5 学園への入学 後編
※ちょっと流血しますので、お気を付けを。
「――あなた、生意気よ」
入学式が終わり在学生主催の新入生歓迎パーティーにて。
案の定、私は金髪ドリルもとい、縦ロールことリーゼロッテに絡まれていた。
王太子と別れ自分の取り巻きを引き連れて大股で近づいて来る彼女に嫌な予感しかしなかったので、それまで一緒にいたユノには離れる様に伝えたのが数秒前。
離れた位置にいる新入生の集団の中に紛れ、私の様子を見守っている様だ。
近くで見ると圧の凄い令嬢リーゼロッテ。
引き連れている取り巻き達も気が強そうないじめっ子達が集まっている様だった。
どんなに彼女がわがまま姫だとしても、超格上の公爵家のご令嬢なので頭を下げ嵐が過ぎるのを待つしかない。
最初の言葉に何の文句も返さない私にリーゼロッテは少し眉をあげている。
「あなた、バートン男爵家の娘なんですって?」
「えぇ、初めましてバートン家のロクサーナでございます。お見知り置きを」
同じクラスなんだから仲良くやろうよ〜と言葉に込めてそう言ったのだが、残念ながら彼女のお気に召さなかった様で。
頭を下げていても怒りのオーラが膨れ上がるのが分かる。
何?
おこなの?
激おこなの?
「口を開かないで、汚らわしい」
扇を開いてゴミを見る様な視線を向けてくる。
・・・どうやら彼女にとって言葉を返すこと自体が間違いだったらしい。
難しいお姫様だ。
「何か卑怯な手を使ったのではなくて?あなたの様な下等生物が、高貴な生まれである王太子殿下や私のいるSクラスに配属されるなんてあり得ないもの」
私もそう思うー。
しかしリーゼロッテもこうやってマウントを取っていればきちんとと淑女らしく振る舞えるらしい。
育った環境の中にお手本でもいたのだろうか。
取り巻きたちはリーゼロッテをヨイショしながらクスクスと私を嘲笑っている。
それにしても、下等生物か・・・。
はっきり言うなぁ〜。
彼女は王太子に次いでこの会場での要注意人物。
周囲からの視線は既に集まっているのだがこの騒ぎ、どう収集をつけようか。
「何か言いなさいよ」
黙っているとムッとしたリーゼロッテがそんなことを言う。
・・・黙れと言ったのはそっちなんですが?
「恐れながらーーー」
「黙りなさい」
えぇぇぇ・・・。
難し過ぎる。
このお姫様、難し過ぎるぞ・・・。
言葉を封じられそんなことを考えていると、頭上のリーゼロッテが少し動いた。
ノンアルワインの入ったグラスを受け取ったらしい。
それをクルクルと回して弄んでいる。
雰囲気あるなぁ。
見えないけど。
「あなた、王太子殿下の覚えがいい様だから、家の者に調べさせたのよ」
ほほぅ・・・。入学式が終わって1時間も経っていないと言うのに流石は大貴族である。
アスティア程ではなくとも、公爵家の力を持ってすれば、しがない男爵令嬢の情報なら容易に集めることが出来るらしい。
しかしそのセリフのお陰でこの後の流れが何となく読めた。
そしてこの茶番のオチも。
そう考えるとわざとらしい間が気持ち悪いな・・・。
早くこの時間が終わってくれと心から願うばかりだ。
「――すぐに調べは付いたわ。あの金持ちバートン家の次女で、滅多に社交界に顔を出さない本の虫。殿下も物好きよね、美しい私やエレナーレが近くにいると言うのに、一目散にこんな鈍臭そうな女にわざわざ声を掛けに行かれるなんて」
グレーゾーン、その言い方だと王族批判に触れそうだ。
「それに・・・っーー」
我慢ならないと、情緒不安定気味に急に声も体もわなわなと震え出したリーゼロッテ。
それを頭上に感じながら、あぁ、これはやっぱり言われるなぁ・・・と、これからの流れを他人事の様に考えていた。
この注目の中で言われるのは少し痛手である。
周りからの評価が『無難』ではなくなってしまうから。
「――それにッあなたが!男爵が戯れに家に招き入れただけの、薄汚い平民というじゃない!!」
金切声をあげヒステリーを起こしたリーゼロッテ。
そして私の頭からはフルーツの香りのする赤い液体がちょうどグラス一杯分滴り落ち、目の前の絨毯にシミを作っていく。
周囲がその奇行に騒然とする中、私の心の内はというと、やはり落ち着いていた。
それを手に持った時点で嫌な予感はしていたが・・・。
リーゼロッテの選民意識はかなり強いらしい。
この場に当事者が少なからず居ると言うのに、勢い任せて平民を『薄汚い』と呼ぶとは恐れ入る。
やはりオツムの出来がかなり悪いらしい。
「気に入らないわ!!崇高な貴族の中にあなたの様な偽物がいるなんて!!親がどこの誰かも分からない。そんなの、普通の平民以上に穢らわしいわッ!!歴史あるこの学園に足を踏み入れ、あまつさえ誉れ高いSクラスに紛れ込むなんて!恥を知りなさい!!」
・・・。
適当に聞き流そうと思っていたのだが、言われて改めて気付かされる疑問。
本当に、私は・・・、誰なのだろう。
偽物・・・、確かに偽物だ。
親がどこの誰かも分からないのに、のうのうと金持ち男爵家の元で育ち、存分に甘い蜜だけを吸って生きてきた。
・・・いつの間にか転生して、始まった2度目の人生。
その生に理由を見出そうとするのは当たり前のことだと思う。
その理由の根源たる生みの親が分からないと言うのは、私にとってどうしようもない絶望感を与える。
ただ・・・――。
ただ一つ言えることがる。
それは、バートン家の人間として育っていなければ、今のロキはいなかったと言うこと。
実家が金持ちなだけに冒険者としての儲けは一切気にしなくても良かった。
思う存分強くなれたし、故に『最強』と言う私の理想を体現することが出来た。
ロキは私にとって『光』なのである。
生まれた意味はわからない。
この立場にいる意味もわからない。
・・・けど、ここに居て得たものは大きい。
今の私には、それだけあれば十分だ。
「・・・父の考えは私には分かりません。しかしーー」
「っ黙りなさい!!」
「――しかしッッ!!!」
同じ土俵に上がるつもりなんて更々なかったのだが、存外私も腹が立っていたらしい。
負けじと声を張り上げ顔を上げると、私の空気に呑まれたリーゼロッテが空のグラスを持ったまま半歩引いた状態で口をつぐんでいた。
高慢と言う名のぶ厚い仮面を被っただけの、これぐらいの気迫に呑まれる様な軟弱な娘の紅玉の瞳を真っ直ぐに見据える。
この後の事なんて知ったことか。
噛み付いてしまったのだから、こっちの気が済むまで離してやるつもりはない。
負けん気の強いロキの顔が見え隠れする中、心臓の位置に右手を当て嘘偽りなく本心を述べる。
「ーーそれでも私は、男爵家の者として育ちました。家の者にどんなに冷遇されようと、衣、食、住、その全ての恩恵を貴族として受けて参ったのです。国民の血税で育った以上、彼ら彼女らを守り抜き、今までのものを還元する必要がある。それはクアラーシュ公爵令嬢だって何ら変わりないはずでしょう。それを言うに事欠いて『薄汚い』など・・・」
街で働いている国民は日々生き生きと輝いている。
つまらなくて下らない、到底分かりっこない理由を探して同じ場所でぐるぐると考えている私にとって、それはとても眩しく見えるのだ。
人生を強く生きる尊い彼らを公然と侮辱するのは看過出来ない。
「――何処の馬の骨とも知れない?その様な事実、現状どうだってよろしいのです。貴族の家で育った私は、男爵家の次女ロクサーナとしてこの学園で学び、この身全てを国のために捧げるのみ。実情、この学園には貴族として迎えられておりますので、一生徒であるクアラーシュ公爵令嬢にその様に言われる謂れはないのです」
残念ながらいくら学園側の不手際であろうと、既にSクラスとして学園に迎え入れられてしまっている。
抗議しようにも学園のトップは国王であるため、クラスの変更の手続きは複雑で面倒くさい。
大きなものには巻かれるしかないのだ。
こんな冴えない人間がクラスメイトになってしまったリーゼロッテには、そこの所は同情するしかない。
しんと静まり返る会場の中、はっきりと言い切った私に暫くして我に返った様にハッとするリーゼロッテ。
そして、自分が怯えていたことに気付き歯を食いしばって悔しがる彼女はその後頭に血が昇ったのかーー、
手に持っていたグラスを私に向かって力尽くで投げつけて来た。
意外にも発揮される抜群のコントロールにより、それは私の頭に当たり鈍い音を立てて砕け散った。
そして私の額からは、ワインとは濃さの違う一筋の赤い液体が流れ落ちる。
図らずも流血事件に発展した現場に周囲が騒然とする。
様子を伺っていた王太子やエレナーレが慌てて駆け寄ってくる中、リーゼロッテはやらかした事の重大さに気付いたのか顔色を悪くしている。
「ーーロクサーナ嬢っ!顔に、顔に傷がッ!」
私の推しは盛大にテンパっている。
大丈夫大丈夫、これぐらい魔法でちゃっちゃと治る。
私は体に風穴を開けられても己で治してしまうロキなのだから。
「ごきげんよう王太子殿下。これぐらいの傷は薬があれば一瞬で治りますのでお構いなく。ーー・・・エレナーレ様」
「・・・分かったわ」
エレナーレには視線でこの後の収集は頼むと伝えると、しっかりと頷いてくれた。
持つべきものは頼もしい友である。
「では、私は暫し退席させて頂きます。ごきげんよう、皆様方」
王太子とエレナーレの取り巻きにそう言い残して、私は颯爽と会場を後にした。
思いつきの、ぶっつけ本番の割に上手くいったと思う。
リーゼロッテが激昂し持っていたグラスを投げるのは直前に予想していた。
むしろオチを付けるため、彼女がそれを投げる様に過剰に煽ったと言っても良いだろう。
短気な彼女の事だから煽りやすかったが、しかし私は避けなかった。
そして久方ぶりにダメージを受けた。
私の指には今、ある指輪が一つ嵌められている。
その名を『呪いの指輪』と言う。
効果はステータス値を通常の95%OFFすると言う、世にも珍しいバットステータス付与のアーティファクトである。
1年ほど前、モンダールとは違う『ロサ』のダンジョンに攻略観光に行った際、見つけた隠し部屋の宝箱からこれがドロップした。
アンデット系の魔物との遭遇率がモンダールより高いかなぁと感じていたところでこれだ。
注意深く隠し部屋を探せば他にも呪いシリーズの魔導具が見つかった。
高ステータスの身体能力では日常でボロが出そうだと入試の戦闘試験の時に感じ、この指輪をふと思い出したので学園では付ける様にしたのだ。
これで私のステータスは95%ダウンしている。
H PもM Pもその他のステータス値も全て。
唯の剣で突かれても傷付かず、高出力の魔力を持ってしてやっと体に風穴を開けることの出来る体が、この指輪をつければあら不思議。グラスを投げつけられただけで普通に血を流してしまうではないか。
こんな弱っちい攻撃で流血する、普通のか弱い男爵令嬢を演出するのにこの状況は丁度良かったのだ。
ステータスを見るとH Pは5ポイント減っており『出血』の状態異常が出ている。
他人事の様にそれを眺めていたらH Pがもう1ポイント減った。
久しぶりの痛みを新鮮に感じながら廊下を進む。
そして辿り着いたのは一切人気のない中庭の奥。
人の気配を避けこの場に辿り着いたのだが、意外にも綺麗な泉があり照明で照らし出される噴水が幻想的な場所だった。研究棟の近くにあるためか見る人がいないのは少しもったいなく感じる。
そのまま湖を覗き込み写った自分の姿を見ると散々な有様だった。
ベタついたジュースを被って数分放置していたのだ。仕方ない。
【生活魔法】の『浄化』を使い全身をまるっと綺麗にする。
肌に張り付いた髪がさっぱりし、傷周りの菌も消滅したところで【生体魔法】の『治癒』を使い傷を癒す。
魔力の動きが収まりステータスを確認すると状態異常は消え、無事に元の『超健康』表示に戻っていた。
やっと落ち着けたことにため息を吐きながら肩を落とし、泉の周りにある生垣近くのベンチに腰掛けた。
誰もいないのを良いことに背もたれに腕を掛け力なくもたれ掛かる。
遠くから聞こえる会場の音楽に耳を澄ませながら、目の前に広がる満点の星空をぼうっと見上げる。
・・・リーゼロッテは明日からどう出るだろう。
最後のアレでは相当顔色は悪かったが、王太子やエレナーレが嗜めてもそうそう大人しくなるとは考えられない。
かなりの確率で貴族派と手を組んで更に追い込んで来るだろう。
大衆派の生徒からの好感度は幾分上がったかも知れないが、あんないじめっ子がいるクラスなんて軽く不登校になりそうだ。
結局は子供同士の対立なので受け流すことは可能であるが、向こうが果てしなく格上なのでちょっかいを出されるとその分だけ気力を使う。
出来ることならそっとしておいて欲しいのだが、望み薄だろう。
「――はぁぁ・・・。・・・ん?」
何度目かのため息を吐いていると、突然光の塊が空から落ちてきた。
私のいる場所に一直線に落ちてきたそれを両手のひらで受け止める。
「おぉ・・・これは珍しいな・・・」
今手元にある光り輝く星形十二面体は、俗に『願い星』と呼ばれるものだ。
ごく稀に宇宙から降って来る魔力の塊で、元は他の惑星の魔鉱石である。
まぁ所謂隕石なのだが、ファンタジー世界らしくこの様な可愛らしい形をして降って来る。
おかしな話だ。
恋人に渡すプレゼントとして有名で市場にもたまに見かけることがある。
・・・まぁ、私が持っていても意味のない代物だ。
噂では『願いを叶えたい者の元に降って来る』と言われているのだが全くもって心当たりがない。
コレを私にどうしろと言うのだろう。
誰か知り合いに恋愛相談でもされた時に渡してあげようか。
そんな事を考えながら大荒れの入学式初日は終わった。
そして案の定、翌日からの私は、心の休まらない学園生活を送る事となる。
ヒロインのためだけに作られたこの世界。
それは他ならぬ彼女自身の手により運命が大きく崩されて久しく、
そして、神さえ予測不可能な激動の時代を迎えることになるーーー。
***
***
「少しやり過ぎではなくて?リーゼロッテ様」
時は少し戻りロクサーナが去ってすぐの会場にて。
扇で口元を隠し、不快感を露わにしたエレナーレはそう口にする。
王太子が話し掛けてしまったが最後、婚約者であるリーゼロッテに目を付けられてしまったロクサーナであるが、絡まれても彼女自身がどうにかするだろうと傍観をしていた。
実際途中までは軽くあしらっていたのだが、リーゼロッテの選民意識がどこか親友の琴線に触れた様で。
公爵令嬢を圧倒する彼女の力強い凛とした演説を聞いて、やはり私の親友はSランク冒険者なのだなと改めて実感した。
真っ直ぐで責任感の強い、故に自己犠牲のすぎる親友。
彼女には今までの様に、これからもずっと空を飛ぶ鳥の様に自由でいてもらいたい。
・・・そのためには如何せん、男爵令嬢という肩書が邪魔なのである。
貴族として育った以上、国民のために生きる義務がある。
彼女は事あるごとにその様な事を口にしているが、貴族令嬢である以上にあの『一閃のロキ』であることがどれだけ大きなことか。
ロキとして生きて行けば貴族として生きるよりも多くのものが還元されると言うのに、親友はそこの所、よく理解していないらしい。
最悪の場合、『ロキ』を止める選択もあり得ると口にする始末。
自由なのは良いが、周りの人間の感情に微妙に鈍感な所は早くどうにかして欲しいものだ。
Sランク冒険者『一閃のロキ』の誕生はおよそ2年前。
剣も魔法も使えるモンダール最強の冒険者として、世界は彼女を知った。
新文明が開花して後13世紀で、コツコツと刻み続けてきたモンダールダンジョンの階層君主討伐記録。
その記録の記されたモノリスに異常すぎるスピードで刻まれて行く『ロキ』の文字に、何か不正をしているのではないか、そんな声も聞かれたが、ロキの戦いの一端を見て誰もが口を継ぐんだ。
他のSランク冒険者と肩を並べ剣を振るっていても尚、まるで一人だけ別の次元にいるかの様に錯覚してしまう異様な強さ。人類では到底到達出来ない場所に彼女はいたのだ。
世界最強のSランク冒険者というのは、何よりも誰よりも国民に尊ばれる。
その上彼女は、他のSランク冒険者らにさえ絶対的最強と謳われる万能者、『一閃のロキ』なのである。
殆ど全ての幼な子たちが抱いたであろう『最強の冒険者』という夢。
果てしなく高い壁を越え、その先の天上にある世界の頂を、尚も突き進むその姿に、誰も彼もが子供の頃より忘れていた熱情で突き動かされる。
それは生きとし生ける全ての者に命と共に神が与えた宿命であるかの様で・・・。
ずっとずっと待っていたのだ。
この様な、意味が分からないほど最強な人物の誕生を、人類は有史以来ずっっっと、恋焦がれていた。
そして心の底から沸々と湧き出すこの感情は、何処までも熱く狂わしい程の羨望。
本能が――、疼くのだ。
私たちは・・・、心に、脳に、魂にーーーー。
大志という名の消えない刺青を入れられてしまった。
渇いて渇いて渇いて渇いて、仕方ないのだ。
ここまで世界を、人々の感情を、自由身勝手に揺るがしておいて、あっさり辞めるなんて言語道断!!
高が貴族の義務など、逃げる理由になんてなりはしない。
世界は、ロキを決して手放しはしないだろう。
嗚呼・・・、嗚呼、ロキ・・・。
どこまでも私たちの理想を体現してくれる最強の冒険者。
稀代の英雄、私たちのヒーロー・・・。
たった2年の間で作り出した世界中の狂信者たち。
彼女自身が蒔いた種である。
親友がこの取り返しの付かない現状に気付くのは、一体いつになるのだろう。
「――・・・ふんっ。公爵家の令嬢である私に口答えをしたあの子が悪いのよ!」
ロクサーナがロキであると公にされていないこの現状が酷く歯痒い。
彼女はこの場にいる誰よりも尊い存在であるというのに、彼女を傷付けた事の重大さに誰も共感をしてもらえない。
当のリーゼロッテも少し動揺を見せたものの、いつもの様に子供っぽい言い訳を並べて離れて行ってしまった。
何も出来ない自分の無力さに無意識に扇を握る手に力が入り、ミシリと嫌な音が鳴る。
「どうしよう・・・、ロクサーナ嬢が・・・」
片やお気に入りの令嬢の顔に傷が付き未だパニック状態の王太子。
本人に頼まれた事とは言え、先月の夜会で彼とロクサーナを引き合わせたのは彼女にとって最適解であった。
私と父は良い働きをしたと言えるだろう。
彼女自身、王太子とは不釣り合いだとは言うが彼女がロキであれば問題はないし、全ては上手く収まる。
お互いに脈アリの様なので後は押すのみなのだが、この学園は本当に邪魔の多いことだ。
混乱状態のままロクサーナの後を追おうとするので引き止める。
「落ち着いてくださいませ殿下。ロクサーナ本人が言っていた様に、あれぐらいの切り傷は薬で如何様にも出来ます。明日には何事もなく登校して来る事でしょう。そっとしておきましょう」
「・・・うん」
いつも何処か頼りない王太子だが、血統も才能も持って生まれたもの全てが王の素質を有している。
そのため彼は生まれ落ちた瞬間から国王になることが決まっていた。
そしてそんな彼も、ロクサーナの魅力に強制的に引き込まれてしまった一人である。
夜会での顔合わせで、彼が恋に落ちた瞬間を目にした人間は少なくないだろう。
王太子本人はそれを自覚していない様であるが。
既にロキとしても顔を合わせていると言うし、じきに共通点に気付いてしまうだろう。
ロクサーナは雁字搦めの義務に囚われた『理性』を、ロキは何処までも自由気ままな『感情』を体現している。
どちらの姿をしていてもそれは見え隠れしているし、そのどちらも知っている私からすれば取り繕っていても何も変わらない様に見えるのだ。
先程の様に静かに激昂する事もあれば、貴族に対しての礼儀を忘れる事もない。
何処か生き辛そうな親友である。
「ーーエレナーレ様、ロクサーナ様は本当に大丈夫なのでしょうか?」
未だそわそわしている王太子を眺めていると後ろから声が掛かった。
薄紅色の髪が綺麗な友人、ヴェラ・エルヴェステイン伯爵令嬢。
同じSクラスに配属された同派閥の令嬢だ。
お茶会で何度かロクサーナと話した事もあるのでその顔には心配の色が伺える。
「大丈夫よ。地元がモンダールなのだし、ポーションぐらい持っているわ」
「そんな貴重なものを・・・」
「ポーションも所詮は消耗品、顔に傷が残るより何倍も良いでしょう」
まぁロクサーナが自分の傷を治す術を持っていることは知っているので、持っているポーションは使わないだろうけれど。
生産不可能なダンジョン産のポーションは市場に出回りにくいため、ロクサーナに我儘を言って何種類か並べて見せてもらった事がある。
そして、ついでの様に『収納』内の在庫は有り余っていると言われた。
それは、それはそれは、確固として強烈に記憶している。
市場を、世界の価値観を大きく揺るがす問題発言を涼しい顔でサラッと宣っていた。
何度も言う様だが、ロクサーナはあのロキなのである。
「しかし・・・、これで学園にも貴族派閥と大衆派閥の様相が写し出されますわね。この様な場所で公言されたロクサーナ様はこれから大丈夫でしょうか・・・」
「・・・あの子のことだから、きっと他人事の様に傍観を決め込むのでしょうね。ロクサーナとリーゼロッテの相性は最悪でしょう」
「そうですわね・・・」
この様な事態になっても、ただの知人でしかないヴェラがロクサーナを見捨てようとはしないのは、やはり彼女に輝く何かがあると感じ取っているからで・・・。
関わった人の心を掴んで離さないのが彼女の性質。
真逆の方向ではあるがリーゼロッテにだって、それは例外なく働いている。
故にただの男爵令嬢でしかないロクサーナを自分の立場を脅かす程の敵であると認識し、分かりやすく目の敵にしているのだ。
・・・本当に業の深い親友である。