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31 父親






 平時より幾分か人の気配の騒がしい王城へ到着し、人目を掻い潜るように案内されたのはある部屋の扉の前。

 その扉の向こうには、王都にいないと思っていた人間が待っていた。




「元気だったか?」


 そう声をかけて来たのは今世の義理の父親、エギル・バートン男爵当主。


 普段顔も合わせないような人間が、私の到着にわざわざ座っていた椅子から立ち上がり、心底機嫌良さそうに微笑みながら明るく話しかけて来たのだ。


 気持ちが悪い事この上ない。


 まさかこのタイミングで王都に来ていようとは、いささか運が悪い。


「えぇ。ごきげんよう、お父様」


 スカートを持ち簡易の礼を取る。

 礼を忘れない私の様子に、父はうんうんと嬉しそうに頷きながら口を開いた。


「うむうむ。しかし驚いたぞ。年の瀬にお前に下していた、王太子の寵愛を受けろと言った命令が成功していたなんて。それならそうと、手紙のひとつぐらい寄越してくれてもよかったのではないか?」


 良くやったと、私の肩をやさしげにぽんぽんと叩く父に、頬が引き攣りそうになるのを堪えながら柔らかい笑みを貼り付ける。

 父からの命令を律儀に遂行したと思われているのがかなり癪であるが、結果そうなってしまったのだから諦めるしかない。


 しかし、父の言葉に少し引っかかるところがあった。

 今も領地にいるであろう母は、私が入学して以降も変わらず社交に出てるはずだ。

 そこで私の噂は絶対に耳に入るはずなのである。

 王太子のお気に入りなんて話題、格好の餌食であろう。


 その話が父に耳に全く入っていないのを見る限り、どうやら母は全力で話を止めていたらしい。

 結果を残した私に、こうして掌を返したように肯定的になる父に比べ、母は私のことを受け入れるつもりは一切ない様だ。


 まぁ分かっていた事だ。

 父のこの笑顔は想定外だったが。


「申し訳ございません。確証がなかったもので・・・」


「そうかそうか」


 手紙を送る仲でもないのにそんなことするかと心の中で父を貶しながら、アンニュイに首を傾げながらそう返すと、父はまた嬉しそうに頷いた。


 しかし、今回のことで父は私を受け入れるつもりの様だ。

 完全に味方になった訳ではないが、それでもロクサーナとして生きる事を選んで今日この城に来たのだから、利用できそうなものが増えて素直によかったと思う。

 変に暴走しない事を願うしかない。


 その後も終始上機嫌な父の話に「そうですね」と適当に相槌を打っていると、外からドアがノックされた。



「失礼いたします。会場の準備が整いましたので、ご案内いたします」


 この侍従、今回の件に関して、私の担当であるらしい。

 学園に私を迎えにきていた馬車の中からずっと同じ人である。


 その侍従の言葉を聞いて私は、学園からここまでの時間で考えていた通り、認識阻害付きのメガネを徐に外した。


 視線を戻した時、驚きを隠しきれていない侍従と、目を見開いている父の姿があった。

 その雰囲気からロキであるとバレた訳ではないと密かに確認し、メガネを『収納』に入れる。


 国王に拝見する謁見の間では、よっぽどの理由がない限り、身分や姿形を偽ることを禁止されている。つまり、変装の類ができない。

 治外法権に値する冒険者は別として、普通王国で身分を偽るものは王の許しをもらってから偽るものである。

 もし視力が悪い訳でもない私がメガネをかけている理由を国王に問われたとき、顔を隠したかったからという理由だけでは弱く、自ずと疑いの目を向けられる事となる。メガネと身元を詳しく調べられて、芋づる式でロキのことがバレるなんて最悪の事態は避けたい。そんな万が一を避けるために、最初から外して行くことを決めたのだ。

 まぁ【偽装】スキルは世界でまだ認識されていないし、私であればすり抜けられる形骸的なルールではあるが、『ロクサーナ』を知る人がいる場には向いていないスキルだから仕方ない。


「お前・・・、いつからそんな顔をしていた?」


「?生まれた時からですが・・・」


 失礼な。整形なんてしておりませんよ、父上。


 まぁ5年に一度しか顔を合わせなかったし、この認識阻害のメガネをかけるようになって10年ほどが経つ。

 元の顔も思い出せないのは、それほど関係が薄かったからだろう。


 しかし、やはり側から見れば父のこの質問はおかし過ぎるのだろう。

 それを聞いていた侍従は少し眉を顰めたのが見えたが、すぐにわざとらしく咳払いをして気を取り直した。

 ここで不思議そうにしないあたり、私の家での待遇はある程度彼の耳にも入っているらしい。


「では、ご案内いたします」






***







 謁見の間。

 ここに入るのはこれで三度目だ。


 一度目はエリクサーを持って来た時。

 二度目は勲章式の時。

 そして、三度目の現在。


 三度とも両端にはずらっと見物客である貴族たちの姿があり、そして三度とも、違った視線を私に向けて突き刺してきた。


 一度目は物珍しさと、少しの懐疑の視線。初めて公の場に顔を出したので、当然の反応だった。

 二度目は完全ホームと化していて、心からの称賛の視線の中に、どう自分と関わりを結ぼうかと獲物を見るような視線もあった。

 そして三度目はーーー


 視線を落としたまま、父の後ろに付き従い、柔らかいレッドカーペットの上を歩く。


 今私たちに向けられている視線は総じて否定的、そこに乗せられているのは嫉妬のようなどず黒い負の感情である。


 国も家族も失い、ひとりぼっちになった友好国の王女様の側仕えとして私が学園から呼ばれた訳ではあるが、そんなことはただの建前に過ぎず、誰しも王太子の側妃候補として呼ばれたと認識している。

 又聞きでしか事のあらましを聞いていない私でも、国王の魂胆を察することぐらいできる。


 側妃候補という存在は、今代の王太子では初めてのことである。

 そして、現国王の妃はただ一人、ソフィーナ妃だけであるため、側妃候補を城に上げる事自体、この国では先王殿下以来、数十年ぶりとなる。

 それがたかが男爵令嬢で、かつ嫌われ者のバートン家。しかも出自不明の孤児で元平民の養子である。

 誰に勝るものも持っていないはずの令嬢もどきが、誰よりも先にその地位を掴み取ったのだ。

 そりゃぁこうなるだろう。


 この場にいる貴族たち、特に下級・中級貴族の者たちは、己の派閥を、己の家名を、王国に轟かせたいと思っているのがほとんどで、貴族と言うものは大体がそうものである。

 そしてバートン家は、所属する派閥の貴族たちからも遠巻きにされている。

 はっきり言って、この場で味方はほぼいないに等しい。


 現状維持の様子見を決め込んでいる上級貴族以外で、私を歓迎する雰囲気を纏っているのは、壇上にいる王族と、私の裏事情を知っているアスティア侯爵家当主のリアムさん、そしてウィーク公爵家当主のアーベルさんぐらいだろう。

 ・・・、いやこれ、案外味方のカード強いな?


 この半四面楚歌の状態に気付いているのかいないのか、前を行く父はカーペットの上を、胸を張り堂々と歩いていく。

 ご先祖様も、この空気を読めていない感じで貴族社会で生きながらえてきたのだろう。

 しかし、特に大きな害もなく放置されていただけの、嫌われ者の金持ち男爵家が矢面に立たされたのだ。今まで通りとは行くまい。

 果たしてバートン家は貴族社会を生き残れるのだろうか。


 ・・・、まぁぶっちゃけ、私的にはバートン家自体がどうなろうと別にどうだっていい。籍を入れているだけの赤の他人だから。

 私が一番心配しているのは、バートン家が総スカンを食らう事により生じる、領民への負担である。

 あの活力に満ち満ちた領民たちの笑顔が損なわれる様なことだけは、絶対に避けなくてはならない。


 これが私が『ロクサーナ』に依存するもう一つの要因。

 バートン家はあてにならないが、あの街を治めているのも、悲しいかな、このバートン家である。

 そこに名を連ねるものとして、最大限領民が守られる選択を取りたい。




 父が所定の位置で立ち止まり、私もその少し後ろで歩みを止める。

 父は左胸に手を当て、私はスカートを摘み持ち、二人揃って膝を付く最上位礼を取った。



「――陛下。バートン男爵当主と、その娘、ロクサーナでございます」


 私と父は口を閉ざし深く頭を下げたまま。

 声から、その紹介は右宰相であると分かる。


「うむ。面を上げよ」


 その声に頭を上げるも視線は下に向けたまま。

 ここで視線を上げて良いのは王族に準ずるものだけである。

 父も流石にその辺は間違えないので、一安心をしてた時、ふと壇上の上に見知った気配を感じた。

 そして顔を伏したままの私の頭の上に、疑問符がいくつも浮かび上がる。


 うん?なぜに?

 なして君は壇上にいるのかね?


「良い、面を上げよ」


 この国王の呼びかけで、私たちの視線がようやく自由になる。

 そして私の視線は自然と国王ではなく彼の方に向いた。


 やっぱり、どう見たって可愛らしい男の娘、友人のユノである。


 あの場に上がって良いのは王族のみ。

 従ってユノは王族という事になるのだが、彼は北の大地出身と言っていたし、その言葉に嘘の色は一切見えなかった。

 つまり・・・、どういうことだ?

 理解しきれないこの状況に、ユノが微笑みかけてくる。


「やぁ、元気?」


 呑気にそんなことを宣った。

 その感じで、彼が偽物である線は消えた。

 いや、気配は本人そのものだし、それは分かりきっているのだが・・・。

 やはり私も相当困惑しているらしい。


 「元気も何も・・・」と、いつものようにそう答えようとしたが、まだ国王に発言を許されていないことを思い出し、開きかけた口を閉ざす。


「良い。ロクサーナ嬢、発言を許す」


 父より先に発言が許された訳だが、目の前の父から負の感情は感じないので取り敢えずセーフである。


「国王陛下にご挨拶を申し上げます」


 最初にユノに話かけられてはいるが、先に挨拶をするべきは自国の王であるため、ユノのことは取り敢えずその辺に置いておいて、再び軽く頭を下げ、そう挨拶を口にする。


 礼儀としての挨拶を終え、視線を上げ真っ直ぐ国王を見ると、彼は嬉しそうに私の姿を認め、頷いていた。

 息子のお気に入りに会えたのがそんなに嬉しいのだろうか。

 もっと婚約者を大事に一途に生きてくれとは思わないのだろうか。

 ・・・まぁ、今回の側妃候補の話が上がる隙を与えた最大の理由が、その王太子とリーゼロッテの不仲説なのだから、父親としてのその気持ち分からなくもないのだが。



「うむ、私もロクサーナ嬢に会えて嬉しいーーーぞ・・・?」


 そしてふと、国王の言葉が止まった。

 見た感じ、息も止まっているのではなかろうか。

 それでも平静を貫いている表情の中に、私は膨大な驚きの感情を読み取ってしまう。


 ほんの少し、ほんの一瞬だけ、謎の間が謁見の間を占めた。


 国家君主として誰からも完璧であると評価されるこの人の、いつもの調子が崩れた訳である。

 それに気付いたのが気配察知の優れた私ぐらいだろうとしても、違和感のある反応。

 その間が空いた理由は、至って簡単。



 ―――ロキだってバレた!








 この謁見、情報が多すぎる!

 四方八方から殺気じみた視線を感じる中で、目の前には嫌いな父がいて、友人のユノがなぜか王族側にいて、そして国王に私がロキである事がバレた。←いまここ



 はぁぁぁぁ、これだから勘の鋭い人は・・・。

 顔を見て気付いたみたいだし、作る表情を意図的に変えたとしてもやはり顔は同じだからバレるリスクはあるか・・・。

 ハーバードでも気づかなかったのだが・・・、あー、いや、あの時はメガネをしてたから当たり前か。



 そして私がロキだと気付いた国王はというと、必死になって周囲の気配を探っている。


 ロキの出生についてこの場で知っている人は、この場ではリアムさんとアーベルさんの二人だけ。

 アーベルさんと私の関係ついての報告は国王に上がっていないだろうし、国王が現状を判断し得るのはリアムさんの反応だけである。

 そしてそれプラス、この場にいる誰も私の裏の顔に気付いていないことを瞬時に察したのか、一安心した様子でふぅと小さく息を吐いた。


 ここまで、ほぼ一瞬の時間で起きた国王の思考である。

 貴族の集うこの場でも、気付いた者は私以外一人もいないだろう。

 私的には、慌てた国王陛下に人間味を見る事ができて少しホッとしたところである。



 少しは落ち着いたらしい国王は、再び私に視線を寄越す。

 本当に?マジで?そんな動揺しまくった感情が視線に乗せられているが、丸っと無視して笑顔で黙っとけと視線で語る。

 聞きたいことは山ほどあるだろうが、この場では悪手。何かロキについて言及しようものなら、私も強硬手段を取らざるを得なくなる。それが許されるというのも、なんだかなぁと思うがいつものことだ。


 国王陛下を視線で脅す男爵令嬢の爆誕である。

 奇怪な現場よな。


「・・・、お主をグレイラミレス王国より参ったルチアーノ王女殿下の側仕えに命ずるが、よろしいか?」


「謹んでお受けいたします」


 この国王の言い回し、私の正体を知っている人からすれば国王の動揺が分かりやすいが、知らない人間ならただの確認として取るだろう。


 私はというと、国王の命に言葉短く返答し、すぐに視線を下げた。

 エルランド公の感じた違和感、お偉いさんの前で平然としすぎな下級貴族令嬢であるとこの場の貴族たちに気取らせないように。


 そして、心なしか数秒前に比べて些かやつれて見える国王に、事情を全くしらないユノが呑気に声を掛けた。


「恐れながら国王陛下。彼女に私をご紹介いただいても?」


「・・・うむ、そうだったな」


 聞きたいこと、考えなければならないことが山ほどあるらしい彼の荒れた心情は、ユノには伝わらないのだから、諦めるしかあるまい。

 元気のない声でユノに返事を返したが、気持ちを切り替えたのか、すぐにいつもの気迫を取り戻した。


「彼はイグナシオ・ユールド・イスラ皇太子殿下。イスラ帝国の次期皇帝である」


 国王の国王たらしめるオーラと共に発せられた言葉に、今度は私の思考が固まった。



 ・・・ヤベェ、想像以上のビックネームが出てきた。

 他人のふりをするべきだったか・・・?



 そんなことが頭をよぎる。


 国王も私についての膨大な情報を、心の中で頭を抱えながら処理しているだろうが、私も心の中で頭を抱えていた。

 まぁ、私の方が処理するべき情報量は彼に比べていくらか少ないのだが。



 イスラ帝国。

 それは北の大陸一の面積を誇り、軍事力・経済力ともにこのグランテーレに並ぶほどの国力を有した巨大国家である。

 同じ『帝国』を冠する国がお隣にもあるが、力でその全てをねじ伏せてきたお隣のアルセリア帝国に対し、イスラ帝国は国民からの求心力で北の大陸を纏めてきた。

 武のアルセリアと、知のイスラと言えば分かりやすいか。

 国の礎は対局ではあるものの、そのどちらも未だ滅亡を迎えず、同程度の長い歴史を持つため、一概に国家としてどちらが理想なのか、学者たちも判断を付けかねている。


 そんな国の皇太子、つまり次期皇帝。

 こんな可愛い男の娘が?

 冗談きついて。



「君の名前が上がりそうだったから、推しておいたよ」


 ぐるぐると考えている私に向けて、ウインクしてグッと親指を立ててくるユノに、若干目元が歪む。


 ついイラっとした訳だが、それもそうだろう。

 『上がりそうだったから』ということは、この人のその一言で私の未来は大きく舵を切ったということとなる。

 私の表情の変化に内心ヒヤヒヤしている国王に気づかないフリをして、改めてユノの顔を真っ直ぐと見据える。


「理由を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」



 怒っている、だけとも言い切れない。

 これは、困惑と悲しみに似た何かが、ごちゃごちゃと混ざり合っている様に思える。


 そして、傷付いているのは確かだった。


 ユノのその言動は、私にとって裏切りに近いから。


 バートン家の者である私が絡んだ時点で、同派閥の筆頭であるアスティア家のリアムさんはこの件に口を出しているはずだ。

 リアムさんは極論、この国の犬であるため、ロキである私を国のために引き込む選択を取っても仕方がない立場である。


 しかし、ユノはこの国の組織から完全に外れた存在である。

 そして一国の、さらに同格である国の皇太子であるならば、国のこの決定に、適当に言い繕うなり口を挟むことはできた。

 私がイスラ言語を話せるにせよ、話せないにせよ、王太子が私の名前を上げると察した時点で、別の提案を声高らかに挙げることができた立場である。



 私とユノと出会いは、入学試験の日。まだ半年ほどしか経っていない。

 ロキのことを一切悟らせない様にぼかしていたことも多々あるが、それでも一緒に街に出かけ、たくさんの話をした程の仲である。その付き合いは、学園での数少ない友人であると胸を張って言える。

 つまり、私が王太子の隣を望んでいないことは知っていたはずだ。


 リーゼロッテに目を付けられた入学時点でほど遠かったとしても、私はロクサーナとしての『平凡』を望んでいたのだから。



 私の言わんとしている事を正しく読み取ったユノは、しかしいつも通りの柔らかい表情でにっこりと微笑んだ。


 ユノの口から出た言葉は、とてもシンプルだった。



「君のためになると思ったから。ただそれだけだよ」



 ほんの一瞬、心の底からの怒りが胸に込み上げてきた。

 指輪をしていることが幸いして、他人からは表情がほんの少し薄くなった、それぐらいの小さな変化だろうが、指輪がなかったら漏れ出た威圧で数人は殺していただろう。

 そんな私の心情を察したのか、ロキであると気付いたばかりの国王は表情を引き攣らせ、そして目の前のユノは、いつもとは違う悲しげな苦笑いを浮かべた。


 しかし、激しい感情が私の頭を駆け巡ったのは、時間にして常人が瞬きをするほどの間だった。

 ユノの穏やかな瞳を見て、激昂していた感情が急激に萎えていくのが分かる。


 その不自然な感覚(・・・・・・)に、ひとり心の中でため息をこぼす。


 『求心力で代々国を収めてきた帝国の皇太子』

 その肩書きは、目の前の彼をよく体現していると実感した。



 そしてこの感じ、もし指輪を外していたとしても、私の抱く感情の偏移は今と同じ結果に至っていたのだろう。



 ユノの今醸し出している、この独特なオーラについてだが。

 魅了の類、スキルによるものではなく、神の定めた次期王の器にのみ見られると記録されている『特殊能力』の一種であると推測できる。

 こんな理不尽な力があるからこそ、この世界の大国はその歴史が長く続いているとも言えるが、それでもそれを一身に受けた一被験者として、この感覚を最初、全く違和感なく受け入れてしまったことに、関心と共に悔しさを感じる。



 言ってしまえばこれは、考えることを止めさせる強制的な力である。


 その不可思議な力の範囲内で、諦めつつも抵抗するように微妙な表情をしている私を見たユノは、心底驚いた様で。

 そして出会った時と同じように、目を爛々と光らせ楽しそうに笑った。


 完全にデジャブだ。

 あの時は、中央諸国で母国語であるイスラ言語を扱える同級生を見つけたことに、分かりやすく興奮していた。

 そして今は、洗脳まがいの力を使っても考える事をやめなかった私を見て、嬉しそうにしている。

 こんな反則的な能力を持っている彼も異端であるが、S級冒険者でありながら普通を偽っている私も、彼からすると甚だ異常なのだろうな。



 きっと今からでも、ユノの特殊能力で強制的に消された激情を取り戻すことはできる。

 大きく影響はされても、私にとってこれは完全に人格を上書きされるほどの力ではないらしい。

 それでも私がそうしないのは、結局は心の奥で、ユノは味方であると信じているからだろう。

 裏切られたと感じたのは私の一次的な感情に過ぎず、「私のため」と言ったユノの言葉を完全に否定するには根拠が足りないことを、どこか感覚的に分かっていた。


 ・・・まぁ?普通に怒っていることには変わりないのだが。


 後で覚えてろと目で語る私の表情を見たユノは、ここにきて初めて口端を引き攣らせた。








***







 ロクサーナとしての初めての謁見は何も発さなくなった私を合図に、国王が終了を宣言してほんの数分で終わった。

 男爵家程度の人間の謁見としては妥当な時間だろう。

 当の王太子とは視線も言葉も全く交わしていないが、私が言葉を発しすぎては周りに違和感を与える結果となるという私の考えを、国王が汲んでくれたらしい。


 改めて考えると今回の謁見は、終始周りからの視線がキツかった。

 多分これから貴族派閥からのいじめ以上に、全方位の人間から牽制を仕込まれた人間がわらわらと集まってくるだろう。

 今まで以上に、非平凡な出来事が待っているであろう未来の自分へ合掌する。


 ロクサーナの人生には敵が多い様だと、そんなことを他人事のように思いながら謁見の間の扉をくぐり、ゆっくりと扉が閉まるのを背中で感じる。



 扉の外に控えていた担当の侍従が、出てきた私たちにこれからの案内のために声をかけようとしたが、それに気付いていないらしい父が先に口を開いた。


「ロクサーナ!」


「はい」


 いきなり声を張り上げた父に、すぐ側まで来ていた侍従が驚いて立ち止まるのが見える。


 関わりの薄い父に自分の名前を大声で呼ばれた訳であるが、怒っている雰囲気ではないようなので、とりあえず空っぽの返事だけ返しておく。



 しかし次の瞬間、勢いよく振り返った父を見ると、その顔はほんのり紅潮し、目はキラキラと輝いていた。


 それを見て思わず目を見開く。


 初めて見る表情だった。

 嬉しいという感情が前面に出ている、子供っぽい人間らしい表情。


 ここまではっきりとした好意の感情を自分に向けられると、察知スキルが働いてしまう。

 そして、今まで目にしてきた無関心な空虚な表情と、今向けられている興奮し嬉しさの詰まった表情の高低差に、心に大きく衝撃を受ける。



 感覚が研ぎ澄まされ、父の快気の感情にこちらの意識が翻弄されている中、目の前の父は嬉しさを前面に押し出しながら、事もあろうか、私を強く抱きしめてきた。



「本っ当によくやった!陛下の紹介にあったイスラ帝国の皇太子殿下、聞く限りお前の学園での友人なのだろう⁈」


「ええ・・・」


 父の力強い腕の中で、衝撃と困惑の渦に目を回しながらただ相槌を打っていると、更に嬉しそうに笑いながら身を離し、今度は私の頭を豪快に撫で回し始めた。


「やはりそうか!うんうん、いい友を持ったな!」


 興奮から腕に力が入っているのか、指輪をつけている私にとって首がかなり痛いのだが、友人の事をいい友を持ったと言われて、父の言葉なのに素直に嬉しいと感じてしまった。

 わしゃわしゃと撫でられることで髪がボサボサになるが、それ以上にこの感覚に私の感情が不安定な方に大きく揺れ動いてしまう。



 嬉しさを噛み締めながら手を止めない父と、呆然としてされるがままの私に、機を見ていた侍従が頭を下げてから声をかけてきた。


「閣下、令嬢をお連れしても?」


「あぁ、そうだな。そうしてくれ」


 そう言われてやっと手を離す父。


「では、きっちり務めを果たすのだぞ」


「ええ・・・」


 更にぽんぽんと頭を優しく撫でてから、軽い足取りでこの場から去っていった。


 その背中をボサボサの頭のまま、ただ呆然と見送るだけの私。




 そして、父が見えなくなってから無意識に撫でられた頭に手が伸びた。




「令嬢?大丈夫ですか?」


「あ・・・」


 立ち竦んでいる私の顔を覗き見る侍従の顔が、滲んで歪んで見える。

 そこでようやく自分が涙を流している事に気づいた。



 ・・・、ウィーク公爵家に行き前公爵夫人に抱きしめ撫でられた時に気付いてはいたのだ。

 私が『家族』と言うものに未練(・・)を感じている事に。

 親に怒られ、親に褒められ、親に喜ばれる。

 なまじ、家族の中で幸せだった自分の記憶があるばかりに、それが私の中で理想の形として定着してしまっている。私が知っている唯一の家族の形だから。


 ロクサーナのことを不憫に思い、よくしてくれる人たちはいる。

 リアムさんに、ウィーク公爵家の人たち、ハーバードに、メルリィにエレナーレ。ロキのことを知らなくても、学園のパーティーメンバーはいい子たちだし、ポーションサロンの先輩たちは皆優しくしてくれるし、ユノは本当にいい友達だ。

 みんないい人たちで、私を大事に思ってくれる。


 それでも、今世の私の父親はあの人しかいない。

 父親と認めない、でも父親に認められた、そして嬉しいと思った。

 それにどうしようもないほどの悔しさを感じる。


 もうぐちゃぐちゃである。


 あの人は、きっと褒め慣れているのだろう。

 興奮していても、私に向けて感情を迷うことなくまっすぐ表現していた。

 それはきっと、あの家族たちにあの愛情表現をよく行っていたからだろう。

 私が一人で書庫に引きこもっている時、一人でご飯を食べている時、同じ屋根の下で、私のいないどこかで、当たり前のように家族の時間が流れていた。

 私の知らない家族。私だけがいない今世の私の家族。



「令嬢?」


「・・・えぇ、もう大丈夫です。王女殿下の元へ向かいましょう」


「かしこまりました」


 涙は引いていたが、心には暗い色の何かが渦巻いたままだった。


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