教訓は、『初心忘れるべからず』
【 主な登場人物 】
十郷拓馬男 12才 人間
白い犬の獣人 ???
黒い猫の獣人 ???
十郷愛梨 女 29才 人間 拓馬の母
十郷祐樹 男 49才 人間 拓馬の祖父
1
拓馬は鼻歌混じりにクローゼットからリュックサックを取り出した。
明日は楽しみにしていた市立動物園に遠足に行く。
ふと、リックの底が妙だと気になった。
リュックを持ち替えて見ると、直径五センチほどの黒い穴が開いていた。
―― なんで… ―― と思って、右手の人差し指で穴に触れた。
拓馬の住む家は高層マンションに囲まれた鉄筋コンクリート製の12階建ての高層マンションだ。
この町はベッドタウンとして機能していて、郊外だが人口密度が異様に高い。
夜になると、都心の人口密度が一気にここに移動してくると言ってもいいほどの広大なマンション群だが、ひしめき合っているわけではなく、緑多い素晴らしい環境の町だ。
その中で、拓馬のような子供たちはのびのびとすくすくと育っている。
この新興住宅街で古い家などは一軒もない。
よって、近所付き合いなども、今のところは目立った問題などは起きていない。
拓馬の学校の友人などもすべて入れ替わったが、やはり子供の方がすぐに打ち解けるようで、そのおかげで親たちのコミュニケションも順調だった。
拓馬は比較的活発で、将来の夢はプロ野球選手だ。
スポーツが得意であればプロ選手を目指すのは、12才の少年にとって当然のことだろう。
しかし、上には上がいて、拓馬が所属するチームでは、レギュラーになったりなれなかったりという位置にいる。
しかし、野球ができれば幸せなので、必死になって練習に明け暮れたりはしない。
その拓馬はまた別の道のその入り口に指を触れたのだ。
拓馬は何かに吸い込まれたような感覚に見舞われ、一度瞬きをして目を見張っていた。
そして一番に気付いたのは、手にリュックを持っていないことだったがそれは一瞬で、自分の部屋がジャングルになったと思い、辺りを見回した。
拓馬は心細くなり急に悲しくなってきた。
だが拓馬は泣かなかった。
以前にこのような夢を見たことがあって、その時は泣きわめきながら森を走り出して、たくさんの動物に追いかけられたのだ。
しかしその時はハッピーエンドで終わったので、それほど悪いイメージはなく、トラウマは持っていない。
よって、動物園が大好きという相乗効果も得ていた。
―― きっと、寝ちゃったんだ… ―― と拓馬は思って、これは夢だと決めつけていた。
拓馬は警戒しながらも忍び足で移動を始めた。
走り出すと前のように動物に追いかけれらるかもしれないなどと考えたようだ。
辺りに道などはなく、足元には短い草が生えていて、所々に小さな花が咲いている草もある。
辺りは、太陽が出ているようで暗いとは感じないが、所々に差している陽の光が異様に明るく感じる。
それほど気にして見ているわけではないが、昆虫や動物はいないように感じていた。
だが、声を出すと木々から怖い動物が顔をのぞかせるのでは、などと考えて、声を出すことはしなかった。
よってかくれんぼのように、木の裏などを見たが何もいない。
木を見上げたが、動物がいる気配を感じない。
その時、前方から何かの気配を感じて、拓馬はどうしようかと考えた挙句、何とか登れそうな木を見つけて、低い枝にぶら下がり、身軽に一気に上半身を枝の上に乗せてから枝に足をかけ、上にある少し太い枝の上に昇った。
そして気配がある方角を見入った。
葉が多いので、下からは拓馬の姿は見えないと感じて息をひそめた。
「ここら辺りに来たはずだ!」と大きな声が聞こえた。
声は大きいのだがまだ姿は見えない。
拓馬は少し先を見ようと思って葉を指で音を立てないようにゆっくりと押すと、重そうな槍を持った、手足は人間で顔が犬の者が見えた。
拓馬は無意識に手のひらで口を押えた。
「まあ、確かに反応はあったけど…」
少し後ろから歩いてきたのは、銀色の装飾が凝った弓を持った、顔が猫の人間だ。
「人間の子供なら確実にこの辺りにいるはずだから、
今度は大人か?」
白い顔の犬の獣人が言うと、「僕としては子供の方がいいね」と黒い顔の猫が答えた。
「だがな、大人の方が強いぞ。
小さな子供だったら泣いてばかりで役に立たん!」
「だけどね、今回はいい予感がするんだよねぇー…」
拓馬は一考して両手のひらでドームを造って、「子供だけど泣いてないぞ!」と少し叫ぶように声を放った。
犬と猫は声の出どころがよくわからなかったようで、辺りを見回した。
「あー、きっと、すごい子だぁー…」と猫は探しながらも喜びながら言った。
「ああ! この時点で大合格だっ!!」と犬も上機嫌で言った。
拓馬は今頃になって気づいたのだが、犬と猫は拓馬の身長の半分ほどしかないと判断した。
―― 小さい獣人だぁー… ―― と拓馬は思って、ふたりの5メートルほど後ろに飛び降りた。
ふたりはすぐに振り返って拓馬を見上げた。
「はは、小さいんだね」
拓馬の言葉に、「まさか、空を飛んでいた、とか…」と犬がぼう然として言うと、拓馬は指を木に向けて、「上に昇ってた」と言うとふたりは納得したようで何度もうなづいた。
「ここって、どこでなんなの?」と拓馬が聞くと、ふたりは驚くこともなく戸惑うこともなく交代しながら説明した。
「ふーん… 簡単に言うと、人間を誘拐してきて魔女を倒すってこと?」
「あ、ダメだ!
今日はもう時間切れだ!」
猫が叫ぶと、すぐさま拓馬に何かを握らせた。
拓馬が目を開けると、床に寝そべっていた。
拓馬は顔を上げて自分の部屋だと思って体を起こした。
―― …夢… ―― と拓馬は思ったが、夢ではないと自信を持った。
拓馬の手には、おもちゃにしか見えない、手のひらよりも小さい剣と盾があった。
―― きっと、あっちに行かないと本物にならないんだ… ―― と拓馬は勝手に想像した。
拓馬はいつも持ち歩いている、茶色のボディーバックの、使っていないファスナー付きのポケットに剣と盾を入れた。
そしてリュックサックの底を見たが、黒い穴はなくなっていた。
拓馬は次はどこに黒い穴が開くのか楽しみになっていた。
しかしそれがどこに現れるのかはすぐにわかった。
剣と盾を入れたボディーバッグの中央に穴が開くと確信していた。
しかし今は黒い穴がないので、あっちの世界に行くことはできない。
拓馬は明日の遠足の準備を済ませて、期待に胸を膨らませて、リュックではなくボディーバッグを抱きしめた。
2
―― 話した方がいいのかなぁー… ―― と拓馬は思案顔を浮かべた。
今はリビングでお気に入りのアニメ番組を観ていたのだが上の空だった。
テレビやゲームよりも楽しそうな世界に行きたいと心躍らせている。
しかも、あちらには30分程は滞在していたはずなのだが、時間が進んでいなかったと感じた。
遠足の準備を済ませてすぐにテレビを観ることに決めていたからだ。
よってあちらにいた時間は、時間経過なく体験していたと考えた。
「あら、どこかに行くの?」
母の愛梨が拓馬に聞くと、拓馬は大いに考え込んだ。
拓馬が一番恐れているのは、あちらの世界に行けなくなることに尽きる。
しかし、拓馬の性格上、絶対に嘘はつかない。
よって、ここは黙り込んで笑みを浮かべて愛梨を見上げた。
「森に行くんだったら、慎重にね」
愛梨の言葉に、拓馬は目を見開いたが、この町にも森がある。
治安がいいと言っても夜になってひとりで森に行く者はそれほどいない。
拓馬には愛梨が何を示唆したのか理解できなかった。
「あら? 肝試しに行くんじゃないの?
隣の棟の麗奈ちゃんのお母さんが言ってたわよ」
拓馬は今になってこの話を思い出していた。
拓馬は観たいテレビがあると言って断っていたのだ。
拓馬が事情を話すと、「だって、いつものように必死になって観てなかったから…」と愛梨が言うと、拓馬はまた見透かされていたと思って苦笑いを浮かべた。
「隠してること、何かあるのよね?」と愛梨は言って拓馬が握りしめているボディーバックを見入った。
拓馬はさらに緊張してバッグを握りしめた。
「わかった」と愛梨がにやりと笑うと、まさに魔女に心を見透かされたように怯えた。
「誰にラブレター書いたのよぉー…」
愛梨の言葉に、拓馬はほっと胸をなでおろした。
「…誰に書くんだよぉー…」
拓馬にはそのような心当たりはなかった。
男子も女子も、仲のいい友達でしかなかった。
「あら…
愛梨ちゃんも優香ちゃんも美晴ちゃんも千紘ちゃんも
みんな拓ちゃんにぞっこんよ?」
拓馬は初耳だったので大いに驚いていた。
「お母さんにとって、大いに戦い甲斐があるわ!」
愛梨は胸を張って、「あっはっは!」と芝居っぽく笑った。
「じゃあ、何を隠しているのかしら…」
愛梨はしつこかった。
そしてバッグを食い入るようにして見ていたが、『ピンポーン』とインターフォンのチャイムが軽快に鳴った。
拓馬は助かったと思い、ほっと胸をなでおろした。
「あら、お父さん、今日は早かったのね」と愛梨は言って急ぎ足で玄関に行くと、拓馬も急いで廊下に出た。
「お前たちの顔を見ると落ち着くよ」
拓馬の祖父の祐樹が言って、愛梨と拓馬に笑みを浮かべた。
愛梨が言ったお父さんとは、拓馬の父の父という意味でお父さんと言ったのだ。
拓馬の家はこの三人家族で、拓馬の父は他界していた。
拓馬の父健太郎の父である祐樹の妻も他界していて、愛梨がひとり身なので、孫の拓馬のためと思って、祐樹が共同生活を始めたいと愛梨に言ってきたのだ。
愛梨は祐樹を尊敬していて、実の父とも感じていたので、二つ返事でこの話を受け入れた。
祐樹はまだ若く、50にもなっていない若いお爺ちゃんだ。
さすがに息子をなくした時は大いに悲しんだが、このマンションで三人で暮らすようになって、それまで以上に元気になっていた。
愛梨もまだ若く、30に手が届く直前だ。
まだ赤ん坊の拓馬を負ぶってでも大学に行くという、逞しい才女でもあった。
拓馬が5才になった時、父の健太郎は原因不明の死に陥った。
愛梨は大いに嘆いたが、大学院を卒業して博士号まで取っていた。
よって今は、オンラインで学生たちに勉学を教える講師としてこの家で働いている。
時にはマンションの空き部屋を借り切って、直接講義をすることもある。
よって愛梨はこのマンション群からほとんど外に出ない。
巨大スーパーが三軒もあるので、特に必要がない限り、都心などには出かけることはない。
「研究の成果、あったようね」と愛梨が気さくに祐樹に言うと、「ああ、おかげで助かった」と答えた。
祐樹は愛梨が卒業した大学の教授で、大学の学長であり、理事長でもあった。
よって祐樹にも家族が必要だったのだ。
たった三人の家族だが、拓馬はこのマンションのこの家が大好きになっていた。
「ん? 拓馬はどこかに行くのかい?」と祐樹が拓馬のバッグを見て聞くと、「教えてくれないの…」と愛梨が言いつけると、祐樹は眉を下げた。
しかし、「男子たるもの、その程度でちょうどいい」と祐樹は言って、拓馬の頭を少し乱暴になでた。
拓馬はこのスキンシップも好きだった。
父親はいないが、拓馬としては祐樹が父親だった。
「何も問題ないぞ?」と祐樹が言うと、「…だって、パパ」と言ったとたんに、愛梨は口を閉ざした。
拓馬は、愛梨が隠し事をしているとすぐに見抜いた。
「…ふーん、お母さんの隠しごとはいいんだぁー…」
拓馬の反撃の言葉に、愛梨は大いに戸惑ったが、祐樹は大いに笑っていた。
「勇者の剣と盾」
祐樹が言い切ると、拓馬は目を見開いた。
「ま、この先、色々と知ればいい。
次に行ったら、マイトとクロイツによろしくな」
祐樹は言ってリビングに入った。
「マイトは犬で、クロイツは猫よ…」と愛梨はため息交じりに言って、祐樹を追いかけた。
拓馬はいろいろと聞き出したかったが、祐樹と愛梨が仕事の話で熱弁を始めたので、拓馬には口をはさめなかった。
祐樹が家に帰ってきて最低でも一時間はこの状態が続くので、拓馬はもう慣れていた。
しかしそのあとに、祐樹とふたりっきりになれる時間がある。
それは入浴だ。
「中学に上がったらもうやめようと思っていたが、
丁度いい機会だった」
祐樹が少し寂しそうに言った。
それは拓馬と入浴を楽しむことだ。
「…聞きたいことだらけだ…」と拓馬は小さな声で言った。
「こら! 愛梨っ! それに触れるなっ!!」
いきなりの祐樹の叫び声に、拓馬は自分が叱られたと思うほどに背筋が伸びていた。
すると脱衣所でどたばたと音がして静かになった。
「お前と違って、愛梨はうかつだ。
健太郎…
お前の父は慎重だったが、
あいつは失敗して命を失ったはずだ。
俺にも何があったのかは知らんが、
あの世界に行ってほんの数十日で命を絶たれた。
俺の予測でしかないが、
あいつのやさしさのせいで命を失ったような気がしてならない…
時には厳しい決断も必要なのだろうと、
漠然と考えたが、結果はいつまで経っても出ん…
それを俺に教えてもらいたいんだ」
祐樹が苦しそうに言うと、「…僕… マイトとクロイツに気に入られたよ?」と言うと、祐樹は目を見開いた。
「…愛梨が、話したようだな…」と祐樹はため息交じりに言った。
しかし、祐樹の表情は穏やかだった。
「健太郎が認められるまで、こっちの時間で三年ほどかかったそうだぞ」
「…あー、だから子供がいいってクロイツが言ったのかなぁー…
でも、大人の方が強いって…」
「そんなものは見た目でしかない。
ようは、その魂の強さにある。
道を間違えるな。
と言いたいところだが、拓馬には少々厳しいかもしれないな…
だが、お前の信念の通りに動くことが一番いいと俺は思う。
その信念に枝分かれが起こった時、要注意だぞ」
「…あー… どっちに行けばいいのか迷っちゃう…
でも、両方何とかできれば…」
祐樹は顔をしかめて、「判断力の素早さも必要になるぞ」というと、「うん… 遅いとどっちの道もふさがれちゃうかも…」と拓馬は答えた。
「迷った時は、相手の欲の強さを知れ。
その欲を消した時、どっちにつけばいいのか容易に見えるはずだ。
欲こそが悪だ」
「…あー…」と拓馬は言って考え込んだ。
「学校でも、そんなことあったよ。
僕だけが男子に味方したんだ…
女子がただただ横暴だって思って…」
「なんだ、もうそんなことがあったのか…
誠一のヤツに言っておかないとな」
西村誠一は祐樹の友人で、拓馬の小学校の校長をやっている。
「パワーハラスメントの入り口だって、和ちゃんが言ってた。
前の学校ではあったんだって。
自殺した子もいたって言ってたよ」
「その時の発端は何だったんだ?」
「あ、教室の掃除の方法だよ。
女子は力がないからって、
机や椅子などは男子に移動させて、
自分たちはそれが終わるまで話をしてるんだ。
そのあとに女子たちは床を拭くんだけど、
それが終わったら帰っちゃうんだ。
僕はすぐに平等じゃないって言ったんだ。
僕の班の時はこんなこと一度もなかったってきちんと説明したんだ。
女子たちは悔しそうだったけど、言い返してこなかったよ。
普通だったら、母子家庭とか言っていじめの対象になりそうなんだけど
言われなかったことが逆に不思議だった…」
「まさに意表をついたってところだろう。
それに、まさか拓馬に言われることは想像していなかったのかもな。
拓馬は敵をつくらないように見えるからな。
それに、大いにモテてるそうじゃないか」
祐樹の言葉に、拓馬は赤面して、首をすくめた。
「特に、安藤麗奈ちゃんのお母さんは父母の代表者だからな。
その話は親に伝わっているそうだぞ」
「あ、麗奈ちゃんは…
廊下にいたなぁー…」
「お前をあこがれの眼で見ていたと思うぞ!」
祐樹は言って、乱暴に拓馬の頭をなでた。
「…道を、間違えちゃいけない…
欲を持っちゃいけない…
でも、平和でいて欲しい…
素直になる?」
「そうだ。
それが一番の平和への近道だ。
欲を捨て、素直にさせる力が必要だ。
それが魂の強さだ。
誰もがそうあれば、争いは起こらないはずだ」
「うん、わかったよ!」と拓馬は言って、すぐに風呂から上がって勉強机に向かった。
廊下から祐樹と愛梨が、逞しくなった拓馬の背中を見て微笑みあった。
拓馬が今書いているものは、すぐにどうこうするものではない。
もし問題が起きれば、書いたものを見せつけるだけだ。
一番は言葉だけで伝えることがいいのだが、それでは素直になれない人も多いと考えて書面にしたのだ。
時には書いたものが生きることもあると拓馬は信じて疑わなかった。
拓馬は紙面をスキャナーにかけて、10枚ほどコピーを取って、簡素なクリアファイルに入れてから、リュックサックの背の大きなポケットに入れた。
明日、早速使うことになるからだ。
その第一のターゲットは麗奈だ。
3
ひと仕事終えて眠気が襲ってきたが、拓馬はボディーバッグを見入っている。
穴が開く場所はよくわかっているが、開く気配はない。
拓馬はバッグを抱きしめたまま眠ってしまった。
拓馬ははっと我に返って目覚めると、「エキシビジョン発生だっ!!」と猫の獣人、クロイツが叫んで拓馬に抱きついた。
「…あー… 初めて体験した…
扉が開かない時間なのに…」
犬の獣人マイトがぼう然として言って、にっこりと笑みを浮かべた。
「エキシビジョンって、なに?」
拓馬の疑問はクロイツがすぐに説明した。
移動範囲はこの森だけの限定になるのだが、この森で鍛えたり、この世界の知識を蓄えることができる。
拓馬としては、準備万端なチュートリアルを受けられると思って大いに喜んでいた。
そして第一の疑問の、拓馬の祖父がこの世界を知っていたことと、拓馬の父がこの世界で命を絶たれたことを聞いた。
「…マスターゲインは生きていたんだ…」とマイトは言ってワンワンと大いに泣き叫び始めた。
「あのお爺さんはすっごく強いって思ってたもん!」とクロイツはニャーニャーと大いに鳴き叫んだ。
拓馬は苦笑いを浮かべて、ふたりが落ち着くのを待った。
しかし、なかなか泣き止まないので、「時間を無駄にしたくないんだけど…」と琢磨が申し訳なさそうに言うと、「あっ! ごめんっ!!」とクロイツは言って姿勢を正してから、拓馬をアジトに誘った。
「…小屋…」と拓馬が苦笑いを浮かべて言うと、「あ、見た目だけ」と言ってクロイツが扉を開けると、拓馬の住む世界でも見ることができないような計器類やコンピューター類がずらりと並んでいた。
「覚えるのが大変そうだぁー…」
拓馬が第一の壁にぶち当たった瞬間だった。
しかし、操作などは簡単で、小さくスマートなヘッドギアをつけるだけで知りたいことを知れるという画期的なものだった。
「…でもね、使いすぎると死んじゃう…」とクロイツが縁起の悪いことを言ったが、マイトも賛同するようにうなづいた。
「それほど夢中になっちゃいけないんだ…
まさか、お父さんって、ここで死んじゃったんじゃ…」
すると、様々な情報が拓馬の頭に飛び込んできた。
「あ、お爺ちゃん…
それに、多分お父さん…」
拓馬が言うと、その画像と情報が別のモニターに映し出された。
「…どちらも行方不明…」
拓馬の言葉に、「うん、ここで消えたとしても生きているのか死んでいるのかはわからないんだ」とクロイツが嘆くように言った。
「…お父さんは5年だけど、お爺ちゃんは三百年?!」
拓馬は大いに驚いて言った。
「マスターゲインは普通じゃないって思ってたんだ。
ここを離れたのは事情があったと思うんだ。
ここに来なくなったのは、君が生まれてすぐだから、
きっと関係あるって思うよ」
クロイツの言葉に、拓馬はそうかもしれないと思って、しっかりと覚えておくことにした。
「お父さんはルークミラノ…
あ、僕の別名ってあるの?」
拓馬の言葉に、その情報がモニターに出た。
「…ゼウスカタナ…」
拓馬がつぶやくように言うと、ゲインとクロイツは拓馬に最敬礼していた。
「神様! しっかりと働かせていただきます!」
クロイツとマイトが同時に叫んで、拳を造った右手を胸に当てて言った。
「…あー… そういう設定なわけね…」
拓馬はもうすでに醒めていた。
醒めていたのだが、何とかして魔女を倒さない限り、この世界が不幸に見舞われていることはもうすでに調べつくしている。
その道は果てしないほど遠い。
ルークミラノはその十分の一、マスターゲインですら半分までしかたどり着いていない。
しかしマスターゲインのその功績は大きく、その半数が現在の勇者であるゼウスカタナの統括地となっているのだ。
しかも昨日よりも勢力が増していて、防衛ラインの強固が確認できた。
「…僕がここに来ただけで、希望になっているんだ…」
拓馬はすべてを読み取って、まさに希望の言葉を述べた。
そして映像に、『勇者』の文字を見た時、拓馬は小さな剣と盾を探した。
拓馬はボディーバッグを体につけていて、ポケットを探ると、「本物のようだけど、小さいね…」と言って、おもちゃではない剣と盾を見入った。
「あ、ほかの武器は使用できますので!」とマイトは言って、箱のようなものに指さした。
「考えた武器が出るわけだね」
拓馬は言って、小さなヘッドギアをコンソールの上に戻して、箱の前に立った。
「子供でも無理なく鍛えられる武器」
拓馬が言うと、扉が上にせりあがった。
「うっ! ミスリルソードッ!!」とマイトは叫んで、剣を見入っている。
剣は黒光りしていて、拓馬の身長ほど長い。
拓馬は何も言わずに剣を手に取って、重さを確かめてから外に出た。
そして剣を肩からたすき掛けにして背中に担ぎ、素早く剣を抜き、そしてさやに収めた。
それを数回繰り返して、「レベル1からレベル10まで百匹ずつっ!!」と叫ぶと、拓馬を中心にして30メートル圏内に結界が張られた。
そして、半透明のぬらぬらした怪物が現れてすぐに、拓馬は躊躇なく切り倒し始めた。
剣の重みが心地よかった。
そして、ナビゲーションにもあった通り、拓馬の後ろに大勢の人がいると想定して戦った。
初めて剣を振り回したとは思えないほど見事な剣さばきだった。
もちろんこのレクチャーもナビゲーターから受けていた。
それほど時間をかけることなく、すべてのモンスターを倒した。
マイトとクロイツは拓馬を見たまま涙を流していた。
今までに、これほどにハイレベルな勇者は現れなかったのだ。
まさに拓馬は勇者ゼウスカタナでしかなかった。
拓馬は休むことなく今度は情報収集をした。
そして、仲間を10人まで雇えることを知った。
そのうちのふたりはもう決めていた。
拓馬はマイトとクロイツをその10名のうちのふたりに指名した。
ふたりは大いに緊張していた。
今までに一度も選ばれたことがなかったからだ。
「ここには誰かが詰めておく必要があるね。
第三エリアのサリーナを呼ぼう。
あとは、妹のマリーナ」
拓馬の言葉に、ウサギの獣人がすぐさま姿を見せた。
初めて召喚されたので、ふたりは立ち尽くしたまま号泣していた。
「ここのシステムに慣れて」
拓馬の第一声に、ふたりはすぐさま頭を下げて、小屋に走って行った。
「…ここに、俺たち以外の者が来ることなんてなかった…」
マイトが嘆くように言うと、「油断は禁物だから」とだけ拓馬は言った。
拓馬は足元に違和感を感じた。
そして右の靴を脱ぐと、靴下の親指の先に穴が開いていた。
「頑張り過ぎちゃった…」と拓馬は恥ずかしそうに言って、「靴下」というと、靴下が宙に浮いていた。
今はいている靴下と同じものだった。
拓馬は靴下を履き替えた。
そして妙に気になったので、穴の開いた靴下を見入った。
この件は何も情報がなかった。
しかし、興味を持ってその穴に指を入れた。
すると、拓馬自身に変化があったことを察した。
宙に浮いたモニターに、「身長5センチアップ 体重三キロアップ」の文字が出た。
「はあ、成長できるわけだ…
まさかこんなことで…」
すると役目を終えた靴下は消えていた。
そしてカバンが重くなっていることにも気づいた。
ファスナーを開けて中を見ると、同じ大きさの剣と盾が入っているのだが、手に取って外に出すと、剣は短剣レベルまで大きくなっていた。
盾は手のひらよりも大きい。
「…はは、これでも一応は戦えそうだよ」
「はあ… 久しぶりに大きくなったところを見ました…」
クロイツの言葉に、「二百年前だね」と拓馬は言った。
「まさか、靴下の穴効果…」とマイトが言うと、「無駄なことは何ひとつないってことだと思うね」と拓馬は答えた。
すると拓馬はぱっちりと目覚めていた。
今は、自分の部屋のベッドの上にいて、ボディーバッグをしっかりと抱きしめていた。
「…あー、楽しかったぁー…
サリーナとマリーナ、かわいかったなぁー…」
いまさらながらに言って、拓馬は赤面していた。
4
拓馬は洗面所で愛梨と祐樹に朝の挨拶をすると、ふたりは拓馬を怪訝そうな顔をして見ていた。
拓馬は鏡を見て、「…あ…」とつぶやいた。
いつもと見えるものが違っているのだ。
鏡の後ろにある、衣類洗濯乾燥機の棚の部分がひとつ見えない。
さらには移っている拓馬の顔の位置が違い、その顔も大人のように見えた。
「身長5センチアップどころじゃないね…
30センチほど伸びちゃった…」
愛梨と祐樹は顔を見合わせていた。
拓馬はもりもりと朝食を摂って、ふたりを大いに驚かせてから、「いってきまぁーす!」といつも通り元気よく言って、外に飛び出した。
こっちの世界でも鍛えようと思い、学校まで走って行くことにした。
拓馬の家は12階にあるので、エレベーターではなく、階段を使って降りた。
そして外に飛び出した途端に、何人も同級生と顔を合わせて挨拶しながらも走った。
もちろん、誰もが怪訝そうな顔をして拓馬を見ている。
策略をもって拓馬を待っているひとりの少女がいた。
今日も何とかして拓馬の隣を死守しようと、麗奈がマンションの外の大通りの門の横で、くねくねしながら待っていた。
すると一陣の風と共に、「おはようっ!」という声が聞こえたと思ったら、もう50メートル先に拓馬が飛ぶようにして走って通り過ぎていったのだ。
麗奈は目をぱちくりとして、今まで経験していなかったことに驚いていた。
そして我に返ってすぐに、走って拓馬を追いかけた。
走ることには自信があったので、拓馬の背中は何とか見えてるが、全く追いつけない。
そしてどんどん拓馬の背中が小さくなっていく。
麗奈はさらにスピードを上げて走ったのだが、ついに足が動かなくなった時、左手に学校の正門があった。
倒れ込みたいところだったが、ここは何とかして教室にたどり着こうと思い、友人たちに肩を借りてゆっくりと歩いた。
友人の何人も拓馬の走り去る姿を見ていた。
「オリンピックに行けちゃうー…」
などと言って黄色い声を上げていたが、麗奈はその仲間に入れないほど、体力を奪われていた。
しかし、教室につく頃には、何とかひとりで歩けるまでに回復していたが、拓馬の席が黒山の人だかりになっていて目をむいた。
ここは静々と拓馬の席に近づいて、「おはよう」と少ししゃがれた声であいさつをした。
「あ、おはよう」と人の隙間から見えた拓馬は、麗奈から見て大人でしかなかった。
実際は15才ほどの顔つきだが、まさに大人と言ってもいいほどだった。
「一晩で、こんなに育つこともあるんだぁー…」
拓馬の野球仲間の省吾が言うと、「あはは、僕も驚いちゃったよ」と今までとは違う低い大人の声で拓馬は言った。
「そういえば、お母さんとお爺ちゃんに挨拶しかしてないよ。
ふたりとも驚いちゃってたようだよ。
ご飯もいつもの三倍ほど食べちゃった。
だからお弁当、ふたつ作ってもらったよ」
言葉遣いは今まで通りに陽気なのだが、その内容の違いにクラスメイト達は大いに沸いていた。
すると、問題児のひとりの麻美が、拓馬の話を聞きつけて、まずは普通に拓馬に朝の挨拶をした。
すると誰もが拓馬から少し離れたので、拓馬は麻美を見て、「おはよう」と答えた。
「…わたし… すっごく悪い子だったって…
本当にごめんなさい…」
麻美の言葉に、「僕に謝らないで欲しい。謝るのなら麻美ちゃんの班の人たちだよ」と拓馬は言った。
「うん、そうするの」と麻美は内容も言葉も感情も素直に答えて、登校しているほかの班員たちに丁寧に謝り始めた。
―― なんだかしんないけど、素直になった ――
拓馬は大いに喜んでいた。
拓馬は思い出して、リュックからクリアファイルを取り出して、紙を一枚抜いて、「はい、これ」と言って麗奈に渡した。
「あ、みんなに見せないで欲しい」
麗奈は受け取った紙をすぐに体に当てて抱きしめた。
「今日、家に帰ったら、
お父さんとお母さんと話をして欲しいんだ。
僕が昨日、お爺ちゃんと話した内容をまとめたんだ」
「…うん… そうするの…」と麗奈は言って、素早く紙をたたんで、リュックのファスナーのあるポケットに忍ばせた。
麗奈としては、まさに拓馬からラブレターをもらった気分になっていた。
謝り終えた麻美にも拓馬は紙を渡して、麗奈に言ったことと同じ内容を伝えた。
麻美の気分も麗奈と全く同じだった。
麗奈は大いに気に入らなかったが、ここは表情に出すべきではないとでも思ったようで、自分の席についた。
もちろんクラスメイト達は大いに気になったが、「それほどうれしものじゃないから。ラブレターとは全く逆だって思ってくれていいよ」というと、それはそれで大いに気になったようだが、何とか納得していた。
チャイムが鳴る前に、担任教師の永田恵美が教室に入って来てすぐに拓馬を見て、「別の学校に来ちゃったって思っちゃったわ」と明るく言った。
若くて美人の教師なので、拓馬は大いに照れていた。
ここはひとつ軽口でも、などと恵美は思ったが、さすがに問題になるようなことは言わなかった。
チャイムが鳴って、数分の注意事項を聞いてから、生徒たちは廊下に並んだ。
今日は6年生だけの遠足なので、全クラスの生徒が廊下に出た時点で、一組から順に歩き始めた。
5
動物園は歩いて10分ほどなので、何も問題なく到着した。
午前中は整列したままでの観覧なので、それほど自由はない。
生徒たちは行儀よく、動物たちを見入って歓声を上げた。
しかし、どのクラスの女子たちも大いに拓馬に注目していた。
昼食は各班別に芝生にシートを敷いて摂ることに決まっていた。
まさに誰もが拓馬の班を見入っていた。
教師の恵美よりも身長が高いので、ここでもさらにほかのクラスからも大注目されていた。
女子たちはさらにライバルが増えたと思い、戦々恐々としていた。
―― あー、足りなかったぁー… ―― と拓馬は思ったのだが声には出さなかった。
もちろん、弁当の量だ。
しかしここは男気溢れる拓馬の友人たちが、まるでお供えのように果物などをこっそりと拓馬に渡した。
誰もが騒ぎになることだけは避けたいと思った男の友情だった。
拓馬はまるで手品のように様々な場所から果物を出して食べ、何とか腹は満たされた。
しかし、騒ぎになるのはここからだ。
移動を始める前までは確かに拓馬はいたのだが、今はどこにもいない。
今日のこの時だけを狙っていたのに、そのターゲットがいなくなったことに、女子たちは血眼になって拓馬を探し続けた。
動物園の遠足と言えども、その課題を提出する必要がある。
拓馬は大いに思考を巡らせて、動物園の管理事務所に行って祖父の名前を出して、清掃員の制服を借りたのだ。
飼育員の服装とそれほど変わらないし、拓馬の身長だと大人と変わらないので、誰にも知られることなく、ふれあい広場で動物たちと心行くまでふれあいを楽しんだ。
特にウサギには、サリーナ、マリーナという名前を勝手に付けて大いにかわいがってしっかりと観察した。
集合時間10分前になって、管理事務所に行って制服を返して変装を解いた。
そして何食わぬ顔をして園内を一回りして集合場所に戻った。
女子たちは目が血走っていたが、拓馬は知らん振りを決め込んだ。
「十郷君はどこにいたのよぉー…」と担任の恵美が聞いてきたので、「ほとんどの時間、ふれあい動物園にいました」としらっとして答えた。
「…いなかったって思ったけどぉー…」
「清掃員の制服をお借りしてました」
ここで種明かしをすると、誰もが、「あー…」と言ってため息をついた。
「いい作文が書けそうです!」と拓馬は満面の笑みを浮かべて言った。
生徒としては申し分ないほどの満点の発言なので、教師としてはこれ以上何も言えなかった。
そして、「人間観察としても書けそうです!」と言うと、女子と教師は大いにうなだれていた。
その反面、男子たちは大いに喜んでいた。
一旦学校に帰って、全員がそろったところで解散となった。
拓馬は特に男子たちにしっかりと礼を言ってから、朝来たスビードで走って家路についた。
さすがにそれほどのスピードで走る体力は残ってないので、女子たちは拓馬の背中を見送った。
拓馬は家に帰りついた。
愛梨はオンラインの授業中のようで、奥の部屋から声が聞こえた。
拓馬はリュックから弁当箱を出して洗ってから、自室に戻ってベッドの下からボディーバッグを出した。
ベッドの枕元の下に、構造上の空間があるので、ものを隠すには最適だった。
するとやはり思っていた場所に黒い穴が開いていた。
拓馬は躊躇なくその穴に触れると、昨日いた森にいたので、素早く走って小屋に向かった。
すると小屋の外で、マイトとクロイツが鍛錬をしていた。
「…あ、いつの間に…」とクロイツが猛然として拓馬を見て言うと、「ゼウスカタナ様、ご到着です!」とマリーナの声が聞こえた。
「もうここにいるけどね」と拓馬は言って少し笑った。
「じゃ、マリーナとサリーナの家族の方たちに挨拶に行くよ。
そのあと、第三エリアの視察だ」
拓馬は、この世界の仕組みは、もう十分に理解していた。
クロイツとマイトは本来の武装をした。
そしてクロイツが、拓馬に剣と盾を手渡した。
そしてマイトが、小手、ひざ当て、肩当て、胸当てを拓馬に装着した。
「あ、全然邪魔にならないね。
ふたりとも、ありがとう」
マイトとクロイツは、恭しく拓馬に頭を下げた。
「じゃ、走るよ」
言うが早いか、拓馬は風を追い越すようにして走った。
さすがについてこられないかと拓馬は思ったが、マイトとクロイツは四足走行でついてきていた。
拓馬は走るペースを変えずに、第三エリアに到着して、マリーナとサリーナの家を訪問した。
ふたりの両親はこの光栄なことに、拓馬に大いに礼を言った。
拓馬も両親に礼を言ってから、簡単なアンケートを取った。
このウサギ小屋は、この第三エリアの長の家でもあったのだ。
特に、非協力的な住人について質問をした。
「…あのー、まさかですが…
魔女のスパイ、とか…」
エリア長が聞くと、「あ、その逆だよ。きっと使えるヤツだっていう、俺の勘なんだ」と拓馬は答えた。
「…あー、なるほどなるほど…
能ある鷹は爪隠す…
その鷹がひとりおります。
名前はシャープです」
「空を飛べるのはうらやましいね。
俺もそのうち飛べるようになるそうだけどね」
拓馬の言葉に、長は大いに驚いていた。
「…マスターゲイン様でもそこまでは…」と長は嘆くように言った。
「…浮かぶ程度なら…」と拓馬は言って、バッグから小さな剣と盾を出して握りしめた。
そして浮かび上がるイメージをもって念じると、体が軽くなった。
「あ、浮いた浮いた!」と拓馬が喜んでいると、誰もが目を見開いて、宙に浮いている拓馬を見入っていた。
拓馬はゆっくりと前後左右に移動して、さらに1メートルほど体を浮かせた。
「おっと、今日はここまでだ」と拓馬は言って、地面に足をつけた。
「30秒損しちゃったけど、ま、いっか」と言うと、お付きのふたりはすぐに頭を下げた。
空を飛ぶと、その分滞在時間が減るのだ。
よって、エキシビジョンで大いに鍛え上げることにしていた。
素早く飛べば、ロスタイムも減るので、空を飛べることは重要な術と言える。
エリア長に別れを告げて、まずはこの近隣を走って回った。
シャープを探すついでに、使える者などを探す作戦だった。
しかしそれほど簡単に見つけられることはなかったが、本来の探す相手のシャープを見つけた。
まさに不愛想で、そして女性だったことに拓馬は苦笑いを浮かべた。
イメージ的には男性だと思っていたが、この異世界もご多聞に漏れず、生物は男と女で構成されている。
「シャープさんですか?」と拓馬が声をかけると、聞こえていたはずだがずんずんと先に歩いて行った。
「今日はこれでいいよ」と拓馬は言って、またマイトとクロイツを驚かせた。
そして第三エリアの視察を予定通り終える前に、「おい」と言って、拓馬に声をかけた者がいた。
それは、ついさっき会ったばかりのシャープだった。
どうやら拓馬たちをつけていたようで、家と家の間にある狭い路地から顔だけを出していた。
「時間がないので急いでいるんです。
ご用件は次の機会に。
この村の視察がまだ終わっていないので」
「ふん」とシャープは言ってから完全に姿を見せて、翼を大きく広げて東に向かって飛んで行った。
「使えるかどうかは微妙だね」
拓馬が言うと、シャープにも聞こえたようで、すぐさま戻って来て怒りの顔を拓馬に向けて地上に降りた。
「急いでいると言ったはずです。
では」
拓馬は言って、会釈だけをして、とんでもないスピードで走った。
シャープは目を見開いて、拓馬の背中を見ていた。
「今回の勇者様は普通じゃないから。
昨日来たばかりなんだよ」
クロイツは言って、四足走行体制を取って、マイトとともに拓馬を追いかけた。
「くっそ、あいつら…」とシャープは悔しそうに言って、ふわりと宙に浮かんで拓馬を追いかけた。
使える仲間は見つからなかったが、面白そうなものを多数見つけたので、マリーナに分析にかけてもらった。
「…いつの間に…」とマイトは言って苦笑いを浮かべていた。
マリーナが様々な情報を出して、「合成すると、ひとつだけ術の実が完成します!」と大いに喜んで言った。
「お! ラッキー!」と拓馬は叫んで大いに喜んだ。
「あー、なるほどね…
鉱物が多いから、こういった術なんだ…」
拓馬は感心するように言った。
「じゃ、今日は時間を余らせて帰るよ。
少しずつ貯めていかないとね」
「はい! お疲れさまでした!」とマイトとクロイツはすぐさま答えた。
「まっ! 待てっ!」とシャープは言ったが、拓馬はもう消えていた。
「ゼウスカタナ様の邪魔をするな!」とマイトが叫ぶと、「…邪魔だとぉー…」とシャープは今にも怒り狂いそうになるほど頭に血が上っていた。
「ゼウスカタナ様は素直な人しか雇わないから。
それにここでは無駄な時間はあっちゃいけないんだ。
ゼウスカタナ様がここにいられる時間は限られてるから。
あとたった30日分しかないんだよ。
でも、どうしても、ゼウスカタナ様に、
この世界を解放していただきたいなあー…」
クロイツの言葉に、シャープは大いに考え込んでいた。
拓馬は起き上がってすぐにバッグを定位置に収めてから、課題の作文を書き始めた。
まさにウサギ二匹への愛が語られていて、まるでラブレターのようだった。
もちろん子細な観察結果も書かれていて、その性格なども推定して書いた。
さらには人間観察についても書き上げて、あと数分で食事の時間だったので、自室を出た。
拓馬はリビングに行ったのだが、キッチンに愛梨がいない。
拓馬はすぐに自室に戻ると、愛梨が拓馬の机の引き出しを開けていた。
拓馬は何も言わずに廊下に立って、愛梨を観察していた。
こういった冷静な態度も、あっちの世界のコンピューターに教わっていたのだ。
この母の行動はただの好奇心だろうかと考えながら、その身のこなしにかなり呆れていた。
どう考えても、普通の人間ではないと拓馬は確信していた。
そして愛梨は振り返って、拓馬が廊下にいることに気付いて目を見開いた。
「ボク、ここに30秒ほどいたんだよ」
愛梨は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「なんだかね、証拠も説得力もないんだけど、
お母さんの正体がわかったように思うんだ。
言ってもいい?
あ、僕の仲間じゃないことはわかっているから。
だからお母さんは敵で、最悪の場合、
魔女だろうって思っているんだよ」
拓馬の言葉に、愛梨は表情を真顔に戻した。
「きっとね、防衛する側に勇者が湧いて、
攻め込む方に魔女が湧く、
とかあるんじゃないかって思ってね。
お爺ちゃんが同居を望んだ最大の理由は、僕を守るためだと思うよ。
お爺ちゃんは死ななくて、時間切れで出入り禁止になったんだ。
知ってたよね?」
ここまで言っても、愛梨は口を開かない。
「僕のお父さんを殺したのは、先代の魔女だって知ったよ。
もっとも、殺した事実はないけどね。
積み重ねたデータの中では消えたとなってるだけ。
でもね、僕があっちに出入りできるのは、
お父さんは確実に死んでるからなんだ。
そのあとに、5人ほど消えたってなってる。
その人たちは、今の魔王が殺したはずなんだよ。
まさか家族で殺し合いをするなんて、
思いもよらなかったよ。
ちなみに、前の魔女は、お婆ちゃんだったって思うんだ。
お婆ちゃんは交通事故で亡くなったって聞いてるよ。
その代わりに、お母さんが呼ばれたんだよね?」
愛梨は悔しそうにして唇をかんでいた。
そして、「違うわ」とだけ言って、拓馬の部屋を出て行った。
―― お父さんは生きてるのかな? でも、どうやって… ――
拓馬はもう12才の思考能力ではなくなっていて、大人の領域に入っていた。
―― 僕の成長スピードと関係してる? ―― と考えて、拓馬はほとんど覚えていない、父の姿を思い浮かべて笑みを浮かべた。
しかし、祐樹とよく似ているので、―― それほど変わんないな… ―― と思って、少し笑った。
拓馬の父は祐樹と言っていいほどだったからだ。
―― 違うって言った… どこが違うんだろ… ―― と拓馬は思って、自分の言った言葉を思い浮かべて、すぐに納得した。
―― うーん… 別居、するべきだろうか… ―― と拓馬はさらに考え始めた。
今のままだとぎくしゃくしてしまう。
家が安らぎの場ではなくなってしまう。
しかし、愛梨と祐樹の姿を思い出し、敵対しているようには見えない。
だが、仕事の話となるとほとんどケンカ腰だ。
それをストレス解消にしているのだろうかと考えた。
だったら、拓馬も大人の対応をしようと決意して部屋を出た。
拓馬は、今までであれば、好きな番組はアニメと決まっていたが、チャンネルをニュースに合わせていた。
ここまでくると少年ではなく、おじさんの領域に入っている。
脳内に叩き込まれた情報が、一気に拓馬を大人にしてしまったのだ。
―― 昨日の俺に、どうすれば戻るんだろうか… ―― と考えてすぐに、―― いや、僕だ… ―― と考えて少し笑えてしまった。
そして自然に組んでいた足を下ろして背筋を伸ばしてから、チャンネルをアニメに変えた。
今まではわくわくしていたのだが、全くと言っていいほどそれを感じない。
当然偽物でしかないが、それに輪をかけて幼稚だと考えてしまう。
拓馬は大いに損した気分になって、ぼんやりとテレビ画面を見ていた。
今日も祐樹の帰りは早く、昨日と同じ時間にチャイムが鳴った。
愛梨が玄関に出る際に、拓馬に寂しそうな顔を向けていた。
拓馬はすぐに立ち上がって、祐樹を出迎えるために廊下に出た。
「お爺ちゃん、おかえり」
拓馬が笑みを浮かべて言うと、「十年ほど年を取ってしまったように感じたな」と祐樹が言って苦笑いを浮かべた。
「見た目も内面も大人になってしまった」
「そうか… やはり、昨日が最後の日だったようだ」
祐樹は寂しそうに言って、拓馬の肩に手を置いた。
「ビール、付き合え」と祐樹は言ってから、大いに笑った。
まさに前向きだと拓馬は思って、あまり深く考えないことに決めた。
結局、祐樹と愛梨は昨日と同じで、食事の時間中ケンカのように仕事の話をしていた。
拓馬は昨日までの拓馬ではなく、ふたりの言っていることがほぼ理解できていた。
今は聞くことに徹して、食事を終えてから、気になった部分をメモ用紙に走り書きをした。
そして祐樹に渡した。
祐樹は素早くメモを見入って、「…うっ… 一番しっくりくる…」と祐樹はうなるように言って、今度は穏やかに愛梨と話を始めた。
拓馬は自室に戻って、―― 勇者の剣と盾、常に持っておくことができないか… ―― と考え始めた。
ベッドの底からボディーバッグを出して、剣と盾を手に取った。
―― こっちでは能力は使えないはず… ―― と思って、飛行術を試すと、なんと体が宙に浮いたことに驚いた。
―― だったら! ――
拓馬の思惑通り、剣と盾は消えていて、拓馬はほっと胸をなでおろした。
―― 今度の穴はどこだ? ―― と思い、拓馬が探ると、やはりボディーバッグだった。
これはどういうことだろうかと考えたが、その答えは出なかった。
―― いや、まさか… ―― と思い、拓馬はボディーバッグを子細に探った。
様々な術で検証した結果が出て、―― そういうことだったのか… ―― と思い、すべての謎が解けた。
まず第一に、このボディーバッグは拓馬の父健太郎が愛用していたものだったことが、最重要事項だった。
第二に、通常であれば、死を迎えれば消えることになるのだが、それは決してイコールではないことがわかった。
そして第三に、リュックサックの底に黒い穴が開いたことだ。
健太郎の死に関しては、あっちの世界でも消えていて、こっちの世界でも消えていたのなら、新しい勇者の召喚はできる。
まさに、信じられない方法で、健太郎はその身を隠したのだ。
よって、健太郎の意志に抗うことはできないと思い、拓馬はこのボディーバックをどうしようかと考えた。
拓馬は術を使ってボディーバックを小さくして、腕につけた。
―― はは、これでいい! ―― と拓馬は陽気な気分になって笑みを浮かべた。
小さくなっても、穴はボディーバッグに開くことを確認できた。
そしてさらに愛梨の行動の理解ができた。
愛梨は、勇者の剣と盾を奪うことが目的だったが、邪魔をするわけではなかったのだ。
まさに、母親の行動として理解きることだったが、それは何としてでも阻止すると心に決めた。
第三の疑問のリュックサックにまず穴が開いた件は、拓馬が持っていたリックサックの先にボディーバッグがあって、穴がリュックサックの底に投影されていたはずだと推測した。
異世界への扉はカバンによって干渉すると考えた。
さらに、愛梨の正体とその行動については、何も聞かないことに決めた。
こっちの世界では、祐樹の行動にあわせることに決めたのだ。
そしてこっちの世界での杞憂を家族に相談することにして、拓馬は部屋を出た。
祐樹はテレビを見ていて、愛梨はキッチンに立って洗い物をしていた。
「学校について話があるんだけど」
拓馬の言葉に、祐樹は拓馬を見上げて笑みを浮かべた。
「さすがに小学生ではいられないな…
さらには知識量としても中学生でも高校生でもないはずだ。
だったら、今のまま小学校に通って、
団体生活の重要性を勉強すればいいだけだ。
なんなら、教壇に立ってもいいんだぞ」
祐樹の言葉に、拓馬は目からうろこが落ちた思いになった。
学校生活は勉強を習いに行くだけの場所ではない。
拓馬の手で、さらに過ごしやすい学校に変えることだってできるはずだ。
「…はぁー、さすがお爺ちゃんだ…
僕にはその考えは浮かばなかった…
きっと、小さくなればなるほど、
その世界は面倒だってようやく理解できた。
それは知識の差だ。
子供になればなるほど、その行動は理不尽だ」
祐樹は納得の笑みを浮かべて、「ビール、飲む?」と聞いて大いに笑った。
「私だって、指導しようって思ってたわっ!!」
愛梨がリビングに来ていて、大いに憤慨して叫んだ。
「正しい道だったら、どっちに教えてもらってもよかったんだよ。
あ、お母さん、弁当だけど大人用の大盛りで」
「…私には現実的な要求だけなのね…」と愛梨は言って肩を落としてキッチンに歩いて行った。
服などは祐樹と健太郎のものがあるので全く困らない。
すると、「ん?」と祐樹が怪訝そうに言って、拓馬の手首を見入った。
「こりゃ、驚いた…」と言ってから、何度もうなづいた。
「終わったら、きっと術は消えるんだろうけど、
知識は消えないって思ってる」
「時間が経つにつれて、術は消滅したな…」と祐樹は寂しそうに言った。
「あ、この話はしないことにしたから」
拓馬の言葉に、「ああ、わかった」と祐樹は言って立ち上がって、冷蔵庫から麦茶をもって来て、ストッカーからグラスをもって戻ってきた。
「雰囲気だけでも付き合え」
祐樹は満面の笑みで言った。
一緒に風呂に入ることがなくなった代わりに、祐樹の晩酌に付き合うことが、これからの拓馬の日課になる。
愛梨の電話が鳴った。
相手はどうやら麗奈の母のようだ。
そして遠くから振動音が聞こえた。
電話をかけてきた相手は麗奈だろうと思って、拓馬は席を立たなかった。
今の祐樹との時間を優先しただけだ。
結局祐樹は仕事の話を雄弁に始めた。
今はその話を十分に理解できる。
理解できなかったのはその用語だけで、それがわかるだけであとは単純な計算だけだった。
「あのさ、お爺ちゃんもきっと気づいてるって思うんだけど…
ワクチンが新しいウイルスを生んでいるようにしか思えないんだけど…」
拓馬の言葉に祐樹は目を見開いたが、「…俺もそう思う…」と答えてうなだれた。
「ウイルスを逃がさず撃退する薬は、
人体にとっても危険を伴うこともわかる。
だけど、細胞分裂の段階で、
その薬の副作用がウイルスの進化を促しているって思ってるんだ。
だから、多数のウイルスは発生することはない。
感染経路が全く違う場所で、
同じウイルスが湧いて出るのは薬のせいでしかないはずだ。
だから、副作用の出ない薬を造るべきだと思うね。
ここまで行くと、ほとんど食品でしかないけどね。
となると、医師などの仕事がそのうちなくなってしまう。
この効果的なものだけは、
断固として造りたくないっていう、
医師会の大前提があるんじゃないの?」
「ああ、あるぞ」と祐樹はすぐさま答えた。
「人類を滅ぼすことが、医療従事者の仕事だ」
短絡して言葉にすると、この結果になることは祐樹にもわかっていたのだ。
「じゃあさ、今のうちに、副作用の出ない撃退物を造ってもいいかな?
僕は、こっちの世界も終わらせたくないから」
「…薬ではなく撃退物、か…
理想ではあるが、俺は転職を余儀なくされたな…」
祐樹は穏やかな笑みを浮かべて、拓馬の言葉に期待した。
「簡単に言えば、その食べ物は、
白血球のレベルを選んで強化して、体外物を攻撃させる。
そうすれば、高熱などに侵されることはない。
もちろん、確認事項は多いけどね。
毒を体に入れるよりは安全だと思うよ。
今はその食べ物はないから、
術を代わりにかける」
「おいっ! 待てっ!!」と祐樹は大いに慌てたが、拓馬は笑みを浮かべて、「もう終わったよ」と言った。
「…うー… 変化はないように思うが…」と祐樹は言って体を触れ回った。
「…健ちゃん…」と愛梨が言って、祐樹を見入った。
祐樹はゆっくりと拓馬に顔を向けて、苦笑いを浮かべていた。
「若返った。
母さんと結婚すれば?
別に前のままでもよかったけどね。
僕からのプレゼントだ」
祐樹はため息をついてから、愛梨に顔を向けて、「俺は健太郎ではない」と言うと、愛梨ははっとして目が覚めた顔をした。
「…うう、信じられないぃー…」と愛梨は言って、拓馬に懇願の眼を向けた。
「お母さんにはやらないよ。
未来が変わってしまうかもしれないから、
全てが終わったあとだ」
愛梨はすべてを理解してうなだれた。
「その時はできないかもしれないけど…」と拓馬が言うと、「今しなさい!」と愛梨は大いに叫んだが、拓馬は笑みを浮かべているだけだった。
「じゃ、僕はこういう術をかけよう」と言って拓馬はノーアクションで術を放って体を小さくした。
「あ、ダメだった…
大きさが変わっただけだ」
拓馬は術を解いて、元の姿の戻った。
「おまえ… さらに大きくなってどうする!」
祐樹が叫んで大声で笑うと、拓馬は大いに慌てて立ち上がった。
「…どこにもいない小学生の誕生だぁー…」と言ってから、一番違和感のない体の大きさに変えた。
身長としては、なんとか小学生にいるだろうという程度のものだったが、背が高い生徒よりも頭ひとつ大きい。
「前よりも小さいからこれでいいよ」
「デメリットは?」と祐樹が心配そうにして聞くと、「ないよ、しっかりと計算したから」と答えた。
「麗奈ちゃんが怒ってるって言ってたわよ。
電話にでないからって…」
愛梨の言葉に、「家族の会話の邪魔はさせないよ」と拓馬が言うと、愛梨はいろんな意味で、大いに罪悪感が湧いていた。
拓馬はまたエキシビジョンに誘われて、シャープと面会した。
しかしそれは肉体の鍛錬を優先したものだった。
シャープとしては大いに気に入らないが、拓馬に嫌われるわけにはいかなかったので、苦情は言わなかった。
そしてウサギの獣人のサリーナとマリーナには大いに優しいと感じて、肉食獣の自分のこの姿を呪った。
「空を飛べる以外で何ができるの?
戦えないのなら雇わないよ。
戦場に出られても邪魔なだけだから」
レベル50のモンスターを倒しながら拓馬は言った。
「ここで、鍛えて欲しい…」とシャープは小さな声で言った。
「それ、僕の時間を使うことになるから拒否する。
だから、仲間に頼れ」
「それはっ!」とシャープは叫んでから、うなだれた。
「邪魔しちゃダメって言ったよ?」とクロイツは眉間にしわを寄せて言った。
「だったら、俺はどうやって戦えばいいんんだっ?!」とシャープは涙を流して訴えた。
「一番の武器は弓矢だろうね。
空を飛びながら射れば、
攻撃を受けにくいし、しっかりと攻撃もできる。
自分の弱点を逆手に取る方法で鍛えればいいだけだ」
「おう! わかったっ!!」とシャープは大いに元気になって、クロイツの弓を見た。
「わかったよ…
出してあげるから…」
クロイツは眉を下げて、箱の前に立って、様々な大きさの弓と矢を箱から出した。
一番機能的なのは、連射式のボウガンだが、さすがに重量があるし、これ以上小さいと威力が見込めない。
一番しっくりくるのは、大きくて軽い長身のシャープほどある大弓だった。
シャープはクロイツのレクチャーを受けながら鍛錬を始めた。
拓馬は朗らかな笑みを浮かべてふたりを見入っていた。
すると、大勢の第三エリアの者たちが森になだれ込んできた。
どうやら売り込みに来たようで、マイトがまず面接を行った。
そのボーダーラインはマイトとクロイツに肩を並べられるものだ。
次から次へと、不合格が言い渡される。
しかし、一次審査を合格になった者が二名いた。
だが、どう見ても戦士タイプではないので、拓馬は大いに気になった。
しかも、ここに来る意思がなかったように感じていた。
拓馬はいろいろなパターンを思い浮かべたが、どれにも当てはまらないと思い、訓練を中断した。
拓馬はネズミの獣人とイノシシの獣人の前に立った。
「どうしてここに来たの?
戦うつもりも覚悟もないだろ?」
「勇者がいると聞いてきただけだ」とイノシシは言ってそっぽを向いた。
「俺は見世物なわけだ。
じゃ、君は?」
拓馬はネズミを見て聞いた。
「みんなが走って行ったからついつい…」と言ってからうなだれた。
「好奇心だけでここにきて、一時審査を合格、ねえー…」と拓馬は言って苦笑いを浮かべた。
「暫定的に雇うから、マイトに何をすればいいのか、何をしたいのか聞いてよ」
拓馬は言うだけ言ってから、自分の鍛錬を始めた。
拓馬は目覚めてから学校に行こうと思ったが、今日は休みだったことに今更ながらに気付いた。
よって自然に今日は予定があることになる。
毎週土曜日はクラブチームの練習があるからだ。
「…プロ野球選手になりたかったなぁー…」と拓馬は言ってベッドの上に腰かけてうなだれた。
しかし今日は練習に行こうと思い、術で真っ白のユニフォームを創り上げて来てからリビングに行った。
「お! プロ野球選手がいる」と祐樹が拓馬が一番喜ぶことを言った。
「きっと、最後になるよ…
まさに子供と大人だよ…
みんなと一緒に、戦いたかったなぁー…」
「上のジュニアに行けばいいじゃないか…
同級生もいるんだろ?」
祐樹が諭すように言うと、「ちょっと殺伐としててね… でも、その程度が一番いいのかもね…」と拓馬は言ってから、もりもりと朝食を摂った。
「変わると思う。
誰もがお前に頼るだろう。
野球がしたいのなら、中学でも高校でも大学でも行って、
仲間に入れてもらえばいい。
相手側もむげには断らないはずだ。
なんなら、話をつけるぞ」
「下から這い上がるからいいよ…」という拓馬の言葉に、「もっともだっ!」と祐樹は叫んで陽気に大いに笑った。
しかし、いつものグランドに行くと、どう考えても祐樹から声掛けがあったようで、リトルリーグのコーチやら上の学校の指導者たちがグランドにいた。
拓馬は仲間たちと朗らかにあいさつをして、いつも通りにウォーミングアップを始めてから早速練習試合が始まった。
これがこのチームの特色で、実戦第一としている。
拓馬は紅組の、やったことがない投手に選ばれた。
そして数回投げてから、監督にキャッチャーを代わってもらった。
誰が見ても、全力で投げているとは思えなかったので、監督はすぐにホームベースの後ろに座って構えた。
拓馬は打って変わってダイナミックなフォームで五割の力で投げたのだが、監督が一メートルほど後ろに飛んで尻もちをついた。
「腕、折れませんでした?」と拓馬が聞くと、監督はうずくまったままだった。
「あー、人間レベルじゃないなぁー…」と拓馬は言って、走って監督に近づいて、押さえつけている腕ごと手でつかんで骨接ぎをしてから治癒した。
「はい、元通り」と拓馬は言ってから、「どなたか受けていただけませんか?」と言うと、一番体格のいい現役大学生が、「見えないかもしれないが…」と言って、しっかりと防具をつけてからミットを構えた。
拓馬は一瞬にしてマウンドにいて、誰もが目を疑った。
拓馬は同じ力で投げて、『ドーン!!』という大砲の音を聞いた。
「あー… 最高だぁー…」と天を仰いで言った。
「さらに力を入れていいですか?」
「いやっ! 待て待てっ!!」と言って大学生は、自分の体と相談を始めてから、電話をかけ始めた。
ここはグランドは仲間たちに譲って、拓馬はその端に移動した。
すると、どう見ても屈強な男性四人が車から降りてきた。
「おー… とんでもないレベルアップ…」と拓馬は言って、羨望の眼差しでプロ野球選手たちを見入った。
軽くコミュニケーションをとってから、早速ボールを受けてもらった。
「おい、よく取れたな。
211キロ」
プロ野球選手たちも大いに苦笑いを浮かべた。
「もっと出していいですか?
あ、全然無理はしてませんから!」
拓馬の陽気な言葉に、「いや、やめとくよ。プロの意地を出して怪我しては何にもならん」と、いつもテレビで見る選手が言うと、拓馬は、―― もう、これで十分だ… ―― と思って青空を見上げた。
プロ野球選手を壊そうとした小学生として、拓馬はその日のうちに明るいニュースとして有名人になっていた。
これは術ではなく、純粋に身体的能力なので、拓馬としては胸を張っている。
そして、全プロ球団がケンカを始めたので、拓馬は逆指名して、地元球団のホワイトライダーズのグランドで練習させてもらうことにした。
もうすでに、二軍選手などに囲まれながらも大いに汗を流して、プロの紅白戦も体験した。
やはり、200キロ以上出すと、いろいろと問題があるので、ここは集中して速い球を使ってコーナーをついた投球方法に変えた。
まさに大いに精神鍛錬になり、三振の山を築いた。
ストレートしか投げないのだが、時折はさむチェンジアップに、誰もが大いに戸惑った。
100キロほどの球が、超スローボールに見えるのだ。
「もう、プロでいいんじゃないのか?
まあ、18才以上じゃないと、
登録できないのが痛いなぁー…」
投手コーチの言葉に、「はい、僕も残念ですけど、いい体験ができました」と拓馬は言って頭を下げた。
拓馬は二軍監督にうまい料理をたんまりとごちそうになって、「食う方もプロだ」と言われて上機嫌で家に帰った。
「おかえり、プロ野球選手」と祐樹が陽気に言った。
「みんな、子供に見えたよ」と拓馬が言うと、祐樹は大いに笑った。
「…ああ… 契約金は5億円ほどかしらぁー…」と愛梨が涙ながらに言った。
「出る杭を打たれかけたけどね。
大人も子供も考えることは同じだよ。
だからすっごい精神修行はできたね」
「…12才の少年になんてことを…
訴えてやろうかぁー…」
祐樹がうなるように言うと、「二軍監督が説教してくれたからいいよ」と拓馬はすぐに答えた。
「電話、ずっと鳴ってたようよ」
愛梨の言葉に、「一斉送信でメール返しとくよ」と言って自室に入った。
拓馬は一応すべての内容を確認してから、学友たちにメールを返した。
そして何度も電話をかけてきていた麗奈に電話をしようかと考えこんだ。
―― 放っておくのは平和ではない ―― と拓馬は思って、麗奈に電話をした。
『お電話ありがとう!』とすぐに麗奈の明るい声が聞こえた。
「今日は生まれてきて最高にいい日だったよ」
拓馬は今日体験したことをすべて語った。
もちろん誰が聞いても自慢話でしかない。
しかし麗奈はただただうなづく声を発するだけでうれしかった。
麗奈は追っかけのようにして、グランドで拓馬の雄姿をしっかりと見ていたのだ。
だがそれは麗奈だけではなかったことが大いに悔しいところだが、ホワイトライダーズ球団にコネがある同級生がいたことで、観戦することが叶ったのだ。
もちろん拓馬はそのメールのチェックを怠ってはいなかった。
「あ、そろそろ晩ご飯だから、また明後日」
拓馬の言葉に、『…あ… うん… またね…』と麗奈は寂しそうに言ったが、電話を切れなかった。
だが拓馬は心を鬼にして電話を切った。
廊下では、愛梨と祐樹が拓馬を見て笑みを浮かべていたが、拓馬は驚くことなく、ふたりに笑みを返した。
「きちんとしっかりと話すことが平和だと思ったんだよ。
今は誰とも付き合うつもりはないし、
同級生は確実に子供でしかないから無理。
だけど、はっきりとはさすがに電話では言えない。
もし面と向かって言われたらはっきりと答えるよ。
それは平和じゃないかもしれないけど、
相手は僕が決めたいから」
「ああ、それが一番平和だ」と祐樹は胸を張って言った。
「…先生、大丈夫かしら…」と愛梨は大いに心配を始めた。
「もしお母さんが心配していることをしたら大問題になるから
言わないって思うよ。
まあ、態度で示してくると思うから、
男子を味方につけるよ。
結局は、学校には教師のような人として行くようなものになっちゃうけど、
それでもいいって思った。
一日大人の世界を体験して、
今日ほどひどくて素晴らしい日はないって思ったから」
愛梨も祐樹も笑みを浮かべてうなづいていた。
6
一家団欒の夕食を済ませ、風呂に入ってから自室に戻って、手首につけている小さなバックの黒い点を指で触れると、森に出た。
拓馬は笑みを浮かべて、小屋に向かって全力で走った。
「今日は第四と第五エリアを回って、前線を見に行くから」
拓馬の言葉に、マイトもクロイツも大いに高揚感を上げていた。
「じゃ、急ぐよ」
拓馬は言うが早いか、とんでもないスピードで走り始めたので、クロイツたちもすぐに追いかけた。
後ろ姿が見えないが、砂ぼこりが上がっているので見失うこともないし、鼻が利くのでどこにいても確実に探し出すことができるが、極力遅れないようにとマイトもクロイツも大いに急いで走った。
シャープもついて行ったのだが、全く追いつけず、地面に降りて大いに悔しがった。
拓馬は今日も人探しをしながらも、地面に落ちている様々なものを拾っている。
ただのごみの場合のあるのだが、ほとんどのものに魔力の息吹を感じるのだ。
そしてこれはどう考えてもおかしいと思い、地面ごと結界を張った。
「…魔法の卵…」とクロイツは言って大いに苦笑いを浮かべた。
「これは判断しかねるね。
自然物じゃないことはわかるけど、
魔女が創った可能性は大いにある。
だけど、なぜここにあるのかが不思議だ」
拓馬は小屋に連絡を入れて、無線モードで探査を依頼した。
結界を張っているのだが、特殊な電波を発生させているので、小屋のシステムであれば通りぬけて調べることは可能だ。
しかし、少々時間がかかるので、卵はこのまま放置して先を急いだ。
村々は比較的落ち着いていて、新任勇者に朗らかな笑みを向ける。
もちろん急いでいることは承知しているので、誰も引き止めたりすることはない。
もう何百年も同じことが続いているので、勇者よりも村人の方がよく知っているのだ。
第四エリアも獣人の村なのだが、第五エリアは人間も住んでいる。
よって、今までのほとんどの勇者は、この第五エリアから人材を見出していた。
一度勇者に見いだされた者も多いので、確実に拓馬に絡んで来ようとするはずだ。
拓馬がその第五エリアに足を踏み入れた途端、大勢の武装した人間たちが走ってきたので、拓馬は苦笑いを浮かべて、逃げた。
「え―――っ?!」と誰もが叫んで、あとを追いかけようとしたが、砂ぼこりしか見えない。
しかし、マイトとクロイツはすぐさま拓馬を追った。
「全員、不合格だって思う…」
「ま、当然だな」
クロイツとマイトは自分自身に誇りをもって、拓馬を追いかけた。
拓馬は前線に出て、術の試し撃ちとばかり、比較的魔力を使わない小さな針のハイピームを連射した。
あまりのことに、魔族軍は後退して行ったが、射程が長いことに気付いて大急ぎで逃げ出した。
「砦を前にっ!!」
前線の戦士たちは大地の浄化をしながら巨大な砦を50メートルほど前進させた。
一斉に敵が引いてしまったので、浄化が間に合わないので一挙に前に出ることができない。
今までにこのようなことは一度もなく、戦士たちは一斉に勇者ゼウスカタナを崇めた。
「祈ってる暇があったら、
少しでも前進させろっ!!」
拓馬の大いなる檄が飛ぶ。
「ここは仕方ない…」と拓馬は言って、術を使って浄化の手伝いをした。
砦はずんずんと先に進み、この一帯だけが突出した。
「辺りの警戒をしながら、壁面も前進だっ!!」
拓馬は叫んでから、壁面の頂上に駆けあがって、ここから見える敵軍に、またハイビームの雨を降らせた。
クロイツが回復魔法を拓馬にかけた。
「おっ! サンキューッ!!」
拓馬の気さくな言葉に、クロイツは大いに喜んだ。
「今日は無理か…
なんとか、魔女の漆黒城を拝もうと思たんだがな…」
拓馬は前進できる陣地の確認を終えて、「今日は大いに貯めることにしよう」と笑みを浮かべてから、戦利品をマイトに渡してから消えた。
時間は貯めることで利息が付く。
それを続けることで、わずか30分が一年にも二年にも膨れ上がる。
マスターゲインはこの方法を使って、三百年もの長い時間を、異世界で過ごしたのだ。
拓馬は、「ふー…」とため息をついて、今後の予定の軌道修正をした。
黒い穴には飛び込むが、明日からは一日置きにすぐにこちらに戻ることに決めた。
時間の貯蓄を早めようと考えたのだ。
現在のところ、わずか三十日が三カ月に膨れ上がっている。
できる限り余裕をもって、魔女に対したいと考えたのだ。
拓馬がふとスマートフォンを見ると、メール80件と電話10件がかかっていので、大いに苦笑いを浮かべた。
ひと通りチェックをしたが、結局はクラスメートたちからのもので、『しつこいと、番号変えるよ』と脅しのメールを一斉送信した。
そのあとに何件かメールが入ったが、すぐに収まったので、拓馬は笑みを浮かべてスマホをスタンドにおいてリビングに行った。
ここからは家族だんらんの時間だ。
リビングには愛梨と祐樹がいて、テレビを見ている。
チャンネル権は愛梨にあって、お気に入りのドラマを見ていた。
祐樹はすぐに立ち上がって、ジンジャエールを手に持って戻ってきた。
「付き合え」と笑みを浮かべて言って、グラスにジンジャエールを注いだ。
ドラマは推理もので、今までに起こった事象のおさらいの映像が流れている。
ご多聞に漏れず密室もので、この謎を解かないと犯人の断定ができないという、ほぼクライマックスのシーンだ。
犯人の目星はついていたが、今の状況では全く断定できないが、探偵役の刑事にはわかっているようだ。
全ての事象の説明が終わって、刑事の眼がきらりと光ったところでコマーシャルになった。
「ふーん… このドラマって、
今までのものとは違って凝ってるね…
袋小路殺人事件、かぁー…
袋小路って出てこなかったよね?」
「あっ!」と愛梨が叫んでから、勝ち誇った顔をして拓馬と祐樹を見た。
「いや、設定として、殺人のあった屋敷の町名が袋小路なんだ。
あ、だけど、両方に引っ掛けてるのか…
屋敷の中にも実は不自然な袋小路がある、とか…」
「屋敷の見取り図ではなかったね。
本当は袋小路だったのに、
それをわざわざ消すことで、犯行を隠したんだよ。
犯人を断定した!」
拓馬は叫んで、コマーシャル中のテレビ画面に指を差した。
「この女優、出てたな…」と祐樹は言って苦笑いを浮かべた。
「コマーシャルも見てもらいたいというスポンサーの要望…
しかもドラマとCMでは雰囲気が違うので、
解答編っていうことじゃないと思う」
「ああ、それは言えるな…
メイド役の部屋は、
実は存在していなかった、か…
そのからくりの部分に、
凶器を隠した、とか…」
祐樹の言葉に、愛梨は大いにホホを膨らませていた。
楽しい一家団欒の時間を終えて、拓馬は今夜もエキシビジョンに出ることができた。
昨日の夜に詳しく調べた結果、今のままであれば確実にエキシビジョンに出られると確認できたが、もし、様々な条件で水準以下と認識された場合、エキシビジョンが発生しなくなることは確認を終えていた。
よって、元の世界でも、多少は鍛えておいた方がいいと拓馬は結論付けた。
小屋の前に行くと、新しい仲間が数名増えていた。
今回は人間もいて、拓馬の姿を確認するや否や頭を下げた。
「マイト、クロイツ、どんな感じ?」
「全員、不合格を言い渡しました」とマイトは言って拓馬に頭を下げた。
「じゃ、早々に持ち場に戻って欲しい。
以前の勇者に雇われていたようだけど、
僕が見ても、それほど使えるとは思えないよ。
だからこそ、その勇者はこの世界からいなくなったと思う。
今までの勇者は、人選を間違えてもいたはずだ。
まずは、僕たちの足についてきてもらわないと使えないから」
拓馬の厳しい言葉に、不合格を言い渡された者たちは納得はいかないが、拓馬の実力を見て知っているだけに、何も言わずに森を後にした。
「できれば、僕と同じ能力を持っている人を5人ほどは欲しいね。
そうじゃなきゃ、全然安心できないから」
拓馬のさらに厳しい言葉に、マイトもクロイツも大いに苦笑いを浮かべた。
「あ、クロイツはいいタイミングで癒してくれたから、
何か褒美をあげたいんだけど、
欲しいものってある?」
拓馬の言葉に、クロイツは大いに驚いて、すぐさま頭を下げた。
「いただけるものであれば、どんなものでもうれしいです!」
「あ、いいね!
気分よく主人に仕えることは重要だよ。
…うーん… 何にしようかなぁー…」
拓馬は言いながらも、もうすでに手に持っていた。
「あ、これ。
普通に僕の持ってるカバンと同じものだよ。
ポケットが多いし、マチが深いから、
ものをたくさん入れられるし、
走っても邪魔にならないから」
拓馬がボディーバッグをクロイツに渡すと、号泣しながらも受け取って、腰に下げているカバンから道具を出して入れ替え始めた。
「マイトには、こまごまといろいろと助けてもらってるからね」
拓馬はクロイツに渡したものと同じボディーバッグをマイトに渡した。
マイトは恭しく受け取って、クロイツと同じように地面に座り込んで入れ替えを始めた。
拓馬は笑みを浮かべて小屋に入った。
「卵の分析状況を見せて欲しい」
マリーナが、「はい、ゼウスカタナ様」と言って、モニターに様々な情報が出た。
「…はは、竜…」と拓馬は言って、苦笑いを浮かべたが、大いに喜んだ。
「火竜かな?
それとも、炎竜?」
「魔法濃度が低いので、火竜だと思われます。
よって、魔女が創ったわけではないようです。
発生時期は昨日ですので、
ゼウスカタナ様の恩恵だと推測できます」
拓馬は笑みを浮かべてうなづいた。
「ここに移動させようか。
術、届くかなぁー…
あ、ここから望遠で見える?」
「はっ! すぐにっ!」とサリーナが言って、その映像を出した。
村人たちが結界に手をつけて、卵を見入っている。
「ちょっと、驚かそうか…」
拓馬は言って、試すように一瞬だけ結界を揺らすと、村人たちは大いに驚いて、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「あ、大丈夫だ」
拓馬は結界を宙に浮かべて、刺激を与えないようにして森まで移動させた。
「あ、エキシビジョンの情報に変化ないかな?
森を出ずに術を放った場合は、
今までの条件にないから」
マリーナがまた別に映像を出して、「変化はございません」とすぐに答えた。
「となると、ここから攻撃してもいいわけだ」
「前例がございませんので、
はっきりと申し上げられません。
ですが森以外の干渉が可能と診断されましたので、
問題はないと推測します」
マリーナの解答に、拓馬はさらに笑みを深めてうなづいた。
「人間には無害の術…」と拓馬は言って、この小屋の上に植物の生命力を圧縮したエネルギー弾を創り上げた。
「威力はないけど、きっと面白いことになる」
サリーナは、エネルギー弾を映像に出した。
「じゃ、追っかけて。
ゆっくり飛ばすから」
拓馬は言って、エネルギー弾を操って、45度角を維持するように飛ばした。
「おっ いい感じだ…
あ、ここまでか…」
拓馬は少し悔しそうな顔をしたが、エネルギー弾はまだ飛んでいる。
そして移動させた砦を飛び越えて、魔女軍の砦に命中した。
「おっ! ラッキーッ!!」と拓馬が大いに喜ぶと、「ゼウスカタナ様、お見事ですっ!」とサリーナとマリーナが大いに喜んで叫んだ。
すると砦から木や草などがまるで生きているように伸び始め、兵士たちが慌てた様子で砦の後方に向かって走り出した。
「おっ 兵士たちが木になった…」と拓馬は言って、あまりのことに苦笑いを浮かべた。
「この森の生命エネルギー量を」
もうすでにマリーナが準備をしていてすぐに詳細な情報がモニターに出た。
「5発程度なら何も変わらないようだね。
あ、俺の身体状況」
サリーナがすぐに詳細な映像を出して、「精神力75パーセントです。一発であれば問題はございませんが、そのあとは癒された方がよろしいかと判断します」と言った。
「まあ、大技だからね…
あまり調子に乗らないでおこう。
だから、あと一発…」
拓馬はまたエネルギー弾を創り出し、今回は少し南西方向に向けて飛ばした。
着弾予定地は何もないむき出しの地面だ。
ほぼ狙い通り着弾して、小さいが森ができていた。
「今できた森と、この森の関連性を調べて」
「はっ! すぐに!」
いうが早いか、マリーナはすぐさま詳細な情報を出した。
「…はは、ワープトンネル、設置可能…」
「おめでとうございます! ゼウスカタナ様!」
マリーナもサリーナも大いに喜びながら、拓馬を祝福した。
「はは、ありがとう。
まさか、移動できるとは思わなかった。
あの森を第二の足掛かりにしようかなぁー…
魔女の城をようやく拝めるかもしれない。
だけど、火をつけられると問題だな…
まあ、お試しだから、
どうするのか観察しておいてもいいか。
敵の司令官の考えがわかるようになるかもしれない」
今はこれでいいと思い、拓馬はマリーナとサリーナにもボディーバッグを渡した。
今回は白で、少し小さめのものだ。
ふたりは涙を流して喜んで、「ここでお世話になってよかったぁー!!」と大いに叫びながら涙を流した。
喜んでもらえて幸いだと思い、拓馬は小屋の外に出た。
精神力を半分ほど使ったので、多少、体のけだるさを感じたので、クロイツに癒してもらった。
「一体、何をされて、これほどに消耗されたのですかぁー…」
クロイツの言葉に、拓馬は回答を拒んだ。
しかしクロイツとマイトだけに念話を使って知らせた。
「内緒だぞ」と拓馬はマイトとクロイツを見て言った。
「あー… 多分、理解できたと思いますぅー…」
クロイツは言って弓の訓練をしているシャープを見た。
「あいつは絶対に行くからな。
無駄死にはさせたくない」
新しいことはこれで終えて、結界内にある卵を見た。
ふ化したとしても、手のひらサイズの竜だろうと思い、拓馬は結界を解いて卵に触れた。
すると、倍の大きさにいきなり変化したので、拓馬は大いに驚いた。
「神通力をごっそり持っていったな…
まあ、たまには昼寝もいいだろう」
拓馬は言って、卵の横に寝転んだ。
神通力はマントルから漏れたパワーがエネルギー源となっているので、地面に寝転ぶと、比較的早く回復する。
するとまた卵が大きくなった。
「こいつ、吸血鬼かっ!」
拓馬は陽気に叫んで、卵から少し離れた。
今回は神通力を奪えないようで、大きさは変わらなかったが、初めて見た時の二十倍ほどの大きさになってしまったので、ふ化すると、肩に乗せて丁度いいほどだろうと推測した。
しかし、徐々にだが卵は大きくなっている。
大地からの神通力の吸い込み方を知ったようだと拓馬は推測した。
マリーナが小屋から出て来て、「ゼウスカタナ様! 生まれるかもしれません!」と叫んだ。
「あー、どんな子かなぁー…
みんなの言うことを聞いてくれたらいいんだけど…」
拓馬の言葉に、マイトとクロイツは大いに苦笑いを浮かべた。
目覚めまではまだ時間がある。
できれば、エキシビジョンの時間内に生まれて欲しいと思って、拓馬は卵を見入った。
「生まれます!」と今度はサリーナが叫ぶと、『カツ』と小さな音がした。
「おっ 出てこい出てこい…」と拓馬は言って、卵に顔を近づけた。
すると、光が反射して目だけがきらりと光った。
「パパだよー…
怖がらないで出ておいでぇー…」
拓馬の言葉に、クロイツたちは大いに苦笑いを浮かべていた。
すると、いきなり卵が真っ二つに割れて、赤褐色の竜が翼を広げていた。
一番に目に入る場所は、長い首と長い尾だ。
そしてその体表はうろこで覆われていて、頭に二本の大きめの角と、小さな角が無数に出ている。
翼と手は同体となっていて、翼の中央に手首から先がついている。
その頭は長く、口は大きい。
その口から長い牙が二本見えている。
体は小さいのだが、胸板は厚く、腰はくびれているのだが、後ろ足が異様に太い。
クロイツとほぼ同じ体高だが、まさに竜としての威厳を持っている。
「お―――! 誕生日、おめでと―――!!」と拓馬は大いに陽気に叫んで、竜の小さな頭をなでた。
すると、あまりのも怖かったようで、翼をたたんで縮こまってしまった。
「こら、怖がるな。
おまえは雄々しき火竜となるんだからな」
拓馬の落ち着いた声に、火竜はまた翼を広げて、拓馬に体をぶつけてきた。
「あー、よかった。
無事に生まれてきてくれてありがとう」
拓馬は言って、火竜を抱き上げてやさしく抱きしめた。
「さて…
生まれたのはいいが、問題はここからだ。
俺はあと一時間で目覚めるからな。
この子は俺を探そうとするだろう。
それを言い聞かせる必要がある。
失敗したら、魔女ではなくこの子にこの森は消されるだろう」
この騒ぎに、シャープも源のそばに寄ってきていた。
「シャープは離れておいた方がいい。
お前の感情は、他の者たちと大いに違う。
火竜に燃やされるぞ」
源の言葉に、試運転とばかり、口からかすかな炎を吐いて、地面に直径50センチほどの黒焦げができた。
「ため息でこの威力だ。
無駄死にしたくなかったら離れておいた方がいい」
シャープは今までに見せたことがなかった素直さを出して、小さく頭を下げて、数メートル後ろに下がった。
すると、マリーナとサリーナが拓馬のそばに来て、火竜に触れ回り始めた。
「寝ちゃった方がいいよ。
無理しちゃったら大きくなれないよ?」
マリーナのやさしい声に、火竜はうとうとと始めた。
サリーナがその体をやさしく抱いた。
「あ、とられた」と拓馬は言って少し笑った。
「意思疎通ができるようだね」
拓馬が聞くと、「この子、理解できているようなんです」とサリーナが言った。
「なるほどな…
勇者がずっとこの地に留まれないことを知っている、か…」
「はい。
私たちももちろん知っていましたので」
マリーナの言葉に、拓馬はすぐさま納得してうなづいた。
「わがままを言ったら叱ってやってくれ。
わかっていても、生まれたばかりだからな。
その程度の抵抗はすると思うから」
「はい、お任せください」とサリーナとマリーナは、火竜を起こさないように極力小さな声で答えた。
「ところで、食べ物だけど…
みんなは森の果実などを食べていることは知ってるけど、
この子は何を欲しがるのかなぁー…
もし、食べなくてもいいのなら、
地面で寝そべって眠っていることが食事になるような気はするね」
拓馬は言って立ち上がって、サイコキネッシスを使って浅い穴を開けて、軽く踏み固めた。
サリーナはその穴に、そっと火竜を寝かせた。
「…うふふ、かわいい…」とマリーナが言って、サリーナと微笑みあった。
拓馬は、イノシシの獣人のダイクと、ネズミの獣人のチーズに指導をしているところで目が覚めた。
7
「…あー、かわいいなぁー…」と拓馬はつぶやいて体を起こして、机に座って、メモ用紙に火竜の絵を描いた。
「あ、なかなか似てる」と拓馬は笑みを浮かべて言って、ボディーバッグを元の大きさに戻してメモ用紙を仕舞ってからまた小さくして手首につけた。
そしてその上からリストバンドをつけた。
もちろん落下防止の用心のためだ。
片方では不自然なので、もう一方も手首につけた。
野球をする場合は、右手首にしかしないが、今日は野球ではなく体を鍛えに行こうと考えていたので、両方つけていた方が自然だ。
少し北に行けば、登山ができる山と、比較的安全な整備ができていいない山がある。
もちろん、拓馬のお目当ては、整備ができていない方だ。
家に帰ってくるのが億劫なので、拓馬は弁当を作ることにした。
家で料理を作ったことはないのだが、なぜだかあっちの世界のコンピューターに入っていたので、その方法は覚えている。
もちろん学校の家庭科の授業でも実際に料理は造ったので常識的な比較はできる。
調味料の量なども常識的なものだったので、食べられなくはないだろうと考えた。
もちろん、レシピの中に同じ食材も調味料もないが、比較的似ているものが多いので、問題はないと思っている。
リビングに行くと誰もいなかった。
まだ6時半なので、愛梨も祐樹もまだ寝ているのだろうと、拓馬は何げなく考えた。
まずはコメを洗って釜を炊飯器に入れてスイッチを入れて、早炊きモードにした。
キッチンに立って、必要な食材を並べて下ごしらえをして炒めた。
生野菜なども準備して、積み重ねるタイプの弁当箱を二セット出して6段重ねにした。
余った食材は朝食にしようと思っているところで米が炊けた。
まずは弁当用に三段分詰め込んでから、弁当の準備は終わった。
そして残ったご飯はすべて腹の中に収めて、後片付けをして、巨大弁当に丁度あうリュックサックを創って弁当を入れた。
味見が終わっているので少々つまらないが、腹が減れば確実に食欲がわくので問題はない。
拓馬はリュックを背負って外に出た。
今日も階段を使って一階まで降りて、北の山を目指して駆けだした。
まだ7時半を回ったところなので、山に向かう道には大人が散歩をしている程度で、拓馬と同年代は誰もいない。
邪魔をされる心配がないので、拓馬は少し陽気になってペースを上げた。
そして東に向かって走り、道のない山を登り始めた。
足場がかなり悪いので、初めは慎重に登っていたが、慣れてきたので両足を踏み込むようにして力強く、道なき道を登った。
なかなか素晴らしい鍛錬になると思っていると、少し開けている場所に出た。
しかし、もう少し頑張れば頂上なので、休憩することなく角度がある山肌を歩いた。
比較的簡単に頂上にたどり着き、辺りを見まわしたが人工物は何もない。
拓馬はまさに、自然の中にいると感じた。
そして心を落ち着かせて、辺りの探索をしたが、人間どころか動物もいる気配がない。
しかし、北側に降りると動物がいると感じた。
そこは谷になっているので、水場があるのだろうと感じた。
やはり、人間が住むマンション群の方には、動物は住まなくなってしまったようだし、食べられそうなものが何もない。
『チチ、チチ』という、鳥の声が聞こえた。
やはり、谷には水場があるようで、その方角から鳴き声が聞こえた。
さらに心を落ち着かせて、広範囲で探索すると、谷には大型の動物がいると確信した。
―― クマかな… ―― と拓馬は考えたが、怖くもなんともない。
竜に比べると、クマ程度では、犬や猫とそれほど変わらない。
しかし、不用意に弁当が入っているリュックを下すわけにはいかなくなった。
だが邪魔になるものでもないので、背負ったままで今度は景色を楽しんだ。
北側はまさに自然がいっぱいで、高い高圧電線塔以外の人工物は何も見えない。
肉体の鍛錬はこの程度にして、飛行術を磨き上げようと、その場で少し浮いた。
そして谷に飛び込むように一気に飛んだ。
谷まではそれほど距離がなく、目の前に小さな池があり、小動物が一斉に逃げて行った。
草や木が不規則に生えていて、地面の状況がよくわからない。
拓馬は高い木の太い枝まで飛んで、その場に座って谷底を観察した。
すると、草が大いに動いて、黒い体の確認ができた。
どうやら、弁当のにおいを敏感に感じとり、クマがやってきたようだ。
子供はいないようで、少々残念に思った。
クマは何度も首を振って辺りを見回していたが、ついには空を見上げて、木の上にいる拓馬を見つけて、木に登ってきた。
拓馬は笑みを浮かべて、隣の木の太い枝に飛び移った。
クマはその気配も察知していて、すぐに降りて拓馬のいる木に昇ってきた。
拓馬は北の山の頂上まで飛んで、一番高い木の太い枝に降りた。
今度はさすがについてこられないようで、クマの気配は感じられない。
この山の方が高いようで、マンション群の景色が小さくなってしまった。
拓馬はさらに北に飛ぶと、登山道が見えたので、今度はその山に登ることにした。
舗装はされていないが道幅は広いので、走って頂上を目指した。
やはりこの山の方が動物はいると感じるが、道路には出てくることはしないようで、最短でも50メートル以上は離れている。
拓馬は一気に走破して、頂上の小さな展望台にたどり着き、休憩中の数名の男女とあいさつを交わした。
小さな公衆便所の隣に、『クマ出没地帯』の黄色い看板があったので、拓馬は苦笑いを浮かべた。
「間違いないってっ!
あー… 撮っておけば高く売れたのに…」
などと言いながら、男女ペアのふたりが展望台に来て挨拶を交わした。
拓馬も気さくにあいさつをすると、男性が怪訝そうな顔をして拓馬を見たが、まさか拓馬が空を飛んでいたとは思ってもないかったようで、女性とともにベンチに座った。
距離がかなりあったはずなので、服装も体格も顔も確認はできていなかったようだが、これからは慎重に行動しようと決めた。
改めて展望台から眼下を望むと、大きな運動公園があったので、そこまで走って行くことにした。
拓馬はゆっくりと走り出し、人がいなくなったことを確認してからトップスピードで山を駆け下りた。
やはり時々人の気配を感じるので、すぐにスピードを緩めた。
するとあっという間に山を下りていて、山のふもとにある運動公園にたどり着いた。
走ったり飛んだりで大いに腹が減ったので、テーブルとベンチがセットになっている休憩所まで歩いて行った。
まだ昼には時間があるようで誰もない。
しかし、人の気配はある。
その声が時々聞こえてくるが、姿は見えない。
大きなグランドが三面ほどあったので、サッカーか野球の試合でもしているのだろうと感じた。
拓馬は早速弁当を広げて、一口食べた。
―― あー… 冷えてるのにうめぇー… ――
拓馬は大いに感動して、あっという間に食べてしまった。
5分程休憩してから、拓馬は頂上を目指して走り始めた。
今度は展望台には誰もいなかったが、昇ってきている人の気配がある。
拓馬は登山者とあいさつを交わしながら、山の中腹近くまで降りてから、超低空で、南の山肌沿いを飛んだ。
もし撮影されていたとしても、動物と勘違いするはずだ。
拓馬はクマと遭遇した谷間でやってきたが、今はその気配を感じない。
ずっと自然の中にいることで、大いに感覚が研ぎ澄まされていた。
今は小動物の気配まで感じることができる。
その気配から極力離れて地面に近い場所を選んで、谷を縫うようにして、マンション群が一望できる山の頂上に戻ってきた。
ついでなので、西に移動して登山道がある山まで走って移動して、いとも簡単にその山の頂上にたどり着いた。
登山道のない方は傾斜が厳しいので、道を造るのが困難だったのだろうと感じた。
この登山道は人の気配が大いにするので、うかつな真似は控えて、ジョギング感覚で山を下りた。
マンションの奥にある森の公園に、知り合いが何人もいたので大いに苦笑いを浮かべたが、朗らかにあいさつして駆け抜けた。
「あっ! あっ!」という声を振り切って、拓馬の家があるマンションにたどり着き、それほど急ぐことなく階段を登った。
12階に到着すると、「…ごめんねぇー…」という、愛梨の小さな声を確認した。
拓馬は意識を集中すると、どうやら客は麗奈のようだと察した。
―― これは縁かもしれない… ―― などと考えながら、拓馬はごく普通に12階の廊下に出たが、エレベーターの扉が閉じる音がした。
―― あ、縁、なかった… ―― と拓馬は思い少し笑った。
エレベーターは三機あるので、ほとんど待つことなく乗ることは可能だ。
便利なことが仇になった、などと考えながら、家のドアを開けた。
「ただいまぁー」と言って靴を脱いでリビングに行くと、「なんだ、トレーニングか?」と祐樹が新聞を広げながら拓馬に笑みを向けて聞いた。
「うん、北の山を走破して、飛んで、運動公園まで」
「県外まで飛んで行ったかっ!!」と祐樹はさも愉快そうに叫んで笑った。
「クマ、いたよ。
北の山とその北の山の谷のところ。
食べ物があまりないから、
この辺りに下りてくるかもしれないね。
もとはといえば、
運動公園のある山にいたクマじゃないかなぁー…
あっちの山にはクマはいないって感じた」
「…そうか… 放っておくわけにはいかんから、
警告だけしておくか…」
祐樹は言って、スマートフォンを手に取った。
「拓ちゃん、麗奈ちゃん来てたんだけど、
会わなかったのね?」
愛梨が眉を下げて聞いてきたので、一部始終を正確に話すと、「…縁、なかったのね…」と少し悲しそうに言った。
拓馬は立ち上がってリュックを下ろして、弁当箱を出して洗った。
「あら、このリュック…」と愛梨が言うと、「僕の弁当入れ」と少しおどけて言うと、「大人二人前以上ね…」と言って眉を下げた。
片づけを終えてから自室に入って、パソコンを開いてから、現在の知識量の診断を始めた。
各学校などの入試試験などを数件やってみて、高校卒業レベルの知識はあると感じた。
大学の専門的な面では、理工学系であればついて行けるだろうと判断できた。
もっともそれ以外は、あちらの世界ではほとんど役に立たない。
祐樹の所有する十郷大学の昨年の入学試験を全学部をひと通りやってみると、『ぜひ! 我が大学へ!』という診断結果に、かなりふざけていると思ったが、拓馬は愉快そうに笑った。
「…そんなわけないだろ…」という祐樹の声が廊下で聞こえた。
その祐樹が拓馬を見て、「入試問題、解いたのか?」と聞いてきたので、「早いねっ!」と拓馬は答えて、パソコンの画面を祐樹に見せた。
「ああ、俺の孫の仕業だった」と祐樹は機嫌よく言って、少し孫自慢をしてから電話を切った。
「今度は学問の確認でもしておこうって思ってね。
高校卒業レベルの知識はあるって。
去年の大学入試の理工学部の試験は満点だった」
「だから事務局の連中は大いに慌てたんだ。
12才の天才がいた!
などと叫んだそうだけど、
名前を見て納得もしたそうだ。
その確認の電話だ。
力試しでオンライン試験を受ける者は大勢いてな。
その中でもずば抜けた成績のものだけ
アラートが鳴るようになっているから、
簡単に調べられる。
今回初めて鳴ったそうで、
その確認もできたといったところだ」
祐樹は拓馬に孫自慢をするように言った。
「もし大学に行くのなら、お爺ちゃんの学校にするよ」
「そんなもの当然だ」と祐樹は少し笑って答えてから、また電話をかけ始めた。
「十郷拓馬の大検の準備を…
ああ、中学校と二重になるが、別にかまわん…
ああ、あとは任せた」
祐樹の話に、拓馬は大いに苦笑いを浮かべた。
「中学に上がったら、放課後は大学に行け。
子供と世界と大人の世界を十分に学べばいい。
学習塾に行くよりは勉強になるぞ」
「あはは、そうするよ」と拓馬は即答した。
「土日も授業はあるから、
進級は比較的楽なはずだ。
これで俺の大学は、一流大学の仲間入りだ!」
祐樹は大いに気合を入れて叫んだ。
「あ、さらに騒がしくなるが、何とかしてくれ」
祐樹のかなりいい怪訝な言葉に、拓馬は大いに苦笑いを浮かべたが、それほど困ってはいなかった。
「あ、野球部のコーチも頼みたい。
手加減して、野球を楽しめばいいさ」
「うん、それはうれしいね。
何もやらないよりはいいよ」
するとまた祐樹が電話をかけ始めたので、拓馬は席を立ってリビングに行った。
「…ほんと、騒がしくなっちゃうわ…」と愛梨は眉を下げて言った。
「だけど麗奈ちゃんはどうして家に来たの?
僕が目的じゃなかったの?」
「…女の決心…」と愛梨は感情を込めて言ったが、拓馬には理解できなかった。
「なに? それ…」
「もし、拓ちゃんが家にいたら、告白するつもりだったって思ったわ…」
「はあ、なるほど…
だけど、もし、廊下で会っていたらうまくいかなかったって思うんだけど…
すごいイレギュラーだから…」
「…うん、きっと舞い上がって、帰っちゃったって思うわ…」
「でもさ…
あー… ツバつけとくことはできるよなぁー…」
拓馬の言葉に、愛梨は深くうなづいて、「周りから見ると、まるで妹のように寄り添うと思うわ…」と言った。
「あー… でもね、今は全くそれはないよ。
ふれあい動物園のウサギたち、
かわいかったなぁー…」
「宿題、見せて?」と愛梨が言ったので、「うん、いいよ」と拓馬は軽快に答えて、自室に入って、ランドセルからクリアケースを抜いた。
リビングに戻って、愛梨に渡すと、「ありがと」と言ってファイルから作文を抜き取って、祐樹とともに見入った。
「…文体は子供だが、論文に近いな…」と祐樹は言って苦笑いを浮かべた。
「…誰もがこのウサギたちを抱きしめたいって思うわ…
コピー、もらってもいい?」
「あ、うん、別にいいけど…」
「仕事の教材と治療に生かすことにしたの。
ここじゃ飼えないけど、
すっごく飼ってみたいって思っちゃったから。
この感情は、わたしだけじゃないと思うわ」
愛梨の言葉に、祐樹も深くうなづいた。
そして愛梨は立ち上がって奥の部屋に入って行った。
「イラスト、うまいな…」と祐樹は感情を込めてほめた。
ただの親ばかの感情ではなく、商業用としても成り立つというような感情だった。
「きっとね、描きたいものだったからって思う」
祐樹は納得するように何度もなづいた。
「言葉が通じないから、愛をもって接する、か…
目からうろこだ」
祐樹は言って、拓馬に頭を下げた。
「じっと見てきたんだ。
今は何を考えて見ているのかなって。
人間には考えられないことを考えていたのか、
人間と同じようなことを考えていたのか…
答えは出なかったけど、
嫌われていないことだけはよくわかったんだ。
だけどね、今知った。
僕、求愛されてた」
拓馬の言葉に、祐樹は大いに笑った。
「…なるほどな…」とだけ祐樹は言った。
もちろん、あちらの世界の獣人たちの感情と重ね合わせて答えを出したと察していた。
よって、この件に関しては、口に出して話すことはない。
「確認だけしておくか…
そのウサギ、具合が悪くなっているかもしれない」
祐樹の言葉に、拓馬はかなり気にし始めた。
しかし、これも人間と同じだ。
その愛に、拓馬は答えることはできない。
祐樹は礼を言って電話を切った。
「元気はないようだけど、病気にはなっていないそうだ。
どうだ、散歩がてら行かないか?
夕食までにはまだ時間はある」
「あ、うん、行きたい」と拓馬は言って立ち上がった。
奥の部屋から愛梨が出て来て、「あら、どこかに行くの?」と聞いてきたので事情を話した。
すると愛梨もついてくることになって、家族三人で動物園に行くことになった。
十郷一家は、動物園でいろんな意味で思い知ることになる。
三人が外に出ると、わらわらと拓馬の関係者が姿を見せた。
通行の邪魔になるほどだったので、祐樹が諫めると、大人は落ち着いたが、拓馬の友人たちは動物園に同行することになった。
そして子供たちの知り合いが知り合いを呼び、大人数で動物園に入った。
「十郷さん、何の騒ぎです?」と先日、拓馬が事務所で出会った矢野が気さくに祐樹に声をかけた。
もちろん、わかっていて聞いたのだ。
その中心には拓馬がいたからだ。
「人気者の孫披露」と祐樹が答えると、矢野は大いに笑った。
「そのおこぼれに授かって光栄ですよ。
今は外にいますから」
矢野の言葉に、「ああ、ありがとう」と祐樹は礼を言って、ふれあい動物園のゲージに向かって歩いて行った。
拓馬もすぐにそれに倣おうとすると、檻の中の動物が一斉に騒ぎ始めた。
拓馬は立ち止まって、これがどういうことなのかをすぐに察した。
―― 竜の匂いか… 残像思念か… ――
拓馬はどうしようかと考えて、極力優しい感情を流すように努力すると、ぴたりと騒ぎは収まった。
―― 気を抜けないぃー… ―― と拓馬は思い、大いに苦笑いを浮かべた。
動物たちは拓馬に挨拶するように、通路側の柵に集合している。
普段は隠れている動物たちも同じなので、拓馬のいる通路の檻は動物であふれるようになっていた。
「…あっちで、なんかあったな?」とさすがにここは祐樹が聞いてきた。
『竜が生まれたんだ』と拓馬が念話で祐樹に話すと、祐樹は目をむいて驚いていた。
『その匂いか、残像思念を感じたようなんだ。
今はそれを抑えるように、
動物に対する愛だけを流して落ち着かせてるんだ』
「…わかった、ありがとう…」と祐樹は落ち着いて小さな声で礼を言ったが、内心は落ち着けなかった。
拓馬がふれあい動物園のゲージに近づくと、動物たちが一気に出口に大集合した。
その中には拓馬を愛したウサギもいる。
だが、拓馬が近づくと、すべての動物が後ずさりした。
どれほどのやさしさを流しても、障害物がない限り動物は拓馬に近づけない。
しかし、じっと拓馬を見ている。
お目当てのウサギは、悲しそうな目をしていると拓馬は感じた。
しかし、問題は解決した。
ウサギは拓馬をボスとしたのだ。
よって元気になるはずだと、拓馬は確信していた。
「…なるほどな…」と祐樹は今のこの状況を見て納得して言った。
愛梨は子供たちに混ざって、特にウサギを大いにかわいがっていた。
「できれば、人間にも適応してもらいたいほどだよ…」
拓馬が嘆くように言うと、祐樹は大声で笑った。
「だが、人間も動物だ。
敏感に感じる者もいるはずだぞ」
「うん、気を付けるよ」と拓馬はすぐに答えた。
すると、麗奈がとんでもないスピードで走って来てから、拓馬に近づいたのだがすぐに数歩下がった。
「…あー、敏感な人だぁー…」と拓馬は言って、麗奈を見た。
祐樹は納得したようにうなづいている。
「やあ、今日、家に来てくれたんだね」
「あ、うん…
でもね、もう、いいかなぁー…」
麗奈は言ってうなだれた。
「なぜ後ろに下がったのか聞かせてくれないかな?
ひどいことを言っても構わない。
僕は麗奈ちゃんを嫌うことはないから。
だから、感じたままをどうにかして言葉にして欲しい」
拓馬の懇願の言葉に、「怖いって感じた」と麗奈はすぐに言った。
「でも、話したことで落ち着いたけど、
近寄りたいのに近づけないことが悲しい…」
「もっと大人になると変わるかもね。
僕は今のところは誰とも付き合うつもりはないから。
それに、外に出ただけでこの騒ぎだから、
僕は忍者にでもなりたいよ」
その中のひとりでもある麗奈は大いにうなだれた。
「来年、中学だけど、僕は大学にも行くことにしたんだ」
「…え?」と麗奈は言って、『大学』の言葉の理解ができなかった。
拓馬が詳細に説明すると、「…大人の女性にはかなわない…」と麗奈は言ってうなだれた。
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれないね。
今の僕自身に恋愛としては誰にも興味がないから。
大人も子供も、みんな子供に見えるからね。
だけどねこの感情は、
実は僕も子供のままとそれほど変わらないって思った。
もし女性と付き合いたいって思ったら、
一番に声をかけるから」
拓馬の声に、麗奈はすぐに顔を上げて、「…うん、待ってる…」と少し寂しそうな顔をして答えた。
「二番、わたしっ!」などと、背後で拓馬の女子のクラスメートたちが勝手に言って騒ぎ始めると、この場の雰囲気が大いに和んだ。
「…嫌いじゃないの?」と麗奈がつぶやくように言うと、「嫌いな人の名前を上げる方が難しいね、だけど、意地悪な大人が数人いたことには怒ってる」と拓馬は答えた。
「…見てたの…
ほんとに、怖かった…
でも、何かしてくるって気づいてたって思った…」
「相手はプロだよ。
子供も大人も、同じグランドに立って勝負になれば、
過激な意地悪もしてくるもんだよ」
「…はあ… やっぱり、大人ぁー…」と麗奈は言ってうなだれた。
「怪我をしたくないしさせたくないから。
お説教で済んでよかったっていったところだね」
「お説教されちゃったんだっ!」と麗奈は叫んでコロコロと笑った。
今の麗奈はかわいいと拓馬は思ったが、恋愛感情が湧くことはなかった。
よって、拓馬としては少し寂しく思ってしまった。
あまりにも冷静な自分は、これでいいのだろうかと考え始めたが、一方は戦場なので、ひどい方に合わせるべきだと、心に深く刻んだ。
大勢で大騒ぎしてマンションに戻り、エントランスのアーチの中で解散した。
「じゃ、また明日っ!」と麗奈は笑みを浮かべて陽気にあいさつをして、スカートをひるがえして走って行った。
「数日前の僕だったら、絶対に好きになってたね」
拓馬が力説すると、祐樹は苦笑いを浮かべていたが、愛梨の心境は複雑だった。
8
夕食と入浴を済ませた拓馬は異世界に飛んで、小屋が見える前に、数名の人間が道をふさいだので、軽々と飛び越えて、小屋に入った。
「状況の変化があったって思うんだけど、どう?」
拓馬の言葉に、マリーナがすぐさま調べて目を見開いた。
「滞在時間が増えました…
倍になっています!」
「やっぱり、そうだったか…
あっちの世界でも充実した時間を過ごせば、
確実にこっちも有利になるって思ってたんだ。
総合的な時間は?」
「はいっ! 二年と五カ月です!」とサリーナが陽気に答えた。
「じゃ、さらに貯められるわけだ。
おっと…」
火竜が拓馬の体に飛びついてきたので、少し驚いてしまったが、すぐさま火竜を抱き上げて肩に乗せた。
宿木に対して少々大きめだが、居心地は悪くないようで、少し柔らかい腹を拓馬の頭に寄せて大人しく座っている。
「飛ばした森の様子は?」
「兵士が近づいてきましたが、森には入れないようです。
それに火矢を放ちましたが、森に届かないようです。
あの一帯だけが安全地帯になったようです」
マリーナの報告に、拓馬は満足そうにしてうなづいた。
「滞在時間が倍になったけど、まだまだ貯めていくから。
さらに増やしていきたいから、色々と考えるよ」
「はいっ! ゼウスカタナ様っ!」とマリーナとサリーナが陽気に答えた。
拓馬が外に出ると、五人の人間が小屋の前に立っていた。
「マイト、合否は?」
「不合格ですが出て行きません」と正直に報告した。
「戦いたくなければそれでいい。
まだすべてを見ていないが、
ここでは人間はお荷物でしかなさそうだ。
ほら、五秒損した」
拓馬を怒らせてしまったと思ったのか、五人は頭を下げて森を出て行った。
「修練は積んでるそうですけど、
指導をお願いに来たようなものです。
でも、基本性能が僕たちと全然違いますから、
さらに鍛えてもらう必要があります」
クロイツの言葉に、「そういうことだね…」と拓馬はため息交じりに言った。
「勇者は人間なのに、人間が嫌いなのか?」
シャープの言葉に、「そうじゃないよ。クロイツもマイトも、この問いには答えられるはずだ」と拓馬が言うと、シャープは悔しそうな顔をした。
しかしここは拓馬が説明すると、「…俺では、ここで働けないかもしれない…」とシャープは言ってうなだれた。
「ある程度の自信は必要だ。
しかし過度のものを望むことは許されない。
そこには欲があるからだ。
俺が命令しなくても、
この火竜が審判を下すこともあるから心しておけ」
拓馬の言葉に、『ボッ』という音を立てて、火竜が火を吐いた。
シャープは離れていたので実害はないが、これ以上は近づくなという威嚇に似たようなものだった。
シャープは生まれて来て四百年経ったのだが、その生涯の中で一番怯えた。
「人間たちの成長は遅い。
そしてこの地に住む人間の寿命は、
使い物になるのは五〇年ほどだ。
よって、ここに住む長寿の獣人の方が役に立つんだよ。
だがな、その人間の中から、
新たな勇者と同等の者が現れる可能性は捨てきれない。
僕は、そいつを待っていると言っていいね」
「…今までにそんなやつはひとりも…」とシャープは答えてうなだれた。
「その常識を、俺が覆したはずだぞ?」と拓馬は言って踵を返した。
「今日は第一と第二エリアの視察後に前線に立つ」
拓馬の言葉に、マイトとクロイツはすぐさま頭を下げて、第二エリアに向けて走り出した。
拓馬は苦笑いを浮かべて、ふたりを追いかけた。
今日もシャープは追って行ったが、もうすでに砂ぼこりしか見えなかったことに、大いにうなだれた。
第二エリアは、この世界を支えていると言っていいほどの農耕地帯だ。
この地でも、もの拾いは拓馬の仕事になっている。
そして不具合を見つけては、拓馬が直して回った。
この世界で、この第二エリアが最重要拠点でもあるのだ。
もちろん兵士なども詰めていて、人間、獣人、妖精の混成部隊となっている。
『ギャァ ギャァ』と火竜がいきなり鳴き始めた。
「ん? 働くのかい?」と拓馬が言うと、火竜は肩の上で飛び跳ねてから飛び降りて、休耕地の畑に向けてからふわりと浮いたとたんに、『ゴオォ―――ッ!!!』というとんでもない勢いで火を吐いて、地面を黒焦げにした。
火竜は自慢げに胸を張って拓馬を見上げた。
「…焼き畑、か…
これは神通力を大いに含んでいる。
ほら、肩に戻ってこい。
それほど無理をするんじゃない」
拓馬の言葉に、火竜は少しうなだれてから、拓馬の肩に戻ってすやすやと眠り始めた。
使ってしまった神通力の急速充電のようなものだ。
「生命の息吹の感覚…
できれば植物の成長を促すような…」
拓馬は瞳を閉じて森の息吹を感じながら、焼いた農地いっぱいに術を放った。
すると昨日の飛び地の森のように、あれよあれよと成長を始め、様々な作物がいきなり実った。
あまりのことに、農夫たちは腰を抜かすほどに驚いていた。
「まずは毒見な」と拓馬は都合よく言って、舌なめずりをして、生で食べられそうなキュウリのような実をもいでかじった。
「おおっ! うんめぇ―――っ!!」
拓馬が叫ぶと誰もが新しい農地を見入っていた。
「ほら、食べろ食べろっ!」
拓馬が煽ると、誰もが一斉にその言葉に従った。
ここからは、「うまい うまい」の大合唱が始まった。
生物を支える作物は上出来のものができ上がった。
拓馬たちはこのまま第一エリアに移動した。
ここに住むのは妖精たちで、気位の高そうな者が大勢いると、コンピューターのデータは語っていた。
特に術師が多いのだが、今までの勇者に雇われた者はひとりもいない。
その理由が逆で、勇者には目もくれないといったものしかいない。
さらには魔女の力に対応できるので、ほかのエリアを失ったとしても、この第一エリアは消えることはない。
この緊張感がある場面で、クロイツとマイトは、うまい農作物を食べながら走っていた。
「じゃ、俺はここで釣りをしよう」
拓馬は釣り竿と糸を出して、エサとしてキュウリのような実をぶら下げた。
マイトとクロイツは大いに笑い転げた。
拓馬はエサをぶら下げたまま歩いて行くと、「…あのぉー…」と前方で小さな声が聞こえた。
妖精の森は少し薄暗いので、その姿の確認が難しい。
「食べたければ食べればいいさ。
だけど釣り上げられるぞ、俺に」
「…お爺ちゃんが勇者は不良だから、仲間になっちゃいけないって…」という声に、拓馬たちは大いに笑った。
「勇者はな、不良よりも悪い奴だぞ。
それほどじゃないと、この世界は救えない」
「…あー… きっと、そうなんだぁー…」と言って、トンボ程度の虫のようなものが見えたと思ったら、透明の羽を激しく動かしている人間だった。
要するに、オーソドックスな妖精というやつだ。
「これで大物を釣りたいから、王のもとに連れて行ってくれ。
これ、案内賃」
拓馬は言って、小さい黄色いトマトのようなものを妖精に渡した。
「あっ! それまだ食べてないっ!」とクロイツが悔しそうに言うと、「帰りにもらって帰ればいいさ」と拓馬は言って、大いに笑った。
妖精も、「おいしいっ! おいしいっ!」と叫びながら道案内をした。
「うーん… これが魔女の漆黒城…」と拓馬が冗談で言うと、「フェアリーキャッスルですぅー…」と小さな妖精は眉を下げて言った。
見上げるほどの巨大な木の建造物で、辺りが暗いので黒っぽく見える。
「おーい、王様ぁー!
早く来ないと、うまいエサを取られてしまうぞぉー!!」
拓馬の言葉に、マイトもクロイツも大いに笑った。
「…すっごくおいしかった…」と小さな妖精はかなり満足したようで、気持ちはすでに勇者の手下になっていた。
まさに、エサでつられた第一号だ。
すると、声を聴いてなのか、エサのにおいに引き寄せられたのか、様々な姿をした妖精たちが、至る所からわらわらと現れてきた。
「ほらほら!
王様のエサ、とられそうだぞぉー!」
拓馬の声に反応したように、城の跳ね橋が下りて、とんでもない勢いで巨体の何かか走ってきた。
「よう、木偶の棒」と拓馬が言うと、「不味かったら葬ってやるぅー…」とうなるように言うと、「できるものならやってみな」と拓馬は答えた。
「フン!」と鼻を鳴らして、その巨体はエサのキュウリを取って、匂いを嗅いでから、「おー…」と言ってすぐにかじりついた。
「うんお、うんお」と言いながら、あっという間に食べつくした。
「お前、それほど強くなさそうだな。
ただただでかいだけ。
俺の世界のおとぎ話だと、
ドワーフという力持ちってところか…
それに、お前は毒見役。
おまえは王ではない。
おまえは王のエサを盗んだ。
よってこれは、重罪に値する」
拓馬の罪状の読み上げのような言葉に、大男は大いに怯えて振り返って城を見た。
「ドレストル、いいのです!」という女性の声が聞こえた途端、辺りが明るくなって、すべてを確認できた。
まさにここはパラダイスだった。
高い木に阻まれているが、木々は青々と茂っていて、色とりどりの花々が咲き乱れている。
「暗かったから花を踏んでしまうところだった」
拓馬は言って、一歩右に寄った。
「やさしいお方…
私はあなたを待っていたと確信しています」
女王は人間サイズの羽を持った妖精だった。
美人だが、普通の人間とは違って作りものっぽい感じがある。
拓馬は大いに疑いの目で見ていた。
「あのさ、強い人をひとり貸してもらいたかったんだけど、
この子でいいよ」
拓馬は言って、初めて出会った小さな妖精に指を差した。
「…ただの私の下僕ですが…」と女王は眉を下げて言った。
「それは、教え方と鍛え方が悪いだけだよ。
この子はもうすでに変わってる」
「あ、倍増してた…」と小さな妖精が言うと、誰もがそれを認めていて目を見開いた。
「俺はこういった楽しい仲間を探しているんだ。
そしてそいつたちがこの世界を平和に導くんだ。
勇者ひとりでは、それほど何もできないものなんだよ。
ちなみになぜ今まであんたは勇者に協力しなかったんだ?
あんたが出張れば、魔女なんて簡単に葬れるだろ?」
拓馬の言葉に、女王は大いに考え込んだ。
「ふーん、魔女と知り合いで、敵対してるわけじゃない。
この第一エリアが必ず残ることにも意味がある。
なくなったが最後、この世界は崩壊する。
といったところだね。
よってあんたも魔女の仲間だ」
拓馬の言葉に、女王は悲しそうな顔をした。
「…魔女を… 倒したいのですか?」と女王は言葉を絞り出すように言った。
「俺はその先を考えたんだ。
もし魔女を倒したら平和になるけど、
第二の魔女が現れるんじゃないかと。
その第一候補があんた」
拓馬の言葉に、女王は目を見開いた。
「すべてが平和などありえない。
小さな悪があってこそ、
それを反面教師にして世界は平和を保てるんだ。
無菌状態では何も生めなくなるだろ?
さらには人は怠惰になる。
そうなると、半数ほどは退屈なので、
様々な争いを始めるぞ。
そして強い者は自分が戦わずに弱い者たちを戦わせる。
まあこれは一例だが、
それなりに力があって、
多少のわがままを言ってくるヤツがいることが一番平和なんだよ。
その先を見ても、何とか普通に長い時間の平和を保てるはずなんだ。
どうだい?
そう思わないかい?」
「ですが…
私が納得したとしても、
大勢の者たちは魔女を倒すことだけを生きがいのようにしているのです…」
「そんなもの簡単だ。
本当の敵は今までに培われてきたその復讐心」
「…えっ?」と女王は言って、大いに戸惑った。
「それが魔女の本当の正体だ。
だから魔女を倒しても、復讐は終わらない。
きっとな、今まで温厚だった者が暴れ始めるか、
呆けるな。
そいつらは生きがいを失くすんだ。
生物は、ある程度は厄介なものがあった方がいいんだよ。
だが、復讐心だけは別だ。
許せないが、何とか共存してやる、
って程度にできるだけ抑えてもらいたいんだ。
長い平和はこうやって得ることが重要だ。
では、勇者の意味はなんだ?
今の俺の考えとしては、魔女と共存することにある。
俺が勇者として、ある程度は魔女を押さえつける。
だからあんたは、
復讐心を持つ者たちを諫める役を受け持ってもらいたいんだ。
普通のヤツにはできないことだ。
どうだい?」
「…やはり、あなたは私が待っていた方でした…
…この世界が、さらに繁栄いたしますように…」
すると、拓馬にマリーンから通信が入り、『滞在時間が無制限に変わりました!』と喜びの声を上げた。
「ああ、わかった、ありがとう」と拓馬は笑みを浮かべて答えた。
「勇者の滞在時間が青天井に変わった。
俺はずっとこの世界で生きられる」
拓馬が語ると、マイトとクロイツは男泣きに泣いた。
「だがな、よく考えてくれ。
俺はこの世界で生まれたわけじゃない。
これは、魔女の罠のようなものだ。
俺をここに縛り付けようとする、な」
拓馬の言葉に、女王は激しく首を横に振って、「違います! 違います!」と大いに否定した。
「あんたが違うと言っても俺がそう感じた。
マイト、クロイツ。
お前らはどう思う?」
ふたりはすぐに拓馬に頭を下げてから、まずはクロイツが顔を上げた。
「魔女の罠だって思ってもいいほどだよ。
僕たちの一番望んでいたことが簡単に叶っちゃった。
だけど、ゼウスカタナ様はあちらの世界でも生活する必要があるんだ。
順当に考えて、あちらの世界をどうにかしようって、
誰かが考えているのかも…
それこそが本当の魔女」
「そう、俺も同じ意見だ。
しかもだな…
俺がこっちに来ると、あっちの時間が止まってるんだ。
これはありえないことなんだ。
俺が消えた瞬間に時間が止まり、現れると動き出す。
これは俺から見ての話だが。
では、今、あっちの世界は時が止まっているのだろうか。
いや、止まってない。
俺は、あっちの世界に戻る時、時を巻き戻しているはずだ。
そして俺がいる新たな時を刻む。
森のシステムは、誰が創ったか知ってるか?」
クロイツとマイトは目を見開いた。
「俺の予想ではな、魔女だと思ってる。
この世界の創造主は魔女のはずだ。
それはどうしてだかわかるよな?
こっちの世界は不自由だから、あっちに移住したいんだよ。
これも魔女の意思だ。
できれば俺は、こっちとあっちを行き来して、
いろんなものを守る必要があるんだ。
そして魔女はどこから来たのか…
俺の予想では、この世界にたったひとりで生まれた
寂しい人なんだと感じたね。
それがこっちの世界のはずだ。
そしてあんたは非常にまずいことをやった。
俺がずっとこっちにいられる権利を与えた。
よって魔女も、条件は同じになったはずなんだよ。
だから、さっさと元に戻しやがれっ!!」
女王は大いに泣いて、勇者の拘束時間を一時間に戻した。
「うかつなお前は妖精の王の資格ねえな。
もうやめっちまえ」
拓馬は言いたいことを言って森を出た。
「勇者様ぁー、あまり怒ると、お腹が減るよ?」
小さな妖精が言うと、拓馬は大いに笑った。
「あ、君の名前は?」
「ボク、キノコっていうんだ!」
拓馬は少し笑いそうになったが、ここはなんとか堪ええた。
「そうか、キノコ、よろしくな」
拓馬は今日も前線を数キロ前進させ、昨日と同じように20分だけ異世界で過ごして、元の世界に戻った。
拓馬はすぐに時計を見た。
「…やっぱりか…」と拓馬は確信した。
用心のために、異空間に行く前の時間のメモを始めたのだ。
今日に限って、3分間時間経過があった。
よって、妖精王の力はまさに絶大で、魔女の半身と言ってもいいほどだった。
「ここで、訪問者が現れないかなぁー…」
拓馬は言って、この辺りに存在する、すべての人間のサーチをした。
すると、いた。
このマンション棟に何の用事があるのだろうかと思って、その人物をずっと追っていた。
すると踵を返して大通りに出た。
拓馬はすぐさま部屋の窓から飛び出して、このマンションの屋上に昇って、その人物の魂を追った。
その人物は足早に小学校に入って行った
拓馬はまだ追っている。
「…職員室…
窓際…
右から二番目…」
その席に、その人物は座ったのだ。
拓馬はそこに座るべき人物を知っていた。
しかしまだ探っている。
ここからだと距離があるので、はっきりとはわからない。
できれば今はまだ相対したくはない。
感情に撒かれる行動をとりたくないからだ。
ここは冷静にすべてを見ておくべきだと拓馬は強く思っていた。
案の定、魂の入れ替えがあった。
何か理由をつけて、別の席に座っていたはずだ。
追っていた魂は別の部屋に入った。
その部屋に入る者は限られていて、校長室の隣にある。
そして、窓際の席に座ったので、誰だったのかはすぐさま理解できた。
拓馬はサイコキネッシスを使ってスマートフォンを操って、屋上に運んだ。
そして、担任教師の永田恵美に電話をした。
拓馬は挨拶をしてから、「先生の席に誰かが座っていましたよね?」と聞くと、『ええ、教頭先生が… って、どうして知ってるのっ?!』と叫んだ。
「僕の特殊能力です。
教頭先生は学校の先生たちの中で一番怖い先生です。
それに、すっごい美人だし」
『…教頭先生に興味があるのね…』と恵美が少し寂しそうに答えた。
「この件は絶対に内緒です。
先生が消されますから。
余計な詮索は無用です。
協力も必要ありません。
幸せな生活を送りたいのであれば、
この電話の件は忘れてください。
そしてすぐに、着信履歴も消してください。
いいですね、先生」
『…はい、言われた通りにするわ…』
拓馬は声による催眠効果で恵美を操った。
術が切れるのは、着信履歴を消した後だ。
拓馬は電話を切った。
そして術のエコーを探った。
恵美は拓馬の言葉通りにしてからエコーが切れたので、拓馬は笑みを浮かべていた。
―― 教頭の千田瑠璃子だった… おばさん… ――
千田瑠璃子は、愛梨の姉だ。
苗字が違うので、新興住宅街のここではそれほど知られていない。
よって、妖精王が誰なのかは自動的に理解できた。
作りものの顔の下がはっきりと見えていた。
―― ほかにもいるはずだ… エリアの長の連中… ――
まずは事務職のようなことが先だと思い、今夜のエキシビジョンは重点的にその調査をすることに決めた。
9
拓馬は屋上から術を使って辺りを見回して、誰もいない場所を見つけて素早く飛んで地面に足をつけた。
「…え?」という声が聞こえたので、―― やっべっ!! ―― と拓馬は思って、音を立てずに走って、マンションの角を曲がった。
ここには窓がないので誰かに見られることはない。
―― 窓を外して飛ぶべきだった ――
拓馬は大いに反省してから、家に戻った。
拓馬が玄関から入ってくると、愛梨が目を見開いて驚いていた。
「ちょっと散歩」と拓馬は言って、リビングのソファーに座った。
「学校の先生の日曜出勤っていうのも大変だね。
明日は普通に授業があるのに」
拓馬の言葉に、愛梨はいろんな意味で戸惑っている。
「市の職員を出している学校もあるけどな。
お前の小学校は、なぜだかそれを拒んでいるんだ。
と、校長の西村のヤツがぼやいていた」
まさにおかしな話で、すべての権限は校長が握っているはずだがそうなっていない。
ナンバーツーの教頭の千田瑠璃子が握っているというわけだ。
そのからくりは簡単で、教頭の瑠璃子は、この町を牛耳っていると言っていい存在だからだ。
この町の大きな存在はふたりいて、拓馬の祖父の十郷祐樹と拓馬の叔母の千田瑠璃子だ。
瑠璃子はこの地の市長も兼任している変わり者だ。
まさに魔王であり、魔女の資質は十分だった。
「おばさん、ここに来ようとしてたんだ。
知ってた?」
拓馬の言葉に、祐樹も愛梨も凍り付いた。
「僕はなんでもお見通しだよ、お母さん」
愛梨は力を失くした操り人形のように、床に座り込んだ。
「…そうか… 瑠璃子君の方だったのか…」と祐樹は悔しそうにうなりながら言った。
「妖精王に会った?
あの、仮面をかぶったような人」
「ああ、やっと理解できた」と祐樹は言って、愛梨を見た。
「お父さんは生きている。
あ、体ってどうなったの?」
「なかったぞ。
どっちにも存在してないから、戸籍上は生きたままだ」
「妖精王が隠したんだね。
それほどの力があるんだよ。
まさに魔女と何ら変わんないから。
そして魔女はここに来て何かしようと企んだけど、
僕が阻止した。
もう動き始めたから、
この家ではどっちの世界の話もするからね」
祐樹は納得して小さく何度もうなづいた。
「…健ちゃん、どこにいるの?」と泣きぬれた顔を拓馬に向けた。
「もちろん、お父さんと一緒に戦ってるさ。
だから心配はいらないから」
拓馬のやさしい言葉に、愛梨はようやく笑みを浮かべた。
「敵に教えるわけにはいかない…」と祐樹が言うと、「だからお爺ちゃんは失敗したんだよ」と拓馬が言うと、「…おまえ…」と祐樹は言って拓馬をにらんだ。
「復讐心は何も生まない。
それは全てを魔王に変えるんだ。
だから僕は、どんな時にでも冷静でありたいから、
十分な下調べをしてから魔女と対決するよ。
あ、妖精をひとり雇ったから」
拓馬の言葉に、祐樹はさらに拓馬をにらみつけたが、「…簡単に超えられたか…」と苦笑いを浮かべて言った。
「あ、そうだ。
きっとお爺ちゃんに接点があると思うんだけど、
鷹の人のシャープ」
「おまえ…
あんな奴を雇ったのかっ?!」
祐樹は言ってから、全く冷静ではなかったと思い、「…すまん…」と言ってうなだれた。
「まだ雇ってないけど修行を積ませてるんだ。
かなり強欲だよね。
だから雇ってなくて様子を見てるとこ」
「…ああ、納得だ…」と祐樹は言って、拓馬の意見に賛成した。
「確認は僕だけじゃなく火竜もやってくれるから楽でいいよ。
あ、名前をつけなきゃ…」
「実働隊は、マイト、クロイツ、火竜、と妖精か?」
「妖精の名前はキノコだって」
祐樹は目を見開いて、「妖精王の側近長じゃないかっ?!」と大いに驚いて叫んだ。
「あ、そうだったんだ。
それなりに力があると思ったら、やっぱりね…
仕事が退屈だったから、自分から抜けたんだろうねきっと…
でもね、妖精王は下僕って言ったよ」
「…信じて仲間にしないって思ってた…」と愛梨がつぶやくように言った。
「エサで釣れたって思ったけど、まあ、両方だったんだろうね。
あ、妖精王にもうまい作物を届けさせるから」
「…うー… 食べたかったぁー…」と愛梨は悔しそうに言った。
「いや、うまいって…
まあ確かにそれなり以上だが…」
祐樹は何とか荒れ狂う感情を抑え込んで言った。
「火竜の火で焼いた畑で採れたものだよ。
かすかに神通力がかかっている土で、
あとは僕が術で作物を成長させた。
きっと前線でも役に立っていると思う。
食べ物は確実に重要だから。
だからこそ、今回は人間にも効果があるって期待したいんだ」
「…今の世界をのぞき見たいよ…」と祐樹は肩を落として言った。
「じゃあ、今日の僕の記憶のダイジェスト…」
「やめてっ!!」と愛梨が叫んだので、拓馬はここは素直に引き下がることにした。
拓馬の母親としては恥ずかしい面もあったのだろう。
「俺だけ見ていいか?」と祐樹が愛梨に聞くと、「ダメッ!」と子供に叱るように言った。
「残念だね、披露できない。
じゃ、俺の仲間だけ」
拓馬は言って、クロイツたちの映像を宙に浮かべた。
「…クロイツもマイトも別人じゃないか…」と祐樹は嘆くように言ってから、大いに肩を落とした。
「ウサギの双子の、
サリーナとマリーナがかわいいんだよねぇー…
頼りになるし。
ナビゲーターとしては最高の存在だよ」
「となると、あと四人しか雇えないだろ?」
「そうだね。
だけどね、きっと光明はまたあるよ。
滞在時間が増えるほどだから、
雇える枠も増えると思う。
これは、仲間との結束にあると思うんだ」
拓馬の言葉に、祐樹はうなだれながらも大いに認めた。
「しつこい人間が五人もいてね、
お爺ちゃんが雇ってた人たち」
「…使えなくて申し訳ない…」と祐樹はさらに落ち込んだ。
「そっちの方面も広げることにしたよ。
じゃ、おやすみ」
拓馬は言ってソファーを立って、自室に戻った。
そしてすぐに気づいた。
窓は開けっぱなしだったのだが今は締まっている。
愛梨が部屋を探りまくったんだろうと思って、パジャマに着替えてからベッドに入った。
「…おやすみ、お父さん…」と拓馬は言って、右手のリストバンドに触れた。
拓馬はまたエキシビジョンに出た。
しかし今回はその前に夢を見た。
だがそれは現実と言ってもいい夢だった。
その夢に、拓馬の父である健太郎が出てきたのだ。
久しぶりの再会に、拓馬は子供に戻って大いに泣いた。
健太郎は困ってしまっていたが、健太郎が知っている事実をすべて拓馬に語った。
拓馬はすべてを理解して、『今度は現実世界で会うよ!』と元気よく言って、健太郎を見上げた。
この夢では拓馬は12才の子供に戻っていた。
『ああ、拓馬の思い通りにやってごらん。
それが一番いい道だと、お父さんは思っているから』
その直後に、拓馬は森に立っていたのだ。
すると性懲りもなく、人間五人が拓馬の前に立っていた。
拓馬は今日は走らずに、小屋に向かってずんずんと歩いた。
一番屈強な者が、拓馬を押さえつけたが、拓馬の歩みは止まらない。
しかも拓馬に触れられない。
拓馬は結界を張っていたのだ。
「おまえら! 勇者の邪魔をするなっ!!」とシャープが叫んだ。
「部外者は黙ってろ!
おまえは請われても仲間にならなかったではないかっ!!」
「今はそんなことは関係ない!
勇者の邪魔をするな!」
「ああ、俺もシャープの意見に賛成だ。
おまえらは目障りだ」
拓馬の言葉に、五人の人間たちはわなわなと震えた。
「仕事がしたけりゃくれてやる。
見込みのない人間をここに連れてこい。
お前らに思い知らせてやろう」
拓馬の言葉に、「おう!」と五人は勢いよく答えて、一斉に走り出した。
「おっせぇー…」と拓馬は言ってから結界を解いた。
「見込みのない人間…」とシャープは言って苦笑いを浮かべた。
「きっと、掘り出し物があるはずだよ。
あ、そうだ。
シャープに頼みがあるんだ」
拓馬の言葉に、シャープは大いに喜んだ。
第二エリアのうまい食べ物を妖精王に届ける仕事で、ただのお使いだったが、シャープは大いに喜んで引き受けて、すぐさま飛んで行った。
「妖精の森に入れたら合格だけど、
まあ、うまい食材に釣られて案内を受けるだろうなぁー…」
「あはは! 絶対にそうなるよ!」とキノコが言って、拓馬の肩に座った。
すると火竜も対抗して、拓馬の肩にとまって、『ギャア』と短く鳴いた。
「ああ、ただいま」と拓馬は言って、火竜の頭をやさしくなでた。
「…おかえりって言ったんだぁー…」とキノコは目をぱちくりとして火竜を見入った。
「歓迎の感情。
だからこの場合、おかえりが順当だな」
「…あー… それしかないね…
納得したよぉー…」
拓馬はマイトたちに挨拶をしてから小屋に入って、第二エリアの長に、シャープに妖精王に献上する作物を渡すように連絡した。
通信が来たことで、エリア長は大いに喜んで、『あ、来ました!』と言って、シャープの飛んでいる姿が見えた。
「じゃ、頼んだよ」
『はっ! お任せをっ!』
拓馬は言って考え込んだ。
「エリア長って、みんなずっとこの世界にいるか探っておいて欲しい。
今までのログの探査も頼む」
「はいっ! 了解しました!」とマリーナが軽快に答えた。
「サリーナ、第5エリアの状況を出してくれ」
「はいっ! ゼウスカタナ様っ!」とサリーナも陽気に答えて、すぐにその映像が出た。
「馬車に乗せて、獣人たちに引っ張らせてここに来る…
ということは、
ここで大いに鍛えてもらわなきゃいけないなぁー…」
「隠してる子、いるよ?」というキノコの言葉に、源はひとりの少女を見た。
「あ、俺の好み。
ここでも結婚しようかなぁー…」
拓馬は言って大いに照れくさそうに笑った。
「年の頃なら、15才ってところだね。
マリーナ、彼女のプロフィール出せる?」
マリーナは答えずに、少し不貞腐れて映像を出した。
「サリーナもマリーナも俺の嫁候補だぞ」
この言葉だけで、ふたりはてきぱきと働き始めた。
「…あー、おだててない…
本気で言ったんだぁー…」
「そんなもの当然だ!
みんなが仲良くしてくれるのなら、
ふたりとも嫁に欲しいところだ。
おっと、仕事仕事…」
少女の名前は、マーガレット・ケインで、三代前の勇者にその祖父が仕えていた。
しかしケイン家ではそのあとは勇者に雇われることはなく、目立った功績を上げていない。
マーガレットの父がかろうじて前線の中隊長をしている程度だ。
「できれば、俺を驚かせてほしいものだ。
ま、肩の筋肉を見る限り、剣士であることは間違いなさそうだ。
よって、それなり以上に走る能力は高いはず。
無理にとは言わないが、
マリーナとサリーナも多少は鍛えておけよ」
「はいっ! ゼウスカタナ様っ!」とふたりは今までで一番いい声で答えたが、同じ声なので聞き分けは難しかった。
人間の到着が少々時間がかかりそうだったので、前線の森にトンネルを開通させた。
トンネルと言ってもただの扉で、拓馬は仲間たちとともに、前線の前に出た。
「森は攻撃は受けないが、攻撃はできる…
これは妙だな…
確実にデメリットがあると思うんだけど…
あ、この森からは攻撃はできない、か…
だったら納得だな。
移動時間の短縮と言っていい。
だから、俺は攻撃できない」
「あはは、そうなりますね…」とクロイツは言って苦笑いを浮かべた。
「だから、エキシビジョンでは仲間に頼るしかないんだ。
あと五分、怪我をしない程度で戦ってきて欲しい」
拓馬の言葉に、マイトとクロイツが一気に駆けだした。
「あ、僕も…
それほど役に立たないかもしれないけど…」
キノコが言ってふわりと宙に浮いて消えた。
『ギャアギャア!』と火竜が大いに騒ぎ始めたので、「ひと回りしてちょっとだけ戦って来いよ」と拓馬が言うと、『ガア!』と鳴いてから、力強く飛んだ。
すると、目の前にある小さく見える砦が崩壊した。
「おっ! キノコだな…」と拓馬は言って、にやりと笑った。
そして逃げる兵たちに、火竜の炎が襲いかかって、すべてを黒焦げにした。
マイトとクロイツは見えないが、また別の砦を襲っているようだ。
そして火竜がその近くで、何度も短く炎を吐いている。
マイトとクロイツの援護をしているようだ。
―― ああ、いい雰囲気だ… ――
ほどなくして、『…ガラガラ…』という音が遠くから聞こえた。
「マリーナ、砦の前進指示!」『はいっ! 了解っ!』
すると一斉に砦と壁の移動が始まった。
しかしまだ、この森までは移動できないようで、あと一度の攻撃で、この森は使えなくなるかもしれないが、利用方法はある。
それはエキシビジョンではなく、本番モードでこの森を広げることにある。
そしてそのエネルギーを使って、また森を飛ばす。
こうすれば、容易に前進することは可能だ。
ほどなく、戦いに出ていた四人が戻ってきた。
拓馬は大いに労ってから、本陣の森に戻った。
本陣に戻ると、丁度人間たちがやってきた。
距離としては五〇キロほどあるので、なかなかの重労働だ。
しかし人間では、一日二日で超人的な成長は望めない。
すると真っ先に、拓馬がマークしていたマーガレット・ケインが颯爽たる姿でまっすぐに拓馬に近づいてきた。
人間の監視者たちが止めようとしたが、拓馬はサイコキネッシスを使って邪魔をさせなかった。
「先日、第五エリアを訪ねた時は、いなかったと思うんだけど?」
拓馬の言葉に、マーガレットの歩みが止まった。
そして悔しそうな顔をしたが、すぐに眉を下げて、「…修行に行ってて大失敗でしたぁー…」と言ってうなだれた。
「いや、いいんだ。
このタイミングが重要だったはずだ。
マーガレットのおこぼれを授かって、
雇われる者がいるかもしれないからね」
「…あー、それはぁー…」と言って、マーガレットは振り返って人間仲間たちを見たが、大いに眉が下がっていた。
「さて、俺でも判断できない時は、お前に任せよう」と拓馬は言って、火竜の脇腹を軽く叩いた。
火竜は大いに喜んで、八才程度の子供に向かって真っすぐに飛んで、首根っこを押さえて飛んで戻ってきた。
男の子は大いに怯えていた。
「あ、火竜のエサじゃないぞ」と拓馬は言って、少年を抱き上げた。
「なるほど、合格。
大いに平和の心を持っている。
どうだ、キノコ」
「あははっ! いいねいいね!」とキノコは陽気に言って、拓馬の言葉に賛成した。
「…えー…」とあまりのことに、マーガレットは大いに嘆いた。
「マーガレットのように、
隠れて何かをしていたと思うんだけどな。
どうだ、少年」
「…あー… やっちゃっても怒らない?」と少年が聞いてきたので、拓馬は少年を地面に降ろして、サイコキネッシスを使って森に散らばっている小石などを集めて並べてから積み上げた。
強度はないが、少々重いピラミッドになっている。
「あれに向けてやってくれていいぞ」
「うん!」と少年は陽気に答えて、「ダァーン!!!」と叫んだと同時に、石が勢いよく後方に吹っ飛んだ。
「おー…」と拓馬は感動したように言って拍手をした。
「今のができるやつ!」と拓馬が叫ぶと、人間たちは一斉にうなだれた。
「体術と神通力のコラボレーションの様だったな…
ほかに、危険じゃないことできないかな?」
「うんっ! できるよっ!」といったとたんに、少年の背丈は三倍になって、拓馬の身長を超えたいた。
「おー… 大いに使えるね。
はい、採用決定!」
少年の術に、誰もがあっけにとられていた。
「名前を聞かせて欲しい」
「ケン・ライト」と少年は姿を元に戻して恥ずかしそうに答えた。
「いろんな方法で俺が質問をするから。
それに答えるように試してほしい。
きっと辛いけど、頑張って欲しいんだ」
「うんっ! 頑張るっ!」とケンは笑みを浮かべて元気よく答えた。
「…私、剣術だけ…」とマーガレットは言ってうなだれた。
「あ、俺の嫁候補っていうのもあるんだけど、どう?」
「さらに磨きをかけてやるっ!!」とマーガレットは大いに気合を入れて胸を張った。
「…はは、すっごくうまいって思った…」とキノコが小さな声で言った。
「決して冗談でこんなことは言わない。
だけど、決めたわけじゃない。
あくまでも候補、だからな」
「候補で十分っ!!」とマーガレットは雄々しく叫んだ。
「さあ、その答えはどうなんだろうね。
俺としては不合格、だな…
その理由をクロイツ」
「はっ!
欲がないことは認めますが、現状に甘えることはどうかと。
もう少し自信を持たないと、魅力が半減するものと」
拓馬は何度もうなづいて、「そういうこと」と言った。
「…ああ、とっても難しいぃー…」とマーガレットは言って、頭を抱え込んだ。
「…面白い子だな…」と拓馬は言って少し笑った。
拓馬は小屋に入って、「手下の採用枠の確認」というと、「あっ!」とマリーナが声を上げてから、「11名になっています!」と陽気な声で言った。
「勇者を交えず4人で仲良く戦ったことが功を奏したようだね。
見事な連携だと思ったからね。
となるとあとひとりは採用できるわけだ」
「あ、はい…
ダイクとチーズも仲間になっていましたぁー…」
「マイトが合格を出した時点で採用だよ。
もちろん、俺もきちんと確認したし。
あとは、シャープ次第だな。
まだ少々微妙だ…」
その頃シャープは難なくお使いを終えて、本陣の森に戻ってきた。
そして大勢の人間たちに目を見張っている。
「やあ、おかえり。
お疲れ様」
拓馬の出迎えに、シャープはすぐさま頭を下げた。
「これは… 一体…」とシャープは言って、人間たちを見入っていた。
「入隊試験。
そしてふたり合格」
シャープは大いに焦った。
そして採用者を素早く見入った。
「くっ! マーガレットッ!!」とシャープが叫んだ。
「私はこの日を待っていたの」とマーガレットはすました顔で言った。
そして今度はケンをにらみつけると、「おまえ、命が惜しくないのか?」と拓馬が言った。
「…なっ! こんなガキに何ができるというのだっ?!」とシャープはケンに指を差して怒鳴った。
「おまえも不合格。
ここから出て行け」
拓馬の言葉に、シャープはわなわなと震えて、またケンを見入った。
するとケンが、「ボンッ!」と叫んだだけで、シャープは20メートルほど飛ばされて、転がりまくって止まった。
「おっ! きちんと手加減できたな、偉いぞっ!」と拓馬は言って、ケンの頭を乱暴になでた。
ケンは大いにはにかんだ笑みを浮かべて、拓馬を見上げた。
「少々でかいやつでも、足止めはできる。
何でもかんでも倒せばいいってわけじゃない。
おまえは400年も生きて来て、何を見てきたんだ?」
シャープは悔しがる気力もなかった。
そして翼を広げて、第6エリアに向かって飛んで行った。
「マーガレットも第6エリアで修行してたの?」
拓馬の言葉に、「今はそれほどいないけどね…」と少しため息交じりに言った。
「これからは増えるさ」
拓馬の言葉に、マーガレットは笑みを浮かべて返した。
拓馬は人間たちに労いの言葉をかけて第三エリアに帰るように告げた。
身近に達人がふたりもいたことに気付けないかった者たちは大いにうなだれてて、足を重そうにして荷車を押して行った。
「あ、また忘れるところだった」と言って、拓馬は火竜の頭をなでた。
「お前の名前はキャサリン」
拓馬の言葉を聞いて、火竜は固まった。
そして、幼児が肩の上に座っていた。
「…わたし、キャサリン…」と言ってすぐに口をふさいでから、今度は自分の両手を見た。
「はは、便利になった」と拓馬は言って、キャサリンを肩から降ろして抱きしめた。
「やっぱり女の子だった。
瞳がかわいいって思っていたからな」
キャサリンはまだぼう然としていたが、「お父さん、うれし!」と陽気に言って、拓馬を抱きしめた。
「結婚もしてないのにお父さんになったな…
まあ、これで、
俺の妻はキャサリンが気に入らないとなれないな」
「お姉ちゃんたち、すっごく優しいよ?」とキャサリンが小首をかしげて言うと、「なんてかわいいんだっ!」と拓馬は言って、キャサリンを抱きしめてからすぐに冷静になった。
「だけど、俺が別の人を嫁にすると言ったとたん、
機嫌が悪くなったぞ。
好きな人の幸せは、
無条件に祝福するべきだと思うけどな。
どう思う?」
「…うーん… 難しいぃー…」とキャサリンは言ったが、「それが平和だよね」とキャサリンの代わりにキノコが答えた。
「あー… 争わなくて、
おめでとうって言うんだぁー…
選ばれなくて悲しいけど…」
「だからこそ、誰もが納得するほどに強くなって欲しいわけだ。
だけどその強さは、力や戦場での戦いだけじゃない。
揺るがない、魂の強さだ。
ま、簡単に言えば、
俺が命令しなくても俺の指示と同じ動きができるヤツ。
簡単に言ったけど、簡単じゃないぞ」
「…そんなのできないぃー…」とマーガレットは言ってまた頭を抱え込んだ。
「以心伝心。
特に今のようなエキシビジョンでは、
ボクたちが戦わなきゃいけない。
だから、ゼウスカタナ様のパートナーじゃなきゃいけない。
だったら、ボクも、お嫁さんにして欲しいなぁー…」
キノコは言って、拓馬を見入った。
拓馬は大いに苦笑いを浮かべて、「男の子じゃないの?」と聞くと、「…あはははは… 妖精ってみんな女の子だよぉー…」と恥ずかしそうに言ってから、小さな妖精は少女の姿に変わった。
「…うう、まさかだったぁー…」と拓馬は大いに嘆いた。
そして、「…その変身って、キノコが考えたの?」と拓馬が聞くと、「人間の郷には、この姿で行ってたよ」と言って、コケティッシュに笑った。
「またお姉ちゃんができた!」とキャサリンが叫んで、キノコに抱きついた。
「あー、よかったぁー…」とキノコは心の底から喜んでいた。
拓馬はこの笑みも知っていた。
「あ、やんなくていいけど、もちろん大人の姿にもなれるんだよね?」
「あ、うん! 問題ないよ!」とキノコは笑みを浮かべて言った。
「こりゃ参った…
能力的には、キノコが一番だな…」
拓馬は嘆くように言うと、マーガレットは大いにうなだれた。
「だけどだ。
最重要の根本的な質問がある。
あ、答えなくていいぞ。
質問をしてから、答えも言うから。
これは俺の仲間全員参加だ」
拓馬の言葉に、誰もが真剣な顔をした。
拓馬は緊張をほぐすように笑みを浮かべた。
「猛烈な避けられない敵からの攻撃を俺が受けかけた時、
どういった行動に出る?」
ほとんどの者が困惑した顔をして眉を下げたが、キノコだけが自信満々の顔をしていた。
「正解は、俺を助けるな、だ」
ここでは全員がさらに困惑気な顔をしたがキノコはそれに輪をかけて驚愕の顔をしていた。
「俺も今言ったことを守るだろう。
もし、助けられて俺が助かったとしても、
俺のせいで仲間を奪われた悲しみは消えない。
そして自分の力のなさを大いに呪うだろう。
そこから俺は立ち直れないと思う。
この世界では勇者が一番重要なのはわかっている。
しかし、その勇者はただただ弱かっただけだ。
お前たちは生き残り、次に沸いた勇者を助けろ。
これが俺の意志だ」
拓馬の解答に、マイトとクロイツはすぐさま姿勢を正して頭を下げた。
「では、逆の場合。
お前たちの誰かが窮地に立たされ、
俺がかばって命を落とした。
お前たち、そのあと戦う気力が沸くか?
自分のせいで誰かが死んだ。
その想いだけをずっと引きずって生きていくことになる。
そんな精神状態で戦っていけるのか?
きっと俺には難しいことだと思う。
だからこそ、そうならないために、
常に冷静で慎重でいろ。
戦場でも、どこにいても、気を抜くな。
その災いはどこに潜んでいるのかわからない事態になることもある。
これは、ここにいる全員に言えることだ。
特に、マリーナとサリーナは、今まで以上に注視してほしい。
不幸を生まない最善の道を常に探っていて欲しい。
みんな、よろしくな」
「はいっ! ゼウスカタナ様っ!!」
ここにいる11人の心がひとつになった瞬間だった。
マリーナがすぐに変化に気付いて、「採用枠が15名になりました!」と笑みを浮かべて叫んだ。
「よっしっ! 上出来だっ!」と拓馬は大いに喜んで叫んだ。
「…ゼウスカタナ様、すっごぉーいぃー…」とキノコは言って、涙を流した。
キノコ以外の者たちは大いに迷っていたが、キノコだけが盾になると、強く思っていたのだ。
極端な例だが、身を盾にするなという、拓馬の意思だと、誰もが正確に思い知っていた。
10
「…あー、キノコと麗奈ちゃん、どっちにしよ…」
拓馬は起きて早々につぶやいた。
特に恋心が湧いたわけではないのだが、幼稚園児の初恋のような淡い思いが湧いていた。
同じような顔に似たようなしぐさは偶然にしてもできすぎていた。
しかし、洗面所で顔を洗った時に現実に戻っていた。
鏡の中にいる拓馬は大人でしかないので、簡単に醒めてしまったのだ。
そしてまた身長が伸びていたので、違和感がないところまで縮めたのだが、いつもと結果が違った。
身長を縮めると顔が幼くなったのだ。
これ幸いと、拓馬は一番小さくすると、幼稚園児まで戻ってしまって、その姿は鏡から消えた。
―― あ、これでいいか… ―― と拓馬は思って、下着と服を造って着替えた。
拓馬はキッチンに行って、「おはよう!」とあいさつをすると、祐樹も愛梨も固まった。
「…退化した…」と祐樹が言うと、「術のスキルが上がったんだ」と拓馬は陽気に言って、椅子に昇るようにして座った。
「言い寄られることは減ったな」
「うん、それが狙いだよ。
見た目と言葉遣いは姿のままだけど、
思考は大人だから。
それにこれだと、
教室の席を代わってもらわなくてもいいからちょうどよかった」
拓馬は一番前の席なので、高身長だと後ろの生徒が黒板を見ることが困難になるからだ。
「…ああ… 入学式の日を思い出したわ…」
愛梨は大いに感動しながら拓馬を見送った。
拓馬は軽い運動として、ジョギング気分で通学路を走った。
知った顔が多いのだが、全員が下級生だと思って拓馬を見ないことを愉快に感じていた。
そして誰もがここで気づいた。
高学年と低学年では、教室棟が違うのだ。
小さすぎることが目立つので、注目されて名札を見る。
もちろんそこには、『十郷拓馬』と書かれているので一目瞭然だ。
拓馬は今日は男子に囲まれて教室に入った。
そして話題は、拓馬が来年は中学と大学に行くことでもちきりになった。
その仕組みがよくわからないので拓馬は丁寧に説明した。
「…あー… 飛び級って聞いたことあるね。
外国では、9才で大学に行っている天才少年もいるってニュースで観たよ」
「その子、大丈夫かなぁーって僕は思う。
同じ年齢の子と学校に行かなかったことを後で悔やむって思う。
今この時は、今しか体験できないんだから。
だから僕は両方行くことにしたんだよ。
お爺ちゃんの大学は夜もやってるから、
塾に行くよりは数倍勉強になるって言ってたから」
拓馬のこの言葉に、男子たちは大いに賛同していた。
学習塾の代わりに大学に行くだけなので、それほど突拍子なことでもないと思い始めた。
女子たちもいるのだが、まだ拓馬が幼児化していること気づいていない。
男子が立って拓馬を囲んでいるので、その姿が見えないのだ。
それに、一斉送信されたメールの内容を思い出して、拓馬に近づくことは極力控えることにしていた。
しかし、麗奈が登校してきたことで、クラスメイト全員が小さくなった拓馬を知ることになる。
「みんな、おはよう!」と麗奈はいつも以上に元気にあいさつをした。
みんなも元気に挨拶を返した。
麗奈はやはり拓馬を意識してしまう。
そして一番前の席を見ると、なぜか男子に囲まれている。
きっと飛び級することについて質問攻めにしているんだろうと思い、「ちょっと、拓馬君に迷惑よ」と麗奈が言ったとたんに麗奈は固まった。
大人の拓馬ではなく、幼稚園児の拓馬がいたからだ。
男子たちはくすくすと笑っていたが、女子たちはただただぼう然としていた。
「ちっちゃくなっちゃった」と拓馬がおどけて言うと、男子は大声で笑った。
まさに子供でしかないので、女子たちの拓馬への想いはどこかに吹き飛んでしまっていた。
しかし麗奈だけは違った。
―― 普通に話ができる! ―― と思い喜んでいた。
意気揚々と教室に入って来た教師の顔をした恵美は、拓馬の姿を確認してぼう然とした。
そして、「…十郷君は反抗期かしらぁー…」と言うと、生徒たちは大いに笑った。
今週からは、拓馬と何かロマンスでも起こらないものかと大いに期待していた恵美の夢は、見事に砕け散った。
しかも、生徒たちが気に入ってしまっているようなので、教師としても快く気に入るしかない。
「で、ではぁー… 動物園の課題ができた人は提出してくださいぃー…
提出期限は火曜日までですよぉー…」
恵美は今まで以上におっとりと話をした。
まさに拓馬を幼稚園児か一年生に見立てた話し方だ。
すると拓馬が一番に、しかも厚みがある本のようなものを教卓に置いた。
「えー…
十郷君はすっごく頑張ったのねぇー…」
まさか動物園の感想文で、これほどのものを提出してくるとは思わなかったのだ。
次々と生徒たちが提出する中、恵美は拓馬の課題を手に取って、ページをめくって読み入ってしまった。
まさに、動物への愛があふれんばかりだった。
そして愛梨が言ったように、ここに出てくる動物たちを抱きしめたいと思ってしまった。
しかも、その動物たちを見ていたので、その想いはひとしおだった。
しかも、とんでもないハイレベルのウサギたちのイラストに心は萌えになっていた。
「先生、また動物園に行きたいって思っちゃいましたぁー…」と言って、ゆっくりと冊子を閉じた。
拓馬は笑みを浮かべていただけだ。
すると、生徒たちが拓馬と一緒に行ったことを知って、恵美は大いに悔しがっていた。
「あ、そうそう!
動物と言えば、
この近隣に注意報が発令されていますので、連絡しておきます。
今は大人の人たちが調査中ですが、
この北の山で熊の目撃証言があったそうです。
ですので、山の近くにはあまり近づかないようにしましょう。
さらに北にある山からやってきたことも考えられるようなので、
決してデマではありませんから、
おうちの方にもお話をしてくださいね」
子供たちは一斉に不安になった。
それほど山に近づくことはないが、マンション回りは子供たちの遊び場になっている。
そこでクマと鉢合わせするかもしれないと思うと不安になって当然だ。
「木登り、すっごく上手だよ!」
拓馬の言葉に、この教室内が凍り付いた。
しかしここは一番に恵美が正気に戻って、「十郷君はそのクマに遭遇したのかしらぁー…」と聞いてきたので、「はい、追いかけられましたけど逃げました!」と元気に答えると、笑みの口元は震えていた。
「山で特訓をしていたらいたんです。
北の山とその北の山の谷のところです。
自然がいっぱいの場所で、
小動物もたくさんいます。
クマは黒かったので、
ツキノワグマかもしれないなぁー…」
クマの中でも一番の凶暴性を持つ種類なので、誰もが大いに驚いていた。
「あ、今はね、北の山に戻ってるみたいだから、
そんなに怖がらなくてもいいと思います。
だけど、ずっと北にある運動公園の登山は怖いと思うので
注意した方がいいと思います」
「あ… ええ、そうね…
あっちの方は注意を促す看板があるわ…
どうやらそのクマさんはお散歩中だったようね…」
「運動公園の休憩所で食べたお弁当がおいしかったです!」
「あ… あははは…
すっごい特訓したのねぇー…
それほどじゃないと、
プロ野球選手にはなれないもんねぇー…」
恵美の大いに考え抜いた言葉に、拓馬は満面の笑みを浮かべた。
今日は幼児の拓馬君中心で一日が動いた。
そして男子たちが拓馬を守り切ったので、女子たちの機嫌が大いに悪くなっていた。
放課後は男子たちとの親睦を図るために野球の試合をして、大いに盛り上がった。
拓馬の動きに誰もが驚いてたが、誰もが大いに楽しんで、全員でマンションに戻った。
拓馬が家に帰ると、「あら、遊んでたのね」と愛梨が笑みを浮かべて拓馬に言った。
「野球してたんだ。
すっごく楽しかったよ!
じゃ、お風呂に入ってくるよ!」
拓馬は言って、自室に入ってランドセルと置いてから風呂に入り、出てすぐに宿題をしてからリビングに行くと、チャイムが鳴った。
愛梨がすぐに廊下に出て、「…姉さん、どうして…」という声が聞こえたので、拓馬は大いに胸が高鳴った。
拓馬はソファーを立って、「お爺ちゃん、おかえり。おばさん、いらっしゃい」と大人の拓馬が言った。
「ま、それが順当だな」と祐樹は上機嫌で言って、逞しい拓馬の肩を叩いた。
「…き、今日はここでいいわ…」
瑠璃子の声は震えていた。
瑠璃子が愛した男性そのものが目の前にいたからだ。
そして用事はそれだけではなく、拓馬の感想文を学校代表として、作文コンクールに出すことに決めたと伝えに来たのだ。
これには愛梨が反論して、拓馬の論文を実名のまま、精神内科関連に発表したと言ったのだ。
これではコンクールに出すことが叶わなくなったので、ここは瑠璃子が簡単に折れた。
しかし、公表した詳細を聞いて、調査の上、出すこともあると瑠璃子は言った。
もちろん、学校関連でも大いに役立つ論文になるからだ。
両方で広がれば、拓馬の論文がさらに生きることになる。
愛梨としても反論はできなかったので快く折れていた。
ここは平和的に別れ、リビングに戻ってきた愛梨はなだれ込むようにソファーに座った。
「ついに攻め込んできたね!」と幼児の拓馬が言うと、「怖かったぁー…」と愛梨が嘆くように言ったので、祐樹と拓馬は大いに笑った。
「お父さんを取り合っちゃったんだ。
こっちでもあっちでも、
それはそれは怖いよね?」
「健ちゃんが決めたんだもぉーん…」と愛梨は反論した。
「そう。
そこは平和的に、男が堂々と決めたことだ。
だけど先に付き合い始めたのは瑠璃子君だからな。
まあ、なんだぁー…
それほど深い関係になる前に、
愛梨と恋に落ちてしまったということのようだ…」
愛梨が心配そうな顔をして拓馬を見た。
「お父さんと話ができたよ」と拓馬が言うと、祐樹と愛梨は目を見開いた。
「僕の思い通りにすることが正しい道だって言ってくれたよ」
「…そうか、それはよかった…」と祐樹は感情を込めて短く言った。
愛梨はもうすでに泣いていた。
「おばさんってこの先どうするんだろうね?
来年からは中学校の教頭先生?」
拓馬が話題を変えて聞くと、祐樹も愛梨も驚くことなく、「…そうするだろうな…」と祐樹がため息交じりに答えた。
「…恋に狂って、さらに力を上げたようだね。
これはさらに準備万端にしないと、
僕の想い描いた世界にならない。
でも、おばさんっていくつなの?」
「…40才よ…」と愛梨が答えた。
「お父さん、モテモテだよね!
お爺ちゃんがお嫁さんにもらえばいいんだ。
おばさん、僕も見てたけど、
それまではずっとお爺ちゃんを見てたって思うけど?」
「ああ、心が透けて見えるほどだった。
顔を合わせた瞬間に、
健太郎さん!って叫ばれたからな。
今だったら、まるで双子のように見えるかもしれんし、
俺、大学で大人気!」
佑馬の明るい言葉に、拓馬は愉快そうに笑った。
「美容整形したって思われてるわね、きっと…」
愛梨の言葉に、「それはあるな…」と祐樹はすぐに認めた。
「必要な人には術を使うよ。
お母さんが一番だったけど、
今はおばさんを先にしたいね」
「それでいいわよぉー…」とまだまだ若い愛梨が唇を尖らせて言った。
「だけどそれは、まだまだ先の話だよ。
晩ご飯は?」
拓馬が聞くと、「あっ! すっかり忘れてたわ!」と愛梨が叫んでキッチンに飛んで行った。
「…シャープを突き放したよ…」
拓馬の言葉に、「…そうか…」と祐樹は答えて、弱弱しい笑みを浮かべた。
「だけど、今までのように不貞腐れてないよ。
徐々に変わってきているね。
そういった人が、戦場では一番強いって思う。
雇える枠も15人になったし…」
拓馬の陽気な言葉に、祐樹は拓馬をにらみつけた。
「でも、あとはシャープだけでいいと思う。
人間もふたり仲間にできたから。
ひとりは剣士でひとりは能力者って言っていいのかな?
基本は体術で、神通力を含んだ術を放つんだ。
まさに気合で吹っ飛ばして、
自分の体の変化、強化もできる。
まだ8才なのに、率先して独学で修行を積んだようだよ。
どうやら大人たちは知っていたようで、
いたずらをしたって思われてたようだ。
術を放つ前に、ボクに叱らないかって聞いてきたほどだからね。
ケン・ライトっていう子」
「そんな子がいたのかもしれないんだよなぁー…」と祐樹は大いに嘆いていた。
「それでね…」と拓馬は言ってホホを赤らめた。
「キノコがね、人間と同じ体に変身したんだけど、
麗奈ちゃんとそっくりだったんだ。
顔もしぐさまでも同じで、
感情はずっと穏やかな麗奈ちゃんなんだ…
なんだか、いいなぁーって思っちゃったよ…」
祐樹は笑みを浮かべて、「付き合い続けたら、それがどんな感情だったのか、あとで気づくさ」と言って、拓馬の頭を乱暴になでた。
「あ、火竜にキャサリンって名前をつけたら、
人間に変身できるようになってね。
それがすっごくかわいんだよぉー…
お父さんって言ってくれて、
本当にうれしかったなぁー…」
祐樹はすでに大いに苦笑いを浮かべていた。
「だからこそ僕は、
ずっと、あっちとこっちを行き来したいね」
「そうか…
それが拓馬の最終的な目標なわけだ」
祐樹の言葉に、拓馬は笑みを返しただけだった。
祐樹はそれは不可能だと気づいていた。
あちらに渡る鍵が健太郎自身だからだ。
健太郎を取り戻した時点で、もう誰もあちらに渡れないし、渡れるとしても、別の何かに異世界の穴が開くはずだ。
魔女は一番危険な家族に近づいたはずだが、それほどでないと完全にこちらに来ることができないのだろうと感じている。
もちろん拓馬もその程度のことはわかっているのだが、その謎についてもこの先時間をかけて探ろうと考えていた。
しかし今は、拓馬の希望を述べただけなのだ。
そしてその希望が叶うこともある。
もちろん協力者も必要だ。
そしてその協力者は長い時間をかけて、もうすでにその術を手に入れていた。