2 新年の夜会 後編
しっかし、さすがは外務大臣。
歩けばモーセの如く道が開けていく。
そしてその後ろを一人娘のエレナーレと手を繋いだ、どこか影の薄い令嬢らしき人間が付いて歩いている現状。
側から見れば違和感が残る光景だが、皆が例外なく自然と受け入れてしまっている。
これが【隠密】レベル1の効果である。
人間の姿形はきちんと認識できるのに顔は分からない、けどそれで問題ない、脳はそう認識してくれる。便利なスキルだ。
レベル2だと令嬢か子息か姿格好の見分けがつかなくなる。
そしてレベル3になってやっと隠密らしく存在の意薄さに繋がるのだ。
「――王太子殿下にご挨拶申し上げます」
誰か他の貴族と話していた王太子は、侯爵の声に振り向き綺麗な作り物の笑顔を浮かべる。
先に話していた貴族は侯爵より格下の者らしく、王太子と侯爵に恭しく頭を下げて文句も言わず、そそくさと離れて行った。
残っているのは護衛らしい騎士一人と貴族服に身を纏った一人の男性。
「やぁリアム殿。さっきぶり」
声も綺麗だった。声優が声を当てているみたいでオタクには堪らない声である。腰のあたりがむずむずする。
この人が国王になるのなら貴族でいるのも悪くないかもしれない。
「えぇ。クアラーシュ公爵とウルカル殿にも新年のご挨拶を」
こうしゃく、エレナーレパパが言うなら公爵の方かな。ならばアスティアより格上である。
ウルカルというのは騎士の方だろう。
年はウルカルは侯爵より少し上、クアラーシュ公爵の方は侯爵より一回りほど上に見える。
「あぁ」
「今年も宜しく、リアム君」
ウルカルの方は意外にもフレンドリーだった。
個人的な交流でもあるのかも知れない。
「殿下にご紹介したい者がおりまして、よろしいでしょうか?」
「うん、そちらはエレナーレ嬢だよね。もう一人は・・・―――」
少し前から【隠密】を完全に解いているので、アスティア親子に身も知れない私がくっ付いていることに気付いたらしい。
王太子と目が合ったのでエレナーレと共にスカートを持ち膝を付く最上位礼をし、エレナーレから挨拶の言葉を掛ける。
「王太子殿下に新年のご挨拶申し上げます。アスティア侯爵家のエレナーレ・アスティアでございます。こちらは私のお友達で殿下と学友となる者でございます。ご挨拶を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「・・・うん」
おおっと?少し反応がよろしくない様だがまぁ続けさせてもらおう。
「恐れ多くも、新年のご挨拶申し上げます。お初にお目にかかります王太子殿下。バートン男爵家の次女ロクサーナでございます。年は今年で15になります故、学園では殿下の同学年となります。名前だけでも記憶の片隅に置いて頂ければ幸いでございます」
これにてミッションクリア。
『王太子の記憶にちょっぴり残ろう大作戦』は、その名の通り名前だけでも覚えてもらうことに意味がある。
もし父が確認を取った時に、「あぁそんな令嬢いたね、興味なかったけど」と言ってもらうことを目的としているのだ。
父は寵愛を受けてこいと簡単に言うけれど、しがない男爵令嬢がこんな格式高い夜会で出来ることなんて高が知れている。コネを使って挨拶できたんだから評価は上々過ぎるぐらいだろう。
父よ、娘は頑張ったんだぞ。
「男爵・・・?」
「・・・バートン?」
「・・・名前だけ?」
上から順にウルカル、クアラーシュ公爵、王太子の順だ。
ウルカルは多分男爵家の令嬢如きが王太子に紹介されることを疑問に、クアラーシュ公爵はうちの家名に聞き覚えでもあったのだろう。モンダールのダンジョンもあるし有名ではある。
あとは、王太子、君だ。なぜそこを疑問に思う?
しかし、周りからの視線が相当痛いなこれ。
普段引き篭もっているだけに令嬢ver.では珍しい状態だ。
ロキの方では珍しくも何ともないんだけど。
「あ・・・、あぁ二人とも頭を上げてくれ」
言われた通り元の姿勢に戻る。
澄んだ青色の瞳と正面から目が合ってしまい、不意に吸い込まれそうになる。
「初めましてバートン男爵令嬢。ロクサーナ嬢と呼んでも?」
おん?意外と好印象?
「えぇ、殿下のお気に召すままにお呼びください」
そう言って簡易礼をとる。
下げた視線を戻し後ろの二人を盗み見ると、ウルカルは少し警戒した様に私を観察していた。対してクアラーシュ公爵は一人何やら考え込んでいる。
心を落ち着け再び視線を王太子に戻すと、意外にも真っ直ぐ見られていた。
あれ?予想してた反応と少し違う?
「ロクサーナ嬢はバートン家の令嬢の様だけど、初めて見る顔だね」
「えぇ、夜会は今回が初めてでございます。普段は書庫に引き篭もっております故、非礼がございましたら相応の罰をお与えください」
「い、いやいやちゃんと出来てるから大丈夫。罰は与えないよ」
「左様でございますか」
それは良かった。
書庫にあった礼儀作法の本を参考にメルリィと共に頑張ったのだ。
偉い人に努力を認められたので素直に嬉しい。
自然と頬が緩んでしまうな。
「っ。ええっと、いつも書庫にいるのなら本が好きなのかな。おすすめとかある?」
「おすすめですか・・・?」
意外に話を広げてくる。
いつもこんな感じなのかな?
いつもこの調子なら勘違いしそうな令嬢が発生しそうだけど、彼の周りは大丈夫だろうか。
王太子からの質問に、直ぐに異世界版ラノベである英雄譚とか勇者録とか思い浮かんでしまうが、これは令嬢的に素直に言わない方がいい様な気がする。
「最近は旅行記などを読んでおりますね」
オブラートに包んでみた。
うん、嘘ではない。
英雄譚関連の旅行記は読んだことはある。
「旅行記・・・、残念。僕は読んだことがないなぁ。オススメとかあるかな?」
合コンか?これ。
合コンなんて行ったことないけど、話の広げ方がテンプレな気がした。
「『ブレンダークの紀伝』などは如何でしょうか?有名な方ですし馴染みのある人物も出てきますので読みやすいかと」
「あぁ確かに、ブレンダークの名前は聞いたことがあるな。南西のラタトークの建国王じゃなかったかな?」
「えぇ、紀伝の中ではこのグランテーレ王国も何度か登場いたしますよ」
「へぇ、この国が・・・。ウルカルは知ってる?」
「え?え、えぇ、存じ上げております。私も昔はよく読んでおりました」
私への警戒の最中に急に話を振られたウルカルが慌てたように返事を返す。
格好も騎士の様だし、もしかすると英雄譚系の話が好きなのかもしれない。
「そう、今度時間があったら読んでみるよ。ロクサーナ嬢、ありがとう」
「恐れ入ります」
おぉ〜、さりげなく流された。
検討いたします、は大体がダメな場合なのだ。
会話が途切れ微妙な間が空きお互いに微笑み合っていると、王太子の背後から意外な声が降ってきた。
「――君、バートン男爵の次女だと言ったな」
「え、えぇ」
びっっっくりした。
今まで黙って考え込んでいたクアラーシュ公爵がいきなり声を掛けてきた。
彼は公爵家の当主なので、実は目の前の王太子より発言権が強かったりする。
まさかそんな天下の公爵様が私に話し掛けてくるとは・・・。
周りも若干驚いている感じだ。
「歳は15だな?」
「え、えぇ。今年15になります・・・」
ちょっと待って、心の準備ができていない上に会話の意味がわからなくて困るんだけど。
「ふむ、なる程・・・。いや、なんでもない」
えぇぇ・・・。
そう言われると余計に気になるんだけどぉ?
さすがは準最高権力者。言動が自分を中心に回っている。
果たして何の確認だったのだろうか・・・。
「・・・では殿下、次が待っておりますので私どもはこの辺りで失礼致します」
若干の気まずい間が流れると、黙って会話の行く末を見守っていたアスティア侯爵が声を発した。
謎展開になっていたから正直ありがたい。
「あ、うん。ロクサーナ嬢とエレナーレ嬢。学園ではよろしくね」
「「こちらこそよろしくお願いいたします」」
「あははっ、仲が良いんだね」
エレナーレと見事なハモリ芸を決めると、王太子は初めて自然な笑みを見せた。
見てみたいとは思っていたがこんな至近距離で浴びると目に毒である。
ちょっと幼くなる辺り、ファンの急所をよく理解していらっしゃる様で。
フュッと息が詰まってクリティカルヒットである。
今の私にクリティカルヒットを与えられる人間なんてそうそういないだろう。
はははっ、今にも口から血反吐が出そうだ。
「では失礼いたします」
エレナーレが礼をしたので私も礼を取り、そそくさとその場を去った。
「ふ、はあぁぁぁーーーーー・・・・・」
やっとこさ壁際に辿り着き、【隠密】のスキルを発動させた瞬間、私は壁に手をついて大きくため息を吐いた。
疲れたどころの騒ぎじゃない。
ダンジョンの階層ボスを相手にする方が何百倍も楽であった。
「お疲れ様ね、ロクサーナ」
ほんと、それな。
「私史上最大の難易度でした。精神的にこれほどまでに追い詰められたのは初めてです。・・・まぁ色々とイレギュラーが過ぎましたが、殿下とはそれなりにお話し出来たので本来の目的は達成できたと見て良いでしょう。エレナーレ様も閣下も、この度はご協力ありがとうございました」
「いや、面白いものを見れたから良いよ」
「そうね、とても愉快な現場だったわ」
「・・・愉快、ですか?」
「そうね」
「そうだな」
あれを愉快と呼ぶのだろうか。男爵令嬢がこのような計画を発案する時点で滑稽ではあったと思うけど。
王太子の笑顔を見れて満足しているのは私だけだろうし、この親子の感覚はよくわからない。
「予定も済んだ事だし私は失礼するよ。例の件が気になるからね」
「畏まりました。次回お目にかかる機会がございましたら、これからもどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、末長くよろしく」
そう言って予想外にも私の手を取り、手の甲に軽く唇を落として去っていった。
害意が一切感じられないためか流れる様な動きに完全に反応が遅れた。
さすがは上流の紳士である。
手の甲に唇が触れるだけの挨拶のキスだが、それでも初めてされた事に心臓がドドドッと音を鳴らす。
「・・・、かっこいい父君ですね」
「でしょう?」
ここで間を置かずに是と即答できるエレナーレも相当凄いと思う。
その後はゆったりとした時間が流れていた。
【隠密】を使えば周りに人がいても人目を気にせず会話ができるので、私の腕にくっ付いているエレナーレもかなり上機嫌である。
場所が違うだけで、いつものお泊まり会と同じ様にダンジョンでの話をする。
私とエレナーレは共に冒険譚に憧れる性質を持っているので話が結構合うのだ。
お互いに身分が邪魔をするが、親友と言っても良いほど親密な仲である。
そんな私の武勇伝を語っていると、不意に、会場の奥から人為的な魔力の流れを感じた。
やっと来たか・・・。
思った以上に時間がかかったな・・・。
軽く気を張っていたからか、相手が動いた事に口から息が漏れる。
どうやら仮想敵組織は、ターゲットへの接触前にロンベルン伯爵が連行される事を想定していなかったらしい。
確かに、こんな人混みの中で『洗脳』が見破られる可能性なんてほぼないし、何かしら計画を組み直したのなら、まぁ妥当な時間ではある。
そんな事を呑気に考察しながら、冷静に事の成り行きを見守る。
「――ロクサーナ?」
不自然に会話を止めた私にエレナーレが首を傾げた。
そして次の瞬間、音もなく周囲が闇に包まれた。
一瞬で視界が暗闇で閉ざされた事にパニックになった貴族達から悲鳴が上がる。
頭を両手で覆い蹲っている者、ひたすらに衛兵を呼ぶ者、反応は様々だ。
衛兵達も暗視系のスキルを持っている人はいない様で、剣の柄に手を添え辺りの気配を探る事しか出来ていない。
なるほど、こう見れば敵が会場中の人間の視界を奪ったのは効果的面の様だ。
今日は新月ではあるが、それ以前に会場外からの光が一切入って来ない。
謁見の間が含まれる中央区画全体から混乱の気配が伝わってくるため、敵はここら一帯に繋がる魔力配線に細工をしたらしい。
会場外では階段を踏み外しそうになった召使いがちらほら見られる。
あわや大惨事ではあるが、今の所怪我人はいないようだ。
周囲の状況が何も見えていないエレナーレは、焦点の合わない視線を宙に彷徨わせながら掴んでいる私の腕を強く引いた。
「何が・・・」
「大丈夫、私は見えてますから」
不安げに声を漏らすエレナーレの手に触れ、はっきりとした声で返す。
【精霊姫】のスキルには『暗視』機能もあり、こんな咄嗟のことでもパッシブとして働いてくれる。
実際、視界が奪われようと【察知】で如何様にも出来るのだが、視界が確保されているだけで安心感が格段に違う。見えていない人達はさぞ不安であろう。
そして私たちの視界を覆っているのは純粋な暗闇の様だった。
案の定、精神支配の類ではなさそうなので、この際この暗闇は置いておいて。
問題は、なぜ灯りが落とされたのかである。
この夜会で仕掛けたのなら敵の狙いは王族であるはず。
そう考え王族達の気配を探しながら会場内を見渡す。
国王は・・・、この場にいないな?
いつの間にか王妃殿下と共に退席していたらしく、少し離れた部屋で数人の貴族達といる様だ。
この会場同様に照明が落とされているらしく慌てた様子が感じられるが、その周囲に害意のある魔力は感知されないので放置。
一番年下の王女様も遅い時間なので既に退場済みで、王族の居住区画にいる様だが、そちらの方に被害はないらしく、比較的ゆったりとした時間が流れている。
残りは王子二人。
まぁ消去法で狙いは王太子だろう。
そんな事を考えを巡らせていると直ぐに害意を纏った気配が動いた。
『殺意』ではない事が若干気にかかるが、目の前で起きてしまったんだ。
見逃すのは流石に寝覚めが悪すぎる。
「・・・エレナーレ様、その場でじっとしていてください」
「ええ」
もしもの時の保険のため魔力障壁をエレナーレに張り、【隠密】の効果を上げながらドレスの裾を持ち、戦闘系スキルをレベル5に上げると生える『縮地』を使って素早く王太子を狙う敵に向かう。
全身黒尽くめの軽装を見に纏った人間が、暗闇の中を迷う事なく駆け抜けている。
装着しているゴーグルが何かしらの暗視装置なのだろう。
敵は一人だけで他の構成員は見られない。
そして王太子まで数メートルと言うところで腰から抜いた短剣を順手に持ち、それを王太子の首に軽く撫で付ける様に伸ばした。見るとその短剣には毒が薄く塗られている。
・・・やはり何かおかしい。
敵側に王太子を殺す意図が一切感じられないのだ。
短剣に塗られている毒も鑑定すると即死や絶対死の劇毒ではなく、長く体に残り続けるタイプの微毒と出る。
拭い去れない違和感は感じるものの害意は変わらず発しているため、襲撃の妨害はこのまま決行する事にする。
履き慣れない踵の高い靴に構わず大きく踏み込み、敵の進路に割り込んで『収納』から取り出した愛剣を鞘に収めたまま、敵の短剣を弾き飛ばす。
キィンッと高い金属音が鋭く会場に響き渡り、敵の手から離れた短剣は遥か後方の人のいない場所に落下した。
この状況に対応し得る予想外の乱入者、そして敵の姿が認識できない状況に敵の動きが一瞬止まる。
その隙に、【深淵魔法】の影を使い敵の体を床に括り付けてしまう。
・・・結構呆気なく終わってしまったな。
見たところ暗殺者らしく奥歯に毒の丸薬を仕込んでいる様なので、自害させなために同じく影で作った猿轡を噛ませておく。
一連の攻防で発せられた激しい物音に、状況を探るように周辺の貴族達が息を潜めた。
短く息を吐いて後、剣を『収納』に仕舞いながら振り返ると、身構えるウルカルの背後に不安げな表情を浮かべた王太子が静かに身を隠していた。
他の貴族達の様に喚いたりしていない所を見るに、流石王族、肝が座っている。
「――何者だ」
【隠密】の効果を少し下げて近付くと、【察知】をいくらか取得しているらしいウルカルが鋭い声で私に問いかけて来た。
そして早くも暗闇に慣れ始めた目でしっかりと私の存在を捉えている。
ただこの感じだと、人間がいることしか察知できていないだろう。
敵か、味方か、それさえも分からない中で、帯剣している長剣の柄に手を添えいつでも抜けるように殺気を放っている。護衛としてはかなり優秀なようだ。
しかし勘が鋭そうなので、この人とはあまり話さない方が良いだろう。
「――後はよろしく。詳しい事はアスティア侯爵に聞いて下さい。多分すぐに来ると思うので」
「・・・」
結論、エレナーレパパに放り投げる事にした。
ウルカルは判断材料が足りないのか私の言葉に無言で返す。
「では」
そう短く言って現場を後にすると見せかけて、素早くウルカルの背後に回り込む。
そしてウルカルに比べ隙の多い王太子のポケットに、毒についての鑑定結果と敵の拘束解除のコマンドを簡潔に書いたメモを入れる。
いきなりのことに少し驚いた様だが意外にも冷静な王太子。
「協力感謝する」
この何も見えない状況の中でポケットを漁られているにも関わらず、私が味方と判断したらしい。
結果的に素晴らしい判断力だがこの安楽さは少し心配になる。
私が敵ならば、その綺麗な細い首は、剣なんて使わなくても簡単にへし折ることが出来るというのに・・・。
「――気をつけてね」
気が付くと私の口からはそんな言葉が漏れていた。
王太子も聞き取れるかどうかの小さな声だったが、彼にはちゃんと聞こえたらしい。
彼はその事を理解しているのか、直ぐに分かりやすく苦笑いを浮かべた。
「うん」
・・・本当に分かっているのやら。
そんな事を呟きながら私はその場を後にした。
錯乱状態の中、いち早く我に戻った一部の貴族たちが【生活魔法】ライトの魔法詠唱を完了し、会場が徐々に明るくなってくる。
【生活魔法】は使用人クラス以下の平民が取得するスキルとされているため、この場で使う貴族はいないと踏んでいたのだが、この状況下、何振り構わない貴族が数人はいたらしい。
予想外に早く視界が確保される中、【隠密】のレベルを再び上げエレナーレの元に戻りながら、魔力供給の切断されたシャンデリアにゆっくりと魔力を通す。
そして逆探知の要領で、敵に細工された箇所から末端まで魔力を繋げて行く。
急拵えではあるが、今晩あたりはこれで凌げるはずだ。
細工された配線は専門家にきちんと直してもらった方が良いだろう。
徐々に光で確保される視界、何が起こったか分からない貴族達。
そして王太子の近くに転がる黒い影で拘束された黒ずくめの男。
そんな異様な光景に会場がざわつく。
会場内で二の足を踏んでいた衛兵達が慌てて王太子の元へ駆け寄るが、既に事件は解決していると判断している王太子は落ち着いている。
王太子の体に怪我がない事を全身隈なく確認しているウルカルを放置して、王太子は渡したメモに目を通しながら周囲の貴族に指示を出している。
「――解決できたかしら?」
会場の注目が完全に王太子のいる中央に向いているのを確認して【隠密】のレベルを一つ下げると、私の存在を感知したエレナーレがホッとした様子で声を掛けて来た。
それを聞いて彼女に張っていた魔力障壁を解除する。
「一応は。しかし、敵の意図がよく分かりません。殺意を感じませんでしたし、剣に塗られていた毒も劇毒でも致死量でもありませんでした」
「そうなの?・・・まぁ敵は無事に拘束できた様だし、情報を吐き出させるしかないわね。お疲れ様」
定位置に着くとエレナーレは笑顔で腕を絡ませて来る。
一件落着の空気にお互い笑い合っていると、丁度、会場の外からアスティア侯爵が増員の衛兵を引き連れて入って来た。
会場の状況に眉を顰めるアスティア侯爵。
私たちは侯爵と別れた位置から動いていないので【隠密】を一瞬だけ解き、私たちを見つけた侯爵に王太子の所に行く様に指示を出す。
意図を理解した侯爵は軽く私に頭を下げてすぐに王太子の場所に向かった。
「・・・これはロキが現れたって言う事にするのかしら?」
近くのバルコニーに『アスティアの影』の存在を察知したエレナーレが、私に確認する様に口を開く。
「いえ、ロキの名は出さないでおいて下さい。ここにいるのは不自然過ぎますから。会場内に『アスティアの影』の協力者がいた、ぐらいで。多分、侯爵もそう話してると思うので」
「分かったわ」
私の返答を持ってエレナーレは影に幾つかハンドサインを送った。
それを受け取った影は了解の旨をエレナーレに返し、【隠密】を使って素早くアスティア侯爵の元に向かう。
なんとなく中学二年生からの持病が疼くやり取りだった。
要人の集まる会場の中央での、かの有名な『アスティアの影』の出現に周囲の貴族がざわめく中、影は主人に協力者の名前は出さない事を耳打ちし再び姿を消した。
「おぉっ凄い、もうあんな所まで。AGIは相当高そうですね」
まぁ、王国一の諜報機関でも【隠密】はレベル6までしかいないので私には見えている訳で。
素早く会場を駆け抜け再びバルコニーに戻って行く様を、ばっちりと確認していた。
ロキについて数年に渡って身辺を探られてはいたものの、こちらから探した事はなかったので『アスティアの影』とは何気初めての邂逅だった。
世界一の技術に呑気に感想を述べていると、エレナーレは苦笑いを浮かべながら呆れた様に口を開いた。
「ロキに掛かればアスティアも形なしね。解決策は何かないかしら」
「う〜ん・・・。ボス部屋の周回ですかね?死線を潜ればそれだけスキルも伸びますよ」
「・・・周回なんて言葉を使っているのは貴女ぐらいよ・・・」
うん、まぁそうだろうけど・・・。
ふざけて言ってみただけで、この世界の住民に周回を強要するつもりなんて勿論ない。
命の掛かったボス戦をリポップ次第繰り返すなんて、ゲーム感覚から抜け切れない阿呆のする事だろう。
ただ、死線を潜り抜けただけスキルが強くなるのは当たり前の事で、それが出来ないからエレナーレも困っているのだ。
「真面目に言えば、死ぬ気でステータスを伸ばすしか他ないですね」
ステータス値を上げるには、魔獣を倒しレベルアップをするか、根気強く鍛錬するかの2択の方法が存在する。
レベルが高い人間が強いのも、ずっと筋トレばっかりしていればSTRが上がるのも至極当然の事である。
しかし『レベルを上げる』と『死線を潜る』は似ている様で全く違う。
死線を潜り魔獣を倒せばレベルは上がるが、レベルを上げても死線を潜ったことにはならないのだ。
極端な例を挙げれば、弱小のスライムを一日中踏み潰し続けてもいつかはレベルは上がるが勿論死線を潜った事にはならない。身体的・精神的な負荷や、生命的危機を切り抜けようとする本能など様々な要因により恩恵を獲得する事が出来るとされている。
「まだまだ訓練が足りないということね」
「申し訳ないですけど、頑張って下さいとしか言いようがないですねぇ・・・」
語気を強くして息巻くアスティアのお嬢様を見て余計なことを言ってしまった気はするが、彼女の家の影が壊滅すると多方面に影響があり過ぎるので、これからより訓練が厳しくなるアスティアの影には手を合わせるしかない。
なんか、すまん。頑張って。
王太子が賊に襲われたため夜会はそれにてお開きとなった。
何が起こったかよく分かっていない貴族達は、城の使用人達の案内で高位の貴族から順々に退場していく。
男爵家の人間はこのゴタゴタで私の存在なんて忘れているだろうし、私は【隠密】を解いたエレナーレの横に付いて、彼女のお迎えが来るまでその場で暫く待機していた。
エレナーレはかなり高位な侯爵令嬢なのだが、事件の渦中に当主である父親がいるため彼女の案内は後回しにされた様だ。侯爵も私が付いていることを把握しているので、急いで帰す事もないと考えているらしい。
側から見れば能天気に会話を弾ませるエレナーレ。
彼女の【隠密】は解いているためロキの話はしていないが、それでも会話は途切れない。
「ーーエレナーレお嬢様」
王太子達もホールから場所を移し既にこの場にはいない。
殆どの貴族達が退出してエレナーレの声が目立つ様になってきた頃、彼女に声が掛けられた。
見ると王城の使用人とは少し違うデザインの服を着たメイドが一人。
アスティアのお屋敷で何度か顔を合わせたことのあるメイドだった。
私も【隠密】を解くと、いつもと格好の違う顔見知りの私が横にいることに少し驚いた様だが、すぐに無表情に戻し軽く頭を下げてくれる。
「お迎えが来たみたいですね」
「もう少し遅くても良かったのに・・・」
「そんなこと言わず、また学園で会いましょう?」
「・・・えぇそうね、春からは学園で会えるのだし今日は大人しく帰るわ。・・・ねぇ、やっぱりSクラスにはならないの?」
「しがない男爵令嬢はギリギリAクラスの下位に引っかかる点数を目指すつもりですよ」
学園のクラスは上からS→A→B→C→D→E→F→Gの成績順で分けられる。
試験は筆記、魔力量、魔法適正、戦闘力の4つで、平民は金かこのどれか一つでも突出して優秀なら入学することができる。
クラス分けは公平に行われるが例外が一つだけ。
王族、公爵家、侯爵家の人間は、どれほど無能だろうと必ずSクラスに配属される決まりとなっている。血統などで代わりの効かない人たちなので安全上仕方ないことである。
人生2回目の、しかもSランク冒険者の私が普通に試験を受ければSクラス間違いなしなのだが、やんごとない人間の集まるSクラスにしがない男爵令嬢なんて場違い過ぎるので、相当手を抜くつもりである。
書斎の引き篭もりで頭はそれなりに良いということで通っているので、Aクラスの下の方を狙っているのだ。
男爵家にしては優秀な令嬢であろうと思う。
「エレナーレと同じクラスになれないのは残念ですが、時間があれば取り巻きに混じりにいくのでよろしくお願いしますね」
学園生になってももちろん冒険者は続けるつもりなので普段はモブを演じるのだ。
エレナーレは息巻く私に綺麗な苦笑いを浮かべている。
「分かったわ。これからもよろしくね」
「えぇ、よろしくお願いします」
学園の試験は入学の一ヶ月前から始まる。
それまでは地元で引き篭もって冒険者生活がのんびり出来るとそう思っていたのに、夜会から一ヶ月も経たないうちに『ロキ』にとある要請が舞い込んできた。