2-非日常はいつだって突然訪れる
高校受験が終わり、優による理人の為の定期勉強会が功を奏して合格を手にした二人の祝会が海原家で行われていた。
昨日行われた卒業式では、優はいつも通りの無表情だったが理人は感極まって泣き出してしまい、それを宥めるのに苦労した。その反動なのか今日は終始ご機嫌だ。
理奈も無事に期末テストで好成績を収め、今は兄と一緒に卒業祝いを楽しんでいる。
「理人と優の合格を祝して!」
「「「かんぱーい!」」」
彩り豊かな祝い料理が並ぶ食卓を囲うように、海原一家と優が座る。大和の乾杯の音頭で各々飲み物が入ったコップを掲げた。その後は各々好きな料理に手を伸ばし、賑やかな食事が始まった。
理人は受験を終えた解放感からか、いつもより高いテンションで話しており食べるペースも早い。理奈も我が事のように喜び、兄と同じで気分が高揚しているようだ。
「やっと終わったなぁ」
「そうだね」
優は料理を口に運びながら、隣でしみじみと呟いた理人の言葉に同意する。優は視線を声のした隣に向けると、勉強漬けの日々に思い更けていた理人がこちらを見て弱弱しく笑った。
すると理奈と一緒に楽しげに会話をしていた理人の母――海原愛華が、息子達の会話を聞き取って会話に混ざってきた。
「優ちゃんには頭が上がらないわね。自分も受験生なのに理人の勉強見て貰って……」
「ほんと、お兄ちゃんはもうちょっと勉強した方がいいんじゃない?」
愛華と理奈からお叱りを受け、理人は少し居心地悪そうにする。だが理奈には不満があるようで、からかうように笑う理奈に向いて反論した。
「お前だって優に勉強見て貰ってたじゃねえか」
「うっ……それはそうだけど。でも、私はちゃんと優兄ちゃんのお手伝いしたもん!」
「結局二人して世話になってるじゃないか」
兄妹の言い分を聞いていた大和は、どちらも優に面倒を見て貰っていた事実に変わりはないと知った。優に申し訳ない気持ちでいっぱいの大和が嘆いた呟きに、五十歩百歩の言い争いをしていた兄妹は痛いところを突かれて口を噤いだ。
愛華は少し怪しい空気を払うように手を叩いて気を引く。案の定微妙な顔をしている兄妹と、表情の変化は無いが困った雰囲気の優を見てため息をついた。
「二人とも、自覚があるならちゃんと本人に向けて感謝しなさい」
「「ありがとうございます!!」」
「僕は普段からお世話になってるから、お返しのつもりだったのだけど……」
綺麗にハモったお礼の言葉に、お礼を期待して行動していなかった優は背中がこそばゆかった。当人はただお返しのつもりだったのだろうが、愛華達はあまりに受け取り過ぎたと思っている。
その認識のズレを感じ取った優は、感じてる事をそのままに言葉にして伝えようと言葉を発する。
「僕がこうしていられるのは皆さんのお陰ですし、理人と理奈ちゃんにも日頃から助けられているんです。二人とも自覚が無いだけで、何気ない日常で僕は何度も救われてきたんです。本当ですよ?」
「「……」」
優は恥ずかしがることなく、いつも通りの淡々とした口調で伝えた。彼の表情は相変わらず無表情で分かりづらいが、それでも彼の想いは確かに伝わり、二人は思わず赤面してしまった。
海原夫婦も優の言葉を受け止め、胸の奥でじんわりと温かさが広がるのを感じる。家族のように可愛がっていた優にここまで想われている事が嬉しかったのだ。優の両親は忙しい身であり、愛情は十分にあったが優が幼い頃から家にいる時間が少なかった。その間預かってたいたのが海原家なので、幼き優が両親の事は好きではあったがどこか距離を感じていたのを知っている。
しみじみと感傷に浸る夫妻はあの日を思い出して、互いの気持ちを吐露する。
「俺は今改めて実感しているよ。あの時、優を引き留めて正解だった」
「私もよ。優ちゃんがいなかったら、きっと今の幸せは無かったわね」
慈愛に満ちた視線を向けられ、優は少し照れくさそうに頬を掻く。そんな三人の様子を見ていた理人と理奈も自然と笑みがこぼれ、皆の笑顔が溢れて穏やかな時間が過ぎる――はずだった。
不意に愛華の笑顔が歪に固まり、やがては笑顔が途絶える。異変に気付いた大和がどうしたのか尋ねる前に、彼女は口を開いた。
「ところで、優ちゃん。貴方の両親から合格祝いらしい箱が届いたけど……開ける?」
「「え!?」」
「あー……………開けます」
愛華の爆弾発言に理奈と理人は驚きの声を上げた。優はその先に起きるであろう事を予想して葛藤し、長考した上で開ける決断をした。
愛華が食卓からなるべく離れた位置に置いていたらしいラッピングされた箱を持ってくる。そのまま優の手に渡った箱は、一見普通のプレゼントボックスだ。
「優兄ちゃん、大丈夫?無理しないでいいんだよ」
「優、無茶するな」
理奈と理人が心配そうに声を掛けるが、優は問題無いと言って包装紙を丁寧に剥がしていく。そして現れた白い化粧箱を開けると、中には青い液体の入った小さな瓶とカプセルが入っていた。
あまりに露骨なそれらに思わず手を出しはぐっていると、愛華が恐る恐るという様子で一枚の手紙を差し出してきた。
「私宛の手紙には、その……優ちゃんにそれ使ってみて欲しいって書いてあったわ。一応それは最近開発したサプリメントみたいなの」
何の変哲もない手紙のはずで、両親からの合格祝いの手紙のはずなのに。優の手の中にある手紙が何故か異質なものに見えてしまう。
優は意を決して手紙を読み上げる。
『優へ。おめでとう!無事高校受験に合格したみたいで安心したわ。これから高校生になるんだから、しっかり体調管理して勉強に励むように。
さて、ここまでが本題!ここからは私達からのお願いなんだけど……薬試してみてくれない?勿論安全性は保障するし、もし嫌なら使わなくてもいいわ。でもね、これは優の為に作ったの。前ので迷惑掛けちゃったから、お詫びだと思って出来れば飲んで欲しいな。
いつでも優の幸せを願ってる紗友里より』
一枚目を読み終わった後、部屋が静寂に包まれた。全員が沈黙するなかで、優はゆっくりと二枚目を取り出して読み始めた。
『優、合格おめでとう。お前のことだからそこは心配はして無かったが、普段の暮らしで不便してないか?前に送ったやつはお前の身体に合わなくて大変な目に合わせてしまったからな。
今回はお前の体質に合わせて作ってみたから、きっと気に入るはずだ。これでお前の悩みが解決出来るといいのだが……。
優の行く先に幸あらんことを。勇治』
優は全て読み終えた後、静かに顔を上げて海原夫婦を見た。二人は苦笑いを浮かべながら目を逸らす。優は手元の薬に視線を落として謎のカプセルを手のひらに乗せると、視線を動かさずに理人へ問う。
「ねえ理人、いい?」
「ああ、任せるよ。それに、俺らは変わらないさ」
主語の無い問いだったが、理人は理解していた。そして優が何をしようとしているのか、自分達に求めているものを。
簡潔に返した理人の言葉は優の決意を固めるのに充分なものだったようで、掌に乗ったカプセルを口に放り込んだ。無味の青い液体で飲み下す瞬間、優は祈るような気持ちだった。
「……何も起きない?」
固唾を呑んだ数秒間、特に変化が無くて僅かに緊張が緩んだ。不思議そうにしている大和と愛華を他所に、理人と理奈は無言で優を見つめていた。
飲み終わって空になった瓶をジッと見続ける優に、痺れを切らした理人がそっと様子を伺う。
「優、大丈夫か?」
「うーん……多分ね?なんかあったかい飲み物飲んだ時みたいに身体がじわっと温かくなった」
それ平気なの?と懐疑的な視線をいくつも向けられながらも、優はいつも通りの様子だった。本当に大丈夫なのかと不安になる一同だが、優は少し身体を動かしたり手をグーパーさせたりして感覚を確かめる。
「この感じだと寝ている内に何かありそうかも。明日のお楽しみ……になるかなぁ」
「まあ、もう覚悟するしかないしな。とりあえず飯残ってるし食べようぜ」
理人の一言で食事が再開される。理人につられて優も料理を噛み締めるように味わい、楽しい時間は過ぎていった。
その後は何事も無く食事を済ませて食器を片し終えると、優は気だるげにソファに腰掛けた。
「ふぅ……」
「どうしたの優兄ちゃん?」
「ちょっと熱っぽいかも。体が熱いや」
「ん-、もう休んだら?今回のは激しいタイプじゃなさそうだから暫くは怠いんじゃない?」
理奈に促されて優は立ち上がると、覚束ない足取りで部屋に戻ろうとする。理奈と理人は心配そうに優を支えつつ二階にある自室まで付き添い、ベッドに横たわらせると布団を掛けてやる。
そっと部屋を出ようとする二人に、優は朦朧とした意識の中で声を絞り出した。
「ありがとう二人とも。また明日」
「「おやすみ」」
仕方なそうに笑った理人と理奈の顔を最後に、優は深い眠りについた。
優を見届けた二人は、リビングへ戻って愛華と大和に報告をした。現状酷い症状が現れていないことに安堵した愛華と大和は、明日に備えようと早めに就寝することにした。