23 大会前夜の夜会 上
この世界で最も繁栄を築いていると言われる帝都アインツヘイルは現在、城内城下問わずお祭りムード一色である。
城下にいる人々は、明日から始まる5年に一度の大会に向け、呑めや踊れやどんちゃん騒ぎを繰り広げている。
そして城内はと言うと、無機質な石造りの巨大な空間に豪華絢爛な装飾品が煌めき、普段この場で行われているそれとは少し毛色の違う賑やかな夜会が開かれていた。
ハニートラップによって桃色に侵食された思考をどうにか頭の隅に追いやる事の出来た私が、ハーバードとグレイグ、ヴェストの3人といつも通りのたわいない会話をしていると、私の名前を呼ぶ声が降って来た。
「――よう。久しぶりだな、ロキ」
心当たりのある芯の通ったその声に振り向くと、ごっつい男性がニッカリと笑顔で立っていた。
腕を組んでいるその様は、まさに冒険者。
巨漢という言葉がこれ以上ないほど似合っているこの男の身長は、ゆうに2メートルを超えているだろう。
いつも近くで話すときは私が大きく見上げる形になるのだ。
「うわぁ、本当に久しぶりですねダーヴィドさん。最後に会ったのって・・・、確か丁度3年前の今頃でしたかね?」
「お前がSランクに上がったタイミングだから、まぁそれぐらいになるかぁ」
不揃いの髭をジョリジョリと撫で、3年前の事を思い出しながら遠くを見る彼は、両手剣使い、『豪鋼』のダーヴィドである。
3年ほど前までモンダールで活動していた、今代最年長のSランク冒険者だ。
そして、物理戦最強を示す『武王戦』のタイトル保持者でもある。
そんな彼は、私がSランクに上がった頃に、パーティー最年少のメンバーが40になったとの事で、拠点を彼らの出身のグラロッサ王国に移したのだ。流石にモンダールで活動し続けるのはキツイと言っていたが、しかし現在も『Sランク』を返還していないのを見る限り、彼は未だバリバリの現役の様だ。
しかし、こんな大々的な夜会に無精髭をそのままに出るとか流石である。もう4度目の出席ともなると慣れるのだろうか。
そんなダーヴィドと一言二言会話をしていると、うるさい奴がやってきた。
『おー!ロキ!何つーカッコしてんだよ!全身真っ白じゃねーか!』
緑の髪の男が、私の服を指差してイスラ言語でゲラゲラと笑ってくる。
確かに今着ているこの服は全身真っ白ではあるが、そこまで馬鹿にする事はないだろう。知らない仲ではないので、その態度に怒りというより先に呆れがくるな。
『グラマスからの贈り物ですよ、ディルクさん。後で当たられても知りませんからね』
ここからは遠いところにいるグラマスをチラ見するが、どうやら聞かれてはいなかった様だ。貴族たちの輪の中心で優雅にグラスを傾けている。
『グラマスだぁ〜?あの人、相変わらずロキがお気に入りなのかよー・・・』
既に若干出来上がった状態で絡んで来たのは、短剣使い『血界』のディルク。
ジト目であからさまにゲンナリしている彼もまた、1年ほど前までモンダールで活動していたSランク冒険者だ。
ディルクは北の大陸、ラマデイユ王国出身で、中央諸国語を話す気がないのか会話は専らイスラ言語である。
「お前、そろそろこっちの言葉覚えたらどうだ・・・。今はリクロスにいるんだろ?」
案の定、私の横にいるダーヴィドからの指摘が入った。
この3年でなんの変化も見られないのだから呆れもするだろう。
『あーあー聞こえなぁーい』
「はぁ・・・」
現在ディルクの活動しているリクロス共和国の言語は、ここと変わらず中央諸国語である。
流石に聞き取りは問題なく出来る様だが、それでも話す気はないらしい。彼の興味はダンジョンと酒に全振りなのだ。次の拠点をリクロスに決めた理由も、A級のダンジョンがあり、かつ酒の名産地だからという具合だ。
普段は彼のパーティーメンバーが通訳を担っているため、日常生活に大きく支障をきたすということもない様で。パーティーメンバーも既に諦めているらしい。それでもメンバーの仲は至って良好なのだから、部外者の我々は苦言を呈すぐらいで強く口を挟むこともないだろう。
ちなみに、モンダールで活躍していたSランク冒険者たちは、攻略階層という数字が見える分、互いのパーティーを意識する事が多い。ライバル心は強いが、しかしその分ダンジョンを出れば仲が良いと言う事が多く、ダーヴィドとディルクもその例外ではない。
このやり取りも、仲が良いからこそである。
彼らのパーティーを思い出しながら、こちらに近付いて来る気配に顔を向けると、思った通り、顔見知りのメンツがゾロゾロと集団でやって来た。
ダーヴィドがリーダーの『鋼鉄のリグロ』4名と、ディルクが所属する『幻影師団』の主要メンバー7名、そしてモンダールで顔を見た事のある高ランク冒険者たちである。
「ローキぃ〜、精霊石分けてくれぇ〜」
集団から最初に抜け出し声をかけて来たのは、ローブに身を包んだ丸メガネの青年。
いつも通りのその様子に笑顔で返答を返す。
「構いませんよ、何色がいいですか?」
「青〜」
「では、はい」
「助かったぁ〜・・・。じゃあいつも通り、はいコレ」
「はいはい」
どこか間伸びした言葉を発するこの青年は、魔法使い『業火』のエーリオ・ボストレイ。
彼は現在もモンダールに拠点を置くSランク冒険者で、今回の大会は出身のシャン王国の代表として来ている。
彼の渡してきた虹色の魔鉱石と、私が渡した精霊石はほぼ同程度の希少性だが、ダンジョンの深層でないと獲得できないのは精霊石の方なので、彼とは年に数回ほど物々交換をしているのだ。
エーリオはギルド所属の研究者が本職なので、30階層以下に潜ることはない。
そして魔鉱石の方はダンジョン外でも鉱脈次第で収集は可能であるが、しかしその色が虹色ともなると発掘される数自体が少ない。
まだまだ精霊石の在庫は余っているので、等価交換なら何も問題はないと口にしてからと言うもの、こうして在庫が少なくなると泣き付いてくるのだ。今回は数ヶ月期間が空いたので、いつもより必死そうではあるが。
因みに、30階層より下に潜らない彼がSランクである事の出来る理由は、魔法の火力が冒険者の中でも段違いであるからである。彼の魔法の才能は【火魔法】に極振りされていると揶揄されるほど。その強さの程は、彼が『魔王戦』のタイトル保持者であると言えば分かりやすいだろう。
しかしそんな魔法職最強な彼が30階層より深層に進まない理由は、単純に、これ以上研究の時間が削られるのが嫌だから、らしい。彼のパーティーはメンバー全員が研究家だからか、あまりダンジョン攻略に精力的なタイプではないのだ。
「――今回の大会はグランテーレが有利か?」
「確かに、うちのSランカーの数って、他に比べて多いわよね」
そう話しているのは同じ魔道飛行船に乗って来た『竜使い』のマリーノと『聖女』のエルメリア。この二人はホームが同じ王都なので割と仲が良いらしい。
私も数ヶ月前に既にギルドで顔を合わせてはいるが、お互い何も掴めていない状態なのであまり話す事はなかった。
「おいおい、帝国も負けてねーぞ」
愉快げな二人の会話をなんとなく聞いていると、何の前触れもなく反対側から聞こえてきたその声に、一同ギョッとした様に目を見開き、そして弾かれた様に一斉に振り向いた。
そこには色とりどりの勲章を大量にぶら下げた軍服に身を包み、真紅のマントを背負う銀髪の青年が、帝国組であろう他の冒険者を引き連れ堂々と仁王立ちしていた。
ルルヴィル2世、皇帝陛下その人である。
さっきまで壇上の玉座に座っていたのに、いつの間に降りて来たのか・・・。
腕を組んで堂々と立つその姿はどこか楽しげであるが、その恐ろしいまでの存在感が見るからに冒険者たちを威圧しており、彼らの本能は今、絶対にこの人物に逆らってはダメだと言っていることだろう。
グラマスも公の場に出ると凄いが、確かにアレに並ぶほどのオーラの持ち主である。
これに当てられて冷静にいられるのはSランカーぐらいだろう。
「帝国の太陽にご挨拶申し上げます」
そしてそんなSランカーでも最も先輩のダーヴィドが代表して、胸に手を置き膝を付く最上級の挨拶を返した。
しかし、チラリと横を盗み見ればダーヴィドでも顔に冷や汗を浮かべていた。
内心では声が震えなかっただけホッとしている事だろう。
どんなに己が強かろうと、絶対君主という生き物からは魔物達とはまた違ったプレッシャーを感じる。そしてそれ以上に、帝国という国はその成り立ちからして他の国とは規模が桁違いであるため、その頂点を目の前にすると本能的に萎縮してしまい、いかなる強者でも只人と化してしまうのだ。
ダーヴィドが周囲に隙らしい隙を見せず取り繕えたのは、彼がそれだけこのような場数を踏んでいると言う事だろう。
そして、ダーヴィドの声に我に返った冒険者たちはこれ幸いにと、彼に揃って恭しく頭を下げていく。
ここに集まっているのはほぼほぼ平民出身である。
普段、殿上人へ見えることの少ない、Bランクから下の冒険者の作法がぎこちないことは目を瞑ってもらうしかない。
「あー・・・、いいいい、今日のお前達がそこまで畏まる必要はない。楽にしてくれ」
しかし緊張感のある礼を受けた皇帝はと言うと、ちょっと拗ねた様に手を振りながら、ため息混じりにそう口にした。
普通の夜会ならいざ知らず、戦闘狂の集まりで過剰に礼儀を気にするなと言いたいらしい。
ちなみに、この皇帝自身も大会に出場する程の実力者である。前回大会ではハーヴィドが保持しているタイトルの挑戦まで勝ち進んでいる。
世界の覇王である我らがグランドマスターの次に並ぶほどの権力者といえど、この輪の中で限って言えば、その立場は冒険者寄りであろう。
そして、存在感の濃厚に詰まったこのオーラが一向に緩む気配がない様子を見るに、これは彼生粋のものであるらしい。それはそれで凄いな。流石は皇帝陛下。
「そんなことより、ロキ!」
「は、はいッ」
ぼんやりと構えていた所でいきなり名を呼ばれ、文字通り飛び上がる。
私の可笑しな反応に満足したのか、ニヤッと笑いながら私に近付いた皇帝は、私を観察する様に周りをぐるぐると回っていく。
相当機嫌が良さそうな雰囲気だが、しかしそんなにじっくりと観察して何が面白いのか。その様はまるで大型犬である。
「初めて現物を見るが、やっぱヒョロっちいな」
やっと口を開いたかと思えばそれか・・・。
そんなことを思った私はというと、皇帝のオーラに一切の緊張感を抱く事のなかったのが原因だろうか、気付けばいつもの調子でスルッと言葉が出てしまっていた。
「弱そうですか?」
私の切り返しに彼は少し驚いた様に私の顔を見て、そして心からの笑みを浮かべた。
まだ25歳と若いと言うのもあるだろうが、笑うとクソガキ感が増すなこの人。
ギルドの酒場にいても、その覇王たるオーラさえ隠せば誰も皇帝だとは気づかなそうである。
「いんや、オーラが強者のそれだからな。弱いとは思わねーよ。お前やっぱ肝の座り方が特殊だよな」
やはり嬉しそうである。
王は孤独であるというが、皇帝も例外ではないらしい。
皇帝の言葉に肩をくすめて見せると、彼は一歩踏み出し私の肩に腕を組んで来た。
初対面なのに急に肩を組まれた事に少し驚くが、私の顔を覗き込んでくる皇帝の愉快げなしたり顔を見て、そう言う事かと合点がいき、そしてげんなりする。
「さっきの、いい女だったろ?」
「あなたの差金でしたか・・・」
あの魅惑の存分に詰まったハニートラップは、この皇帝の指示だった様だ。
皇帝主権であんな事するなんて、この国、大丈夫だろうか・・・。
「そりゃぁなぁ?この帝国の人間に、この場でお前ほどの人間に仕掛ける奴はいねーよ」
「その言葉、陛下にブーメラン刺さってますが?」
「まぁいいさ。俺の国だしな」
さすが支配者。堂に入った返答である。
「それで?あの女気に入ったか?気に入ったのならお前にやるぞ」
「――はぁ?それ本気で言ってます?」
明ら様すぎて思わず怪訝な表情が浮かぶ。
こんな分かりやすく紐付きの女性を押し付けて来るとは・・・。
それもまるで「茶、いるか?」ぐらいの軽さで。
まぁこの感じだとあの女性は皇帝の愛人か何かなのだろう。
この人、相当な数の女の人を囲んでるって話だし。
その中の一人を分けるぐらい皇帝にとって訳ないらしい。
気配を辿り、離れた位置にいる先ほどの女性にチラリと目を向ける。
確かに、顔も整っていてあの身体付きならハニトラ要員に抜擢されるだろうな。
極上と言えば極上の餌である。
まぁしかし・・・――
「――もちろんお断りですよ。私にはエレナーレ嬢がいますので」
「あーそれな。あれでも社交界一の華には劣るか・・・」
結論も出た事だしもういいだろうと、肩に回されいている皇帝の腕をペイと払い除ける。
皇帝への雑な扱いに辺りがザワッとするが、先に気軽く肩を組んできたのは向こうなので気にしない事にする。
しかし、私の態度に余計機嫌を良くしたらしい皇帝が大人しく半歩体を離したその瞬間、ふと耳の後ろにピリッとした感覚が走った。
痛みというより違和感に近い。
――この感覚には覚えがあった。
冒険者になって直ぐの頃によく感じていた、身に迫る危険を知らせる【察知】スキルが働いている合図。
モンダールでも余裕ができてからは久しく感じていなかった、すぐそこまで危険が差し迫っていると言う感覚に、自ずと鼓動が早まる。
突然纏うオーラの色をピリついたものに変えた私に、目の前にいる皇帝が片眉を上げたのを感じながら思考を回転させる。
今はもちろんあの呪いの指輪はしていない。
通常ステータスの私に、この【察知】スキルで知らせるほどの危機なんて、宇宙から隕石が降り注ぐレベルであっても、存在しないのだ。
しかし今、このスキルは、私に何かを知らせてくれている。
強くなったステータス、
レベルの上がった【察知】スキル、
私への危機――。
そういえばこの【察知】スキル、いつからか意識的に発動させるアクティブスキルから、常に発動するパッシブスキルに切り替わっていた。
自分へ向けての負の感情を感知するその効果が向上するだけだと思ってたが、他のスキル同様に別の効果が増えているのだとしたらーー。
――対象は、私だけとは限らない・・・?
そう思い至った瞬間、ふと脳裏に、先ほど見た膨れっ面の可愛らしい親友の姿が浮かんだ。
「――ッ」
レベル8の【察知】スキルで知らせるほどの、私にとって死を直感すると同等の脅威。
そう、この場にはエレナーレもいるのだ。
エレナーレのいる場所へ視線を送るこの瞬間も、嫌に長く感じるのがどうしようもなく気持ちが悪い。
ようやく視界でローズピンクの美しい姿を捉える。
彼女は丁度、片手に持つグラスを口に付け傾けている所だった。
この状況でスキルが伝える危機。
これから数秒もしない内に起こるであろう結果と、それが生じる要因はすぐに分かった。
故に私は、風で音を運ぶ。
「エレナーレ嬢ッ!」
王国有数の良家の令嬢が、あの状況から声を掛けられ取る行動は一つ。
私の声を聞いたエレナーレは、グラスに注がれた液体を口に含む前に唇を離し、キョトンとした顔をこちらに向けた。
そのいつも通りの表情を見て、最悪の事態は免れたことに心底ホッとする。
そして、先ほどまで感じていた圧迫的な危機感はいつの間にか霧散していた。
つまり、ここから先はスキルのアシストなしで対処可能と言うことだ。
「おい、どうしーー・・・」
皇帝が何か話しかけてきた様な気がするが、それを無視して『縮地』でエレナーレの元へ向かう。
ゆっくりと流れる視界の隅に、全力で踵を返す人間を捉えた。
私に気づかれた場合に備え最初から全力で逃亡するつもりだったのだろうが、私に認識された以上、どこへ隠れようとも逃れることはできない。
エレナーレの目の前に到着し、彼女が私を視界で認識する頃、腰に手を回し細い体を支えながらその手に持つグラスを優しく取り上げる。
驚いた表情で私の顔を見上げるエレナーレに笑顔を返し、そして集団の中へ紛れた敵に向け瀕死相当の殺気を放った。
格上の存在の殺気をモロに受けた敵は、人だかりの中でひとり心臓の辺りを抑えながら、音を立てて倒れ込んだ。
私がエレナーレの名を呼んでからの一瞬の出来事。
敵にピンポイントに当てているとは言え周囲へ漏れ出る私の唯ならぬ殺気に、皆何があったのかを察し、そしてその重圧に耐えられなかった貴族や冒険者たちが次々と膝をついていく。
しばらくの静寂が会場を包んだ。
誰も彼も、これ以上私の機嫌を損ねるのが恐ろしいと言うかの様に、揃って私から視線を逸らし口を噤み息を顰めている。まるで災害級の邪竜か何かになった気分である。
そしてグラスを手に敵を睨みつけたままの私に、腕の中にいるエレナーレから裾を引かれた。
その感覚に目線を戻すと、エレナーレは青い顔でぷるぷると体を震わせながら少し上目遣いに私の瞳をまっすぐ見つめていた。
「ローー、ロキ様・・・。助けて頂いた身で、大変申し訳ないのですが・・・、どうか、その気をお鎮め下さい。私たち弱き者に、その殺気は心の臓に悪すぎるのです・・・」
その絞り出すような言葉を聞いて、一瞬の熟考の後ため息を一つ。
そして殺気を霧散させた。
ホッと息を吐くエレナーレと、ドッと力が抜けた様な参加者たちであるが、経験上殺気や威圧からの硬直に慣れている冒険者たちはと言うと、それが解けた瞬間に揃って敵を押さえ付け出した。
彼らはよく分かっている。元凶を何よりも先に押さえるのが、これ以上状況を悪化させないための最善の手段である。もう一度同じ殺気に当てられるなんて、ごめんだろう。
まぁ敵はあの殺気で心肺停止の瀕死寄りの仮死状態なので、放っておいても会場から逃げることはできないのだが。それも当然承知の上で、これ以上私の機嫌を損ねないためのポーズでもあるのだろう。
現在私は、この場にいる全員の恐怖を支配している状態である。
有史以来、モンダールダンジョンの56階層から先へたったの一歩も進めていない人類にとって、私の殺気は過ぎた重圧であろう。
誰一人として例外なく本能的に体の竦んだ彼らにとって、この会場の体感温度は一気に10度ほど下がった様に感じているはずだ。
彼らには、勇気を出して声をかけてくれたエレナーレに大いに感謝してほしいものだ。
周囲の異様な状況を遠い景色の様に眺めつつ、手に持つグラスを傾け中の液体をくるくると回す。
瞳の色を金色に変えその中身を鑑定すると、ワインの中に混ぜられていたのは即死級の猛毒であった。毒耐性スキルが低い、もしくは持たない人間がこれを1滴でも口に含めば、たちまち死に至ることだろう。
それを知って思わず舌打ちが出る。
本当に、――本当に危ない所だった。
私の持つ魔法でも、この世界最高の秘薬エリクサーでも、死んだ人間を生き帰らす事はできない。
どちらも『万能』であれど『全能』ではないのだ。
エレナーレが持つ【毒耐性】はレベル2。
【毒耐性】スキルの獲得とレベル向上のためには体を毒に慣らす必要があるため、一般人が取得している様なスキルではないのだが、それでもこの猛毒はそれを易々と貫通してしまう。
あのまま私が気付かずエレナーレがこれを口に含んでいたら、彼女が助かる術はなかった。
どんなに急いで駆け付けたとしても、体内の取り込まれた毒を【生体魔法】で解毒するまで最短で3秒ほどを要する。なまじ私自身に毒耐性があるせいで『解毒』に関しての遡及性がなかったのだ。この会場には、私以上に【光魔法】を極めている『聖女』もいるにはいるが、彼女は後衛の回復職という職業柄、アクションまで時間がかかるため私より早く結果が出るかと問われれば、それはかなり難しいだろう。
私が解毒と毒に侵された体の回復を同時に行なったとしても、その間にエレナーレの身体からの魂の乖離は進み、取り返しのつかないことになる。
魂の操作に最も近しい性質を持つと思われる【深淵魔法】でも、今の私のレベルでは死者蘇生は不可能だ。レベル10へ到達しても、それが得られるとは考えづらい。どの世界でも、魂の操作と時空の管理は神の領域と決まっているのだから。
そして、私が作る魔法具で引き上げ可能な【毒耐性】はレベル5まで。
レベル5でもこの毒は完全に防ぐ事はできないが、それでも少し血を吐く程度で収まる。
時間を稼ぐためにも、せめてそれを渡しておくべきだった。
本当に、自分の認識の甘さに嫌になる。
薔薇の庭園で告白をしたあの時から、エレナーレは私の弱点になったのだから、大事にしないといけないのに。
募るイライラに、治めていたそれが段々と心の中から漏れ出てくる。
思考を巡らせ悶々としていると、背中に優しく腕が回された。
公の場で異性に抱きつくという、淑女として少しはしたないその行為をしてまでも、必死に私を止めようとしているのだろう。
エレナーレの温かい体温をじんわりと感じ、ようやっと心を落ち着かせる。
そして支えているだけだった自分の腕に力を込め、細い体を強く抱き締める。
私の殺気に会場中の人間が肝を冷やした事だろうが、これだけは言える。
この場で一番心臓が止まりそうになっていたのは、――私だ。
「ロ・・・、キ、様?」
今、ロクサーナと言いそうになったな。
そのエレナーレの言葉のおかげで私の精神は比較的平常に戻ることができた。
そのまま、ドレス故に剥き出しの首筋に顔を埋めると、可愛らしい声が耳元で聞こえたが気にしない事にする。
「無事でよかった。即死級の毒です、これ」
「え・・・」
耳元で告げた真実に、ほんのり赤くなっていたエレナーレの顔が一気に青ざめた。
毒耐性スキルもあるし、せいぜい倒れるぐらいと思っていたのだろう。それなら私でも助けられると。
しかし一歩先にあった未来は確実な死。
私が即死級と言ったのだから、助けられる可能性は皆無であったと察したのだろう。
「本当に、・・・良かったです」
少し震えた私の心からの言葉を聞いて、エレナーレは少しクスリと笑った後、私の背に回っている手でトントンと慰める様に優しく撫でてくれた。
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