村での暮らし
「猫ちゃんお留守番大丈夫かな……」
品物を入れた箱を地面に置いて、ミルはそう呟いた。外に出ることはないだろうから大丈夫だと思うが、家に一匹残して行くのは心配だ。
「ミルちゃんおはよう。待ったかい?」
ミルが家の前で立っていると荷馬車が止まり、乗っていた男性がそう言った。
その男は近くの農夫で、ミルとは知り合いだ。村に薬を納品しに行く時に、いつもついでに馬車に乗せてくれているのだ。
「あ、おはようございます。ジョージさん、いつもすいません」
ミルはそう言いながら荷馬車に荷物を運び込み乗る。荷馬車には藁が積まれていて、藁はふかふかで乗り心地もいい。
「いいんだよ。ミルちゃんにはいつも世話になってるから。この間貰った咳の薬もよく効いたし」
「あ、あの薬。どうでした?」
あの薬とは、ジョージの息子が風邪をひいたと聞いて譲った薬だ。
「ああ、薬が苦手なやつなんだがミルちゃんの作った薬は飲みやすいって飲んでくれたから、すぐに治ったよ」
「わぁ、よかった。苦みを抑えるために色々試してみたものなんです。効果を変えずに甘味を加えるのが難しくて……でも効いたみたいでよかった」
そういうとジョージも頷く。
「本当に助かったよ。それにしてもお代はいいのかい?」
「いいんですよ。いつもお世話になっているのは私の方だし。そのお礼です」
「そんなの、ついでだし変わらないんだがね」
「でも、こんな風に薬の効果を聞けるのは今後の薬作りに生かせますし。私としても損はしてないので、大丈夫ですよ」
ミルは首を振ってそう言った。ミルは薬草師として仕事をしているが、けっして儲かっているわけではない。だから、こうやって新しい商品を作ってなんとかやっているのだ。
「あ、そうだ。実はまた新しい薬を作ってみたんです。手の荒れに効くクリームで、奥さまに使ってもらって感想を聞きたいんですけど」
「ああ、いいよ。それにしても奥さまなんて柄じゃ無いんだがな」
丁寧な言い方にジョージは可笑しそうに笑う。
そんな会話をしていたら二人は村に着いた。
「おや?何だが村が騒がしいな……」
村は小さな村で、いい意味で落ち着いた雰囲気なのだが、今日はどうしたのか沢山の人が外に出て話したり、不安そうな表情をしていた。
「確か妖魔が出て、王城から兵が派遣されたって聞きましたけど……」
「ああ、俺もそう聞いた。でも兵は昨日のうちに帰るって聞いていたが……」
「あ、そういえばそうでしたね」
昨日もミルは村に来ていたので、兵が通ったのをたまたま見ていた。王都から来た兵はみんな綺麗で豪華な鎧だったり質のいい魔法の装備を付けていた。
特に目立っていたのは第二王子だった。
いつも静かな村が、あんなに騒がしいのは初めて見た。
王族なだけあってひと際豪奢な衣装を着て、乗っている馬まで見たことがないくらい綺麗だった。
何より本人の姿が噂通り凛々しく美しく、思わず見惚れた。神秘的な黒い髪、太陽の光を集めたような美しい金色の瞳。下手に触れてしまったら消えてしまうのではと心配になる儚く美しい顔。
ミルは初めて近くで顔を見たが、思わず口をあんぐり開けたまま、王子が通り過ぎるまでずっと見てしまった。
「本当に物語に出てきそうな人だったな……」
ミルは思い出して呟いた。
王子は平民にはとても人気の人物だ。容姿の美しさに加え仕事も出来ると噂で地位があるのに横暴な態度もないので、嫌う人はほとんどいない。
しかも黒い髪と金の目はこの国を作った最初の王と同じなのだ。
この国を作った王は、賢く勇敢で魔法も使いこなし、竜をも倒すほど強かったという伝説がある。
そんな事もあって、次期王は第一王子と決まってはいるが第二王子を王にという声もあったぐらいだ。
特に女性の人気は高く、女遊びが激しいらしいと噂もあったが、むしろ遊びでもいいから相手をして欲しいという女性がいるくらいだ。
「あ、ここで降ろして下さい」
目的地に着いたのでミルはそう言った。
「ああ、じゃあな。気をつけてな」
「ありがとうございます」
ミルは馬車を降りて、そう言った。
荷物を降ろし、もう一度村を見回す。城の兵士がなにやらバタバタ走ったり深刻そうな顔で話している。
それを見て村人たちも心配そうな顔だ。もしかしてあの第二王子に何かあったのだろうか。
「そういえば、あの拾った猫も黒毛に金の目だったな……」
あの王子と同じでとても綺麗だった。
「そうだ、あの猫ちゃんの名前を決め手なかったけど、王子の名前と同じローグとかいいかも……」
ふと思い付いて言う。そんな事を考えながら目的地に向かう。
「こんにちは。納品です」
「やあ。ミルちゃんこんにちは。ご苦労さん」
出迎えてくれたのはこの村に唯一ある店の主人だ。気のいいひとで、まだ実力の無いミルの作った薬を置いてくれている。
「今回はこれだけです。足りなそうな商品、ありますか?」
昨日、沢山作ったからまだまだ在庫はある。
「ああ、そうだ。このあいだの咳薬は評判がよかったよ、まだ残っているがもう少し増やしてもいいかもしれない」
「本当ですか?嬉しい、実は今回かなり出来がよかったんです。もっと売れるといいんですけど……」
そう言いながらミルは持ってきた商品を治める。諸々の手続きをすませると、かなり身軽になった。
「そう言えば村の中がちょっと騒がしかったですけど、何かあったんですか?」
気になっていた事を店主に聞いた。
「ああ、それがよく分からなくてな。何か事件があったらしい、兵士達はピリピリしていて……」
店主は曇った顔で言った。
「事件?」
「妖魔退治でトラブルがあったとか、誰かが行方不明って噂もきいた……」
「行方不明?そんな……怖いですね」
「まあ、それでも騒がしいのは数日だろう。俺達は何も出来ないからな、出来るだけ邪魔をしないようにするだけさ」
店主は顔を曇らせたミルを励ますように明るく言った。
「何だかすいません……」
「どうしたんだ?」
「だって、普通は妖魔の事は魔法使いが対処するべきなのに、私は村で唯一の魔法使いなのに何も出来なくて……」
ミルはここに来た当時のことを思い出した。
魔法学校を卒業してすぐ、ミルは魔法薬師としてこの村にやってきた。
最初は村人は歓迎してくれたのだ。しかし、使役獣も持っていない魔法使いだとわかるとあからさまにがっかりした顔をされてしまった。
こういった辺境の地では魔法使いは少ない、その貴重な魔法使いが使役獣も持っていない落ちこぼれだったのだ、それはがっかりするだろう。
だから最初は生活するのも苦労した。
森の近くにある古い家を買って、薬草士の仕事を始めたがお金が無くて食べる物もない日もあったくらいだ。
なんとかこの店の店主に商品を買ってもらえるようになって、今はなんとかなっている。
そんな事もあって、落ちこぼれ魔法使いとして何もできないのが、ミルは後ろめたかった。
「そんな、気にするな。ミルの作る薬はよく効くってこの村でも評判になってるんだ」
店主は励ますように言った。本当に店主にはお世話になりっぱなしで申し訳なくなる。
「ありがとう」
その時、突然大きな声で兵士が店に入って来た。
「おい!何か食べ物と薬草は売っているか?」
大人数で、慌てた様子にミルは驚いて固まる。
「は、はい。すぐお持ちします」
店主は慌てたように商品を取りに行く。
「あれ?あんたはここの村の魔法使いか?」
兵の一人がそう言った。恰好から見て彼も魔法使いのようだ。
「ええ……あの、何かあったんですか?」
怖かったが恐る恐る聞いてみた。兵は疲れた顔で言った。
「ああ、実は色々問題がおきてな……確かあんたはこの村の魔法使いだな。確か森に住んでいるって」
「ええ、そうですけど……」
「あまり言いふらさないで欲しいんだが、実は王子が行方不明になった。妖魔がもう一匹現れて兵士が何人か死んだんだ。その混乱の中で王子がいなくなってしまったんだ」
「ええ?そんな事があったんですか?」
「突然起こったからかなり混乱してて、まだ調べている途中なんだ」
「そうなんですね……」
「事件が起こったのは昨日だ。何か怪しい人間や、おかしなことを見てないか?」
ミルが森に住んでいるからだろう。兵士はそう聞いた。妖魔が出た場所はミルの家と村の間くらいの距離にある。だから、聞いたのだろう。
「いいえ、私は昨日から森では何も見てません……。お役に立てなくてすいません」
ミルは申し訳なさそうに言った。そうしているうちに店主が商品を持ってきた。
兵士は沢山の食料と、ミルが作った魔法薬もいくつも買っていった。
「それにしても、大変なことになってたんだな」
兵達が帰ったところで店主が、ホッとした表情で言った。
「そうですね。まさかこんな事になってるなんて思いませんでした」
「本当だな……ミルも帰りは気を付けた方がいいかもしれんな」
「え?いや、私は大丈夫ですよ」
「いやいや、何があるかわからんぞ。そういえば森で何かを探している怪しい人物を見かけたって話も聞いたぞ」
「え?そんな事が?」
昨日も森はいつも通り平和だったのに、急に物騒なことになってきた。
「話しかけようとしたら逃げられたんだそうだ」
「何なんでしょう……行方不明になった王子を探してたとか?」
「それが、兵士とは恰好が違ったらしい。一人で行動していたそうだから違うんじゃないか?」
そんな話を聞いてミルはまた少し不安になる。
「まあ、さっきも言ったが俺達は出来るだけ邪魔しないようにするだけだな」
「そうですね」
「ああ、そうだ。それに、薬も売れたしまた追加も頼むよ」
さっき兵士が買っていったから在庫がごっそりなくなったのだ。事件は恐ろしいが薬が売れるのはありがたい。
ミルは数日中には必ずまた納品しに来ると約束して、店を出た。