白鳥蒼馬でございます(2)
「僕と結婚してください」
この男は確かにそう言った。翔子は立ち上がり、
「はあ? なに言ってんの、あんた」
蒼馬の手と美波の手を引き剥がした。
「美波から離れろ、変態」
翔子は蒼馬の右前足を軽く蹴った。
「ひ、ひひーん」
彼は悲しそうに後退した。
「まあまあ、そう邪険にするなよ」
勇作がなだめてきた。
「転校生なんだから、ひろーい心で歓迎しようぜ」
クラスの空気が悪くなったのを察し、雰囲気を入れ替えるように言った。
「そうだよ。僕もそう思うな」
眼鏡をかけたずんぐりむっくりの男子が賛同した。クラスメイトの中健太だ。
「なんだよ。私が悪いっていうの?」
翔子が二人を睨みつけると、勇作は「アワワワワ」とわざとらしく慌てる素振りをした。
「そういえば」
クラスのデリカシーのない男ナンバーワンの下田影雄が割り込んできた。
「下ってどうなっているんだ?」
彼は白馬の後ろ足の付け根に顔を近づけていた。
「ば、ばか、おまえ」
翔子は赤面していた。美波はなんのことだろうと目をパチクリしていた。
「アソコは、マジックテープ型の前張りつけているよ」
「お、ほんとだ。へえ。剥がしていい?」
影雄はアソコに手を伸ばそうとした刹那、
「やめてくれ」
蒼馬は拒絶した。
彼はゆるりと動き、椅子を持ち上げた。
「お、なんだ、やろうってのか」
翔子は身構えた。
「あ、違う。椅子があると座れないんだ。普段はこうやっているから」
蒼馬は器用に後ろ足とお尻を畳み、床に座った。
「へー。おもしろ」
勇作は興味深げに臀部を眺めた。
担任教師が手を叩いて注目を集めると、
「はい。今日はもうこれでおしまいだから、準備して帰るなり部活動なり行けよー。解散」
教室に残らないよう促した。
「なんで、あんたがついてくるのよ」
翔子は心底嫌そうに言った。蒼馬が美波と翔子の二人の後をついてきていた。
「そうは言われても、目的はバス停だし」
「車道を走りなさいよ。馬なんだから」
翔子はにべもなく言った。
「あれ、お馬さんって、車道走って大丈夫なの?」
美波が疑問を呈した。
「馬は軽車両」
「そうなんだ」
美波は感心した。翔子は意外に物知りだ。
「そういえば、あんた、そんな靴よくあったわね」
翔子はまじまじと足を見た。蒼馬の四本足は靴を履いている。通常の人間のものより、やや大きい。
バス停に着いた。
彼が本当にバスに乗るかどうか少女たちは半信半疑だったが、本当に乗車した。
「すみません。コスプレするなら、降りてください」
車掌に注意された。蒼馬がいるとバス車内は途端に窮屈になっていた。
「あ、いえ、僕は」
蒼馬は戸惑った。
「いいから、降りなさいよ」
翔子は強引に押して、彼を外に出した。
「くうん」
悲しそうに蒼馬は鳴いた。
「あんたは犬か? 馬だろ!」
翔子は突っ込んだ。
「また明日ね。蒼馬くん」
バスの昇降口のドアが閉まり、美波は手を振った。翔子もそれに倣う。
「悪い人じゃないみたいだから、そんなにも冷たくしなくていいと思うよ」
美波は遠ざかっていく蒼馬を見ながら、翔子に釘を刺した。
「いや、下半身が丸出しで靴だけ履いている馬男って、どう考えても、変態で悪い側の人間だろ」
翔子は苦虫を噛み潰したような顔をした。
バスは工業大学駅前に着いた。
ここから徒歩五分ほどの距離に二人の自宅はある。美波と翔子は幼馴染みで近所に住んでいる。
「そういえばさ、隣の家、誰か入居した?」
翔子が聞いた。美波の家の隣には豪邸があり、無人となっていた。以前は、県内で有名な政治家が住んでいた。
「なんか決まったみたいだよ。入居。この前、リフォーム業者がきていたから」
「へー。どんな住人だろうね。金持ちなんだろうな」
しばらく雑談しながら歩くと、美波の自宅が見えてきた。翔子の家はここから三軒離れている。
「じゃ、バイバイ」
別れの挨拶をして翔子は歩くが、すぐに立ち止まっていた。
「どうしたの?」
美波は彼女に近づいた。翔子は唖然として、隣家を指差していた。その方向を確認すると表札があった。
『白鳥』
「ま、まさか」
翔子が口に発した時、どんちゃかどんちゃかと爆音を垂れ流しながら2トンのデコレーショントラックが近づいてきた。LEDが眩しい。
荷台側では、白鳥蒼馬がパラパラを踊っていた。馬の足は軽快にステップを踏んでいた。
「おや、君たちは何故ここに?」
不思議そうな顔で蒼馬が言った。
「私たち、ここの近所で」
美波が説明した。
「私は隣なの」
「それは奇遇だね!僕はこの家なんだ」
蒼馬は喜び勇んでトラックを降りた。
「送迎車があるなら、なんでバスに乗ろうとしたんだよ」
翔子が口ばしを挟んだ。
「乗ってみたかったんだよ。ここら辺は車社会バス社会と聞いていたもので」
蒼馬は端正な顔をクールにキメた。
「いやいやいや、ってか、凄いおぼっちゃんなんだな」
翔子は豪邸と蒼馬を何度も交互に見た。困惑しているようだ。
「家もクラスの席も隣なんだね。よろしくね。蒼馬くん」
美波は無邪気に笑った。
「本当によかった」
蒼馬は美波の手を掴んで握手をした。
「よくないよくないよくない」
翔子は二人を引き離し、言った。
「ぜ-ったい、美波には手を出すなよ! 変態!」