34話 グレゴワール
深く深く沈んでいた意識が、急に引き上げられた。
白い壁と白いカーテンに夕日が反射して、視界が赤く染っている。最近よくお世話になっている医務室だ。ヒソヒソと話し声が聞こえた方に顔を向ける。
「グー先生……?」
「やぁ、起きたね」
グー先生は以前と変わらない疲れたような笑顔を向けてくれた。でもどうしてグー先生が学院に……?わたしがすぐに倒れるからドニが呼んでくれたの?
「まだ安定してないようだから、落ち着いたら自室に戻るといい。あと薬が切れたようだね?予定より無くなるのが早いから、薬の飲み方を間違えてはいけないよ」
グー先生はそう言うと薬袋を机の上に置いてくれた。
「私はもう帰るが、エマちゃんが歩けるようになったらジルベールはちゃんと送り届けるように」
「……はい、父上」
ジルベール様のその言葉にハッとする。父上!?ジルベールのお父さんがグー先生!?グー先生ってまさかグレゴワール!?ジルベール・グレゴワールのお父さん!?
ドニがずっとグー先生と呼んでいて、わたしもそのままそう呼んでいたけど……まさかジルベール様のお父様だとは……そう言えばわたし、グー先生の名前を聞いたことが無かったかもしれない。
わたしはベッドからグッと体を起こして、立ち去るグー先生の背中にお礼の言葉を投げかけた。グー先生は少し立ち止まり、こちらに微笑んでから扉を閉めた。
「……父上の患者と知らずにごめん」
「いえ、そんな……わたしも驚かせてしまってごめんなさい」
ジルベール様はずっと俯いたままだ。それにしてもジルベール様がグー先生を父上と呼ぶことに違和感が否めない。
「それと、助けてくださってありがとうございます」
「いや、僕は……本当にすまなかった。お前を危険な目に遭わせて……」
ジルベール様はきっとグー先生に何か言われたのだろう。とても落ち込んでいる様子だった。
ゲームのジルベールは、母親が亡くなったのを父親のせいだと思っていて、二人の間には深い溝ができていた。今目の前にいるジルベール様もそうなのだとしたら……きっと久しぶりに会話したはずなのに、あまり良くない内容で気落ちしているのかもしれない。今のわたしに、何かを言う資格なんてないけれど……。
そこでわたしは気づく。
攻略対象のキャラは皆、心に傷や暗い影を持っている。それを主人公が癒し慈しみ、愛で満たす事で救われるストーリーだ。
なら、この現実では?
おそらくマリーは、クリスチアン様ルートに入っている。クリスチアン様の態度がその証拠だ。
人間不信で誰も信じられなくなったクリスチアンを、主人公が持ち前の善性を発揮して恋が芽生える。その事でクリスチアンは、もう一度誰かを信じてみようと思えたのだ。今のクリスチアン様は、まるでゲーム後半の態度だ。
では、マリーとクリスチアン様が結ばれたら、他の人たちは……?
フレデリク様は?レオンは?ジルベール様は?クロヴィス様は?登場が一年後のリュカやバルドゥールは?
他の皆は、救われないの……?
みんな、心に傷を負ったまま生きていくの……?
救われる方法は、こんなにも近くにあるのに……
「もう歩けそうか?」
ジルベール様が、優しく声をかけてくれる。ジルベール様はたどたどしい仕草でエスコートしてくれた。女子寮に向かうまでの間、ジルベール様は何度も「休まなくて平気か?」「そろそろ休憩するか?」と聞いてきて、思わず苦笑いが漏れてしまう。
「そろそろ休んだ方が……」
そもそも医務室から女子寮までは10分程で着く距離だ。医務室から出て3分程の間に、もう5回目の質問を受けていた。
「……じゃあ少し休もうかな」
別に疲れていた訳ではないけれど、ジルベール様がそれで安心するならと思いそう言った。するとジルベール様はパッと表情を明るくした。目元が隈取られているせいで、疲れている雰囲気は払拭できないけれど、確かに嬉しそうにしていた。
ジルベール様はキョロキョロと休めそうなところを探していたけれど、近くにベンチなどは見当たらなかった。
中庭の芝生は定期的に手入れをされているので、わたしはその上に腰を下ろした。ジルベール様は少し戸惑っていたが、そのままわたしの隣へ腰を下ろす。
「体調は――」
「ふふっそんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
あまりに心配をされるものだから、思わず笑いがこぼれた。そんなわたしを見て、何故かジルベール様は不安そうに表情を曇らせる。寝癖のついた黒髪がはらりと揺れた。
「――母上も、そう言っていた」
「えっ?」
ぽつり、とジルベール様が呟く。不安そうな表情は、さらに影を色濃くしていく。ラピスラズリの様な青い瞳が、さらに暗くなる。
「亡くなった僕の母上も、お前と同じ病気だった」
ジルベール様は俯きながら「お前の病気を勝手に調べてすまない」と謝ってくれた。わたしが気にしていない旨を伝えると、ジルベール様は話を続けた。
「母上も魔力系の疾患を患っていた。最初は多少病弱な程度だったが、次第に庭に散歩に行くことも出来なくなり、最後は寝たきりになって、会話をすることも出来なくなった……」
ジルベール様は両手で頭を抱えており、その表情は伺えない。けれど、悲しみを内包された声が、悲痛に心に響く。
「あの頃の僕は、病気の知識もなく、どんな言葉をかけていいかも分からず……大丈夫かと聞く度に、母上はいつも『大丈夫だから、貴方は外であそんでらっしゃい』と言うばかりで……」
ジルベール様は、お母様と同じ病気のわたしを重ねているんだ……。あの時、お母様にしてあげられなかったことや、掛けてあげられなかった言葉を、わたしを通してお母様に伝えたいのかな……。
ギュッと心が締め付けられる様な思いになり、自分の胸に手を添える。
「――だからお前も、あまり父上の事は信用しない方がいい」
 




