1-中学最後の冬
改稿版。数話書いてみたので投稿します。
書き方もちょっと変えてみました。
中学三年の冬。それは部活動を引退して高校受験を目下に迫られる時期である。
ここ朝霧中学校でも二学期の終業式を終えて、担任の教師から期末テストの通知表と通信簿を渡された。その内容に一喜一憂する様が教室内に見られ、目標の進路への不安を募らせて呪詛のように呟く人もいた。やがて教師の話も終わり解散の挨拶を済ませるも、大半の生徒はそのまま教室に留まり雑談を始めた。この学校ではよくある光景であり、また窓際の席に座る二人にとってもその例に漏れなかった。
「あー、だりぃ」
そう言いながら、机の上に突っ伏した海原理人が気怠げに言う。
短く整えられた混じりっ気のない黒い髪と、やや吊り上がった切れ長の目が特徴の少年は、百七十はある高身長に運動神経が良い事もあってか同年代の男子に比べて引き締まった体型をしている。だが今はだらけきっており、その姿からは普段の活発さは見られない。
「そんなに受験勉強が嫌なら普段から真面目に授業を受けなよ……」
呆れたように言ったのは、隣の席に座り身体を向けていた佐倉優だ。先程理人から渡してもらった通知表と通信簿には、絶望的とまではいかないが楽観視出来ない数字が並んでいる。科目別に見ると理数系が壊滅で他は平均以上の点を取っていたのを見た優は、密かに彼へどんな問題集をやらせようかと計画を企てていた。
「そうはいってもなぁ……優ほどじゃないが、これでも頑張ってはいるんだぞ」
そんな彼は覇気無く突っ伏しながら優を見上げる。目の前にいる彼は教師からの信頼も高い成績優秀者で、今回も学年順位が一桁台なのは想像がついた。吊り目のせいか良い印象を持たれにくい自分とは違い、整った容姿に頭脳明晰な優はよく好意を寄せられていた。少し変わった方向性だが。
というのも、首にかかる程度に伸びた僅かに艶があるダークブラウンの髪。百六十弱の小柄な身長、中性的な顔立ちも相まって男として認識されにくい。年に一度は健全な男子中学生が堕ちる現場を見てきた理人は、名も知れぬ少年達に少しの同情と憐みの念を送っていた。
「まったく……理人があそこの高校目指すって言ったんだから、もう少し頑張ろうよ。僕も手伝うから」
そう言って優は理人の通信簿を返す。受け取った彼は苦笑いを浮かべて礼を言う。
理人が目指しているのは県内有数のマンモス校で、彼の学力だとギリギリから少し上といった所だった。安全圏には届いていない為、不安の残る状態で挑ませる訳にもいかない優は帰りに本屋寄ろうかと言って問題集購入の予定を立てた。
「それじゃあ帰ろうか」
「そうだな。そういや、あいつから連絡は?」
「もう来てるよ。校門前に行ってるって」
二人は荷物を纏めて席を立ち、揃って教室を出た。
すれ違う友人達に挨拶しながら昇降口を出て、並んで雑談をしながら校門へ向かう。そんな二人を見て一人の女子生徒が駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん!優兄ちゃん!」
長いライトブラウンの髪を揺らして元気よく手を振った少女は、理人の妹である海原理奈だ。
後ろで結わえたセミロングの髪とくりっとした大きな目が特徴で、まだ幼さが残る顔つきをしている。身長は百五十半ばで小柄だが、活発な性格でクラスのマスコット的存在になっている。
二つ下の理奈は中学一年生で、受験生の優達とは違い比較的早く解散していたらしい。二人が来るまでは同じ三年生待ちの友人と話していたそうだが、相手の待ち人が先に来たらしく十分くらい一人で待っていたと愚痴っていた。
「理奈ちゃん、帰りにちょっと本屋寄ってもいいかな?」
「大丈夫だけど、珍しいね」
「そこの受験生の問題集でも買おうかと思ってね。教える側も復習になるし」
へぇ、と短く相槌を打つ理奈の視線は隣を歩く実の兄に向けられていた。冷めた視線が刺さり、逆側に目を逸らした理人を見てため息を吐いた。
三人して帰路から少し外れた本屋に寄り、目的のものを手に入れた後は再び雑談をして歩いた。やがて海原家に着くと、優が合鍵を取り出して開錠し家に入る。
「「「ただいま!」」」
三人は図らずとも帰宅の挨拶をハモらせて玄関を上がった。手洗いを済ませてから二階にある自室に戻り、制服を私服へと着替えてリビングに入る。先に済ませてソファで寛いでいた理人は、自然体の優を見て昔を懐かしむように言った。
「……優もだいぶ馴染んだよな」
「そりゃあお世話になってからもうすぐ三年になるからね」
理人が思い返したのは優がこの家に同居することになった中学一年生の入学式の日のことだった。
優の両親の海外出張が決まり、長期に渡り帰ってこないと聞いた海原夫婦が、このタイミングで突然の海外移住は酷だろうと当時の幼い優に提案したのだ。『家に来ないか?』と言う理人の父―――海原大和が、遊びに来るかと尋ねるような軽い口調だったのが印象的だった。
優はその提案を聞き目を丸くさせ、内容を理解すると何度も頷き返した。一人暮らしをするには早すぎると悩んでいた佐倉夫婦も願ったり叶ったりと承諾。優の両親と理人の母が中学時代からの友人で、元々家族間で交流が盛んだった事もあり明るく受け入れられた。
「優兄ちゃんいるー?」
理人がしみじみと思い返していると、私服に着替え終えた理奈がリビングに入ってきた。自然とそちらに視線が飛び、理奈のパーカーが丁度当時も着ていたなと考えたところである出来事を思い出した理人が笑いだす。
リビングに入るや否や見られて突然笑いだされた理奈は困惑し、怪しげな物を見るように目を細めて理人を見る。
「……なに?何かおかしいことでもあったの?」
「いや、優と暮らす初日も理奈はそのパーカー着てたなって思い出しただけ」
「だ、だってあの時はしょうがないじゃん!急に憧れてた人と住むって言われたらさぁ」
「ん?何の話?呼ばれた気がしたんだけど……」
頬を赤く染めながら理奈がもごもごと弱く言い訳していると、状況を飲み込めずに困惑した優がキッチンから出てきた。
理奈は会話の流れと当事者の優が現れたことで当時の記憶を明確に思い出してしまい、顔の赤みが更に増す。
「何でもないよ!それより優兄ちゃん!午後って予定空いてる?」
「うん?午後は特に用事はないよ」
「出来たらでいいんだけどお菓子作り教えて!」
理奈は必死に誤魔化しながら本来の目的を思い出して優に訊いた。理奈は明日友人達とクリスマス会なるものを予定しており、全員がお菓子の持参を義務付けられていた。しかし、料理はたまにするがお菓子は作った経験がなく、友人達に失望されたくない一心で優に助けを求めていた。
少し前から楽しみにしていた理奈の姿を見ていた優は、この兄妹は割とノリで進む癖のあるんだったと思い出して焦りの滲む理奈に落ち着くよう促す。
「別に構わないよ。それならお昼ご飯食べたら買い出しに行こっか」
「やった!ありがとう優兄ちゃん!」
嬉しさのあまり抱きついた理奈を受け止めつつ、優は代わりにお昼作るの手伝ってねと言って理奈の頭を撫でてキッチンに向かう。理奈がぼうっと撫でられた場所を押さえて少し、我に返ると慌てて優の手伝うべくキッチンに向かった。
一連の出来事を傍から見ていた理人は、ひっそりとスマホで二人の様子を写真に収めた。理人がスマホを持ち始めてすぐ、優の母から謎の催促がありこうして定期的に優の写真を送っている。
(俺がスマホ持って数日したら急に連絡来たんだよな。母さんが教えたのかね?)
優の両親は多忙と聞いているが、写真を送って数分以内には既読が付くものだから不思議だと理人は思う。まあ、息子の姿が嬉しいんだろうと考えて深くは考えなかった。
そうして理人がのんびりと過ごすうちに、優と理奈の手によって食卓が彩られていく。やがて出来上がった昼食を食べ終え、二人はマンションを出て最寄りのスーパーへ向かった。
結局、理奈の手で作り終えたのは日が沈む頃のことだった。
「疲れた~」
「何とか出来て良かったね」
「本当に助かったよ!ありがとね、優兄ちゃん」
「どういたしまして」
海原家のリビングでぐったりとソファに横になった理奈は、優を見上げながらお礼を言った。妹分に頼られて嬉しい優は微笑んだ――つもりだった。
傍から見ると彼の表情はほぼ変わりなく、ほんの僅かに口角が上がったくらいにしか見えない。とある事情で表情がとても出にくい体質になっていた。長い時を共に過ごした海原家の人間は慣れたもので、難なく理解出来て優も特に気にしていない。
無表情のまま浮ついた空気を醸し出す優は、軽い足取りでキッチンへと向かった。理奈としては何故教えた側がそこまで喜んでいるのかが不思議でならない。
そのまま明るい雰囲気の優はキッチンで教えていた片手間で作っていたチョコクッキーを取り出すと、お皿に盛りつけてリビングへ持ってきた。
「理人、調子はどう?」
「んー、現状維持?てか、これ食べていいの?」
リビングテーブルに問題集を広げて悪戦苦闘していた理人の前にクッキーを置いた。その香りに釣られるように顔を上げた理人が、優に許可を取って口に運ぶ。サクッとした食感と共に広がるチョコの甘みが心地良く、存分に働かせていた脳に染みる。理人は目を輝かせて二枚三枚と次々に頬張った。
その様子を見た理奈もソファから身体を起こして兄の隣に腰かける。そしてクッキーに手を伸ばした。
「夕飯までそんなに時間は無いから少しだけだよ」
優はクッキーを味わっている二人に釘を刺し、理人の解いていた問題集を覗く。彼は謙遜していたが、今までの成績を知っている優から見ても良くなっている。この調子なら受験までには安全圏を狙えるだろうとひとまず安心した優はそっと問題集を閉じた。