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20 真正ノ縛 上












 夏らしい日差しの燦々と降り注ぐ学園の中庭を横目に、私は1人燕脂(えんじ)色のカーペットの上を歩く。


 季節は本格的な夏へと移り変わり、数週間前に衣替えされた夏用の制服は、その生地がかなり薄く作られいるものの、しかし生足厳禁な貴族社会において、変わらず黒タイツは履かなくてはならない。

 学園の廊下を含めた室内は魔法結界で快適な温度に保たれているが、その外側が暑い事には変わりない。この世界にセミがいないだけマシである。アレがいると余計暑く感じてしまうからな。



 見える景色の青い事よ、と夏を感じている私が向かっているのは、この時間はほとんど人を見かける事のない中庭の隅にある東家。

 この時間、と言うのは給食、もとい、昼食の時間である。


 みんながみんな学食へ向かい話に花を咲かせている中、私はひとりぼっち飯を頂くのがいつもの事である。

 Sクラス区画にある学食では、王族が食べても何ら問題のないレベルの昼食が出ると言うのに、私は持参のお弁当。悲しくなるねぇ。

 まぁ、メルリィが作ってくれるお弁当は問題なく美味しいので文句はないんだけど。

 せっかくSクラスにいるんだし、1回ぐらい名物っぽい物を食べてみたいと言うのが本音である。


 このクソ暑い季節に結界外の屋外で弁当を食べるとか、アホのする事だろう。

 まぁ自作の魔法具で周囲1メートルにクーラー効果を効かせるのだが。




 いつもの様にリーゼロッテに絡まれない様にチャイムが鳴るなり教室を出て、

 いつもの様に廊下を足速に進み、

 いつもの様に中庭に足を踏み入れようとした丁度その目の前にーー、


 いつもとは違うモノがあった。



「――・・・、・・・うん」


 数回その光景に瞬きし、あまり迷う事なく足を踏み出す方向を変え、指輪を外しながら(・・・・・・・・)それに歩み寄る。



「えっと・・・、大丈夫ですか?」


 目の前にあるモノ、それは誰がどう見ても倒れた人間であった。


 行き倒れた人間なんて初めて見たから少し反応が遅れてしまったが、その手前に膝を付き、取り敢えず語り掛ける。


 うずくまって倒れているのは、制服を着たこの学園の生徒。ケープを着けているから貴族家の人間で、かつ、この区画にいると言う事は、うん、Sクラスのバッチも付いている。


「うぅ・・・」


 先輩と思われる生徒のうめき声に、現状私がお腹が減っているからか、お腹でも減っているのかな?と呑気に思ってしまったのだが、何となしに肩を揺すると、直ぐにその考えは取り払われた。


「――ふ〜ん?」


 誰かに見られれば、はよ助けを呼べやと言われそうな程、目の前の倒れた人間を呑気に観察してしまう。

 先輩の肩に触れ、私が感じたのは、四方へ向けて奔流される不快なまでの不安定な魔力だった。




 魔力とは、この世界の生きとし生ける全ての物に宿る、非科学的な物質の事である。


 ステータス値ではその総量をマジック(M)ポイント(P)と表されるが、他のステータス値と比べM P値は伸びやすい事で知られている。

 魔力は空気中にも含まれており、呼吸をする事により常に体に取り込まれる事となる。その上、スキルを使用することで消費する機会も多くあるため、他の項目に比べ自然と鍛える事が出来るのだ。

 魔力量の才能は遺伝する事もあるため、割とその手の事に関してシビアな貴族間ではM Pが増えやすい子供が産まれやすい。優秀な者同士の掛け合わせなんて、どの世界であれ欲深い人間の通る道である。ヴェラの生家、エルヴェステイン伯爵家は、その典型的な一例だろう。


 そしてその魔力だが、M Pは器の大きさ、その上限値を表している。

 使えば『 90 / 100 』という風に使用すれば保有するM Pは減り、しばらく放置して回復しても、その器以上の量になる事は普通はあり得ない。

 そうーー、普通であれば。



 目の前で胸を抑え苦しんでいる金色の髪の先輩。

 彼の周りは、うねりを伴う魔力で空気が歪んで見える。

 私が触れた事により、ぎりぎり堰き止めていた物が、一気に外に溢れ出たのだろう。

 並みの人間であれば、すでに魔力酔いを起こしている量である。

 私も、先輩に近付く際に治療のため指輪を外していた事が幸いした。



 ごく稀に、器を超えてもなお、M Pが増え続けてしまう体質の人間がいる。

 無尽蔵に回復してしまうため、国によっては魔力タンクとして戦場に送られる事のある彼らの持つその特徴は、便利で有能な能力なんて有難いものではない。

 辛い我慢の強いられる、一生癒える事のない不治の病なのである。


『魔力過剰回復症候群』と名付けられたその奇病は、1000万人に1人はいると言われている。


 『魔力過剰回復症候群』は、何らかの原因により器の(上限)が壊れてしまい、回復機能に歯止めが効かず限界以上に魔力を貯蓄してしまう症状を言う。

 際限なく回復され、器から溢れた出た魔力は、己の器の倍以上の量になると途端に不快感が遅い、吐き気、眩暈、意識障害を起こし、最終的には死に至るという。

 魔力が脳に与える影響は多大であるため、このメカニズムは嫌でも理解してしまう。

 体が魔力で爆発するより先に、脳がイカれてしまうのだ。



 目の前に倒れている先輩は重症の一歩手前、苦しそうにうめいているだけで私への反応が一切ないのを見るに、既に意識は混濁しているらしい。

 この病に効く薬はなく、対処法は頻繁にスキルや魔法を使って消費するしかないらしいのだが、彼はそれが間に合わなかったのだろう。


 こうなっては、外界に与える影響を考えると、――殺すしかない。



 サラサラの金色の髪を撫で、滴の浮かぶ額に張り付いた前髪をそっと払ってやる。


「大丈夫ですか?先輩」


 聞こえてないだろうけど、ひとり暗い海の中に意識を沈めている先輩に優しく問いかける。

 今にも死にそうで、他の誰かに見つかるとすぐに殺されてしまうだろう先輩に対し、私の作る表情は存外穏やかである。



 太陽の光が透き通る長いまつ毛を眺めながら、彼の体内から魔力操作の応用で、出来る限り魔力を散らす。

 そして今度は、辺りに散った膨大な魔力を自分の周りに掻き集め、それに更に自分の魔力を掛け合わせて、【深淵魔法】を発動させた。



 【深淵魔法】のレベル2には、対象のバフを無効化する『真正ノ(ばく)』と言う魔法がある。

 バフ付き装備の効果を無効化させたり、支援魔法でのバフを無効化させたり、『真正』なんて言う字面で光っぽい魔法に感じるが、文字通り縛るものなのでやはり生粋の闇属性魔法である。

 元の数値から有利な方向にアップさせる事を俗に『バフ』と呼ぶが、彼の病気『魔力過剰回復症候群』の場合、過剰に回復された魔力は、ある意味MPに掛かるバフであろう。


 『真正ノ縛』は、対象の本来のステータスが一つの基準となる。

 そのため、効果のあるバフの量や質の制限は一切なく、対象の人数と持続時間で使う魔力量や技術が左右されるので、どんなに膨大な魔力を集めた(バフをかけた)としても対象は先輩1人なのでこちらに問題は一切ない。


 試してみる価値はあるだろうと考え発動したのだが・・・―――。




 目の前には、すっかり表情の落ち着いた先輩が転がっている。

 規則的な吐息が微かに聞こえ、先程までの苦しみ様が嘘のように、今は穏やかに眠っていた。



「・・・持続性のある魔法じゃないけど」


 どんなに魔力を込めても精々3日ほど。

 それ以上の持続時間となると、ステータス回復を禁止する呪い染みた魔法もあるにはあるが、それだと有事の際にポーションが一切効かなくなる。それが目的の魔法なのだ。

 魔力は過剰に回復しなくなるだろうが、もしもの事があれば元も子もないだろう。

 流石に部外者の私にそこまでする理由はない。


 目の前で倒れていたから応急処置をしただけ。

 彼もこの病気に向き合いながら今まで生きて来たんだから、これ以上手を貸す必要はないだろう。



 眠っている先輩を優しく抱え上げる。

 見た目の割に羽の様に軽い先輩を眺め、この人の瞳の色は何色なんだろうと考えながら、Sクラス区画にある保健室に向けて歩みを進めた。










***










「――――・・・?」


 不意に浮上した意識にそのまま目を覚ました青年は、見慣れない天井をぼんやりとした思考のまま眺めている。


「やぁ。目を覚ましたかな?ウィーク公子」


「・・・、ここは・・・」


「保健室だよ」


 ウィーク公子と呼ばれた青年は、女性の声をぼんやりとした頭の中で反芻する。


 ようやっとその言葉が理解でき声のした方へゆったりと顔を向けると、そこにいるのは確かに見知った保健室の教師だった。

 この青年の場合、他の生徒よりお世話になっている人物である。




「ヴィジー先生・・・」


「うん、意識はしっかりとしてるね。気分はどうかな?」


「・・・、すっきりと・・・、体が、軽いです・・・。・・・、・・・?」


「そうか・・・、そうなんだね・・・」


 少し感傷的な声が聞こえる。


 こんなにも思考の靄が晴れて、体が軽くて、心地いい気分はいつぶりだろう。

 もしかすると、生まれて初めてかもしれない。

 いつも体の中をぐるぐると駆け巡り暴れていた熱い魔力が、今はすっかりと落ち着いている。

 胸に手を当てその感覚を確かめていると、不意にその手が頭に向かう。



「誰かに・・・」


 そう、――遠い夢の中で、優しい手が僕の頭を撫でていた様な気がした。


 優しくて、温かくて、包み込んでくれる様な魔力に、あの声は・・・――――



「―――ッ⁈」


 靄のかかった世界で聞こえた声に、一気に意識が覚醒する。

 心に走った衝撃をそのままに、勢いよく状態を起こす。


「え、先生。・・・僕、助かったんですか?あの状態で・・・?」


 不思議なほど穏やかな体に、思わず自分の胸を掴む。


「あぁそうだね。君は倒れていたらしいから、当時は危ない状態だったんだろうさ」


「で、でもッ・・・。じゃぁあの人は、僕を・・・、助ける事が、出来た・・・?」


 その事実に思い至り、さぁーっと血の気が引いていく。


「先生!」


「あぁ、行って来ると良いさ。彼女は1学年のSクラスにいるよ」


 それを聞くなり青年は保健室を走り去って行った。











***











「――――連絡事項は以上だ。では、解散――、・・・おぉ?」


 元の世界で言う、帰りのH Rとも取れるこの時間は、週末の帰り際にのみ設けられ、担任からの連絡報告が行われる。

 10分程で解ける全教科込み込みの小テストと、来週の予定を伝えるだけなので割とすぐに終わる。


 元の世界で見た事のある、一目散に部活へ向かう者よろしく、いつもの私もハーバードの『解散』の言葉ですぐに立ち上がるのだが、しかし今日は、数秒前からこの教室に向けて超特急で走り寄ってくる、詳しく言えば、昼ぐらいに知った気配を察知してしまった。


 故に、フライング気味に腰を浮かしていたのだが、しかし間に合わなかった様だ。



 ノックもなしに勢いよくうちのクラスの扉を開けたのは、さらさらの金色の髪を持つ薄い赤色の瞳が綺麗な青年だった。


 ・・・へぇ〜、先輩の目の色は赤だったんだ・・・。

 と、呑気にそんな事を思ってしまう。


 逃げないのかって?

 だって、もう目が合っちゃってるから無理でしょ。



「――あれ?ヴィクトル・・・?」


「――き、君!」


 あーはい、私ですね、そうですよね。


 それより、王太子がヴィクトルと言ったと言う事は、この人、3年のヴィクトル・ウィーク公爵令息か。

なるほど、あの日王城のお茶会にいなかったのは、病気があるからそもそもお茶会にはあまり顔を出さないのか。


 てか、よく私が分かったな・・・。

 彼を保健室に送り届けた後は、すぐに立ち去って名前も言っていないけど、あの保健医、Sクラス区画の担当だから私の顔ぐらいは分かったのかな?

 いや、その割に公子とは直ぐに目が合ったけども・・・。



 スタタタっと一目散に駆け寄って来る公子に、立ち上がり礼を取る。


 教壇に残ったまま、いきなりの公子の乱入に様子見をしていたハーバードだが、目的が私と分かるや否や呆れた顔をされてしまった。いや、私にどうしろと・・・?



「君っ、君だよねっ、昼の、そのッーー」


「ごきげんよう、ウィーク公爵令息様。私はロクサーナ・バートンと申します」


「ロクサーナ嬢っ、そうだ、うん、うん、やっぱり君の声だ」


 あー、あんなになっても声は聞こえてたんだ。

 死ぬ時は聴覚が最後に残るって言うし・・・、ん?いや、今回はあんまり関係ないか。別に危篤だった訳じゃないし。死に掛けではあったけど。


 それにしても彼、相当テンパっている様だがいかがしたのだろうか。


「ロクサーナ嬢、その、あのッ!」


「・・・ヴィクトル、落ち着いて?そんなに焦って、ロクサーナ嬢に何か用事でもあるの?そもそもどこで知り合ったの?」


 公子に語り掛ける王太子の言葉、後半は何か危ういものが見えたが私のきっと気のせいだろう。うん。


 公爵家は、臣下へ降った王族が原則4代まで就く事の出来る位の家門である。存続のためには、歴史に残る様な偉業を成すか、自国や他国の王族を取り込むかの2択となる。

 つまり王族と公爵家の人間は比較的近い親戚さん、という事になる。

 年も近いし、王太子の話し方を聞くに仲は悪くない様なのだが、如何せんテンパっている公子には聞こえていない様で、完全無視の状態になっている。


 えっとえっとと、こんがらがった頭の中から言葉を取り出そうとしている公子をじっと待っていると、暫くすると公子は不意にガバッと頭を上げた。


 あ、これ変なこと言うぞ。


 私を見ている様で見ていない公子の目は、完全に渦を巻いていた。


「僕の、家に、来て欲しいんだ‼︎」


 oh・・・。


 王太子とエレナーレのダブルセ○ムの視線が冷たく、リーゼロッテからの視線が鋭く、そしてハーバードとシリヤからの視線が生ぬるい。


 あぁ・・・、出来る事ならもう少し言葉を選んでほしかったよ・・・。


「・・・かしこまりました、では後日公爵邸にーー」


「――今日っ今すぐにッ!」



「――・・・、はい?」


 予想外すぎる言葉に思わず聞き返してしまった私は、多分、悪くないと思う。












***













 ガタゴトと、馬車に乗ればそういう効果音を付けたくなるものだ。


 しかし、世界でも有数の大国の公爵家所有の馬車ともなると、やはりと言うか、大した揺れもなくスイスイと進んでいく。

 防音機能も素晴らしく、馬車を引く2頭の馬の蹄の音も殆ど聞こえない。


 無駄に金持ちなバートン家でも、ここまでの質の馬車は持っていないだろう。

 まぁ、家で私に貸し与えられる馬車は、外見だけちゃんとした性能最低のボロ馬車なのだが。ある意味、私専用の馬車である。



 ロキの時に乗るものと大差ないレベルの馬車の窓から、私は少し遠い目で流れる景色を眺める。

 窓から見えるのは、街ゆく人のほとんど見られない、上流貴族のお屋敷の並ぶ中央区であった。



 私を半ば強引に馬車に押し込んだウィーク公子はと言うと、1人馬に跨って先に公爵邸に駆けて行ってしまった。

 相当急いでいるのは嫌でも分かったのだが、説明ぐらいしてほしかったな。

 いや、ほんと、全く、一切、説明らしい説明をされていないのだ。


 この馬車の御者をしている公子の使用人も、病弱な公子が慌てる程元気になっている事と、無理やり連れて来られた見知らぬ私に、相当困惑していた様だった。

 ポツンと取り残された私たちを見て、仕事ですので、と疑問を飲み込んで今に至る。



 静かな馬車で、「何がどうなっているのやら」とこの現状に1人嘆いていると、唯一同乗しているメルリィが「そうですね」と短く言葉を返してくれた。

 ただ、まぁ、この流れ的に、大方の予想は付いているのだが。



 今回の事、私が何らかの応急処置を施したのは公子も気付いているだろう。

 保健医にはダミーの指輪で筋力を上げていると言い訳をしたものの、通りすがりの正義の味方的な感じで名も伝えず消え去った訳だが、しかし、Sクラス区画で私を特定するのはそう難しい事ではない。

 目を覚まし、お礼を言いに来たのかもしれないと最初は思っていたのだが、公子にはそれ以上に意識を取られている事がある様子で。


 つまり・・・ーー




 ふと窓の外から、いや、馬車自体が少し特殊な領域内に入った事を察知した。


 顔を上げ、何もない馬車の天井越しに、その領域内を探る。

 目の前の、今向かっていると思われる巨大な屋敷の中にその答えはあった。


「・・・ふ〜ん」


 なるほど。

 やはり、そう言う事らしい。





 領域内、つまり公爵邸の敷地内に入って暫くすると、ゆっくりと馬車が止まり、扉が外からノックされた。


 音もなく開かれた扉からメルリィが降り、その補助を受けて令嬢らしくふわりと馬車から降り立つ。

 誰もいなければ1人でシュタッと降りる所なのだが、しかし、今、目の前にはお出迎えの列があり、そうせざるを得なかった。


 騎士にメイドに執事に料理人まで。

 公爵邸の使用人が勢揃いしそうな勢いである。


 ・・・、いやいやいや。

 この状況でのメルリィの咄嗟の機転もなかなかなものだが、そんな事より、公爵邸で男爵令嬢を迎えるのに少々仰々し過ぎやしないか?

 え?何事?



「バートン男爵令嬢様、ようこそおいで下さいました」


「・・・ごきげんよう。その・・・、公爵邸の方が私なんかを迎えるためだけに、この規模は一体・・・」


 お出迎えの列の真ん中では、家令と思われる執事服をピシッと決めた老年の男性が、私に向けて恭しく頭を下げている。

 その圧巻の光景に、軽く頬が引き攣るのが分かった。



「この度の事につきまして、ヴィクトル様より既にお話は伺っております。貴女様は、ヴィクトル様のお命を助けた頂いた『恩人』でございますれば、恩人に対する礼儀に身分など関係ございません。これより詳しいお話は当主からございますが、ウィーク公爵家に仕える者として貴女様のご慈悲に深く感謝申し上げたく、使用人一同この場に参上いたしました所存でございます」


 公子はウィーク公爵家の長男で次代の後継者である。

 跡継ぎを危ない所を助けたとなると、確かに使用人であっても恩は感じるだろうが、しかし、私が彼をどう救ったのかはまだ誰にも話していない。

 私はただ運んだだけで他に治した人がいるのかも知れないと言うこの段階で、ここまで感謝されるのは、少し不思議である。



「ささ、どうぞこちらへ。当主のいる場所にご案内いたします」


 ロキの時と既視感を感じる程の腰の低さに、少し居心地が悪くなる。

 なんとも言えない感情に小さく息を漏らすと、メルリィから少し同情的な視線を貰ってしまった。





 内装の派手さは控えめだが、その一つ一つの価値が桁違いだろう最高級の装飾品が並ぶ廊下を進み、取り分け大きな扉の付いた部屋の前に辿り着く。

 扉越しにいくつかの気配を感じる部屋の扉を家令がノックすると、中から了承の声が聞こえた。


「ロクサーナ・バートン男爵令嬢様がご到着なさいました」


 扉が開き、それにより起きた風に髪を揺らしながら、伏し目がちに視線を部屋の中に向ける。


 部屋の中には、ウィーク公爵家の現当主と思われる40代手前ほどの男性と、同じ屋敷で暮らしていると聞く壮年の先代当主夫婦、そして数人の文官と使用人が待ち受けていた。


「あぁ、君が・・・」


「この度、御子息様に招待頂いた、ロクサーナ・バートンと申します。アーベル・ウィーク公爵様、並びにエルランド公、イヴァンナ様にご挨拶申し上げます」


 この場にいる3名全員の名前を私が知ってたのは、つい2年前に世襲されたばかりで、その時にハーバード達との話題に上がったからだ。本当に偶々だったが、あの時はまさか顔を合わせる事になるとは思わなかった。



 この国には大臣格になれるのは侯爵家までと言う決まりがあり、公爵家の者は政治に介入する事は少ない。領地は基本国の直轄地を与えられ、血統と発言権の強い公爵家の者には、王位を狙って叛逆を起こさない様しっかりと首輪が付けられている。

 貴族の頂点ではなく、準王族として位置付けられている公爵家の者は、王族と同じ様にその存在自体が高貴なものとされている。


 雲の上の存在である新旧2代の当主が揃って目の前にいるのだから、自然と背筋が伸びる。



 部屋に踏み入れてすぐ、膝を付ける最上位礼を取り頭を下げると、ソファーの上座に座っていた現当主が慌てたように立ち上がった。


「頭を上げてくれロクサーナ嬢。恩人に頭を下げさせるのは忍びない。楽にしてくれていい」


「・・・その事なのですが、私はーー」


 頭を上げ、恩人という言葉が一人歩きしている感じが否めないこの状況に言及しようと口を開く。

 しかし目の前の当主から直ぐに手を挙げ待ったをかけられ、そのまま口を(つぐ)まざるを得なくなった。


「息子から大体の事は聞いている。相当焦っていたから本当に大体の事だけだが、声も魔力の質も助けてくれたのは君であると確信していた。それに状況からして、息子を助けたのは間違いなく君だろう?」


 あー、バレてないと思ったが、魔力の質まで覚えてたかあの公子。


 恩を与えたなら受けろと言外に込めた言葉に、諦めて了承の意を込め一礼する。


 そんな私を見て頷いた当主は、先代夫婦の前の席に勧めた。



「息子の体質について、助けてくれた君ならもう分かっていると思うが、あれは奇病でね。溜まった魔力を1日に3度ほど吐き出せば倒れる事はないんだが、今回の様に少しの衝撃で突発的に魔力が増える事もある」


「えぇ。魔力は感情に左右されやすいですから」


「その通りだ。そして突発的に増えた魔力は行き場を失い宿主を蝕む。一度重症化したら健常に戻すのは不可能と言われている。君は息子に、何をしたんだ?」


 責めている訳ではなく、ただ純粋にどう助けたのか不思議で堪らないらしい。

 【光魔法】の治癒を専売特許にしている聖女でも、この病気を治す事は出来ない。出来るのなら金に物を言わせとっくに治っている事だろう。


「・・・、この場で詳しくお教えする事は出来ません。しかし、公子に対し危険な事は一切していないと、この場で断言いたします」


「・・・そうか」


 口に出来ない事を施しはしたが、このメンツが揃った場所で堂々と潔白を断言した私を見て、当主は詰めていた息を吐きそう溢した。




「――ロクサーナ嬢。ヴィクトルは、君に何も言わず連れて来たと言うが、何故素直に従った?」


 当主からの質問が終わったのを見て、目の前に座るエルランド公が、少し険しい表情で声を掛けてくる。


 公爵家の威光にビビって流れに身を任せてやって来たか、はたまた出来た繋がりに食い付いてやって来たか。

 身も知らない末端の貴族令嬢、しかもそれがあのバートン家の人間ともなると、警戒するのは当たり前である。


 それに比べ現当主は正義感が強いらしく、先代の言及に少し怒った雰囲気を出している。



「切羽詰まったウィーク公子様のご様子から、大体の予想は付いておりました。断るのは少々夢見が悪い様な気がいたしましたので、こちらへ参った所存でございます」


「ほう。であれば、今から君にお願いする事は了承してくれると?」


「倒れているウィーク公子を私が見つけたと言う事は、そういった運命なのでしょう」


 見て見ぬ振りなんて出来る訳がないのだ。

 死にかけの公子を見捨てなかった時点で、ある程度の覚悟は出来ている。

 もし運命を司る神様がいるのなら、この巡り合わせは思し召しと思うしか他ないだろう。


「・・・君は一体、何者なんだ?」


「しがない男爵令嬢でございます、エルランド公」


 いつもの様にそう答えた。










 すれ違う使用人の殆ど見られない居住区画に足を踏み入れる。


 前を歩くのはウィーク家の3名と数名の文官と使用人。

 あの部屋にいた殆どの人間が、同じ目的地へ向かっている。



 次第に肌で感じる魔力が濃くなって行き、それに伴い皆の顔色も悪くなって行く。


 俗に、魔力酔いと言われる症状だが、現状、指輪を装着しているM Pの少ない私も例外ではない。

 ぐるぐると脳が回転している様な感覚に、大きく歩調がズレる。


「ロクサーナ様。大丈夫ですか・・・?」


「何とか・・・。メルリィは戻ってて」


「・・・、申し訳ございません」


 想像以上にキツイ感覚に下がる様伝えると、メルリィは止むを得ないと言った表情で渋々下がっていった。ここから先は無理を押して付き添う必要はないだろう。


 それを見送り視線を前に戻すと、公爵家の人たちは足を止め待ってくれていた。

 しかし余裕はないらしく、申し訳なさそうに小さく頭を下げるのみで先に足を進め、私もそれに付いて行く。



 どうにか辿り着いた扉からは、可視化出来るほどの激しい魔力の奔流を感じた。


 ふらふらの使用人が扉を開き空間が繋がると、更に魔力の圧が押し寄せてくる。



「あ、ロクサーナ嬢・・・」


 部屋の中には、私たちと同様に顔色を悪くした公子がいた。

 せっかく健康に戻っていると言うのに、この部屋で私たちを待っていたらしい。


 そして椅子に座った彼の目の前のベットには、魔力吸引の施された魔鉱石が幾つも並び、それに囲まれる様にして一人の女性が横たわっている。


 30代半ばと思われる金色の髪の女性。

 ここら一体に流れ出る魔力の源泉は、間違いなくこの女性である。

 先程私が敷地内の入った時に感じた様に、建物の外から見てもわかるほどの量を垂れ流している。



 視界に白い靄がかかり始めそろそろ限界が近い体に鞭打って、どうにか自分の指から指輪を外し取る。


 一気に体に掛かる重圧や息苦しさが掻き消え、息を吹き返した様な感覚がおこった。


「ッ、はぁぁぁぁーーー・・・」


 魔力が少ないって、大変だな・・・。



 周りの人間はいきなり大きく息を吐き出した私の言動にギョッとしているが、気にせず後ろの扉を閉め、取り敢えずは外の人間からの視線だけでも遮る。


 更に唖然とし、しかし激しい魔力酔いから何も言及する事が出来ない一同に見つめられる中、【収納】から精霊石を一つ取り出し、一瞬で【闇魔法】の魔力吸引を付与してみせる。

 瞬きもする暇もなくそれは完成し、そして周囲の魔力を掻き集め始めた。



 どっと力の抜けた様に上体を揺らす一同。

 まず口を開いたのはエルランド公だった。


「何をッ・・・」


「申し訳ございません。流石にこれ程までとは思いませんでしたので」


 マジで魔力酔い舐めてたわ・・・。


 十分に不敬とも取れる奇怪な言動を取り続ける私にエルランド公の眉が吊り上がるが、それを無視してこれらの原因に歩み寄る。


 苦しそうに息を上げる女性は、この状態で生きている事が不思議な程、膨大な魔力を吐き出し続けている。

 周りの魔石は彼女を延命するための道具なのだろう。



「君ッ何をーー」


 眠る女性に手を差し伸べ、その額に掛かる髪を掬いながら状態を観察していると、流石の現当主も怪しく思った様で、声を上げ捕まえようとして来る。


 その手をするりと躱しながら公子の横に立つ。


「この女性は公子の母君でしょうか」


「・・・うん」


「左様ですか」


 髪色も、苦しそうなその表情も、この女性は公子のそれとよく似ていた。

 1000万に1人の奇病の患者が同じ家に2人もいるとは、驚きである。



「――君、ロクサーナ嬢。今の魔石は何だ」


 幾つも置いてあの状態だったんだ。公爵家の力を持ってしても完璧に対処出来る魔石を手に入れる事が出来ず、そんな状態で一つでそれ以上を補う性能の石を目の当たりにしたのだから、エルランド公のそれは当たり前の疑問である。


「魔力吸収を付与した、精霊石でございます」


 もっとやり様はあったのだが、先に述べた通り魔力酔いの不快さがこれ程までとは思わなかったのだ。

ある程度は覚悟していたが、もう正直に言うしかあるまい。



「精霊石、だと・・・?そんな物一体何処で・・・―――っ」


 私が活用法を見つけるまで、少し効果の高い魔石程度でこれといった活用例のなかった精霊石は、今も昔もその殆ど全てをギルドが独占している。

 個人で持っているのは、ギルドから買い上げる事の出来たマニアックな研究者か、自らで手に入れる事の出来る冒険者か、その関係者ぐらいであろう。


 上位魔法スキルの発見以降、その利用価値が爆発的に高くなった精霊石を所有し惜しげもなく使え、そしてこの場で即興で【付与】を施す事の出来る人物となると、答えは自ずと見えてくる。



 各々の心の内で導き出した答えに、顔色を悪くし驚愕の表情を浮かべる公爵家一同に、苦笑いを溢しつつ、認識阻害の効果の掛かる眼鏡を取り、境界のない視界で真っ直ぐ見据える。


「改めて自己紹介させて頂きます。ロクサーナ・バートン、Sランク冒険者として活動する『一閃のロキ』の、その生来の姿でございます」


 そう言って、ステータスをフルに活かして惚れ惚れする様な綺麗な礼を決める私に、見ていた使用人数名がヒィっと声を上げ、卒倒した。

 ・・・、私は悪魔か何かなのだろうか。

 正体を話すなり、短い悲鳴を上げて倒れた使用人たちに少し悲しくなった。





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