38 王妃殿下とのお茶会 上
ロクサーナ中心の新興派閥が出来てからというもの、やはりというべきか社交界は相当荒れているらしい。
この国の派閥には大きく分けて大衆派閥、中立派閥、貴族派閥が存在する。
それを軸に温厚派や過激派、東部派閥、南部派閥、西部派閥、北部派閥など数多くの派閥が存在し、家の性格や地域、どの上位貴族に付いているかで付き合いも変わってくる。
国境付近での部族紛争以外この大国に戦争を吹っかける国はなく、また近代の国王が揃って賢王であるからか、内乱の兆しもなく国内のパワーバランスは絶妙な均衡を保っていたのだ。
しかしここにきて新たな派閥が誕生した。
大衆派閥と中立派閥から公爵家2門侯爵家2門が共闘し、血筋も分からない男爵家の養子を担ぎ上げ、次期国王の側妃に据えることを支持するなんて、側から見ればかなり異常だろう。
正妃になるリーゼロッテを引きずり下ろせるほどの布陣なのだから、貴族派閥の人間からすると喧嘩を売られたも同然である。
そりゃぁ荒れる。
学園の中の仲良しごっこが社交界を、ひいては国までもを揺るがすのだから貴族社会は恐ろしい世界である。
私のことも傾国の美女だなんて呼ばれ始めているらしい。
エレナーレより先にその名があてがわれるなんて誰が想像しただろうか。
エレナーレ本人にそれを伝えられた時、何の冗談かと思わず聞き返したぐらいだ。
ちなみに教室では、リーゼロッテ一党が今にも刺し殺してきそうな殺気を毎日私に向け続けているが、今の所目立った被害はない。
まるで憎しみを煮詰めているかの様に静かで、むしろ不気味に感じる。
嵐の前の静けさでないことを祈るばかりだ。
とまぁこんな事態ともなれば社交界のトップも出て来るわけで。
「――突然呼び出してごめんなさいね」
明るいブロンドの髪にグレーの瞳を持つ現王妃、ソフィア・グランテーレ。
ロキとしてこの夏に何度か当たり障りのない言葉を交わした程度で、ロクサーナとして話をしたことはもちろんない。
そんな殿上人の彼女が作り上げられた笑顔と共に私を出迎えた。
場所は王城内のサンルーム。
さまざまな観葉植物が置かれ、陽の光を燦々と浴びており、目も心も癒してくれる。
まだロクサーナとしては来慣れない王城に、今日も今日とてルチアーノ王女のお話相手として仕事をしに来たわけなのだが、到着するや否や呼び出しを食らってしまったのだ。
王女には軽い挨拶と共に王妃からの呼び出しの旨を伝え、今に至る。
果たして何を言われるのやら。
「お目にかかることができ光栄です、王妃殿下。バートン男爵家の次女、ロクサーナと申します」
「初めまして。どうぞお掛けになって」
彼女がどの様な人物なのか、私の手元には人並み程度の情報しかない。
同盟国であるレイズ公国の第1公女様。
当時彼女が10歳の時、生みの母親である正妃の浮気が原因で2つ上の兄と共に権力を側妃に奪われ、暗殺を恐れこのグランテーレ王国に亡命しており、その際に当時この国の王太子であった現国王と懇意になりそのままゴールイン。
お兄さんと共に母国の世直しまでしてしまったと言う逸話がある。
レイズ公国では公王となった兄の次に敬愛の対象とされていることで有名だ。
ちなみに元凶の母親は一生幽閉の身となったらしい。
国王に側妃がいないのは、そういった過去を持つ王妃に国王が配慮しているからだとまことしやかに噂されている。
まぁ4人もの子宝に恵まれたから、側妃について進言する必要はなかったのだろうが。
王妃の性格は比較的温厚。
ただ、生まれからやんごとなき方なので、それなりに厳しい一面を持つ・・・、ぐらいしかわからない。
何を好み何を嫌悪するのかなど、一対一で話す際に使える情報が何一つとして手元にないのが超不安要素である。
せめて昨晩にでも招待状を貰えていれば情報を集められたと言うのに・・・。
下準備をさせないと言う狙いもあるのかもしれないが。
使用人たちに囲まれる中で、促されるまま王妃の目の前の席に座る。
内心冷や汗を流しながらも凪いだ自分の表情を、注がれていく紅茶越しに見つめる。
側妃の存在が彼女の地雷でない事を祈るばかりだ。
人格者と聞いているし流石に切り離して考えているはずだが、私は側妃候補として城に上がっていて、社交界に荒波を立ててしまっている訳だし・・・。
「そんなに緊張しなくてよろしいのよ。そろそろ顔を合わせておいた方がいいと考えて招待しただけですから」
「左様でございますか・・・」
ならこんな急に呼び出さないでいただきたいのだが。
しかし、王妃にとって私はどの様な存在なのだろうか。
ほぼ成り行きとはいえ新しい派閥も、王妃でも無視できない勢力になってしまったし、排除したいと思っていてもおかしくはないのだが、彼女から害意らしいものは感じない。
むしろ作られた笑顔の奥に、愉快げな色が見え隠れしている様にも思える。
ここの家族は王族にしては珍しく仲が良いからな。
長男のお気に入りが気になるのかもしれない。
会話が途切れ開いた間に気まずさを感じながら紅茶に口をつける。
じっと観察される中で、目の前に並ぶお菓子にどのタイミングで手をつけようかと考えていると王妃が口を開いた。
「毒が入っているとは考えていないようね」
どストレートな言葉に目を見開き驚くも、行動で示すために手元の紅茶をもう一口含み机に置く。
「王妃殿下がこの場で私を害すには利が薄いと存じますので。それに、初対面の私に毒殺なんて回りくどいことなさらないでしょう」
「それもそうね」
この場で私を殺すメリットなんて、王妃側にはほぼ存在しない。
王妃も暇ではないのだから、本人が手を下さずども、この場に至るまでにさっさと刺客を仕向ければいいのだ。
・・・まぁ私に限って言えば、なぜか暗殺が失敗に終わり止むを得ずこの場で毒殺、なんてこともあり得るのだろうが、彼女からは害意を全く感じていないのでただの言葉遊びなのだろう。
・・・、顔色悪くビビっていた方が良かった気もするが、どうやら私はそういった演技に向いていないようだ。
今回も今までも、思い至った頃には後の祭りとなってしまう。
そんな事をぼんやりと考えながら、まずは近場にあるピンク色のマカロンに手を伸ばし口に運ぶ。
やはりいちご味のようで、砂糖の甘みとジャムのほんのりとした酸っぱさが口いっぱいに広がり細やかな至福を感じる。
「美味しそうに食べるのね。良ければ包んで持って帰りなさい」
「ありがとう存じます」
食い意地のはった嫁候補だと呆れられただろうか。
だが、王族お抱えパティシエの腕が良すぎるのが悪い。
これが美味しいのはロキの時に経験済みなので余計に手が伸びてしまうのだ。
王都にだってこれほどのレベルのパティスリーはないのだから、持ち帰りの許可が出て超ラッキーである。
これだけでここに来た意味はあるな。
「それにしても、あれほどの家門を上手く自陣に引き込んだことね。勝算でもあったのかしら?」
嫌味にも聞こえる言葉だが、私を試しているのだろうか。
身の上や外見、嗜好、交友関係、成績などのわかりやすい情報は集めやすいが、自発的に行動することの少ないロクサーナの性格についての細かい情報は少な過ぎて計りかねているのだろう。
机に肘をつき手を組んだ状態で語りかけてくる王妃は様になっている。
私はその言葉にどう答えるのが正解なのか内心考えながら目を伏せ応える。
「勝算なんてありませんよ、全ては巡り合わせでしたから。私としてはここまで事を大きくしたくなかったのですが、縁に恵まれました」
率直な感想を穏やかに口にすると王妃は少しおかしそうに笑った。
「そう。いくら温厚な家門が揃っているとは言え統率が取れているわ。あなたのあの言葉が効いたのかしら」
おぉっと? わかりやすい牽制だな。
まぁ流石に騒ぎになり過ぎたし、忠告ぐらいするか。
統率も何も派閥が出来上がってまだひと月である。
人の出入りはまだないが、あの派閥メンバーの中に王妃の手の者がいるらしい。
内通者は中立派からやってきた誰かだろうが、特に悪い事をするつもりもないので、放っておいても大丈夫だろう。
「最初にはっきりと申し上げておいた方が良いかと存じまして。お恥ずかしい限りです」
王妃の指す『あの』はきっと、バートン家ではなく私個人を支持する様にロキ寄りのオーラで圧をかけた時の発言なのだろうが、そこを突くとどうにも藪蛇なので、焦点を悪名高い実家の味方につく事を止めるようお願いした事にずらし、ほんのりと質問を躱す。
恥ずかしそうに小首を傾げ答えながら、今度は小さめのクッキーに目を付け手を伸ばす。
口に入れたそれは、たっぷりと使われたバターでしっとりとした舌触りと共にその香りで贅沢な味を演出していた。
通常なら張り詰めそうな流れの中で呑気に舌鼓を打っていると、王妃も私のスタンスを受け入れたらしくほっと一息ついた。
「あの子も不思議な子を連れてきたものね。―――あなたのことを認めましょう。じきに王妃教育を開始することにします。よろしいかしら?」
「仰せのままに」
また一歩、引き返せない場所に進んでしまったな。
「ルチアーノ王女もこの国の大公妃になることですし、あなたと合同で授業を行いましょう。リーゼロッテは・・・、別の方が良さそうね」
「お手数おかけします・・・」
私と王女とリーゼロッテの3人の並びを想像しただけで鳥肌が立ってしまった。
表情は努めて変えなかったが、私の目から感情を読み取ったらしい。
瞳孔でも開いていただろうか。
シンプルに嫌いなのだから、普通にしていれば反応が出るのは仕方がないが、今後は気を付けよう。
「差し当たって鑑定を受けてもらいたいのだけれど、よろしいかしら」
「ええ、もちろん」
なるほど、この呼び出しはそれが目的らしい。
私の返事を聞いた王妃は、彼女の背後にいる使用人に目配せをした。
一人の使用人がこの場を後にし、入口の扉の先ですぐ外に待機していた男性を招き入れた。
入ってきたのは青みがかった淡い緑色の髪に、明るい金色の瞳が丸メガネ越しに見える長身の青年である。
歳の頃は30過ぎといったところで、文官の格好をしている。
その胸にはきらりと光る赤い徽章があり、幾何学的な模様が彼の役職を意味していた。
「バージル・ブルクハルト、王妃殿下のお呼びと聞き馳せ参じました」
「えぇご苦労様。こちらへいらして」
「御意に」
堅物そうな冷たい雰囲気を纏っている彼だが、王妃の前でも肝の座っているその様子に彼が元平民だと忘れてしまいそうになる。
そう、私が幼少期の時に実家にやってきた鑑定士本人である。
彼のことはアスティアを使い調べさせてもらっている。
市井で母と二人で暮らしていた11歳の時に鑑定スキルが発現し、冒険者協会所属の鑑定士となり、レベルが2に上がったと同時に伯爵家に養子に入っている。
私を鑑定したのはおよそ13年前、彼が19歳の時である。
その後スキルレベルが5へと上がりギルドを抜け王室付き鑑定士へと転身し、2年前に伯爵位を継いだようだ。
一介の平民から王城勤めの伯爵家当主まで上り詰めたシンデレラストーリーの持ち主である。スキルには夢があるなぁ。
イケメンでクールキャラ。
伯爵家当主と言う優良物件なので女性陣にはかなり人気があり、お茶会に行けば度々話題に上がるほどだ。
しかし彼女はいないらしい。
まぁ男性ならそう焦る必要もないだろう。
「ごきげんよう」
王妃の後ろに控える様に立ち止まった彼が、こちらを向いたタイミングでそう声をかける。
そのあいさつに彼は顔色を変えず軽く頭を下げるのみで留めた。
王妃も鑑定対象が誰かまだ伝えていないらしい。
私とは子供の頃に顔を合わせたキリなので、気付いていないようだ。
うーん・・・。
アル兄との話に上がった時点で顔を見せて口裏を合わせておくべきだったかな。
めちゃ冷たいし、なんだかほんのり悲しくなるな。
この世界では鑑定である程度の人となりを見ることができる。
年齢や本名はさる事ながら、スキルの数やスキルのレベルで才ある人間か、与えられた称号で努力家か否かなどなど。
プライバシーなんてあったものではないが、この世界ではそれが当たり前のこととして根付いている。魔法の世界ならではの事情である。
流石に街行く人を手当たり次第に鑑定することは法律で禁止されているが、合意の上であれば丸裸にされる訳だ。
しかし、合意の上であったとしても鑑定士が鑑定できない場合がいくつかある。
魔法具等での妨害や【隠蔽】スキルでの改竄、もしくは鑑定士の力量を対象の存在値が上回った時などなど。
その全てが今の私に当てはまるので、そう安易と鑑定することはできなくなっているのだが、はてさてどうするべきかな。
「ブルクハルト伯爵、この子の鑑定をお願いできるかしら」
「御意に」
彼はきっと城の動向に興味がないのだろう。
ここ数週間で相当話題に上がっているであろう私の名前と特徴、そのどれか一つでも彼の頭に入っていれば、王妃の目の前にいる学園の制服を着た人間が誰かなんてすぐに見当がつくはずだ。
鑑定に合意はしたが、ジャミングを解除して今のステータスを鑑定させるメリットもこちらにはないし、残念だが彼がスキルを発動する前に名乗り出るしかあるまい。
とんだサプライズだな。
こちらに歩み寄る彼を迎えるため立ち上がり、スカートを持って改めてあいさつをする。
「初めましてブルクハルト伯爵。ロクサーナ・バートンと申します」
「ロッ」
あっ・・・。
弾かれた様に焦点が合った伯爵から漏れた声に、最悪のパターンを予期する。
「?」
「ッ」
背後で王妃の頭に疑問符が浮かんだのを察したらしい彼は、息をのみ盛大に視線を泳がせた。
わぁ。
わかりやすく仮面が外れたなコレは。
普段無表情なだけにその変化は大きい。
彼も失敗したと気づいたらしく、分かりやすく顔を真っ青にして異常なほど汗を流し始めた。
明らかに挙動不審である。
クールなイケメンキャラはどこいった。
「知り合いかしら?」
誤魔化し切れるだろうか・・・。
「えぇ。昔、私が幼少期の時ですが、実家で一度鑑定をして頂きまして。ブルクハルト伯爵様が覚えていてくださるようで光栄です」
「それにしては少し・・・」
分かる、分かるよ。
彼は明らかに私に怯えている。
普通の関係じゃないってことぐらい誰が見ても明らかだ。
「兄がお世話になっているからでしょうか?伯爵様が取り立てて下さったおかげで、兄は第一騎士団に入団できたようです」
私も不思議、といった様子で頬に手を添え目の前の彼を見据える。
ゴリ押しである。
完全に目を回している彼にも私の意図は伝わったらしい。
「しっ、しつ失礼をいたしました。あ、あの時のご令嬢がご立派に、ごせ、ご成長されたようで感激のあまりふ、震えが」
いやいやいや、無理があるだろう。
一周回って笑えてくるな。
さてはコイツ、ダメンズか?
王城では必死に猫をかぶっていたらしい。
余計にキャパオーバーの症状が目に見えて出てしまったのだろう。
王妃が超不信な目で私たちを見ている。
せっかく仲良くなれそうな雰囲気だったのにな。
さて、こうなってしまったからには、ここにいる全員の記憶を消すのが一番手っ取り早のだが・・・。
そんなことを考えながら目の前の彼をチラリと見ると、私の考えを察したのか青く冷や汗を流していた顔が一気に赤くなり、今度は瞳から大粒の涙を流し始めた。
口は盛大にへの字に曲がっている。
なんて情けない顔なんだ。
そして勢いよく膝を付いて、私の体に縋り付いてきた。
「ごめッごめんなさいっ!私のせいでロクサーナ様のお手を煩わせることになるなんてっ」
あーあー、コレは相当拗らせてるな。
むしろトラウマになってそうな勢いである。
一回り以上年下の私にプライドの全てをかなぐり捨てて縋り付くなんて、尋常じゃない。
しかし、私が一体何をしたというのだ。
そしてこの惨状に一番驚いているのはというと。
「何を、しているのかしら・・・?」
それでも悠然として見えるのは、それだけ想定外の出来事に慣れているということだろう。
しかし当の私はというと、収取がつきそうにないこの状況に、少々面倒臭くなってきてしまった。
さっさと記憶を消してしまおうと、右手にはまる指輪を外しながら魔力を集める。
するとその魔力量に反応したのか、王妃の目の前に王室の影がどこからともなく姿を現し立ち塞がった。
まぁ並みの人間ではあり得ない魔力量だからな。当然の警戒である。
転じて一触即発な空気に、流石の王妃も張り詰めた表情で身構えており、視線だけ動かし抜け目なく逃げ道を探している。
しかし影が出てきたところで、まとめていじって仕舞えばいいだけの話なので、構わず魔法を構築する。
これではまるで悪役だなとほんのりと苦笑いをこぼしていると、ふと扉の前にある気配を感じた。
一旦、魔法構築を停止し扉の方に視線を向ける。
張り詰めた空気の中でノックの音が響く。
その音に、一番扉の近くにいた侍女が我に帰った様に扉を開け、その訪問者の顔に慌てたように頭を下げ行く先を開ける。
やってきた訪問者はこの状況に、わかりやすく顔を引き攣らせた。
私はというと、そんな彼に笑顔で挨拶を投げかける。
「ごきげんよう、陛下」
「・・・、取り敢えずその禍々しい魔法を消してくれんか」
「そうですね」
国王が出てきたのならこのまま強行突破するのは悪手か。
流石に国王に魔法をかけるのは私でも気が引ける。
「陛下、なぜこちらへ?それにこの状態は・・・」
「うむ・・・、嫌な予感がしたのでな。参って正解であった」
うんうんと満足そうに頷いている国王に少し不貞腐れる。
「嫌な予感と言われるほどのことをするつもりはございませんが」
これだから勘が鋭い人はやりずらいのだ。
魔法を消し去ると同時に、王妃を守るように身を挺していた影が警戒を緩めることなくその背後へと下がった。
王妃に対し害のある人間だが、国王が来たことで状況は変わっていると判断したのだろう。
そんな様子を少しおかしそうに眺めながら、右手に指輪をはめ直す。
そしてそのまま手持ち無沙汰な手で、どさくさに紛れて私の腹に思いっきり顔を埋めている鑑定士の頭を撫でる。
息を吐く音より吸う音の方が随分大きく聞こえるような気がしなくもないが、不快感とまではいかないので取り敢えず放っておく。
おー、ふわふわの髪が想像以上に気持ちいいな。
思わず犬にする様に両手でわしゃわしゃと撫でていると、跪いたままの鑑定士は少しだけ顔を離し私の顔を見ながら、恍惚とした表情を浮かべた。
ちょっと危ない空気を感じるな。
「まったく・・・。伯爵のこんな一面、見とうなかったわ。洗脳でもかけたのか?」
「かける前からこれでした」
「あぁ、左様か」
呆れて物も言えないようだ。
国王が哀れな目で足元の伯爵を見ているが、本人は気づいているのかいないのか、挨拶もせず総スルーである。
これはまた立派な忠犬になりそうだな。
そんなことを考えながら話していると、さすがに向かいに座っていた王妃も私の正体に気づいたようで、おもむろに立ち上がった。
取り繕って慌てた様子はないが、ほんのりと顔色が悪い。
諸々の実益やリスクをその頭で必死に考えているのだろう。
それを見ていた私と国王の視線が合い、国王が周りの使用人に視線を向ける。
「すまないが席を外してくれ。ここで見聞きしたことは・・・、いや、ロクサーナ嬢よ」
「・・・仰せのままに」
このまま箝口令を出しても情報が漏れるリスクはある。
使用人にもここまでのやり取りで正解に辿り着いている表情を見せる人も数人いるようだし、こっちの方が確実だと考えたのだろう。
それにしても、先ほどまで発動しようとしていた魔法の種類について国王に何も話していないのだが。
1の情報から10ぐらい導き出していそうで怖い。
指輪を外し、先ほどまで構築していた魔法を再度右手に出現させる。
「影も対象にさせていただきますがよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
「かしこまりました」
この影たちがアスティア所属なら良かったのだが、残念ながら王室所属のようだし、無駄に情報を与えたくないので忘れてもらおう。
【深淵魔法】レベル1『忘却』
魔法が構築され手のひらに集まる黒いモヤ状の魔力が、発動開始と共に一気に部屋中に解き放たれる。
闇属性の魔力の性質を感じたのか、モヤに取り込まれた使用人と影からは分かりやすく怯えたような気配を感じる。
すぐに忘れるので耐えてくれと心の中で呟きながら、目を閉じ集中する。
消し去る記憶は短いとはいえ、流石に人数が多い。
それから数拍の後、薄暗くなった部屋の中で、対象者の額の中心からキラキラとした粒子が漂い始める。
まるで朧夜に浮かぶ星屑の様だといつも思う。
そして彼らは揃って目のハイライトを消し焦点の合わない無表情となった。
粒子が手元に集まると同時に私は瞳を開け、言葉を発する。
「使用人は別室で待機、影は30分ほどこの場から目を離すように」
『かしこまりました』
その命令で彼らの取り出された記憶の隙間を埋める。
『忘却』の魔法を使った直後であれば、副産物ではあるものの軽い洗脳ができてしまうのだ。
まるで操り人形のように部屋を退室していく彼らを見送る。
扉が閉まったと同時に部屋中の黒いモヤも手元に集め、粒子と共に手のひらで握り込む。
10名のささやかな記憶は、弾けるような瞬きと共にこの世から完全に消滅した。
人の少なくなった部屋の中は、異様なほど静まり返っている。
魔法の域を超えている光景に、誰も何も発せないのだ。
「――ロクサーナ嬢。・・・いや、ロキよ」
「はい」
「その魔法は、人格に影響を及ぼすのではないのか?」
「よくお分かりで。取り出す記憶の情報量にもよりますけれど」
「やはり参って正解であったな」
そう言いながら盛大にため息をついた。
今回のように数分ほどの記憶で、しかも一度きりであれば大した問題はない。
数年分を一気に取り出したり、短い記憶を何度も取り出したりすると次第に影響が出てくるだろう。
まぁ実験したことはないので憶測の域を出ないが。
改めて考えてみても恐ろしい魔法である。
もう少しで王妃にもかけるところだったし、少しでも害のあるものから遠ざけたいと思うのは夫として当然だろう。
そんなことを考えながら、先ほどまで記憶のカケラが握られていた右手を握ったり開いたりして魔法の余韻に浸っていると、国王がふと気づいた様に口を開いた。
「よもや、己にかけてなかろうな」
「あーっと・・・」
思いがけない鋭い質問に返答に困り反射的に視線を逸らしていると、信じられないものを見る様な目を向けられてしまった。
「・・・お主――」
「いえっ、その、ご存知のとおりこの魔法は記憶を消すものでして。過去の自分が私を対象にしたかどうかは・・・」
「――分からないということか」
すうっと目が細くなる国王に、手と首を振り慌てて否定するも、かなり自信がないので尻すぼみになってしまった。
「はい・・・。可能性の話ですが」
「今のお主であれば使うと?」
「そう、ですね」
じっと見られるが、なんとなく居苦しい感じで視線を合わせられない。
人格に影響があると分かっていて、しかもどれくらい使用すれば害があるのかさえわからない魔法だが、便利なことに変わりはない。
『忘却』を覚えた最初の頃は、明らかに劇物であるため忌避感があった気もするが、いつの間にか辛いことは忘れるに限るという思考にすり替わっている。
今となっては、『忘却』に対する抵抗感は一切ない。
つまり、過去の私が何かしらの記憶を削除しており、その変化に順応できるほど回数を重ねているということだ。
情報は命綱であるにも関わらず使用しているということは、よほど嫌な事があったのか、そこまで重要なことでもなかったのか。
真相は闇の中である。
せめて自分の分だけでも、どこかに保管しておければいいのだがーーー
「――保管か・・・」
思い至ったことをひとり呟きながら『収納』を開く。
魔法の反応があるものを漁っていると、見たことのない小瓶を3つほど見つけた。
いつ入れたかも分からない紫色の小瓶。
取り出して見てみると、その中には先ほども目にした輝く粒子が閉じ込められていた。
小瓶の底に付与されている魔法陣からして自作である。
栓を開けたら記憶が戻る様に細工しているようだ。
考えたな、過去の自分。
しかし、小瓶についての記憶まで消してしまうとは、過去の自分は徹底している。もし本当に困ったなら、その時の未来の自分が見つける事に賭けていたのだろう。
過去の自分は賭けに勝ったということか。
過去の私は何を知り、何を思ったのか。
わざわざこんな事をしてまで忘れたかった記憶についてかなり気になるが、一度開けてしまったが最後。その副作用は計り知れない。
こういった場合、精神衛生的に好奇心は無視した方がいいのだ。
「陛下、見つけてしまいました」
バツの悪い表情を向けると、国王は分かりやすくため気をついた。
前世でよく見た、洗濯物を締め切った母に、洗濯するものを見つけた事を報告した時のようなデジャブである。
この場にやってきた彼のため息は何回目だろうか。
「その小瓶の技術についてはこの際置いておこう。――ロキよ、これ以上かの魔法の己への使用を控えるよう約束してくれんか」
その言葉に首を傾げながら聞き返す。
「約束ですか?」
「ああ」
命令ではないのかと思ったが、目の前にいる国王の顔がどこか悲しげに見えてしまい、大人しく受け入れざるを得ない。
「かしこまりました」
・・・この感じ、むず痒いな。
心配されているのを自覚しているから余計である。
自分の保護者がいつの間にか増えていることに、なんだかなーと思いつつも、約束なんて何年ぶりかとくすぐったさを感じる。
この場の気まずさに視線を逸らしながら私は、手に持つ小瓶を『収納』に戻した。
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