第二話 君たちの2/1を支える
カレンダーがめくれていく。
いつしか11月になっていた。
朝晩の冷え込みと共に受験本番の足音を感じ始める頃だ。
保護者への面談が行われるのもこの時期である。
最終的な志望校決定や併願校へのアドバイスを行うわけだ。
「今の偏差値なら第一志望の合格率60%あります。併願さえしっかり組めばこのままで大丈夫です」
「そうですね、慶応普通部、慶応SFC、慶応中等部のトリプル受験はさすがに厳しいです。どこか一つに絞られた方がいいかと。え、どうしても慶応に入れなければですか……うーん」
「2/1は鴎友ですか? いいと思います。志望校別特訓でも上位ですし、本人のモチベーションも高いですし。1月受験、いわゆる前受けはもう決められていますか?」
「最近成績が下がり気味で第一志望をランクダウンしたいと。もしのぞみさんがそこまで落ち込まれているなら一つの手ではありますが。その場合の第一志望は、ああ、立教女学院ですね。ソニ偏差値50が80%ラインなのでここなら届く範囲かと思います」
このように各講師で担当して面談を行う。
受験校決定は言うまでもなく難しい。
本人だけでなく家族の心情も絡んでくるためだ。
中には「何が何でもこの学校に入らなければいけないんです!」と母親が主張する家もあるほどだ。
幸い僕の担当にはいなかったけれど。
「ふう」
自分の面談が終わって一息ついた。
このあと授業の準備をして、夕方から授業だ。
気が抜けない。
やりがいと同時に独特の緊張感もある。
「少しずつ受験っぽい雰囲気になってきたね、市村先生」
「あ、細川先生。そうですね」
机の向こう側から細川先生が話しかけてきた。
校舎主任として細川先生の責任は大きい。
仕切る面談の数も多いのだろう。
顔に疲労が滲んでいる。
「どこのご家庭も第一志望を決めるのは大変だよ。特に成績が上昇している生徒ほどね」
「上昇している生徒ですか。下降しているではなく?」
「うん。この時期に学力が上昇する生徒というのは夏の基礎固めが実を結んできたケースが多いんだ。基礎を応用に活かすポイントを掴むと一気に学力が伸びる」
「そうですね、その傾向はあります」
「喜ばしいことなんだけどね。伸び方が急だからどのくらいが到達点か予測しづらい。9月からすでに志望校別特訓も始まっている。それを変更してまで第一志望を練り直すのか、という別の懸念もあるわけだよ」
そう言って細川先生はぐるりと肩を回した。
校舎の合格者実績によって校舎責任者の待遇は変わってくる。
プレッシャーは相当なものだろう。
軽い笑いと共に「市村先生が校舎責任者になってくれたら僕も楽できるんだけどね」と言うのもあながち冗談ではないのかも。
「いえ、僕はまだ」
「謙遜することはないよ。市村先生ならそのうち校舎責任者になれると思うがね。それとも」
細川先生がぴたりと言葉を止めた。
微妙な静寂が生まれる。
彼の目がぴたりと見据えてきた。
「塾講師を続けるのは迷いがあるかな?」
「そんなことはないです」
「だと思いたいけどね。でもまあ、人生は一度しかない。他にやりたいことがあれば止めはしないよ。我々の仕事って高学歴の水商売的なところがあるからね」
「聞いたことはあります」
塾講師は夜の仕事だ。
休みも不規則。
サラリーは評価が高ければドカンと上がる。
逆に悪ければガツンと下がる。
毎年毎年求められる合格者のノルマに疲れ果てることもある。
細川先生はそういう事情をよく知っている。
「僕としては優秀な講師がいなくなるのは避けたいが。まあ、市村先生の人生だからなぁ」
そうだな。
僕の人生だ。
僕がこう生きようと決めた人生なのだから。
だから。
"ずっと続けるのかい? ほんとに?"
こんな囁き、ただの心の迷いのはずなんだ。
僕は黙って手元のテキストに視線を落とした。
くだらないことを考えている暇はない。
僕の授業を待っている生徒がいるのだから。
この時期になると生徒の勉強内容が一段とタフになる。
塾の授業とは別に過去問をやらなければいけないからだ。
過去問をやるメリットは幾つかある。
まず志望校ごとの出題傾向を掴むこと。
時間配分に慣れること。
合格者最低点を超えれば本人の自信になること。
過去問をこなすことで本番に向けての準備が整っていく。
「しかしさすがに苦戦する子がほとんどか」
呟きながら僕は赤ペンを手に取った。
生徒達から提出された過去問に解説を加えていく。
通常授業とは別にこれも大事な仕事となる。
どこをどう直せばいいか。
問題文のどこに気がつけば解けたのか。
途中の式に抜けは無いか。
そうした点を取るためのポイントの他にもコメントが必要だ。
こんな難しい問題に取り組んでいること自体を誉めてあげること。
塾の講師からの誉め言葉は生徒の大きなモチベーションになる。
目を通してきた過去問の束をぱらぱらとめくる。
その中には水野君が提出してきたものもあった。
私立最難関の開成の過去問だ。
さすがに苦戦したようだ。
答案用紙にはあちこちに書き込みがあった。
粘って粘って取り組んだことがよく分かる。
僕もそこはきちんと評価した。
『よく頑張っています。次に活かそう』と大きく書いておいた。
東雲さんのものもあった。
豊島岡の過去問だ。
最近では桜蔭、渋谷幕張、慶応中等部と並ぶ女子四強の一角だけあってここも難しい。
正直彼女にはちょっと厳しい気もする。
それでも出来ることはやっている。
手も足も出ない問題は潔く諦めたらしく、まったく何も書いていない。
このレベルになるとそうだろうな。
『取れるところを取るという姿勢がいいね!』とコメントしておいた。
他の子達もよく頑張っている。
12歳の子供がこれほど勉強しているということにまず驚かされる。
もちろん熱意の高低はある。
だけど遊びたい気持ちをねじふせてここまできたのだ。
どうにかしてあげたいと思う。
この気持ちは塾講師を続けていく上で大切にしたかった。
その気持ちが嘘ではないと言えるからこそ。
僕は自分の本当の気持ちが痛かった。
細川先生の「一度しかない人生」という言葉が刺さっていた。
本棚にいまだ残る数学の本が過去を刺激していた。
それだけなら無視出来たかもしれない。
自分を誤魔化していけたかもしれない。
将来を担う子供達の学力養成に一役買う。
それも立派な生き方じゃないかと納得させて。
けれども、ある日の出来事がその偽りの決意を吹き飛ばした。
† † †
11月の下旬だった。
ぶらぶらと本屋に立ち寄り、雑誌を眺めていた。
特に欲しい本があったわけじゃない。
何となく見ていた時、ある雑誌に視線を惹かれた。
数学ジャーナルという雑誌名には馴染みがあった。
昔はよく読んでいたし、今もたまに買っている。
数学を志す人間しかターゲットにしていないニッチな雑誌だ。
「今月号出ていたのか」
買ってもいいかなと手を伸ばし、パラパラとめくる。
今年のフィールズ賞の結果発表のページでその手を止めた。
息を飲んだ。
「柳……」
フィールズ賞とは数学の世界のノーベル賞に該当する。
1936年、カナダ人の数学者のジョン・フィールズにより創設された賞だ。
数学界最高に栄誉ある賞とされている。
受賞者には賞金が日本円換算で約200万円とメダルが授与される。
この受賞には惜しくも届かなかった候補者の中に彼の名があった。
"柳礼一郎。あいつがこんなところに名前を載せるほど"
懐かしさと共にもどかしさに襲われた。
大学時代の友人だ。
同じように数学を志し、切磋琢磨していた仲だった。
口数少なく控えめで、けれども意志の強い男だった。
「俺は数学を続けるよ。苦労するだろうけどな」
卒業を前に柳は僕にそう告げた。
その真っ直ぐさが眩しかった。
逃げるように「そうか。頑張ってくれ」と返すのが精一杯だった。
卒業後、柳と連絡は取っていない。
だがこうして足跡を残している。
僕の「頑張ってくれ」というあの時の言葉に六年越しの答えを寄越してきた。
"錯覚だ"
もちろんそうだろう。
僕が数学ジャーナルを手にしたのは偶然だ。
柳も僕のあの時の言葉など忘れているだろう。
僕が勝手に思い込んでいるだけだ。
"だが"
しばらくその場を離れられなかった。
柳は諦めず一途に打ち込んできた。
そして自分が好きな世界に爪痕を残した。
翻って僕はどうだろうか?
後ろめたいことはしていない。
だが後悔が無いと言い切れるのか。
先が見えない辛さに数学を捨てた。
そして塾の講師として子供に頑張れと言っている。
ぎりぎりの状態であの子達は机に向かっている。
そんな子を相手に僕に頑張れと言う権利はあるのか。
納得だけでは誤魔化せない何かが。
現実的になれという計算を超える何かが。
喉の奥からこみ上げそうになっている。
"そうか。僕は"
数学ジャーナルをレジに持っていく。
購入して鞄にしまった。
帰路に着く。
電車の窓の外を見た。
深い赤に色づいた桜の葉が季節を告げていた。
"まだ間に合うのかな"
心の奥である考えが芽吹く。
馬鹿かもしれない。
無茶かもしれない。
だけど後悔しない唯一の方法に思えた。
季節は秋から冬へと変わる。
世間はクリスマス、お正月とおめでたい時期だ。
けれども受験生には関係ない。
冬期講習、正月特訓と息をつく暇もない。
模試も全て終わった。
目の前にあるのは1月入試。
いわゆる前受けだ。
「例年どおり栄東は受験者多いんだろうな」
「あそこだけで一万人行きますからね」
「関西遠征組はいる?」
「うちの校舎からはいないです。さすがに灘チャレンジは厳しい」
勢い飛び交う会話も前受けに関してのものとなる。
東京都及び神奈川県の私立校は2/1からの数日間が受験日となる。
埼玉や千葉では1月が受験日のため、ここを前受けとして受験するためだ。
「メンタルの勢いを保つ上で重要ですよね」
僕が言うと細川先生が頷いた。
「うん。本番慣れも兼ねてここで勢いつけておかないとね。どんなに頭が良くてもまだ小学生だ。正直なところ合格を決めるのは、学力半分メンタル半分だと思っている」
「校舎責任者の細川先生でも?」
「校舎責任者だからこそだよ。うちの生徒も皆頑張ってきた。万全の状態で送り出してあげたいなあ」
癖のある人だがこういうところは憎めない。
その後で「なんせ合格者が少ないと全部僕の責任になるからな!」と言うのは偽悪趣味だろう、多分。
適当に相槌を打っておく。
今は講師としての責任を果たすのが優先だ。
あと授業は何回出来る?
伝え残したことは無いか?
特にケアすべき生徒はいないか?
自問する。
内面で昂ぶるものを飼い慣らす。
刻々と高まるもので己を満たし授業に向かう。
最高の授業を行おう。
この子達の努力に応えよう。
やり遂げてやろうと自分に誓った。
総決算として出し切った。
だから最後の授業の時、こう言えた。
「今日はここまで。最後に一言」
皆を一瞥する。
一度は緩んだ教室の空気が張り詰めたのが分かった。
生徒全員の視線を感じた。
この視線に応えられる自分でありたいと願った。
「皆、今日までよく頑張ってきた。辛いこともたくさんあったと思う。クラスが落ちて悲しかったり。思うように模試で点が取れなかったり。過去問が全然分からず破り捨てたくなったり。人それぞれ難しい局面はあったと思う」
語りかけるのは苦では無かった。
本当にこの子達は頑張ってきたからだ。
彼らの小さな背中をひと押ししてあげたい。
点差が付きやすいため、算数は中学受験の最重要科目と言われる。
その算数担当として僕は僕の言葉で彼らを激励してみせる。
「でもここにいる全員が自分達なりに戦ってきて、そして今ここにいる。僕の授業についてきてくれたこと、本当に感謝している。だから見せてください。あなた達の受験を。以上」
頭を下げた。
誰かがぽつりと「いっちー」と言ったのが聞こえた。
その声に釣られたようにまた誰かが「いっちー、ありがとう」と言った。
静寂が破れる。
生徒達のざわめきが熱となる。
「受かるよな、俺たち」
「だよな。市村先生のすっげー授業受けてきたんだもんなー」
「毎回毎回あんなたくさんの宿題やってきたんだもん」
「出来ないわけないよね。受かるしか考えられないし」
どの顔にも笑顔が浮かんでいた。
ここまでやったという自信と誇りが笑顔を輝かせていた。
そうだ。
その気持ちがあれば絶対に。
いい受験になる。
「よし、じゃあもう帰ろう。遅くなるとご家族が心配するからね。先生は君達の健闘を……いや、成功を心より願っている」
締め括って生徒達を帰らせた。
最後に水野君と東雲さんが振り返った。
何となくこの二人が最後になる気はしていたけれど。
根拠の無い予感もたまにはあたるものだ。
「開成受かってみせるから。吉報待っててください」
水野君は決然と。
「豊島岡の問題になんか負けない。全勝するからねー」
東雲さんは強気に笑って。
「信じているよ」
そして僕は笑顔で二人を送り出した。
時計は午後9時を回っている。
冬の寒気が窓の外から忍び込んできた。
今日は1/27。
決戦の2/1の午前9時まで残り84時間。
最終調整を終えて当日に全力を出し切れるか。
ここまできたら祈るしかない。
† † †
お疲れ様。
良い激励だったよ。
聞いていたんですか。
偶然聞こえただけさ。
市村先生らしい言葉だったね、うん。
ありがとうございます。
――これでもうここで教えることも無い、か。
寂しくなるね。
すみません。
ご迷惑をおかけします。
いや、いいんだよ。
他にやりたいことが出来たならチャレンジするべきだと思うしね。
快く見送るだけだよ。
ソニックスで働けたのは貴重な経験でした。
僕は生徒達に志望校にチャレンジすることを勧めておきながら……自分自身が逃げていた。
だけどもう、それは止めます。
うん。
それがいいと思うよ。
数学かあ。
数と理論が全ての孤独な世界だね。
でもまあ仕方ないか。
……
行き詰まったら戻ってくればいいんじゃないかな。
優秀な講師はいつでもウェルカムだからね。
有り難い言葉です。
その時はまたよろしくお願いします。
うん。
じゃあ君の最後の教え子の戦いの結果を見届けようか。
――はい。
† † †
2月1日。
冬の寒気は厳しい。
この日、東京都の多数の小学6年生が受験本番を迎えた。
向かう先は志望校によって違う。
だがまとう雰囲気には独特のものがあった。
緊張感。
高揚。
闘志。
恐怖。
どれか一つに絞ることなど出来ない。
どれか一つに絞る必要もない。
一言では言えないほどの時間をつぎ込んできた。
その集大成を迎えているのである。
男子は開成、麻布、武蔵という男子御三家を筆頭としている。
女子は桜蔭、女子学院、雙葉という女子御三家を筆頭としている。
偏差値的にその下に連なる各校も、多くが2/1に入学試験を行う。
東京都の6年生の凡そ3割、数にして約6万人が中学受験という戦いに身を投じているのだ。
そして水野航基もその一人である。
「寒っ」
吐く息は白い。
西日暮里で降りて開成に向かって歩いている。
隣の母が「カイロもう一個使う?」と聞いてきた。
首を横に振った。
「いい、大丈夫」
「そう」
交わす言葉は少ない。
周りを歩く人達は自分と同じ受験組だろう。
多くが本人と母親という組み合わせだ。
中には父親が付き添っているケースもある。
受験という部分がないなら、親子仲良く冬のピクニックと呼べなくもない。
だが向かう先は行楽地ではない。
自分の今後の6年間を決める場所だ。
ぶるっと肌が粟立った。
怖がっているのか、自分は。
いや、違う。
これは、そうだ。
「武者震いだよ」
「何か言った、航基?」
「ううん、何でもない」
次の一歩を前に。
2月2日。
この日も受験は目白押しとなる。
男子ならば東京都では慶応SFCが、神奈川では聖光学院と栄光学園の二強が本番を迎える。
女子ならば豊島岡が本番となる。
他の女子校の名門とは違い2/2を試験日初日にしているのが豊島岡の特徴だろう。
2日には1日校の結果発表が行われることも多い。
その意味でも各家庭が振り回される日である。
「昨日のJG(=女子学院)の結果は気にせず受けようね」
「分かってるよ、ママ」
東雲花鈴は頷いた。
昨日、2/1は御三家の一つ、女子学院を受けたのだ。
第一志望の豊島岡に劣らず対策はしてきたはずだった。
だが手応えはというと怪しい。
チャレンジ過ぎたか、と内心悔やむものはある。
だが時は待ってはくれない。
今日はいよいよ豊島岡の試験日だ。
母と二人で道を急ぐ。
"私の偏差値でJG、豊島岡の連戦はきついかもって言われてたもんなあ〜"
面談の内容を思い出してしまった。
もちろん滑り止めの学校は1日午後に入れていた。
そこの手応えは悪くなかったし、恐らく受かると思う。
けれど出来れば豊島岡か、あるいはJGに入りたい。
学校見学で特に強く惹かれたのはこの二校である。
ぎゅっと唇を噛み締めた。
「ママ、ありがと」
「どうしたの、急に」
「私の豊島岡の受験認めてくれて。偏差値見たらさ、結構チャレンジじゃん、やっぱ。やめなさいって言われたら反論できなかったと思う」
「ふふ、いいのよ。だって花鈴頑張ってたもの。滑り止めさえしっかりすればあとは本人に任せて受けさせてあげようと思ってた」
「……私さ、全力出してくるよ。ぶっちゃけ過去問でも合格最低点越えないこと多かったし。良くて半々くらいだと思ってるけど、でも」
こなしてきたテキストは文字通り山のようだった。
自分の身長より高く積み上がっている。
「めちゃくちゃ頑張ってきた自負はある!」
2月3日。
男子最難関、国立の筑波大付属駒場の試験日。
男子校では早稲田の2回目、海城の2回目がメインか。
神奈川では浅野が試験日を迎える。
女子は豊島岡の2回目が最大の焦点。
慶応中等部は共学のため男女ともここを狙ってくる。
また都立校が一斉に受験日となる。
この3日までが中学受験の最大のピークだ。
4日以降に受験日を設置している学校は少ない。
そしてこの時期には合否発表が明らかになってくるのだ。
ソニックス自由が丘校でもまた校舎実績が集計されていた。
「今年は筑駒合格者出たな!」
「嬉しいですね。それに開成も9名ですよ。去年を上回りましたね」
「女子御三家もまずまずです。渋幕と桜蔭両方受かって渋幕を進学先に選んだ子もいるようですけど」
「時代の流れかねえー。最近はグローバル志向が強いから」
講師達が一番沸き立つのがこの校舎実績の集計だ。
理由は簡単。
実績により自分達の給与が変わるからだ。
シビアな世界だと思う。
教え子達と運命共同体というわけだ。
もっとも僕の来年度の給与は無いわけだけど。
それでも気にならないわけじゃない。
「皆、納得行く学校に受かったかな」
各学校別の合格者リストを手に取った。
開成の中に水野君の名前を見つけた。
密かに本命と呼んでいたけど期待に応えてくれたようだ。
多分危なげなく受かったのだろう。
この校舎から受かった子達と4月から楽しく通ってほしいと思う。
豊島岡も担当だったのでチェックする。
東雲さんの名前を見つけた時「おお」と声が出てしまった。
ちょっと危ないかもというこちらの危惧は無用だったか。
ガッツで掴んだ合格だ。
"良かったなあ"
ほっと胸を撫で下ろす。
合格したか落ちたかだけが全てではないことは承知の上で。
けれどもやはり受かってくれたのは嬉しい。
努力は報われてこそまた次の努力への意欲が湧いてくる。
小学生の間に必要以上の挫折は不要だろう。
"これで心置きなく僕も去っていける"
講師室を離れた。
教室に向かう。
誰もいない空の教室のドアを開けた。
しん、と静かな空間だ。
僕はここに6年もいたのか。
子供達に算数を教えて、教えて、教え続けた日々だった。
やり終えたなあと今なら自信を持って思える。
だから僕は「ありがとうございました」と一礼してその場を去った。