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1 新年の夜会 前編






「ーー本日も階層を更新なされたのですか?」


 書斎の隅に置かれた衝立(ついたて)の奥で、簡易のドレスに着替える私を手伝いながらメルリィはいつもの様に聞いてくる。


「うん、今日は74階層を一気に突っ切った。時間はギリギリだったけど日帰りの予定だったしね。ドロップ品の換金はまた今度かなぁ・・・」


「換金だけなら明日の夕刻に行かれては?」


「じゃあ明日行こうかな。メルリィも来る?」


「・・・いえ、先日連れて行って頂いたばかりですので今回は遠慮します」


「りょーかい」


 メルリィは私の専属メイドである。

 そしてこの屋敷で唯一、私が『冒険者ロキ』であることを知っている頼りになる協力者である。


 ごく稀にメルリィにも【偽装】スキルを使ってこっそり屋敷を抜け出していたりするのだが、令嬢の私はこの書庫に引き篭もっている設定なので、メルリィはお屋敷にいないと怪しまれてしまう。

 この前抜け出したばかりなので、メルリィ曰くもう少し間隔を空けた方が良いらしい。

 その辺の裁量はメルリィに任せてある。



「ご夕食はこちらで取られますか?」


「もちろん」


「かしこまりました。準備いたしますので少々お待ち下さい」


 着替えが終わり、メルリィが軽く頭を下げて部屋を出ていく。


 メルリィによって長机に揃えられたミスリル製の装備を『収納』に仕舞い証拠隠滅を図った後、いつも夕食を取っている席に腰掛け、机に置かれた読みかけの本をページを開く。

 本を読みながら夕食が用意されるのを待つのが、いつものルーティーンである。


 与えられた自室は他にあるのだが、家にいる時はほぼこの書斎にいるので、第二の自室と化している。

 家の人からすると、この部屋はただ不要になった本を溜めているだけの場所なので、年に一度ほどお使いで本を探しにくる使用人がいるぐらいで、彼らとこの場で顔を合わせる事はほとんどない。

 私としてはこの現状はとてもありがたい。



 数分もしない内に扉がノックされ、数人の使用人と共にカートに乗せられた料理が運ばれて来た。

 音もなく目の前に並べられていく料理たち。


 食欲を刺激るす匂いが書斎の匂いを上書きしていく中、キリが良いところでページに栞を挟んで閉じると、それを確認したメルリィが口を開いた。


「ご夕食の後、執務室に来る様にと旦那様が仰せです」


「ぅ・・・。うん、わかった」


 目の前の料理に浮いていた気分がそれを聞いて急降下する。

 表情の抜け落ちた私を見て、メルリィが感情の薄い顔で苦笑いを溢していた。


「いただきます・・・」







***






 ――あぁ。トラック転生だ、これ。

 そう悟ったのは3歳の誕生日でのこと。



 使用人にその日が自分の誕生日だと知らされ、何故両親からのプレゼントが一切ないのだろうと思ったのがきっかけだった。

 『プレゼント』なんて生まれてこの方、誰からも貰った事がないというのに。


 心の中に生まれた違和感は波紋の様に広がり、それまで冷たく凪いでいた胸の中に初めて何か温かいものが灯った。

 そしてすぐに理解した。――私は死んだのだと。





 前世の名前は天川雪奈。普通のどこにでもいるパッしない無難な高校生。あえて特徴を挙げるなら重度の隠れオタクであったことぐらい。

 ヒロインよりヒーローに憧れる気質を持っていたが、多分周囲にはバレていない。それなりに普通のJ Kを演じていたのだ。


 そんなモブの様なありきたりな日常を送っていたある日、何処から湧いて出たのか、なけなしの勇気で信号無視のトラックから幼女を救った。

 何でだろう。ファンタジー転生モノの主人公にでも祟られていたのだろうか。

 ちなみに転生時に神様には会っていない。多分。






 今世の名前はロクサーナ・バートン。男爵の割に異常な程金持ちな家庭の3男2女の次女としてここにいる。


 馬鹿でかい宮殿の様な屋敷に数十人の使用人が行き交い、そして滅多に顔を合わせない家族もいる。

 一応同じ家で生活はしているらしいが、彼らと生活圏が触れる事なんて、年に1度あるか、ないかだ。


 誕プレもなし、お祝いの言葉もなし。年明けの挨拶さえ交わさない。私に対して一切の関心を示さない両親(仮)に若干の不満はあるものの、欲しいものがあれば使用人が持って来てくれるし、淡白なこの家庭は隠れて何かやるにはもってこいな環境なので、直ぐに関心は無くなった。




 前世の記憶が生えてからの私は、この書斎に籠る様になった。

 理由は、文字が読めなかったからである。

 まぁ世の3歳児も文字は読めないだろうが、識字率ほぼ100パーの日本で暮らしていた記憶のある私には、文字が読めないという状況が耐えられなかったのだ。


 音は日本語に聞こえるのに文字だけが違う違和感を振り払いながら、暗号解読のように母国の文字を覚えていき、・・・そして意外とあっさりマスターしてしまった。


 その後、不完全燃焼に終わったやる気を、何となしに他の言語に向けてみた。

 するとどうだろう。幼児の脳はぐんぐんと情報を吸収するではないか。

 家の宝物庫をこっそり漁った時に見つけていた便利魔導具の『抑揚判別機』を拝借し、言語を習得することその数7種類。

 前世の『英語2』の頭脳はどこへやら。

 国の通訳家で食ってけそうだ。




 そんなある日、珍しく一人の使用人が声を掛けて来た。

 「何をお読みになっているのですか?」と。

 この使用人が当時13歳のメルリィである。


 彼女の視線が本に行っている事を確認して、さっとスキルを発動した。


ーーエクストラユニークスキル【精霊姫】


 転生が関係しているのだろうが、私には生まれつきこのスキルがあった。

 字面(じずら)からして最もレアリティーの高いであろうこのエクストラユニークスキルは、他人にはそのスキルの存在が秘匿される。

 父の気紛れでうちのお抱え鑑定士に鑑定された事があるが、彼の【鑑定】レベル4では確認できなかった様だ。おかげで引き篭もりの無難な男爵令嬢を演じる事が出来ていると言えるだろう。


 話を戻そう。

 【精霊姫】スキルは検証してみた感じ、魔眼の一種である様だった。

 ご都合主義な便利スキルである。鑑定もできる、嘘判別もできる、結構なんでも出来たりする。

 ただ、これを使った時に目が金色に変わってしまうのが難点であったが、【付与】のスキルを手に入れている現在、度なしの丸眼鏡に【偽装】を付与して誤魔化すことに成功しているので、まぁ問題はない。


 この【精霊姫】スキルを使いメルリィの鑑定を行った結果、使えそう(・・・・)だと感じた。

 無難な男爵家のメイド。生まれは平民で素行も性格も悪くなさそうだし、文句なしの合格であった。



 私はメルリィを利用するために引き込んだ。

 もちろん初めは下心ありありの損得勘定で接していた。

 しかし、味方のいない冷たい家の中で唯一の味方という事もあって、話す内に情が湧いたのは間違いないだろう。

 彼女がいなかったら誰とも話さない暗い生活を送っていただろうし、人間的な生活をする上で相当ありがたい存在だった。

 今では唯一の家族であるとさえ思っている。




 そして、【生活魔法】【偽装】【言語】【隠密】のスキルを日常生活の中で取得する事ができ、何となくのこれからの人生について考え始めた6歳のある日、メルリィに『冒険者』について聞いた。

 ファンタジーの定石通りの冒険者の生態、そしてありがたい事に近くに丁度良いダンジョンがあると言うではないか。



 モンダール大迷宮(ダンジョン)、ランクは最高難易度を表すS。

 王国建国以前よりこの街に口を開く未踏破のダンジョン。

――夢と浪漫の詰まった、ファンタジー世界の理想郷である。



 私は冒険者になることにした。

 メルリィも最初は困惑していたが、居場所のないこの家はつまらないと言うと納得したようで、準備を手伝ってくれた。

 そして10歳の誕生日を迎え、私は冒険者になった。



 敵を倒すために剣を振るうのも、自重なく魔法を行使するのも楽しかった。

 レベルやステータスを端末で確認できるこの世界は、ファンタジー世界に憧れていた私には夢の様な場所だった。

 そして冒険者登録をして3年が経った私は、この世界の誰もが憧れる『Sランク冒険者』になっていた。


 この世界における『Sランク冒険者』は特殊で、世界中に展開する世界最大の組織『冒険者協会』、通称『ギルド』に最大限に擁護される。

 各国で振るう事が出来る権限も、公爵位相当と破格である。

 ある意味、世界中の人に忖度される希少な存在である。


 国の顔でもありギルドの顔でもある『Sランク冒険者』。この国には今代、私含め3人しかいない。

 そしてAランクから名乗ることができる二つ名と言うものがあるのだが、私はどうやら『一閃』と呼ばれているらしい。珍しい雷の魔法を使う剣士なので、そこから取った様だが・・・。


ーー『一閃のロキ』。

 ・・・むふふっ。

 うん、悪くない響きだ。



 謎の多いSランカーが、ふらりと現れてはモンダールダンジョンの歴代最高到達階を軽く超えて行くので、昨今の冒険者新聞はロキの話題を大きく取り上げることが多い。

 接待用のお菓子が徐々にランクアップしているので、売り上げに大きく貢献している私に振られる予算が上げられているのだろう。なんと言う好循環。

 家にも大体同じ物があるのだが、人と話しながら食べるお菓子というのは少し違った味がするので、それが接待だとしても私はその時間が嫌いではなかったりする。


 ちなみに世間一般的に、ロキは男性(、、)であると認識されている。

 貴族だろうと平民だろうと、女性は髪が長いのが普通なので、常識的に考えて短髪のロキは男なのだ。

 生まれ持った身長も165cmあるので誤魔化せるし、作る表情や声に至っては故意に変えている。

 そして、女性特有の凹凸も少ない。残念ながら。一応サラシは着けているが余裕で誤魔化せる範囲内。悲しいねぇ。

 骨格は間違いなく女なのに、スキンシップの激しいタイプの冒険者に絡まれても一向にバレる気配がないのは如何なものかと思っていたりする。






***








 レストランのフルコースを彷彿とさせる豪華な食事が終わり、軽く紅茶で口直しをする事数分。

 私は渋々席を立ち、命令通り父の執務室へ向けて出発する事にした。本当に、渋々である。


 食器の片付けは他の使用人に任せる様でメルリィも付いて来てくれる。心強いな。



 すれ違う使用人達に恭しく頭を下げられる中、カーペットの敷かれた廊下を歩く。

 歩みを進めるにつれて、徐々に自分の中から感情がスゥっと薄れて行くのが分かった。




 『冷たい家庭』、と言うのがこの家に対する印象である。


 ただ、これは多分、私だけなのだろう。

 上に4人の兄姉がいるが、彼らは両親から愛情をしっかりと注がれている。

 例外なのが私と言うだけで、案外この家は幸せな家庭なのかもしれない。


 その理由は明白、私だけ外の子供(・・・・)だからだ。

 ある日、なんの前触れもなく父が生まれたばかりの私をこの家に連れて来て、使用人に何も言わず預けたらしい。


 真実を一切語らない父に、浮気を疑う母。

 初めの頃は向こうの家庭はギスギスしていた様だが、私を遠ざければ丸く収まることに気付いたのか、令嬢の私が書斎に引き篭もっていることに対する苦情は、一度も受けたことがない。完全放置である。


 育児放棄と言う明らかな虐待ではあるが、精神年齢の高い私にとって別段問題はなかった。

 前世では親より先に死ぬと言う親不孝者ではあったが、そこではたっぷりと愛情を注いでくれた両親がいた。故に今世の家族からの愛情が全く感じられなくても、少し行き過ぎた憎悪(・・)を感じる事があったとしても、私の心が傷つく事はなかった。



 つまり、今日の様に父に呼び出される事なんて今まで殆どなかったのである。

 10歳の頃に抜き打ちの口頭テストをされて以来である。


 多分それなりに令嬢()として使えるか確認したかったのだろう。

 その時に生まれて初めて父に私の意思を伝えた。


 政略結婚は学園を卒業してからにしてほしい、と。

 流石に人生2度目で達観している私とはいえ、学生婚は嫌である。


 しかしその意見は意外にもすんなり了承されたのを覚えている。

 まぁ結果は同じなので、父からしたら数年の誤差だったのだろう。


 前世の家庭以上、今世の家庭未満の資金で養ってくれているんだ。

 政略結婚ぐらいはしてやるさ。



 ほぼ例外なく世界中の国が加盟している『国家連合』の協定により、貴族の子息女達には学園での教育が義務付けられている。

 15歳から18歳の4年間。そしてその上に、優秀な卒業生のみが進学する事の出来る2年間の学院。

 ちなみにだが、世界的に見ても大国であるこの国では、平民でも金か学力、才能のいずれかを有してさえいれば試験を経て入学することが出来る。


 私は次の年で15になる。つまり王都にある学園に通わなくてはいけない。

 自由気ままな引き篭もり冒険者としての生活も終わりが見えているのだ。

 嫁いだ先が寛容な家であることを願うばかりだ。

 まぁ・・・、望み薄ではあるが。






 この城の主が仕事をする執務室、その扉をメルリィがノックする。

 中から返事が聞こえ、メルリィの開けてくれた扉の先に一人歩みを進める。



「・・・ロクサーナ、参りました」


 短くそう言って、ドレスの裾を持ち頭を下げる。

 この国の淑女の一般礼である。


「あぁ。用件は次の夜会についてだ。ーーお前も来なさい」


 開口一番、父は端的にそう言った。


 久しぶりに聞く父の声。

 使用人の間では、私は父が外に作った愛人の子供であると噂されているが、多分この人とも血は繋がっていないのだろう。

 だって、数年ぶりに顔を合わせても、特に何も感じないのだから。


「・・・畏まりました」


 淡々と返事をすると、書類に目を落としていた父が顔を上げた。


 白髪の混じった紺色の髪。シワが目立つ目元。

 融通の効かなそうな険しい表情をしていることの多かった父は、しばらく会わない内に少し老けたらしい。

 時間の流れを感じるな。


「大きくなったな」


 同じことを思っていたのか唐突にそう言われた。

 ただ、そこに久方ぶりにあった我が子への愛情の色は見えない。

 単に思った事を口にしただけなのだろう。


「お父様は、お疲れのご様子で」


 意外にも会話は繋がっていく。

 しかし、余計なお世話だとでも言いたげに鼻で笑われた。


「ふん、・・・前回会ったのは4年前だったか。案外優秀に育っていたのを覚えている。結婚は学園を卒業してから、だったな」


「ええ」


 言い回しに違和感を感じた。

 いやに雲行きが怪しいな。


 ・・・いや、待てよ。

 なぜ私は夜会に連れて行かれる?

 社交界デビューであるデビュタントの年は12。当たり前のように不参加のまま過ぎさり、それでも今まで何も言われなかったのに。


 え、まさか・・・。



「――その約束は守ろう。結婚は学園を卒業してからだ。今回の夜会でーーー王太子殿下(、、、、、)の寵愛を受けてこい。そして学園卒業までに婚約を確約するんだ」



 ・・・。

 ・・・想像以上の爆弾だった。


 話の流れ的に、今回の夜会で誰か相手を見つけてこいと言われると思ってはいたが・・・。

 いやはや、まさか『王太子』を狙えと言われるとは・・・。


 父よ、会わない内に頭までボケてしまったのか。



 うちはしがない男爵家なのですが・・・?
















***

***






 父による爆弾投下から早一ヶ月。

 私はあの日、父からの命令に頷いた。


 内心、血統・家格以前に、将来国王になる人間の側室になんぞなるものか、と思っていたのだが、ある画期的なアイデアが浮かび、その場ですぐに了承したのだ。




「――あら、ロクサーナ。あなた生きていたのね」


 凛とした声でそんな毒を吐くのは、波打つ金髪の美しい今世の母、シヴールだった。


 彼女が身に纏っているのは一見男爵夫人に相応しい下級貴族のドレスに見えるが、しかし使っている素材は一級品で、首元や耳に飾られた宝石も小ぶりではあるがその輝きから不純物の少ない良いものを使っていることが分かる。


 うちは世界最高峰のダンジョンのある街を治めるので、年間で相当なお金が舞い込んでくる。まぁロキとして、その分相当な額を自分の家に納めている事になるのだが、それは考えたら負けだろう。

 バートン男爵家の総資産は、上位貴族である伯爵家を上回る程ではないかと言われている。

 陰では『金持ち男爵』なんて呼ばれていたりするらしい。安直ではあるがそれ故に分かりやすい蔑称である。

 金は有り余るほどあるのに、建国以来、男爵から一向に陞爵される気配がないのも、他家に蔑まれる所以だろう。歴代当主は揃って凡人なのである。


 故に母の日々の美容につぎ込む余裕は相当あるので、外見は年齢にしてはかなり若く見えるだろう。

 少なくとも、私より年上の4人の子供を産んだ様には見えない。美魔女という言葉がこれほど似合う人間は、この会場にはそういないだろう。



 のっけから嫌味を言う義理の母に対して、私史上最大に着飾った私はドレスを摘み綺麗にカーテシーを返す。

 まぁ【隠密】を使っているので、今の私の容姿ははっきりとは認識出来ていないだろうがな。


「お母様もお久しぶりです」


「あなたに母と呼ばれたくはないわ」


 ぐッ、こいつ・・・。

 こっちが笑顔貼り付けて挨拶してるって言うのに、人目の付く場所で分かりやすく家の醜聞を晒すなよなァ?


「あの人が連れて来たのなら何か命令があるのでしょうが、精々頑張ることね」


 私の気持ちなんて知ろうともしない母は、ふんっと煌びやかな髪を揺らして、引き連れていた兄達と共に去っていってしまった。


 ハッ、側から見たら若い男性を引き連れた成金に見えるのが滑稽だな。


 ちなみに兄達とは一切視線を合わせていない。嫌われたものだ。完全に邪魔者である。






 場所はグランテーレ王国王都、マグナリア。

 その王都の面積のおよそ3分の1を占める王城にある、一等大きな宴会場『聖花の間』。


 床に描かれた幾何学模様が花の形を作っていること、そして天井絵に聖なる花が描かれていることに由来した名前のこの広間には、現在下級貴族の殆どが集まっていた。

 今日の夜会は新年の(うたげ)である。王国のほぼ全ての貴族が集まり、城下にある大使館の人間もお呼ばれしている相当な規模の、そして年間行事の中では最大規模と言われる夜会である。

 位の低い人間から集まり、徐々に登場する貴族の位が高くなる。





 天井に釣られた巨大なシャンデリアを何となしに眺めながら、私は適当な場所の壁に背をつけ、王都のバートン男爵邸から発動させっぱなしの【隠密】のスキルの効果を1段階高める。

 王都の屋敷では、使用人部屋とそう変わらない大きさの簡素な部屋に閉じ込められた訳だが、別々の馬車で来た母には参加していると言うアリバイは伝えたので、これで暫くは平穏でいられるだろう。因みに父は不参加である。


 今まで引き篭もっていたので、初めて夜会と言うものに参加したのだが、流石ファンタジー世界、貴族の新年会ともなると相当華やかだ。これから社交シーズンが始まるので、皆、気合が入りまくっている。

 淑女達が身に纏う色とりどりのドレスは然る事ながら、髪の色までカラフルなのでちょっと眩しい。

 ダンジョンとはまた違う異世界ムーブにウキウキしていると、声が掛けられた。




「――ロクサーナ」


 現在発動している【隠密】の効果はレベル2である。知り合いではあるものの、向こうから声を掛けてくるとは思っていなかったため、少し驚きながら顔を向ける。


 そこには世界一整った顔をしていると謳われる、社交界の花が一輪。

 美しく波打つローズピンクの髪は、温室のバラを彷彿とさせる。



「エレナーレ様、【察知】スキルのレベル上げました?」


「ふふふっ。これであなたを見つけられるわ。ロクサーナ」


 羽根のあしらわれた扇を広げ、くすくすと上品に笑う少女。

 彼女の名はエレナーレ・アスティアと言う。

 筆頭侯爵家アスティアの一人娘であり、そして恐れ多くも私の幼馴染である。


 初めて彼女と出会ったのは、気紛れに訪れた同派閥のお茶会。

 ファンタジー世界のお茶会というものに触れてみたいと、興味本位で近場のお茶会を探し、丁度良かったのが同派閥であるアスティア侯爵家のお茶会だった。親同伴でなくて良いという条件に惹かれたのだ。

 侯爵令嬢と学友になる予定なのでよろしくと、その日は短く挨拶しただけに終わったのだが、なぜか後日呼び出された。

 どうやら彼女なりに私に引っかかるものがあったらしい。直感だと言っていたが、その時はまだ冒険者にはなっていなかったので、自分で言うのもなんだが、彼女には先見の明があるとしか言いようがない。

 現在は半年に1度程、彼女の家でお泊まり会をする程の間柄だ。

 私がロキだと知る唯一のお友達である。



 そして今日は、存分にその威を()るつもりである。

 もちろん事前に手紙での打ち合わせは済ませている。



「私が本気で隠れれば誰も見つけられませんよ。いまだに平穏に暮らしている事実が何よりの証拠です」


 最大効果の【隠密】レベル10は伊達ではない。

 MAX効果では外界からその存在の一切を消滅させる。物理的にも魔法的にも、捉える事は不可能。

 世界中の裏組織から、ロキの弱みを握るために日夜その正体を探られているが、未だに一切情報を与えていないのだ。


 今この場では影を薄くする程度のレベル2で止めているので、エレナーレは【察知】をレベル3に上げているらしい。

 エレナーレの生家、アスティア家には世界随一の諜報機関『アスティアの影』があるため、彼らに【察知】スキルの挙げ方のコツでも教わったのだろう。

 【察知】スキルに限って言えば、エレナーレのそれは冒険者としてやって行けるレベルである。モンダールダンジョンを攻略している冒険者たちは例外としても、持っていない冒険者も普通にいる。危険を察知できるので、パーティーでは重宝されるのだ。

 そんなスキルのレベルを私を見つけるためだけに上げたなんて、流石はロキファン第1号。凄まじい執着である。



 友人への挨拶もそこそこに、今度はエレナーレの背後にいる男性に、今までで一番綺麗に礼を取る。

 目の前にいるこの人もその出生から【察知】スキルは持っているだろうが、礼儀的に【隠密】のスキルを完全に解いて姿を見せる。




「ーー初めましてアスティア侯爵閣下。謹んで新年のお喜びを申し上げます。バートン男爵家の次女ロクサーナでございます。エレナーレ様には日々お世話になっております」


 式典服を一切の隙もなく着こなしている目の前の紳士は、筆頭侯爵家当主、リアム・ノル・アスティア外務大臣閣下。

 この国の政治中枢を担う官僚達のトップである。


 先に述べた通りエレナーレとはお泊まり会をする程の仲だが、エレナーレは普段は王都の南にある領地で暮らしている。

 この新年の夜会からスタートする社交シーズンだけ王都にいる訳だが、お泊まり会は専らアスティア侯爵領の方で行われていたので、その父親のリアムとは完全に初対面なのだ。


 勿論、一人娘と一番仲が良さげな私の素性(男爵令嬢ver.のみ)は隅々まで調べていたと思うので、彼からするとそこまで初対面感はないのかもしれないが。



「う、うむ・・・。頭を上げてくれ」


 ん?あれ?まさかの困惑気味?

 事前に、ロキの件を合わせて挨拶をしたい旨をエレナーレに伝えてもらっているはずなのだが・・・。


 言われた通り頭を上げ、隣にいるエレナーレにこの反応に疑問の視線を向けると、なぜか苦笑いを返された。


「あなた、初対面では情報が多いのよ。今日は特にね」


「情報、ですか?」


「そうね〜。まずは、いつもの冴えない感じは何処に行ったの?と言うところかしら。綺麗な顔をしているとは前々から思っていたけれど、あなたの本気は私の予想の上を行った様ね」


「あぁなるほど・・・。今日は張り切りましたからね」


 エレナーレの言葉に頷きながら、スカートを広げ自分の姿を見下げる。輝く糸の織り込まれた綺麗なスカート部分を見つめながら、自分の装いを改めて認識する。


 そう、いつもは冴えない令嬢を装うために髪をざっくばらんに結い厚いメガネ(偽装付与付き)を掛けているのだが、今日はとある計画のために私史上最高に美しく着飾っているのだ。


 (メルリィが)日々手入れを怠らなかったミルクティーベージュの髪はお姫様の様にゆったりと結われ、シャンデリアからの光を存分に集めキラキラと輝いている。

 この身に纏い、瞳と同じ淡藤色の上品で綺麗なドレスは、自分で買って来いと言われ向かったブティックで、父から出た予算にちょっと(・・・・)私の冒険者としての稼ぎをプラスした物。ランクをいくつか上げているオーダーメイド品だ。その金額に、不遇な環境に置かれているとは言えバートン家らしい予算は出るんだ、とブティックの店員は思った事だろう。


 そして意外にも素材のいい私の顔に、この世界では馴染みのない現代日本流のメイクを施したら、あら不思議。あの美しい不思議なオーラを放つ令嬢は誰だ?となる訳だ。


 【隠密】スキルがあるからこそできる暴挙である。

 勿論、母たちと顔を合わせた時には【隠密】を使っていた。バレると問答無用にこの場でひん剥かれそうだからなぁ・・・。


 うん。なるほど、確かに。

 この見た目の情報に、事前に伝えておいて欲しいとエレナーレにお願いしていた『ロキ』の件を加えると、現状私の情報量は多いかな。



「これでもマシな方かしらね。例の件を伝えたらお父様、文字通り卒倒したのよ」


 この目の前にいる要人が卒倒とか、少し見てみたい気がする。

 そんな事をぼんやりと考えていると侯爵は気まずそうに咳払いをした。


「やめてくれ、恥ずかしい・・・」


 父と娘、仲が良さそうで何よりだ。



「・・・だが、想定外が過ぎるだろう?アスティアの影を使っても個人情報の一切を掴めなかった人間の正体が、まさか娘の友達だったなんて・・・。――初めましてロクサーナ嬢。これからも娘のことを頼むよ。君が近くにいれば安全上は大丈夫だろう。学園ではよくしてやってくれ」


 少し疲れたようにそう言う彼は、金色の髪が美しい優しそうな友人の父親であるが、それでもこの国の外務大臣なので相当頭のキレる人間なのだろう。


 私の様な、しがない男爵令嬢とお話をして良い様な人ではないのだが、こっそり周囲に【偽装】スキルを発動しているので周りの人間から不思議に思われることはない。このことも事前に話してもらっているので、お互い安心して話を続けられる。


 まぁ読唇術などの保険として、『ロキ』についての確たる単語は口にしない様にしているが。




「――しかし、娘の話では多くの言語をマスターしてるとか。本当かね?」


 話題を一転させ世間話の様に話を続けてくる侯爵だが、私は敬う態度を変える事なく男爵令嬢として返答する。


「えぇ、現在母国語を含め7言語をマスターしております。そのうち4言語はネイティブの方と話す機会があり、その際に訛りの問題はないと言われております。残り2言語が不安要素ではありますが」


 モンダールには世界中から冒険者が集まって来るため、こちらの言語を使えない冒険者もちらほらいる。ボランティアではあるが、困っている時は通訳を買って出ていた。今世はコミュ力レベルが強くて助かるよ。


「ふむ、私より話せるのか。外務大臣と言っても、中央諸国言語と北の大陸のイスラ言語さえ覚えておけばやっていけるからな。その他の言語は大使達にお願いしているんだ」


「左様ですか」


 なるほど、大使か。

 確かに大使が間に入るならそっちに任せた方が効率的ではあるな。



「君は官僚になるつもりなのか?」


 何故か当たり前の様にそう言われてしまい、思わず首を傾げる。


 キャリアウーマンは憧れるが、なんちゃって中世のこの世界では圧倒的少数なのである。

 男爵令嬢なんて下っ端は、でしゃばらずひっそり嫁に行くのがこの世界の絶対的常識である。


「?いえ、普通に何処かの家に嫁ぐつもりです。言語習得は幼い頃の暇つぶしでしたので」


「と、嫁ぐ・・・?」


 何故か虚を突かれた様に目を点にしてオウム返しする侯爵にしっかりと頷く。

 侯爵は何を言っているのだろう。貴族令嬢は嫁ぐのが普通だろう。



 侯爵の様子を不思議そうに見つめていると、横で話を聞いていたエレナーレが再び笑い出した。


「ふふっ。ロクサーナ、あなた普通に結婚するつもりなのね」


 え、何を当たり前の事を?

 みんなそうじゃないの?


「えぇ。流石に婚約・結婚は学園卒業後にして欲しいので、そう父に伝えております。今は側妃になれなんて意味の分からないことを口にしておりますが、次第に現実を見て嫁ぎ先を見つけて来るでしょうね。寛容な家であれば例の仕事は続けるつもりですよ」


「・・・寛容でなければ(、、、、、)?」


 少し青い顔で恐る恐る聞いてくる侯爵閣下。

 結構フレンドリーな気がするのは娘の友達であるからか、男爵令嬢に公爵位相等の『ロキ』をプラスして格の差がプラマイゼロになったからか。



「状況によりけりですね。隠れて出来る様であれば続けたいですけれど、無理なら諦めるしかないでしょう。元が男爵令嬢なので仕方ないです」



 あの家を捨てられたらどれだけ楽だろう。


 しかし冒険者として平民達と深く接してしまった故に、そして現代日本で生きた記憶が、常識が、私の中に色濃く残っている故に、貴族として(・・・・・)の義務が心と体に重くのしかかる。


 国民の血税で裕福に暮らす貴族達は国のために生きなければならない。

 それはたとえ、私が実母も知れない孤児(みなしご)であったとしても。

 これぞまさに貴族の義務ノブレス・オブリージュである。


 男に生まれていたら如何様にもできたのだが、私は女として生まれた。男を装う事は出来ても、それは変わり様がない。

 家の繋がりのために他家に嫁ぎ子を産む事こそが、今生かされている理由の全てなのだ。


 現代日本も窮屈だったが、この世界もそれなりに窮屈である。



 表情の抜け落ちた私に顔色を悪くする侯爵閣下は、どこか私の機嫌を伺う様に問いかけてくる。


「・・・君は、男爵に本当の事(、、、、)を言うつもりはないのか?」


 公爵の言う本当の事とは『ロキ』の事だろう。

 それを聞いて私は直ぐに首を横に振る。


 それは、絶対にあり得ない事なのだ。


「ございません。ーーバートン男爵家は表面上、閣下と同じ大衆派閥に属しておりますが、現当主である父の性質は今回の件も然り、酷く、強欲です。知ってしまえば容赦なくその権力を利用する事でしょう。・・・うちは領地内にモンダールを持っていますので資産は潤沢。私がいるとなれば冒険者達も少なからず付いて来てしまう。そんな状態で父が謀反を起こせば国内の混乱は免れないでしょう。それが、何も言わず父の決めた私の結婚一つで回避できるのですから、問題は至極単純なことなのです」


 自己犠牲が過ぎる気がしなくもないが、1度は終わった人生、このファンタジー世界でのロクサーナとしての人生は単なるオマケなのだ。

 現状ではロキとして比較的好き勝手できているので満足はしている。あとは運に任せて平凡に紛れ無難に生きるのみである。




「・・・ふむ」


 私の回答に何やら考え込んでいる侯爵閣下は、チラリと娘のエレナーレに視線を送った。


 一言も発していないのにお互い頷いている。

 どうやら二人でアイコンタクトを取っているらしい。


 おぉぉ素晴らしい。これが親子の絆というやつか。初めて見たな。前世でも父親とはそこまで通じ合ってはいなかった。

 良いところのご令嬢には反抗期は来ないのだろうか。

 私は反抗期真っ只中で死に別れた訳だが・・・。



「うむ、君の考えは大体分かった。今回の計画、予定通り協力しよう」


「ありがとう存じます」


 おおっありがたい。


 ではいざ行かん!

 題して、『王太子の記憶にちょっぴり残ろう大作戦』!







***






 そして一度アスティア親子と離れた私は、また暫く壁に張り付いていた。

 夜会の予定は、全員集合→王族入場→伯爵位以上の王族への新年の挨拶→自由時間となっている。

 今までは集合完了までの時間だった。低位順とは言えみんな早めに来るので時間が余る事が多いらしい。



 そしてやって来た王族入場の時間。

 音楽隊のファンファーレが鳴り響き、声高らかに王族入場が宣言される。



 舞台幕から初めに入って来たのは王妃殿下。

 金髪の髪を結い上げ、ダイヤモンドとサファイアの輝きの眩しいティアラを乗せている。白いドレスは上品なのに物凄く艶やかだった。同性でも惚れてしまいそう。

 遠くで見るのは勿体無いので【隠密】の効果を高くして【精霊姫】の遠視機能を惜しみなく使う。

 そうそうお目にかかれる機会なんてないので、この際思う存分堪能させてもらおう。

 ひしひしと感じる異世界ムーブに、脳からアドレナリンが出まくっているのは間違いない。



 次に入って来たのは王妃殿下の幼女版。年齢的に下の王女様だろう。上の王女様はすでに他国へ嫁いでいる。

 顔の作りは王妃にそっくりそのまんまだが、髪の色が違っていて若干水色を帯び銀色に輝いている。

 色気を感じる王妃とは違い、可愛らしさが全面に出ているこの国のお姫様は、お人形の様に静かに佇んでいた。絵になるなぁ〜、出来る事ならお持ち帰りしたい。



 次に入って来たのは私より少し年下と思われる男の子。王女と同じ銀色の髪を持つ第2王子。

 彼の顔は新聞に載っているのを見た事があった。つい先日冒険者登録をしたらしい。剣を掲げて誇らしげに笑う写真が載っていて微笑ましくなったのを覚えている。同じロマンを追い求める同士の誕生であった。

 やんちゃ盛りの年相応、と言った印象だ。



 そして次に入って来たのは、この国の王太子。

 ラインフェルト・フォン・グランテーレ。今回のミッションのターゲットである。

 柔らかい金髪と宝石の様な青い瞳。彼も冒険者新聞で写真を見た事がある。

 主要国家の王太子なので節目節目に写真と紹介文が乗るのだ。



 ーーただ、何というか・・・。


 写真より何倍も綺麗で驚いた。

 写真写りが悪い訳でもないのに不思議なものだ。


 自分の胸から聞こえる鼓動の音が高鳴り、息が浅くなっているのは気のせいだろうか。


 整い過ぎている王太子のその顔は、誤魔化し様のないほどドンピシャ、超タイプの顔だった。余裕で推せる。

 前世共に夢女子(、、、)属性はないはずなのに、この人が王子じゃなければ〜なんて思ってしまう程の一目惚れだった。


 ・・・しかし哀しいかな。彼はこの国の王太子である。

 その隣に立つ事なんて出来ないし、立ちたくはない。どこか矛盾してる。


 そんな事を勝手に考えて、勝手に沈んでいる自分が確かにいた。

 私にしては珍しい心理状態である。




 最後に王冠と紅いマントを身に纏った国王が威風堂々と入場し、静まり返った会場に威厳のある声が響き新年の挨拶が始まる。

 ただ、私にはそれを聞く余裕が一切なく、その内容は綺麗に右から左に抜けていた。



 無駄に輝いて見える王太子から目が離せない。


 鼓動が煩い、心臓が痛い、なぜだかよく分からないけど涙が出そうだ。


 動揺をもろに受けて【隠密】の効果が揺らいでいるのが分かる。

 淡々と客観的に生きて来た私にとって、それ程までに『一目惚れ』という心理状況がショックだった。



 ふー、大丈夫大丈夫。彼はただの推し。ただ、それだけだ。

 図らずも推しが3次元に出て来てしまい情報量が多くて脳が心臓が驚いているだけで、今まで見てきたラノベやアニメの推しと何も変わらない。

 うん、大丈夫。いつも通り。




 国王の音頭で乾杯がなされ、予定通り公爵家から順に王族への挨拶が行われて行く。


 そんな光景をぼうっと眺めながら、抑えきれずチラリと王太子の様子を盗み見る。


 社交辞令だらけの挨拶なんだろう。

 貴族達に向ける作り笑いも十分綺麗だけど、自然に笑うとどんな顔をするのだろうか。

 学園では同じ学年だろうし、もしかしたら拝める機会があるかもしれない。


 この後あの人に面と向かって挨拶をしないといけないと考えると、逆に気分が下がる。

 不思議な感覚だ。心が痛いとは、こういうことを言うのだろうか。


 ・・・はぁ、何を考えているのだろう自分。相当気持ちが悪いぞ。



 落ち着け、落ち着け、平常心、平常心。

 こんな時こそ仮初の家族だ。どこに・・・、あぁ、いた。

 離れた場所で母が高笑いしている。兄達はニコニコ笑っている。

 よし。うん、落ち着いた。





 自分の心に強引に区切りをつけ、王太子のいる壇上から視線を離すためにホールの隅にあるエリアに足を向ける。

 豪勢に並べられた料理を使用人にいくつか装ってもらい、受け取ったそれを手に再び定位置に戻り壁に同化した。



 視覚的にも雰囲気的にもキラキラした宴会場は眺めていて飽きる事はないが、如何せん暇である。

 持て余した暇を消化するために、ちまちまと料理を口に運びながら【精霊姫】のスキルで近場にいる人間を鑑定していく。


 今後のためにも出席者の顔と名前を一致させながら有り余る時間を潰していると、不意に、状態異常表示が出ている貴族を見つけた。


 表示はーー『洗脳』。

 何やら怪しい単語に眉を顰めるが、見た感じ彼の言動に怪しい点は一切見られない。


 右へ左へ挨拶で忙しそうな彼を目で追いながら口と手を動かしていると、挨拶回りを終えたらしいアスティア家の親子がやって来た。

 ぼーっとしている間に存外時間が経っていたらしい。



「ロクサーナ。私たちの用事も終わったし、殿下の元に行きましょう?」


 いつもの様に優しい笑顔で笑うエレナーレ。

 見慣れた顔にホッと一息吐きながらも、その言葉に一気に憂鬱になる。


 しかし今はそれはよりも、まず突発的に発生した目の前の問題を片付けなければなるまい。


 手に持っていたフォークと皿を『収納』に仕舞い、代わりに取り出した紙切れに魔法で文字を書く。そしてエレナーレに甘えてくっつくフリをして、そのメモを手のひらに押し込んだ。


「っ・・・?」


 いきなりの事に驚いていた様だが、視線で侯爵に渡してと言うときちんと伝わった様で、彼女はしっかりと頷いてくれた。

 そして私が腕を離すと、今度はエレナーレが侯爵の腕に手を回した。


「・・・どうした?」


 いきなりの娘からのスキンシップにたじろぐ侯爵。

 明らかに頬がだらしなく緩んでいるのを見るに、どうやら娘が関わると仕事で付けている仮面が剥がれやすいらしい。挨拶回りをしていた先程まではキリッとしていたのに台無しである。


 エレナーレはそんな様子を見せる父ににっこりと無言の微笑みを返し、侯爵のポケットにメモを押し込んだ。


 その感覚が分かったのだろう。

 侯爵の表情が一気に引き締まった。


 意図を察してかチラリと私の方に視線を向けて来たので、縦に首を振る。



「予定は数分ずらしましょう?お父様は夜風にあたった方がよろしいかと」


「あぁ、そうさせてもらうよ」


 娘に促された侯爵は頷いた後、周囲に気取られる事なく会場を後にした。




 颯爽と立ち去る侯爵の背を見送ると、エレナーレが腕を組んで来たので諸共【隠密】のレベルを引き上げる。


「ーーあのメモには何を書いていたの?」


「会場の不審人物についてです。見た感じ普通ですけど、ステータス上に『洗脳』の状態異常が出ていました」


 二人きりになったので口調を緩める。声質以外はロキそのものである。


「ふぅん?」


 侯爵も渡された時にその内容の予想は付いていたのだろう。

 バルコニーに向かわず会場を後にしたのを見るに、すぐに行動に移すつもりらしい。



 表面上は平和な会場の様子をエレナーレと共に眺めていると、流れる様な動きで騎士達の配置が変わった。

 暫くすると、警戒した様子の使用人が会場に現れ、会場内を一瞥。そして彼は私が報告した男性に柔らかく声に掛け、そのまま怪しまれる事なく連れ出す事に成功した。



「・・・あら?ロンベルン伯爵?」


 連れ出された貴族の名である。


「それなりに位が高い人なので、この場で放って置くのはどうかと思ったんです。洗脳解除の古代魔道具(アーティファクト)、確か一つは王城が競り落としましたよね」


「えぇ、そう聞いているわ」


 洗脳解除の古代魔道具(アーティファクト)とは、1年程前に私がモンダールダンジョンの第61階層で見つけた、手鏡の形を成したアイテムである。初めて見るアイテムに興奮してそのまま周回(フィーバー)したので、いくつかドロップした。


 超貴重な物ではあるが、私はスキルで代用できてしまう効果だったので、ドロップした5つ全てオークションに出していたのだが、その落札者の1人がグランテーレ王室の使いだった、と言う訳だ。

 いろんな国の王室や豪商たちと競り合って最終的に1つ10億ジル辺りまで釣り上がったので、それはそれはよぉく覚えている。




 洗脳・狂気・魅了・催眠の行動操作を伴う(・・・・・・・)精神支配についてだが、理論上、これらを行使するには【闇魔法】のレベル8以上が必要である。

 世界のバランスを保つための設定であろうが、しかし、これには大きすぎる抜け穴がある。


 地球でもあり得た様に、この世界でも技術的に精神を支配する事が出来てしまうのだ。

 人間であるが故に、恐怖等の感情でマインドコントロールも出来れば、薬物で状態異常に陥らせる事もできる。

 唐突に身に降り掛かった悲劇で、気を狂わせる事もあるかもしれない。

 そして勿論、医学的、科学的にそれらの状態異常を解除する事は出来るのだが、それは治療と同義なので完了するまでの道のりは果てしなく長い。

 これらの情報は世界の常識である。


 しかし、持続ダメージや、行動不能、能力低下(デバフ)などによって起こる状態異常の解除ポーションが世にありふれているにも関わらず、上にあげた4つの状態異常に関しては、魔法的な解除方法が一切存在していなかった。

 実際、知られていない事ではあるが、【闇魔法】をレベル8にするには、条件の一つとして種族の壁を越えなければならないため、解除は事実上、不可能なのである。


 因みに人類の進化先、『上位人類』と言う種族名は、私のステータスにいつの間にか表示されていた。

 条件はステータス値が平均で1000を超える事。冒険者であれどふつーは無理である。3桁で既に非常人扱いになる。

 前のモンダールの記録保持者が最高でSTRの500だったと言われているので、上はMPの2400で、下はINTの900である私は、やはり相当異常なのだろう。

 うん、知ってたさ・・・。



 まぁ、こんな現状の世界で初めて確認された洗脳解除の古代魔道具(アーティファクト)である。

 人類史に残る発見と言えるだろう。

 そりゃぁ1個でも10億行くわ。

 余談だが私の手元にはその7割が入って来ている。ふふっ。




「ここにアレがあるのなら、彼については大丈夫そうですね。ただ、洗脳をかけた人間がこの後どう出るかは・・・。まぁ十中八九、敵の目的はこの夜会でしょうから、何かしらのアクションはあると思いますよ」


「そうよね・・・」


 困った様に頬に手を当てるエレナーレ。


「会場の騎士も増えた様ですし、有事の際、最低限の対処はしてくれるでしょう」


 夜会開始時に比べ、会場内の騎士の数は明らかに増えている。

 この会場には王族も揃っているので、中止にしないのならばこうするしか手はないだろう。


 王宮を守る第1騎士団は国の精鋭でもあるのだが、それでも対処出来ないとなると・・・。




 侯爵が会場に戻って来たのを見てお互い身を離す。

 エレナーレに掛かっている【隠密】を解き、自分に掛けている効果も下げると、私たちを見つけた侯爵が姿勢良くこちらに向かって来た。



「ありがとうロクサーナ嬢、助かったよ。詳しい人に任せたから術者の目的は直ぐに分かるはずだ。それまでは急拵えだが目を増やすしかないだろう」


「左様ですか。お役に立てた様で何よりです」


「こうなれば、もうなる様にしかなりませんわ。予定通り向かいましょう?」


 そう言って私の手を取るエレナーレ。


 これから何が起きるか分からないと言うのに、彼女は安心しきっている笑顔を向けてくる。

 危機感の薄さが少し心配ではあるが、私を信頼してくれていると思えば何だか心地の良いものだ。


 侯爵はそんな様子を見せる娘に、私を見て少し申し訳なさそうに笑った。









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