30 人生の転換点
ある日の昼下がりーーー
顔色のすぐれない少女が一人、グランテーレ王国王城にて会議室に揃う面々に頭を深く下げ、その場から退出した。
食事も喉を通らずまともに寝れていないのか、目の下のクマも化粧で隠し切れておらず、それ以上に少女の纏う負のオーラが彼女を更に不健康に見せていた。
その扉が閉まったタイミングで、誰からともなくその場にいる誰もが揃ってため息をこぼした。
難しい顔をしたまま眉間のシワを揉みほぐしている者、頭に手をやり困った表情で首を横に振る者反応は様々だが、彼らはリアクションも程々にすぐに上座へ視線を向けた。
我らが王がどう出るのか。
頭が痛い問題とはいえ、彼らはその決断に従うのみである。
今後のためになると急きょ学園から呼び出された王太子も、玉座の横で父である国王の言葉を何も言わずじっと待っている。
玉座に座り目を閉じている国王、アブラーモ3世はしばらくして場が静かになったと同時に、ゆっくりと瞼を開いた。
その榛色の瞳の中に迷いの色は既にない。
「彼女はこの国で保護する。元々そう言う条約だ」
この場に招集された上位貴族達は、それに続く言葉に耳を傾ける。
「そして余の弟、ファウスト。ーーーガルシア大公は彼女と婚姻を結ぶように」
その言葉に一斉に場が騒がしくなる。
手段としてはこの上なく有用だが、国王がこれからの王国の貴族社会に大きく影響の出る選択を取ったことに驚く貴族は少なくなかった。
彼女をこの国で最大限安全に保護するためには、王国貴族に取り込む必要があるのは理解できるが、大公位とは政務を行うために用意された公爵位のまた上の爵位。
中枢に近すぎではと言う声が少なからず上がる。
保護するだけなら侯爵、伯爵あたりが妥当だろうと皆は考えていた。
王弟であるファウスト・ガルシア大公の年齢は35、彼女はまだ16であり、二人が婚姻を結べばそれなりに歳の差があるが、政略結婚であれば珍しい歳の差ではない。
しかし、ここで目を逸らすことのできない問題が一つあった。
現大公妃、メイリーンは子を成せなかったのだ。
今年で婚姻17年目を迎える大公と大公妃は仲がいい事で有名で、大公自身、側妻を迎えるつもりはないと婚約当初から公言している。
だが、先代国王の第2子として生まれたからには、王族の血を残すという役割を果たさなくてはならない。
そんな中で外から来た誰の紐付きでもない高貴でかつ純潔の少女。
国王はこれを機に、王弟に側妃を据えるつもりのようだ。
今まで弟可愛さに見て見ぬ振りをしていた問題に、ようやく重い腰を上げたのだ。
今は無き彼女の母国に最大限考慮した結果となる。
「――王命、謹んでお受けいたします」
この場にいたガルシア大公も、言われた直後はうっすらと納得のいかない表情を浮かべたものの、国王である兄の命に諦めた様にそう口にした。
「これで良いかの、イグナシオ皇太子殿下。いや、――今はユノ殿と呼ぶべきか」
彼女の去った扉の横に佇んだまま、静かに話の行く末を見守っていた少年。
制服を着ているが故に少女ではないとかろうじて認識できるほど麗しい容姿をした、―――ユノは、国王へ深々と頭を下げた。
「末端とは言え、彼女も私共イスラ王家の血族。彼女への温情の待遇を、今はなきグレイラミレス王国に代わり、イスラ帝国を代表して感謝申し上げます」
なぜそこにユノがいるのか、会議が始まって以来疑問のままだった王太子は、その会話の流れでようやく、彼がどういった立場の人間なのか正しく理解した。
そんな一瞬の感情の起伏に国王が片眉を上げる。
「フェル。お主、ユノ殿と顔見知りか?同じ学年ゆえおかしくはないのだが・・・」
ユノと王太子が二人きりで顔を合わせたことは今まで一度もない。
ユノの顔は、入学式の時、ロクサーナの隣にいたので覚えていたぐらいである。
休日は二人で出掛けることもある様だと諜報員からの報告で聞いているが、彼が少女の様な容姿をしている事が幸いしてか、お互いへの認識が完全に友人枠であると直ぐに分かったため、特に嫉妬の感情が生まれることはなかった。
それよりもよっぽど、エトとデートに出かけたという報告の方が心にくるものがあった。
エトがロクサーナによからぬ感情を抱いている事は、見れば誰しもわかるほどだったから。
そして、ロクサーナが楽しそうに着飾って出掛けたことも、この暗い感情には起因しているのだろう。
その時のロクサーナの写真(諜報員による隠し撮り)は、いまも胸ポケットに入れてある。
写真を一般に普及させた本人が真っ先に盗撮の被害に遭うというのもおかしな話だが、その不条理さに気づく者は誰もいない。
ロクサーナの事を父にどう説明すべきか表情を固くして悩んでいると、ユノの方が口を開いた。
「私の親友が一人、殿下と同じSクラスへ所属していますので、その関係で一度、顔を合わせたことがあるのです。ねぇ?殿下」
「え、えぇ。その通りです、陛下」
若干吃っている息子の反応に何かあると興味を惹かれるが、流暢に中央諸国言語を操るユノを見て、一つ問題が浮上してきたので後回しにする。
「そうであった。彼女の中央諸国言語の教鞭だが、誰が取るのが良いであろうか」
そう、彼女はこの国の言葉を話す事ができない。生まれも育ちも北の大陸である。
しかし、彼女もこの国の中枢で生きる事が確定した身であるし、こちらの言葉が話せないままでは流石にまずい。
先ほどこの場にいた通訳は、彼女を保護しこの国に連れてきたギルド職員であるため、ギルド法上、既にこの国の管轄となった彼女の教鞭を取ることはできない。
候補を募ろうと、集まっている貴族達に腕を組み問いかけると、まず右宰相のレティツィア侯爵が条件を絞る。
「彼女は精神的に追い詰められた状態です。緊張をほぐすためにも男性ではなく、女性である事が望ましいでしょう」
「そうだな」
国王の相槌に言葉を続けたのは、財務大臣のアディストン伯爵と法務大臣のプランネ伯爵。
「でしたら、ロバーツ伯爵夫人一択では?イスラ言語を話せる、かつ女性となると」
「しかし、夫人は厳格すぎる。同性なのが裏目に出ると緊張をほぐすどころか、さらに緊張される恐れもありますぞ」
会話を続ける貴族達を横目に、横に供えている息子に視線を送る。
「フェルはどう思う?基礎のマナーはロバーツ伯爵夫人に教わったのであろう?」
「私は、やめておいた方がいいかと。正常な心持ちでも、あの視線は応えますから・・・」
夫人の悪口を言っている様で気が引けるのか、苦笑いを湛えながら小声で言葉を発する。
それを聞いて、国王はふむと考えるそぶりを見せる。
「言語の教鞭はロバーツ伯爵夫人一択か・・・。であればもはや言語能力関係なく、歳の近い者を付けて精神的に安定してもらうのが一番ではなかろうか。学園の生徒を彼女の側使えに上がらせるか?」
趣旨が完全に変わってきたが、その言葉にこの場にいるほとんどの貴族が色めきだった反応を示した。
この機会に娘や孫娘がその役割を担う事ができれば、国王の覚えもめでたくなり、総じて家格の誇示にも繋がる故の反応であろう。
そんな中、王太子は一筋の光が見えてしまい目に少しの動揺を浮かべ、ユノはそれを見ておかしそうに笑った。
そしてそのやり取りを、側から見ていたアスティア侯爵が認識し、少し考える様に視線を逸らした。
その他大勢の反応と違ったものを見せた3人の表情は、傍観者然としている国王にとって目に付くものがあった。
そして一連しているものを見たそれに、大体の予測をつけ、そして点と点がつながり、すぐに確信に変わる。
息子が珍しく執着を見せている令嬢が学園にいることは、とっくの昔に報告が上がっている。
それをふと思い出し、その令嬢とユノの言う親友の特徴が一致する事に気付いたのだ。そしてアスティア侯爵があの反応を示すのもそれしかない。
これからの算段を見積りつつ、国王は本人に敢えて回りくどく問いかける。
「のおフェル。お主、学園に気になっておる生徒はおらぬのか?」
いくつか受け取り方のある言葉を選んで王太子に問いかけると、王太子はこの場の貴族であればすぐに分かるほどの動揺を見せた。
せめて視線を泳がす事がなかったのは褒めてやろう。
動揺が悟られたことに気付いた王太子は一変、表情を殺し口を閉ざす。
「お主が名を上げれば、その者は王城へ上がる事ができる。その意味は分かるな?」
「えぇ」
国王の言う通り、リスクとリターンを十二分に理解している王太子は、しかしそれ故に、その名を口にすることはない。
この選択は彼女の人生を壊しかねない。それが彼にとって1番の心配であった。
国王のこの言葉によって、側仕えとして城に上がらせるという理由がただの建前に変わったのだから。
「ユノ殿はどう思う?」
ここでユノにそう問いかけると言うことは、この場に未だ名が上がらずとも、国王は『彼女』を認識していることを意味していた。
それを察した当事者3名は、お互いに視線を交える。
王太子は少し不安げに瞳を揺らしているが、ユノとアスティア侯爵はこの場が初対面にも関わらず揃って穏やかな表情で笑っていた。
そんな二人の反応に国王は少し片眉を上げる。
「彼女はイスラ言語を話せますから。適任かと」
「彼女を王城に上げることで生じる問題もございますが、私は、利益の方が大きいと存じます」
先に賛成したユノは、自分に続いたアスティア侯爵の言葉に少し驚く。
アスティア侯爵は彼女のもう一つの姿を知っているため大賛成だが、しかしその理由を知る者はこの場にいない。
個人の交友は顔見知りである程度と考えていたユノにとって、侯爵の肯定の温度は少し予想外だった。
「リアムがそこまで推すのも珍しいの。・・・さて、アスティア侯爵のお墨付きがついておるが、フェルはそれでも不安か?Sクラスに所属し、かつ語学堪能の令嬢であれば間違いなく才女であろう。であれば、余もその者をただの令嬢として捨て置く気はないぞ」
特定している上で、貴族達の耳のあるこの場所でのこの言葉。
この場で王太子がその名を口にせずとも、国王は何かしらの役割で彼女を城に引き込む事を意味していた。
それをしっかりと聞いていたアスティア侯爵は、人知れず内心で勝利のガッツポーズを掲げた。
しかしこの調子だと、彼女を自分の息子に当てる予定は白紙になりそうだと考えを巡らせる。彼女と家族になれると飛び跳ねて喜んでいた娘の絶望の表情が目に浮かんだ。
彼女が関わると簡単に一喜一憂してしまう娘に、入れ込みすぎだと思いもするが、しかしその経緯を娘に直接聞いてからは、仕方のない事であろうと諦めている。
彼女の影響で令嬢らしからぬ成長を遂げてしまったが、それでも、ただの令嬢としてつまらない人生を送るより、心から笑っている方が断然幸せな人生だろう。
娘にとって彼女は、かけがえのない親友で、文字通り世界一のヒーローなのだから。
そして自分が選択した言動によって、そのヒーローがこの国を去り、更には行方さえ暗ませる可能性が十二分に出てきてしまった。
その場合、経済や文明へと及ぶ世界への損失は、計り知れないものとなるだろう。
彼女が発見し生み出した物は、例外なく時代を一歩先へ送り出してきた。
だが、もし彼女がこれを受け入れた場合、この国の繁栄は間違いのないものとなる。
彼女の心の天秤ひとつで全てが決まり、歴史の行く末が大きく変わる。
しかし賭けずにはいられない選択であった。
まさにハイリスク、ハイリターンである。
歴史の大きな転換点に、自分の言動が大きく関わっている事に心ばかりの緊張を感じている頃。
国王にここまで丁寧にお膳立てされているこの状況に、王太子が意を決して口を開いた。
色彩は違えど、その瞳に込められた決意の色は国王のそれとよく似ていた。
「ルチアーノ・グレイラミレス王女殿下の側仕えに、ロクサーナ・バートン男爵令嬢を」
皆が見守る中、王太子の言葉がすうっと場に溶けていく。
その言葉が発せられた後、一瞬の間ののち視線の嵐に襲われたのは、ひょんなことから王都に訪れ国の重鎮までが揃う召集にたまたま巻き込まれただけの、エギル・バートン男爵当主。
娘を側仕えのポストにどう捩じ込もうかと妄想を繰り広げていた彼は、不自然なほど娘に関する噂を耳にすることがなかったため、降って訪れたとんでもない幸運と、国の中枢の貴族全員から受ける鋭い視線に感情が追いつけておらず、変な表情のまま完全に固まってしまった。
そんなバートン男爵を見た国王は、息子を焚きつけたはいいが、あの男はどうしたものかと悩みながら、王太子の言葉に深く頷きを返した。
「では、本日の放課後。ロクサーナ嬢を王城へ連れてまいれ」
「かしこまりました」
***
王太子が早退したと知らされた昼休みが終わって暫く経った歴史の授業中、立て続けにくしゃみに襲われると言う謎の事件があったものの、今日も一日、いじめっ子達から逃げ切り平穏な時間を過ごす事ができた。
超健康のステータスなのにくしゃみとは、不思議なこともあるものである。
現在は帰りのホームルーム中。
ハーバードが締めの言葉を口にするタイミングでクラウチングをキメるので、いつも通りその言葉を待っていたのだが、それを静止するようにハーバードから視線を頂いてしまった。
いつもは黙認してくれるのに、どうしたのだろう。
「バートンはこの後俺について来るように。これで本日の連絡事項は以上だ。では、解散」
その言葉に体に入っていた力を抜き、改めて椅子に座り直す。
珍しいこともあったものだ。呼び出しとはまた、前世の学園生活を思い出すな。
もちろんテストの点数が悪くての不名誉な呼び出しだが。
今世のテストの点数は問題なし。日々の素行も問題、は、あるのかも知れないが、いじめに関しては事情を知っているハーバードの方でうまく処理してくれているはずである。
となると呼び出される理由が全く全然見当たらないのだが?
これからサロンのあるエレナーレとヴェラに別れの挨拶をして席を立ち、教壇にいるハーバードの元へ向かう。
私が付いて来るのを確認したハーバードは、教室の扉に向かいながら、詳しくは歩きながらと目で訴えてきた。
それにただならぬ事情があると見て、その背中に駆け足でついていく。
「ーー少し、覚悟を決める必要があるぞ」
「え、何ですか何ですか、怖いんですけど・・・」
廊下に出て人がいなくなったと同時にそう脅してくるハーバードに、思わず歩みのスピードが遅くなった。
しかし、間隔が空いてすぐハーバードが立ち止まる事なく視線だけを寄越してきたので、少し真剣な心持ちに切り替えながら小走りで元の距離に戻る。
「戦争があったのは、知っているな?」
「えぇ、冒険者新聞にも載っていましたし」
そう、北の大陸で国が一つなくなるほどの戦争が起きた。
この世界でも紛争は珍しくない。むしろ、現代の地球よりはるかに多い。
生まれたこの国が大国であるから平和に感じるが、軍事力の弱い小国となると、潰れては起こりを繰り返している地域はいくつもあり、世界地図の国境も名前もその度に書き変わっている。
そして今回消滅した国は、緑が豊かで穏やかな国だったと聞くグレイラミレス王国。
北の大陸の小国で、イスラ帝国の属国であった。
そのグレイラミレス王国は国境を共にする隣国、同じくイスラ帝国の属国リベラミレス王国からの侵略を受け、王家に連なる貴族全員が処刑されたらしい。
海を挟んだ遠い国での話ではあるが、決して気分の良いものではなかった。
「そこの姫が一人、この国に亡命してきているらしい」
「全員処刑されたのではなかったのですか?」
「リベラミレスがそう主張しているだけの様だな。彼女一人だけ、どうにか逃れたんだろう。ギルドに要請して、遠い同盟国であるこの国に逃げ込んだわけだ」
「へぇ」
今回の呼び出しに関係ない話ではないのだろうが、話の流れが読めず取り敢えずなんとなく聞き流す。
目的は知らされないまま、ただハーバードの後について行っているが、行く先はどうやら裏門側らしい。
現在、普段はあまり通らない廊下を歩いている。
「それでついさっき王城で決まったことだが、その姫を王弟の側妃に据えるらしい」
「それはまた思い切りましたね・・・」
王弟が既婚者で15年以上子供がいないことは風の噂程度には知っているので、納得ではある。
校舎を出る手前、校舎の外の少し離れた場所に馬車を見つけた。
その馬車がちょっと豪華すぎることに少しの違和感を覚える。
そして、良く見ると、馬車にある紋章がグランテーレ王家のものであると分かった。つまり王城行きの馬車である。
ハーバードが校舎から足を踏み出す手前、校舎の影の中で立ち止まり、振り返る。
いつも通りの表情、しかしほんの少し不安そうな色が乗っているのを見て、今回の呼び出しについて、ハーバードが心から心配していることを察する。
「どうするか心を決めろ?多分、後戻りはできない」
「えぇ」
何を言われるか見当もつかないが、その言葉の意味は理解できる。
数年来の付き合いで、冒険者の、そして人生の先輩であるハーバードの真摯な視線を受けて、それを真っ直ぐ見つめ返す。
「姫の名前はルチアーノ・グレイラミレス王女殿下。彼女が話すのは母国語のイスラ言語だけで、この国の言葉を理解する事はできない。そこで言語習得のために、教師候補にロバーツ伯爵夫人が上がった。しかし夫人は心身共に疲労困憊の王女殿下にはキツすぎるということで、今度は歳の近い学園の女子生徒を側仕えに上げる話が出たらしい」
そこまで聞いてやっと全てを理解する。
そして喉からヒュッと音が鳴り、無意識に呼吸が止まった。
風に揺れる樹木の葉たちが、やけに澄んだ音を立てる中、ハーバードが言葉を続ける。
「その場にいた王太子が王城に上げたい生徒として名を上げたのが、お前。ロクサーナ・バートンだ」
なぜ王太子が私の名を出したのか、その理由は言われなくても分かる。
私は王太子のお気に入りで、つまり、彼もこれを機に本腰を入れて私を囲いたいという事なのだろう。
王太子のあの視線の意味に気づかないほど鈍感ではない。
出会った最初の頃と比べ、その瞳には執着の色が見え始めていた。
温厚な彼が強硬手段に出ることはないだろうと、あんなものは一時の気の迷いで、卒業すれば何事もなかったかの様に振る舞うのだろうと、呑気に他人事の様に構えていたのだが、しかし今回、『側仕えの選定』という彼にとって大きすぎるチャンスが降ってきてしまった。
これは、こうなる前に手を打たなかった私が悪いな。
現実を見れていなかった。城の中に囲われるなんて、想像はしても想定はしていなかった。
それに、推しから恋慕の情を持たれる事にほんのりと心地よさを感じていたのだから手に負えない。
うっすらと見えていたいくつかの『未来』の中で、『現在』は私の望まない方向に進んでいる。
王太子の隣に立つリーゼロッテ、その少し後ろに控える自分の姿。
王太子妃と側妃の在り方だが、しかしその平穏な絵は私の未来の中に見えないのだ。
ここで私が取れる選択肢はいくつかある。
一つ目は、目の前のあの馬車に乗らず、このまま行方をくらます選択肢。
ハーバードが教室から私を連れ出す姿はクラスメイト達に見られているので、これはハーバードへ責任が問われてしまう選択だ。
しかしきっと、目の前の彼なら迷う事なく引き受けてくれるのだろう。
そしてロクサーナ・バートンは失踪し、今後一生、星爵家のロキ・エストレアとして生きる。
とても魅惑的な選択肢だ。
世界中を騙し続けることに今更忌避感は感じない。
私の理想の姿であるロキとして、ただひたすらに迷宮へと挑み、世界中に称賛される人生。
既に爵位は戴いているので、この国で変わらず冒険者活動をすることができる。
その先の未来はきっと世界の覇王、グランドマスターへと続いているのだろう。
現グランドマスターからの推薦と言う名の切符は、既にこの手にあるのだから。
二つ目は、この場で自分がロキであると名乗り出て、堂々と王命に背く選択肢。
男爵令嬢に過ぎないロクサーナが、王命に逆らうことは絶対にできない。
故の選択だが、この場合、男爵令嬢として生きる道は途絶えることになるだろう。
出生が公にされた以上は、男爵令嬢に名を残したままだと、悪意を持つ人間達に利用されかねない。ロキの名はそこまで大きくなってしまった。
その後は、一つ目の選択肢同様、ロキとして生きる事となるだろう。
これを選ぶなら、一つ目の方が混乱は少ないためまだマシだろうか。
そして三つ目の選択肢。
このまま馬車に乗り、城に向かう。
そして、次代の国王の側妃として、学園同様正妃であるリーゼロッテとその取り巻き達に虐められながら肩身の狭い人生を送るのだ。
義務が今以上に多くなり、監視も増え、リーゼロッテという天敵と同じ屋根の下で暮らすことでプライベートの時間なんてほぼないに等しいだろう。故に、ロキとしての活動は今以上に小規模となってしまう。
そしてその代償の代わりに、男爵令嬢ロクサーナとしての人生は守られる。
まずはこの三つの選択肢が頭に浮かんだわけだが、どの未来を取るか私の中では既に決まっていた。
足を踏み出し、心配そうに私の顔色を伺っているハーバードの横をすり抜ける。
校舎の影が消え、石畳を優しく照らしている日の光が、私の顔を明るく照らした。
「ハーヴィー。私を攫ってくれますか?」
夏の終わり、心地よい初秋の日和に、私の穏やかな声が澄んで聞こえる。
振り返れば、校舎の影の中で少し驚いた表情を見せるハーバードがいた。
が、私の表情を見ですぐに苦笑いに変わった。
私は今、四つ目の選択肢をハーバードに提示している。
「未来の国王のお気に入りを、俺が横から掻っ攫うわけだな」
ハーバードのその言葉にうんうんと頷きながら、私は両腕を大きく広げる。
「えぇ、ハーヴィーと一緒に逃避行です。南の小島でも買いましょうか。幸いお金は有り余るほどある。そしていつまでも幸せに暮らしましたとさ」
めでたしめでたしと本を閉じるように両掌を合わせる。
おとぎ話のような幸せな世界だ。
「とんだ逃避行だな。その場合、俺は国際手配されそうだが?」
「私も王命に背いている時点で犯罪者ですよ。まぁ、すべてハーヴィーになすりつけることも可能ですが」
「ひどいな」
お互いにおかしそうに笑う。
そうして少し笑った後、視線を下げた私は口を開いた。
「やはり私は『ロクサーナ』に依存し過ぎでしょうか」
「・・・まぁ、そうだな。俺としてはそれを投げ出して欲しかったんだが。・・・これでもお前のファンだから。今以上に活躍が見られなくなるのは嫌なんだよ」
「・・・、善処します」
「頼りない返答だな」
「あはは・・・」
生みの親が誰か分からなくても、私はロクサーナとしてこの世界に生まれた。
ロクサーナとロキ、どちらか一方を捨てなくてはならないと言われれば、私はロキを捨てる。どんなに憧れた理想の姿でも、どんなに夢のある未来が待っていたとしても。
「ロクサーナを捨てれば、私は私じゃなくなる」
ロキの存在は幻想に過ぎない。
ロクサーナを捨てれば、ロキは持ち手がいなくなった風船同様、ふわふわと空高く飛んでいき、そしていつかは破裂する。
そんな気がしているから、どうしてもロクサーナを手放せないのだ。
「お前、生き辛そうだな」
「言えてますね」
自覚はあるから否定できないな。
「・・・では、行ってきます」
「あぁ。戦友の未来に、幸多からんことを願ってるよ」
不幸しか待っていないだろう未来へ踏み出す私に向けたハーバードのその言葉に、ほんの少し泣きそうになったのは秘密だ。
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