてはいない筈なのに。
「不思議ですか? ご安心下さい、この国の王と王太子に確定した者はみな存じておりますよ。不肖の甥は知らぬことでしょうが」
「甥? あなた様は······」
「申し遅れました、私は王弟のリアム·ルフェーブル公爵でございます。どうぞお見知りおきを」
ルフェーブル公爵?!この方が? 王弟という割には、ニクラス様と見た目には5、6歳くらいしか離れていない叔父ということなの?
こんなにお若い方だったとは。
王太子のエリック殿下に嫡男が生まれて、王籍から抜けたのがルフェーブル公爵だと聞いていたけれど、お会いするのは初めてだ。
「王弟殿下とは知らず、失礼致しました」
「いえ構いません、どうぞリアムとお呼び下さい」
「では私のことも、ジュリーとお呼び下さいませ」
「ジュリー様、甥がやらかしまして申し訳ありません。今回はさすがにあれも兄達から叱責されるでしょう」
ニクラスをあれと表現したのが可笑しくてジュリーは笑顔になった。
そんな人は今までいなかったからだ。
侍女のウルスラが護衛をつれてこちらに向かっているのが見えて来た。
「リアム様、ありがとうございました」
「王子妃様がお一人でここに来るのは危険ですのでお控え下さい。今度は図書館の外ではなく、是非中にいらしてください。きっとお気に召しますよ。ここにはいつでも私がおりますのでご案内致します」
「わかりました。その時はどうぞよろしくお願いいたします」
「では、お待ちしております」
リアムは微笑すると図書館の入口の方へ去って行った。
王族なのに腰が低くて驚くほど柔和な人だとジュリーは思った。
それに、黒い髪と黒い瞳が知的でとても素敵な人だった。
誰かさんとは大違い·····。
「ジュリー様!」
「わかったわ、戻ります」
ジュリーが茶会の席に戻ると、気まずそうにニクラスが待っていた。
「······さっきは悪かった、言い過ぎた」
頭こそ下げなかったが、出会ってから初めて彼の謝罪らしきものを聞いた。
「私も言い過ぎました。申し訳ありませんでした」
彼らが王族なのだから、一応こちらが頭を下げた。
「···これからは気をつける」
ということは、まだ婚約破棄はしないということなのだろうか。
「じゃあ、また」
「は···い」
これからも、この関係は続いて行くの?
全く嬉しくはなかったが、王族への暴言の責任を取らされなかったことは、それだけは幸運だったということにしておこうと、ジュリーは去って行くニクラスを頭を下げて見送った。