おばあさんなのにとても綺麗な女の人
その家は、何かが変わっていた。
隣あった家よりも小ぶりの平屋づくりで、明かり取りと意匠を兼ねた天井屋根が天守の破風のように立派で、贅沢に紫檀黒檀を格子にあつらえた引き戸の左右には、赤と白の椿の花が一輪も零れずにすべて咲いている。新開地に元々あった旧家の古めかした湿っぽさや新建材の鼻につくピカピカした光沢でもなかった。
歳を経た老成な言い回しで並べてみたが、椿の花が一輪も落ちていないのが、常に掃き清めている潔癖さでなく、時と止めている象徴を写している。
5歳のわたしは、風が吹くのにひとつも揺れない白と赤の椿の花を、ただ、じっと、見ていた。
ー 路に迷ったのね。さぁ家の人が迎えに来るまで中に入ってお待ちなさい。
カラカラからの引き戸をひく音より先に優しげな声に招かれ、わたしは中に入った。
歩くよりも先に身体が運ばれ、わたしのために急遽あしを立てて呉れたちゃぶ台には、湯気のたったココアとカステラが置かれている。
「あんた、猫舌だったわねェ。熱くしてないから、大丈夫よ・・・・・カステラも砂糖が浮くくらい甘くしてるから、はやくお食べなさいな」
ココアには砂糖が表面に粉が浮くくらいどっさりと入っていた。カステラは立てた上唇が味も臭いもすべて感じるほど濃厚だった。
わたしはじっと下を向きながら食べ続け飲み続けた。
食い意地が張っているのに、おちょぼ口で、口の中いっぱいにものを頬張ることができない。そして、すぐに腹を壊すクセがある。
そのため、飲むにも食べるにも口先食いでぼろぼろ零す。時間がかかるだらだら食いになる。
そんな私の膝下に零れたカステラの破片を、長い髪をてっぺんにまとめ上げたその綺麗な女の人の白くて長い指は、その都度拾って自分の口元に運んでいく。
それでも私は、その人の顔を見上げずに下を向いている。
見上げたら、夢が覚めるような、或いは先ほどの恐怖と慟哭が続いている最期の筋書きに乗っかてるのを肌で感じていたのかもしれない。
どうりで、身内の臭いがした。
自分というものを意識する記憶の以前の、視覚や聴覚では定着しない臭いや肌合いで繋がっている記憶だ。それが、長細い空しか見えない裏店の露地の、わたしが渦巻きの胎児にも満たない時間と繋がっている。
ちゃぶ台の丸っこい足をいつもの貧乏ゆすりでツンツンしてたら、これって、うちで使ってるのと同んなじ。クリの板を3枚繋いだ真ん丸の下に頬のこけたしゃれこうべがふたつこっちを見ている。作りたての新品を除けば何もかも瓜二つだった。
ー おんなじ・・・・・。うちと同んなじ部屋の中
届いたばかりの真新しいちゃぶ台の足からの新しい畳の匂いがプーんと立ち上がる。あの日、襖、障子、それにテレビまで、女と一緒にやってきたガラの悪い男たちがみるみるうちに家の中の模様替えを進めていく。いかにもその筋と分かる綺麗に召かしこんだ女が、「ここいらじゃ初めてだろ、テレビじョンなんて。さっき、挨拶ついでに覗いてみたけど、表通りだって入れてるの、今坂屋だけだったよ。あそこの奥さん、むかしから見栄っ張りだったからね」と、自慢げな顔で幼い母と私には顔の記憶さえない祖母という女に感謝の押し売りをしている。
「どこのどなたさんか存じませんが、上がりこむなり、いきなり、こないぎょうさんに、えらい勝手なまねしてくれはりますなぁ・・・・・」
大阪のにんげんが一番にいやがる、他国ものがする関西口調で、祖母は言った。祖母というひとは、死ぬまで写真を一枚も撮らせず、位牌の裏には俗名も齢も入れさせなかった女だ。死ぬ3日前、最後に医者が往診すると分かって、寝付した身体を表にまで出して風呂屋に通い、お湯を流した身体に自分一人であたらしい下着に着替えて帰ってきた女だ。
気性の激しいその女は、祖母の話が仕舞うのも待ちきれず眉間にしわを寄せている。祖母は気にせずに後ろをつづける。
「こない無粋な真似せんかて、悪銭でドえリゃあ金回りがいいって、世間様のやっかみは雪深い裏日本のこんな裏店にまでだって入ってくるよ」
相手のペースに乗るまいと寄せた皺を平たく戻して、女は煙草を取り出した。貧乏でも煙草だけは贅沢だった祖母の灰皿を手元に引き寄せ、しばらくひとりの中に埋没する。10年ぶりにやってきた自分そっくりの娘とのやりあいは、つい昨日の続きのように慣れた間合いで運ばれていく。
「・・・・・・いつまで、強情はってるつもりだい。あたしへの当てつけかい。あたしの実家がこんなざまなんて、宇垣の顔に泥を塗ることになるんだからね。少しは大人になってもらわないと、ネぇ」
「何をおっしゃってるのか・・・・・宇垣なんて方とは縁もゆかりもないはずだけど。ここは10年前からお前様の実家じゃなくなってるよ。この家にはねぇー、あたしと爺さんとこの娘娘の3人しかいないんだ」
ヤメテよぉ、と耳をふさぐ母の幼い顔がふたりのやりとりにストップを掛ける。いや、掛けない。ふたりとも母のことなど眼中にないまま言葉をかえるだけで同じ諍いを延々つづけている。
その婆さんはわたしが3歳になる前の日に亡くなった。誕生日の前の日だから、わたしは年に一度必ず
記憶と記録のない祖母のことを思い出さす。今年も三日後がわたしの45回目の誕生日だ。
「あんたのお母さんには、苦労かけたンよね」
あんたのお母さんと呼び名にすることで、死んだ祖母を超えたおばさんは、綺麗な女の人の顔のままはなし始めることができた。
「幼いあんたに言っても始まらんけど、あたしはもううんざりだった。堀とは名ばかりのこんなドブの臭いしかしない裏店暮らし続けていくんがね。それで婿をもらう話が耳に入ったときに、すぐにオン出たんよ。・・・・・・佳奈子なら婿でもいいって云った男の口真似しに伝えにきてた下駄屋のおばさんの声、いまでも思い出すと寒気がはしる」
そこまで言って、おばさんは煙草を吸った。婆さんの月命日に線香代わり立てる細身のシガレットと同じだった。
「いまはのうなったけど、この街にも丘の上の大学病院超えた先に競馬場があったんよ。そこに居ついてた騎手とできて、うち、一緒に大阪まで付いてったんやけど・・・・・馬乗りなんて、ダメ。すぐに別れて、働かんならんようになって、お店のお客さんで知り合うたのが宇垣。あっちでも良う言うひとよりも悪う言うひとがぎょうさんおるような男やけで、うち、そこにビンビンきたんやろねぇ・・・・あぁー、こどもに余計なことまで言うてしもうた」
おばさんは、煙草の火を消した。父やおじさん達がする火のついた頭をつぶすような消し方ではなく、ゆっくりと頭を灰皿に擦り、消えゆく火を見つめて送り出すように消した。
こするたびに火は消される前の最後の炎を立てる。焚き火が起こす幾十ものパチパチが立ち上がって膨らみ、消えていった。
仏壇の中に立てた煙草とは違い、遠くの方から運ばれてくる匂いがした。
遠い先の山の中腹から焚き付けた春を告げる野焼きのような、景色が色合いよりも先に匂いを運んでくる。遠い先が遠い昔に置き換わり、遥かの時を伝える懐かしさで鼻をくすぐる匂い。
それが、した。
「あんたのお母さんには貧乏くじひかせたンよねぇ・・・・・・いいや、そうでもない。あんたの父さんいい男だってねぇ。あんな裏店に婿入りするにはもったいないくらいの映画スターみたいな美男子だって言ってたよ」
おばさんはだんだんと酔っ払いの様相を呈している。カップの中身は子ども飲むココアなどでなく、お酒なのだろうか。昼間からお酒を飲む女の人などいるのだろうか。だけど、風呂屋で鼻をつまみたくなる晩酌あとに入ってくるオジさん達の匂いはしない。デパートの化粧品売り場を通るときに思わず深呼吸したくなる爽やかな甘い香り。綺麗なお姉さんが纏う匂い。わたしの鼻まで流れてこないが、きっとクンクン嗅いでみたらそうした匂いのはずだ。
「あんた、いい男になるよ・・・・・目元はお母ちゃんに似とらんもん、少し二重の垂れた甘いお父ちゃん似やね。けど、鼻があぐらかいとるとこが残念やねぇ、そこだけお母ちゃん似なんやねぇ」
そう言うと洗濯バサミをふたつ私の丸っこい鼻に挟んだ。どこに隠していたのか、いきなりだった。プラスチックではなく、アルミ製の丸みを先端にこさえたのを、「エイっ」とこちらが怯む隙を与えず挟んできた。
痛さも驚きも出さないで、わたしはされるがままだった。
涙は少し出たかもしれない。あとでその女が目の下にハンカチをあてた記憶がある。
「あんたのお母ちゃんもなぁー、小っちゃいときよくそうやって洗濯バサミで鼻をつまんだもんや。あんたのお母ちゃん、顔の造作があんまりエエ方やなかったからなぁ。女の子やもん、小っちゃい子かて噂してるおばちゃんらの相手がいったいどこの誰なのかは、感ずるやろう。上のおねえちゃんは小町が付くほどのべっぴんさんなのになぁって、それに比べて残念やなぁって」
洗濯バサミにつままれたわたしを見る目が変わっている。妹を見る姉の目に変わっている。
憐れみを語っているのに、憐憫よりも愛おしさが勝ってきている、愛おしさよりも羨やましさが勝ってきている。
見ている先にあるかたちが、わたしなのだ
その女は己への愛情に飢えて家を断ち切った。そして豊かさを手に入れてからはそうしたものの使い路が分からず、寂しさばかりが身について凍えていた。
結局は、子どもを持てなかったことが切れ目となって旦那の宇垣という男と別れ、後半生はひとりでは使い切れない慰謝料に乗っかったまま大阪では有名なそうしたひとの余生を仕舞う高級養老院で亡くなった。95歳だった。祖母よりも40年、母よりも30年長く生きた一生だった。
この女のすべては、わたしの母が亡くなった5年後に司法書士から送られた遺産相続手続きの書類の中に詰まっている。その書類の中に詰まったものしかこの女の一生を現しているものはない。唯一の相続人となった私は、1千万円に少し掛ける遺産の受領書を仏壇に上げ、線香をあげた。
中に入るわけでなければ一度くらい線香を上げても母も祖母も文句は言わないだろう。
どれくらい、此処にいたのかは覚えていない。ココアとカステラを平らげて、しばらくしてから私は、「かえる」といって玄関に向かった。
送っていかなくて大丈夫かい一人でも戻れるかいと尋ねてはくれたが、後ろからの声が社交辞令なのはしってていた。母もその綺麗なおばさんもふたりとも逢いたぁないぉのは分かっていた。母とさっちゃんのお母さんのような場所を此処でもう一度つくるのは耐えがたいものだった。
私はませた街の子に戻り、妙なところで強がり張る内弁慶に戻った。
家を出た先の路はくねくねはしていたが、小学校の建物を目指してジグザクじぐざぐを3度繰り返したら、さっちゃん家が見えた。玄関扉を開けたとき急に泣いたりわめいたりが起こらぬよう、深呼吸を2回してから家に入った。部屋には母とさっちゃんのお母さんが視線を離さずに早口でするお喋りをまだ続けていた。
ふたりとも帰ってきた私を外回りが飽きたので帰ってきたくらいにしか見ていなかった。私の冒険には気づいていないようでほっとした。
しょうじき、ほっとした。強がりでなく、あのときの私は本当に、ほっとしたのだ。
あんなに痛かった鼻の先は何んともなかった。それでも、親指と人差し指とで洗濯バサミをつくって挟んでみたら、さっきまで挟まれていた薄っぺらい金属のちょっといけずな痛みの記憶は蘇った。
その日から、わたしは鼻をつまむクセがついた。母は「変なクセが付いて」と認めていたが、それ以上の言及はなかった。クセの性にして、その日の不思議な体験が目の前に蘇えると、せっせと自分のダンゴっ鼻を真っ直ぐに形成していった。そんな繰り返しも幼少期の子ども自分で終わった。そのおかげで私の鼻は胡坐をかいていない。
3日後に45になるわたしは、この家の前でもう一度鼻をつまんでみる。
そして、少し油のついた指で、樹の年輪のように層を連ねたホコリを一つまみ払い落とす。それからの年月があったことをきちんと教えてくれた。
モルタル地の基礎に上がっていたホコリは、そこだけ40年の断面が縦に削られた。