SHINSEIのたばこの匂い
匂いに導かれるかたちで幼い日の記憶まで導かれる話を書いてみました。
目や耳からではなく、匂いの記憶は意識がまだなかった幼い時分、或いはそれよりもっとむかしの、母の胎内に存在さえしていなかったむかしまで遡っていけるような気がします。
いまはもう亡くなってしまった身内のそうした思いがきっとこのようにあった気がして繋いでみました。
そのような感傷を含んでご一読いただけたら幸いです。
「また、ひろきのタバコの臭い、してたんだって」
電話を切るなり、妻がそう言った。「さちこ、これで三度目だから・・・・これって、きっと・・そうだよね」
最後は独り言にように後ろ向きになり、ぶつぶつ尻切れトンボのように遠ざかっていく。夫婦とはいえ平日の朝から聞かせるのもどうかと、長電話の始末をフェードアウトするらしい。わたしは、ウンともスンとも返事をせず、一旦外した視線をお粥の入った茶わんに戻す。
ここ最近、米と押し麦に卵をひとつ割入れたお粥が朝食の定番になってしまった。
夫婦だから、こうしたときの間の取り方は心得ている。
さちこは妻の妹で、ひろきの方は2年前に亡くなったふたりの父親の名だ。その2年前に「おっかぁ」の眞喜枝さんが亡くなったから身内と呼べるのはお互いだけになり、亡くなる前後から復活した毎日一度の電話のやりとりは今でも続けている。
もともとが結束の強い家族なのだ。
おっかぁの眞喜枝さんと違って、父親の弘樹さんは「ひろき」と家族3人から呼び捨てにされていた。それが、3人が3人ともアイドルを呼ぶときの女子高生の声だから、弘樹さんへの愛情の強さを感じて、ご両親へのご挨拶のときは嫉妬のようなあきらめのような、こりゃ、かなわねぇと持念したのを覚えている。
そんな弘樹さんが亡くなったのだから、二人の間にはいろいろ起こる。
不謹慎だが、眞喜枝さんが先で良かったと思う。もしも弘樹さんが亡くなったあと3人が残っていたら、先っきの電話をもう一人に繋いでいく伝言ゲームのやりとりで一日が終わってしまうと思った。
「きっとそれって、SHINSEIだったのかな。ほかのタバコより100円やすいからって弘樹、高校生のときからそれ一筋だって言ってた。きっと、さちこが嗅いだの3度とも間違いなくSHINSEIの臭いだったんだろうなぁ・・・」
洗面台に向かった妻が自分へのフェードアウトの声を零していた。