59話 エマの怒り
「それからの日々は、私にとって苦痛だった……」
フレデリク様は言いながら、眼鏡を外す。深い緑色の髪が揺れて、サラサラと零れる。
「終わりのない膨大な学術、底の見えない知識。私の先には必ず誰かが居て、永遠に達成することなど出来ない。私がどんなに学術を修め、知識を深めても……必ずその先を行く人が居る」
フレデリク様は、魔植物を採取して緑色に汚れた手で顔を覆った。
「殿下の友人として、私に求められている知識を、勉学を、極めようともがいても……」
か細く、声が震えている。わたしは、なにを……言ってあげられるのだろう……。わたしが、何か伝えられる事なんて、あるのだろうか。
「……そんなことに意味などなかった。ただ、苦痛だけが……残った……」
「でも、フレデリク様のその知識で、今わたしは助かってますよ。魔植物の種類も、採取の方法も、その保存方法だって……。意味がない、なんて……そんな……」
意味がないなんて、そんな事は無いと、フレデリク様は価値のある人間だと、そう言いたいのに……適切な言葉が見つからない。
「ですが、そんなもの……そんなものに、何の意味があるというのか……」
フレデリク様は顔から手を離し、顔を上げる。泣いてはいなかったけれど、辛そうに、苦しそうに、していた……。
「わたし……わたしには、なんで勉強しなきゃいけないのかも、これが将来役に立つのかも、そんなの分かんない。でも、わたしは、本を読む事も勉強して知らないことが分かることも、楽しいって思います。それにフレデリク様はわたしより色んなこと知ってて、それを分かりやすく教えてくれる才能があるって、そう、思います」
どうしても伝えたい事が、まとまらないまま口から溢れ出す。溢れるまま、取り留めもない言葉を並べてしまった。わたしの気持ちを、伝えたいのに……わたしには、それを伝えるだけの知識も教養もなくて、悔しくて、悲しくて、後悔ばかりしてしまう。
「……すみません。つい感情的になり、つまらない話を聞かせてしまいましたね」
フレデリク様は力なく目を笑みの形に細める。
……もう、なにも聞くなという事なのだろうか。何も言えない自分が情けない。
皆のことが大好きだと、そう思っていたのに……。それはただゲームの中のキャラクターを知っているだけで……現実で悩んでいるフレデリク様に、なんの言葉も掛けてあげることが出来ない。
なんて情けなくて、惨めな気持ちなんだろう……。
こんな時、主人公なら――マリーなら、どんな言葉を掛けてあげたのだろうか……。
その後、お互い無言のまま魔植物を採取していた。気まずい沈黙が続く。
不意に、ガサガサガサっ!と大きな音が響く。
「エマさん!」
「フレデリク様!」
お互いに名前を呼び合い、採取の手を止め駆け寄る。魔物が出てきたら逃げることしか出来ないので、ふたりで音がした方をジリジリと注視する。
背の高い雑草の影から、さらに大きな影が、ヌッと現れる。あれは、大型魔物の背中?正面では無いから、どんな魔物なのか検討がつかない。でもあんなに大きな魔物……一目散に逃げなければ……わたしたちには、どうにも出来ない……。
「に、逃げましょう……フレデリク様……」
魔物の影から目を逸らさないように、手探りでフレデリク様の腕を掴む。そのまま気づかれないように後退しようと思ったが、フレデリク様が微動だにしない。
どうして!?早く逃げないと……!
「……待ってください。様子がおかしい」
「……え?」
様子?魔物の?わたしにはそんな風に見えないけれど……。その場で魔物を見つめていたら、その背中がグラグラと揺れ始めた。
途端、ドシーンっ!と背中から倒れる。
「きゃあ!?」
「わっ!?」
わたしは何が起こったか理解出来ず、驚きのあまり後ろに尻もちを着いてしまった。わたしが腕を掴んでいたせいで、フレデリク様まで道連れにしてしまった。
「なっなに!?なにがおきたの!?」
わたしはフレデリク様に謝ることも忘れ、繋いだ腕に更にしがみついた。
「おそらく、あの魔物は既に――」
「あれー?お前らなにしてんの?」
倒れた魔物が居た茂みから、燃えるような赤い髪が現れる。
「レオン!?どうして……?」
予想外の人物の登場に、わたしは地面に尻もちを着いたまま目を白黒させた。
「どうしてってお前……狩猟会だろ?」
レオンはケロッとして、不思議そうな顔をする。あんな大きな魔物を、まさかひとりで倒したの……!?
「つーかお前らこそ何してんの?」
フレデリク様が一足先に立ち上がり、こちらに手を差し出してくれた。その手を取り、お礼を言い立ち上がる。
「魔植物を取ってたら、突然魔物が現れて……突然倒れちゃうし……もうどうなってるのか……」
「魔植物……?」
混乱が収まらないわたしを、レオンは不思議そうにジロジロ見つめる。
「お前らまさか、狩猟会なのに草取りしてんのか?」
「魔植物ならポイントになるかなぁ、って……」
途端、レオンは森にこだまするほど大きな声で笑いだした。お腹を抱え、涙を乱暴に拭う。
「ハハハッ!あー笑った!狩猟会で草取りするなんて聞いたことねーよ!まぁ女なんだし無理すんなよ!」
レオンの言葉にムッとしてしまった。しかし、レオンはそんなわたしに気づくことなくフレデリク様の方へ歩み寄る。
「あーフレデリクは男だったなー!」
レオンはそう言って、フレデリク様の腕をバチン!と叩く。フレデリク様は叩かれた腕を抑えながら、気まずそうに視線を逸らした。
「そんな言い方ってひどい!」
どうしてもムカムカしてしまい、思わず声を上げる。“女なんだし”なんて言い方をされたのは初めてで、自分でもビックリするくらい怒りが込み上げてきた。
こんな言い方、親にもドニにもダンテ師匠にも村の皆にだって言われたことは無かった。
わたしの言葉に、レオンもフレデリク様も驚いた様にこちらを見ていた。
「ひどいって、ホントの事だろ!まぁせーぜー頑張れよ!」
ムッとしたレオンがそう言い残し、森の中へ消えていった。
今は女性騎士だって増えてきたって聞くし、ニコルさんだって剣の腕が確かなのを知っている。その事をレオンが知らないはずないのに、わたしに対してあんな言い方はひどすぎる!
「フレデリク様!なんかすっごい魔植物見つけてやりましょう!マナリリィとか!」
「エマさん、マナリリィは流石に無理かと……」
わたしは怒りに任せフレデリク様の腕を引きながら、レオンが去っていった方向とは逆に歩みを進めた。




