39 王妃殿下とのお茶会 下
「して、伯爵はいつまでそうしておるつもりなのかの」
「――ゴホンッ。国王陛下にご挨拶いたします」
空気の様に扱っていたのだが、とうとう国王直々に指導が入ってしまい、私の腹に顔を埋めていた伯爵が、流れる様な動きで立ち上がり国王に頭を下げた。
そのクールなお辞儀に、先ほどまでの無様な姿なんて誰が想像できるだろうか。
伯爵の調子のいい態度に忠告しようと口を開きかけた国王だが、馬鹿馬鹿しくなったのか口をつぐみ代わりに呆れた表情を浮かべた。
まぁ、いつも冷厳で女性陣に人気なイケメン伯爵が、実は一回り以上年下の学生を何年も盲信していたなんて、救いようがないだろう。
「――ロキ様と、お呼びした方がよろしいでしょうか」
話に区切りがついたと見たのか様子を見ていた王妃が話しかけてきた。
「いえ、この姿の時はロクサーナとお呼び下さい、殿下」
「ええ、わかったわ」
少し目を離しただけなのに、相当疲れた顔をしてらっしゃる。
ロキの秘密は国にとっても重要案件だし、分からなくもないが。
こちらも取り敢えずの挨拶は済んだので改めて伯爵に視線を送る。
ここまでややこしくなってしまったのは、この人の存在があったからなのでこちらも片付けなくではならない。
「改めて、ご機嫌よう、ブルクハルト伯爵」
「――〜ッッッ。お久しぶりでございます、ロクサーナ様。本来であればこちらからご挨拶に伺うべきところ、私が社交の場から離れていたばかりに、お手を煩わせてしまうことになり、このバージル・ブルクハルト、不徳のいたすところでございます」
なんだか莫大な感情を飲み込んだ様な間に続いて、つらつらと懺悔の言葉を口にした伯爵は、国王への挨拶の比ではないほど深々と頭を下げた。
「頭を上げて下さい、伯爵。あなたのことは兄アドルフから聞いていたので、こうなる事を見越して口裏を合わせておくべきでした」
最大の失敗はそこだな。
「そんなっ、ロクサーナ様ッ」
反省点を素直に口にしただけなのだが、伯爵は絶望を煮詰めたような表情でふらふらと近寄ってきた。
今度は何事かと国王夫妻と共にその動きを見守っていると、今度は流れるような動きで私の目の前に膝を突き、私の右手をそっと掬い上げ、そしてその手の甲に唇を当て、忠誠を誓うポーズを取った。
「ロクサーナ様は何も悪くないのです。ロキ様が王都にいらっしゃることは私も耳にしていました。ロクサーナ様が王城に来られる可能性を考えていなかった私が悪いのです」
そう言いながらスリスリと手の甲に頬をすり寄せる伯爵。
これはもう盲信の域を超えている様な気がするのは気のせいだろうか。
「しかし、ロクサーナ様はなぜ王城に⁇それに、王妃殿下とお茶会なんて・・・」
きょとんと上目遣いで問いかけてくる伯爵に、そういえばこの人は何も知らないんだったと思い出す。
「グレイラミレス王国のルチアーノ王女殿下がこの王城にいらっしゃることは知っていますか?」
「えぇ、噂程度にですが」
「私は王命により、王女殿下の側仕えとして週に数日ですが王城に上がっているのです」
「え・・・?」
分かる、何も知らない人からすると突拍子もないよな。
ぽかんと呆ける伯爵に心の中で共感する。
「ロクサーナ嬢はラインフェルトのお気に入りであるからな。まさかロキであるとも知らずに指名してしまったのだ」
その言い回しだと後悔していますと言っている様なものである。
頭を抱える問題ではあるのは分かるが、本人を目の前に正直すぎるだろ。
呆けた顔のまま情報を噛み砕いている伯爵だが、数拍ののちパァッと表情が華やいだ。
「と申されますと・・・、つまり、ロクサーナ様がグランテーレの国母になられる、と言うことでしょうか⁈」
「こッ、いやいや、側妃ですよ側妃。王太子殿下には婚約者がいますから」
そんなことも知らないのか。
少し心配になるほどの情報弱者だなこの人。
思わず吹き出してしまったではないか。
「左様ですか・・・」
何シュンとしてるんだ。
国母になんて面倒臭い立場になるつもりないぞ、私は。
現役の人は目の前にいるけど。
「そう、ですか。それならばロクサーナ様が将来一人になられることはないのですね」
「?」
途端に慈愛に染まった表情に切り替わったことに首をかしげる。
「もしロクサーナ様がお相手に恵まれなかった場合、私の釣書を送る様アドルフに言付けていましたが、心配することはなさそうでホッとしています」
マジか、こいつ。
その言葉に今度はこちらが呆ける番だった。
「お主が誰とも婚約していないのはそれが理由か・・・」
人気独身貴族の衝撃の事実に、国王も思わずと言った声を出した。
王太子とのあれこれがなくとも、アスティアの申し込みがなくとも、結果的にはこの人に嫁いでいた訳か。
不思議なものだ。
恐れていた最悪の未来なんてハナから存在しなかったと言う事実に、心がじんわりと温かくなるのを感じる。
その感情を乗せながら彼のふわふわの頭を撫でる。
「今まで涙を飲んできた女性たちが可哀想ですね・・・。私と会った時はもう学園を卒業していましたよね?誰かいい人はいなかったんですか?」
「ギルドの仕事も忙しかったですし、色恋にかまける時間は正直ありませんでした。それに、押しの強い女性は苦手でして・・・」
「あー、なるほど・・・」
この顔なら誰でもぐいぐい行くだろうな。
自分からいくタイプにも見えないし、相手はアクションを起こさざるを得ない。
・・・、ん?
そんな人間が初めて会った3歳の子供と大きくなったら結婚しようって思ったのか?
「幼女趣味、ですか?」
警察・・・、いや国王がいるなここに。
視線を国王に移すと伯爵は心外だとでも言いたげな表情で慌てて弁明してきた。
「子供に興味はありません!ロクサーナ様が特別なのです!」
「あ、そうですか・・・」
語気を強められたので思わず彼の頭に乗せていた手を引き、一歩足を引いてしまう。
それでも3歳はさすがに引くわ。
「つまり、伯爵はお相手をお探しになる、と言うことでよろしいのかしら?」
「ええ、致し方ありません。伯爵家を潰すのは本意ではありませんから」
私を理由に逃げていた部分もあるのだろう。
王妃の言葉に渋々と言ったふうに頷いている。
「そう。あなたと釣り合いが取れる相手と言うとーー」
「――エレナーレ嬢などどうか?」
国王が口にした名前にふと感情が沸き起こる。
歴代最高クラスの鑑定士で伯爵家の当主、性格はアレっぽいが顔面はかなりいい。
社交界一美しい侯爵令嬢の横に並んでも一切遜色はないだろう。
歳は離れているが、お互いにいい条件の相手のはずだ。
そんなことをモヤモヤと考えていると、よほど変な顔をしていたのだろう、目の前に跪いたままの伯爵が困ったような顔と共に、語りかける様に口を開いた。
「ロクサーナ様、そのような顔なさらないでください。アスティアの姫君はあなたの想い人でしょう?そのような方に言い寄るなんて烏滸がましいこと、私にはできませんから」
「それはロキだから・・・」
「今は違うと?」
「・・・」
否定できないししたくないと言うのが本音だが、だから何だというのだ。
地位はあるとはいえ架空の人間であるロキは次第にフェードアウトしていく。
そうしたらエレナーレは一人になってしまう。
程度はどうであれ、ここまで私を信用してくれている伯爵なら、そこら辺の男に預けるより何十倍もマシである。
「陛下、エレナーレ嬢の今の扱いはどのようで?」
「ロキが娶ると皆考えておるだろうな」
「さようですか。・・・ロクサーナ様。あなたはロキをお辞めになるおつもりなのですね」
「・・・はい」
先ほどまで忠誠を誓うため支えるだけだった伯爵の手は、今は幼子をあやす様に私の手を包み込んでいた。
「かしこまりました。ロクサーナ様が完全にロキの肩書をお捨てになった暁には、不肖このブルクハルトがアスティアの姫君を娶りましょう」
その言葉に胸が締め付けられる。
いつの間にここまで好きになってしまっていただろう。
まるで独占欲のようで自分がいやになる。
そう考えていると、目の前の伯爵はまるで私の存在を全肯定するようなまっすぐな瞳で私の顔を見据えていた。
握る手に力が込められる。
「しかし、人生とは何があるか分からないもの。平民として生まれた私が伯爵として、王室付きの鑑定士として、この場にいることが何よりの証拠です。それならば、ロクサーナ様がアスティアの姫君と添い遂げることができる未来はどこかにあるはずなのです。その得がたい想いは最後まで諦めず大切に育まれてください」
心からそう思っていることがありありと伝わる言葉に、苦しかった胸がすっと楽になるのが分かる。
先ほどまでのグダグダさが嘘みたいに思える大人な対応であった。
そのギャップに思わず頬が緩む。
「ありがとうございます」
「い、いえいえいえいえッ。私のようなものが恐れ多いくも失礼いたしました!」
お礼を述べただけなのに大げさにズザザザッと後退してしまった。
本当に、温度差で風邪を引きそうである。
「ゴホンッ、まとめると、現状維持ということで良いか?」
「えぇそうですね」
「ではロキ、いや、ロクサーナ嬢よ。今日の昼餐についてだが、ルチアーノ王女を連れて我々と共に取らぬか」
「い、いきなりですね」
「そろそろ王女との交流をと考えておったからな。丁度良い」
「かしこまりました」
「おう、ではまた後でな」
そう言い残して足軽に去って行った。
あの人、割とフットワーク軽いよな。
そして場の空気が戻ったことを感じた私は何事もなかったかのように元の席に着き、横にいた伯爵は私に一礼したのち王妃様の背後に戻った。
「ロクサーナさん、鑑定のことだけれど」
あ、そういえばその流れだったな。
「そもそも、伯爵の力をもってしても鑑定は不可能なのでしょう?」
「そうですね」
「とても気になるところではあるけれど諦めるわ」
頬に手を添え残念そうな表情を作る王妃。
いや、これは本心ぽいな。
顔を合わせた最初のころと比べ、お互いに少しくだけた会話をいくつか交わしたのちお茶会はお開きとなった。
そしてロキと知られた私は、無遠慮なほど残りのスイーツを持って帰ったのだった。
余は満足である。
「なぜここに・・・」
あれから数時間が経過し、ルチアーノ王女と話に花を咲かせているところに昼餐への案内人がやってきたので二人で会場にやってきたのだが。
先に到着していたらしいクリス王子が、私を見るや否や苦虫を嚙みつぶしたような渋い表情を浮かべた。
王太子と国王以外はすでに揃っていたのだ。
「こらクリス、ロクサーナさんに失礼でしょう」
「う・・・」
王妃からの正論すぎるお小言にさらに渋い顔になってしまった。
そして王妃がいつの間にか私側についていることを悟ったのか、睨みを利かせてきた。
そこまでの取りを見ていたルチアーノ王女が私の顔を伺い見たので頷きを返す。
「ごきげんよう」
美しい声が食堂に響く。
違和感のなくなっている流暢な挨拶と共にこの国式の礼をしたルチアーノ王女に、この場にいるみんなは思わずにっこりである。
「ごきげんよう、ルチアーノさん。どうぞおかけになって。ロクサーナさんも」
「「失礼します」」
使用人に椅子を引いてもらい、席に着くとほぼ同時に王太子と国王が一緒にやってきた。
一緒に仕事でもしていたのだろうか。
「いきなり招待してすまないな」
ルチアーノ王女にかけられたであろうその言葉を翻訳して伝えると、彼女は笑顔で首を振った。
「ふむ、顔色が良いようで安心した。どうぞ楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」
私の通訳した言葉に簡単なお礼を述べた王女をみて国王は笑顔でグラスを持つ。
「ではいただこうか」
終始ほんわかとした昼食会場であった。
しかし、王太子が私と合うと嬉しそうににっこりと笑うので、私がそれに微笑み返し、そのやり取りを見たクリス王子に睨みつけられるという場面が何度かあった。
私の正体を知る国王夫妻は揃って苦笑いを浮かべていたのだった。
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