12 学園ダンジョン
日が暮れ仄かな月明かりに照らされた学園。
人気のない静かな修練場にタンッと軽快な音が響く。
学園の中でも一際白く輝くSクラス専用の区画には、Sクラスの生徒の生活が出来るだけ完結できる様、様々な施設が揃えられている。
教室を始め図書室、食堂、修練場まで。
将来国の重鎮となる者を不特定多数の人間に接触らせたくないのだろう。
まぁどちらの食堂にいても面倒臭いのに絡まれるので、昼は庭でボッチ飯を頂いているのだが。学園生活をする上ではあまり【隠密】スキルは使いたくないし。
現在いるのは学年関係なくSクラスが自主練に励む修練場なのだが、流石に今の時間は閑散としている。
人がいない時間を狙ってやって来たのだから当たり前だろう。
今の時間は・・・、夜の9時半と言ったところだろうか。私がいない所の照明は完全に落とされている。
弓がしなり矢を番えた弦がギリギリと音を発する。
背後で静かに見守っているメルリィの呼吸音が無になった瞬間に、矢尻から指を離す。
ビンッと弦が鳴り一拍ほどの空白、そして離れた場所からタンッと音が鳴った。
「お?」
「中りましたね。2連続命中です」
「スキルは・・・、やっぱりまだ無理か・・・」
変化のないステータスを見てため息を吐く。
思い切り外交問題に巻き込まれた休日が終わり、今朝からロクサーナとしての日常に戻ってきた。
今回の件は休日を2日潰して取り敢えずのひと段落はついたのだ。
私・担任教師・クラスメイトの父親+(双子)と、三者面談じみたメンツでの話し合いのその後、わざと街の宿に馬車を乗り付け一泊したのだが、案の定と言うべきか、計算通りと言うべきか、3ダースもの人間が釣れてしまった。
それぞれ異なる家の子飼いだったが、それほど今回の件で不味い立場に立たされる人間がいたのだろう。どれだけの人間が片足を突っ込んでいたのやら・・・。
邪魔者は排除する、と言う飼い主達の感情は理解出来るが、もう少し冷静に考えて欲しいものだ。私が遅れを取るなんてあり得ないのに・・・。慌てて子飼いを放ったのだろうな。
部屋に訪れた招かれざるお客様には丁寧にお話を聞き、商館から押収した書類とその話を照らし合わせ、貴族の屋敷にいた異種族の女性たちを拉致させてもらった。
この国にいる異種族の奴隷達は、全て拐ったはずである。
誰も文句が言えないのをいい事に強硬手段に出たのだが、その後の謁見の際の国王が若干呆れてたのを覚えている。
その時、国から褒美をもらえるという事だったので宝剣の返却を申し出たのだが、即答で却下されてしまった。
結果、無難に小切手をもらい、一旦はお役御免となった訳だ。
まぁ、私の働きと諸々のポーション代合わせても、貰った金額では足りはしないのだが、勝手にやった事なので別段構わない。お金にも困っていないので貰えるのなら貰っておこう、ぐらいである。
因みに捕らえられていた異種族達には、王城の敷地内にある使われていない宮殿、セヴリーヌ宮が充てがわれる事になった。ロキが関わっているし、もしもの事があると洒落にならないので警備の行き届いた王城内にしたのだろう。
国王にもいつでも来ていいと言われたので、休日には顔を出す事にして、私から離れようとしない双子、ミーナとリーナをようやく説得する事が出来た。私も別れ難かったが、流石に学園には連れて来れない。三者面談での話の内容はもちろんきつく口止めしてある。
順次、亜人国家との日程が決まり次第、母国に返される事だろう。
謁見の際に釘も刺したし、そこはきちんとしてくれるはずだ。
・・・引き渡しの際に向こうの使節に剣を抜かれる可能性はあるけどな。その時は私の名前を出してでも無事に帰って来て下さいな。
現在は、明後日に予定されている学園ダンジョン解禁に向けて、弓の練習中である。
邪魔の入らない夜に行っているのだが、やはりたったの数日で【弓術】スキルの取得なんて無理があっただろうか。今日やっと連続命中したぐらいだし・・・。
指輪を外して元のステータスに戻せば相対的に器用さも上がり少しは取得しやすくなるのだろうが、それでもほんの誤差だろう。
スキルを自力で取得するとは、そう言う事なのだ。
スクロールでスキル取得するという事は金持ちやダンジョン冒険者達だけの特権で、持たざる者からするとある意味ズルである。
現状、手持ちに余っているスクロールはありはするのだが、それで取ってしまっても面白味がないし意味もない。
【隠密】の件でもそうだが、この学園で『ロクサーナ』としている際は極力『ロキ』の力は使わない様にしている。
それが普通だし、折角こんな窮屈な檻の中で同年代の子供達と共にいるのだから、この不自由さを楽しまないと損である。
ロキを辞めた後、指輪をはめたまま生活するか否かにしろ、この『普通』には慣れて行かないといけないだろう。ロキとして生きて来たこの5年間が私の人生の価値観を決定しているが故に、普通として生きて行くための修正が必要である。
まぁそもそも、それ以上に、元のステータスではこの木で作られた安物の弓では力不足である。
1発放てばすぐに使い物にならなくなるだろうし、【収納】に眠っているダンジョン産の弓をわざわざ使うほど、追い詰められていてもいない。
ダンジョン産の弓は【偽装】で見た目は誤魔化せても、威力が段違いなのだ。
的が木っ端微塵になったら流石に怪しまれる。
黙々と矢を番え、引き、放ち、手持ちの矢がなくなるとメルリィに回収してきてもらい、それをまた番え、引き、放つ。
今のステータスだと直ぐに筋肉が悲鳴を上げるが、無視して放つ。
弓を押す左手の掌からもジリジリと痛みが訴えてくるが、気にせず放つ。
「――棒術の時を思い出しますね」
「・・・そうだね」
1時間ほどが経ち、ふと集中を切らした時、それを察したメルリィが話し掛けて来た。
その言葉に6年前の記憶が蘇る。
あの頃はまだ物理的な攻撃手段、つまり武器スキルを持っていなかったので、王道の【剣術】に昇華できそうな【棒術】を、と冒険者になる前にメルリィが指摘してくれたのだ。
あの時も教科書片手に手に血が滲むほど練習した。
人目に触れる訳にはいかなかったので書斎の中で棒を振り回していたのだが、事情を知らない人が見れば気が触れたのかと心配になる様な絵面だったな。
「無我夢中で棒を振り回していたあの時より、絵面はまだマシかな」
「ふふっ、そうですね」
やはりメルリィにとってもあの時の光景は狂気的だったらしい。
表情の薄い顔で可笑しそうに笑っている。
教えてくれる人も当然おらず手当たり次第ではあったが、お陰で【棒術】スキルを取得する事が出来た。
武器スキルの中では一番取りやすいと言われるスキルでもあるしね。
「メルリィのお陰で冒険者になれたよ。ほんと、ありがとう」
メルリィがいなければ『ロキ』は生まれなかったし、私は今以上に部屋に引き篭もり卑屈に生きていた事だろう。
孤立したあの家庭で15年も引き篭もり続けるなんて、いくら前世の記憶を引き継いで生まれたとは言え、精神的に参るものがある。
「そのお言葉はSランクに昇級された際にもお聞きしましたよ」
「うん、言ったね」
ふふふと笑い合いながら次の矢を番える。
それからまた1時間ほど黙々と矢を放っていたのだが、ふと修練場の隅に他人の気配を感じた。
今の私がその気配を察知すると可笑しいので、そのまま知らぬ振りで矢を放ち続ける。
元々私と会う前から【察知】のレベル1を持っており、私のお願いでレベル3まで引き上げているメルリィも、彼らの存在には気付いている様だ。
矢の中る音に寄って来た様だが、現れたのはまさかの王太子だった。
使用人と共にやって来た王太子御一行だが、しかし修練場の物陰から動く気配はなく、じっとこちらを眺めている。
良い子は部屋で寝る準備を進めている時間だが・・・。
・・・、あぁそう言えば、あの入り口は図書室から続いているか。本でも返しに来たのかな?まさか放課後からずっといた訳ではあるまいな?夕飯どうしたんだよって話だし。
メルリィと私の間に気まずい空気が流れる。
――どうします?
――いや、どうしろと?
目を合わせずそんな応酬をするが、やはりそのままスルーするしかないだろう。
まぁ、向こうも声を掛けて来る気配はなさそうなので、気にしなくて良いか。
見られるだけなら別に構わないだろうと開き直った私は、気にせず矢を放つ。
メルリィは気が気じゃない様だが、あれを気にしたら負けだろう。
この国の殿上人は総じて、何を考えているのかよく分からない所があるし。
その後も何十発と放ちながら、一向にさる気配のない一行に、いつ帰るのかなぁと呑気に考えているとーー
「――あ」
「いかがいたしました?」
「スキル、取れた、気がする」
王太子がいるので直接確認は出来ないが。
スキルを取得した時特有のカチッとハマった感覚が確かにあった。
認識阻害が付いたあの伊達メガネは弓を引くのにこの上なく邪魔だったので、不幸にも今は外してしまっている。
なので瞳の色が変わる【精霊姫】スキルが使えないのだ。
いくら夜で照明を若干落としているとは言え、瞳の色が変われば流石に気付く距離に王太子達がいるのだ。
んがぁーーー‼︎
今直ぐ確認したいぃ‼︎
感覚で確信は付いてるけど、でもやっぱりステータスが見たい‼︎
ステータスを見ながら喜びを噛み締めたいっ‼︎
そんな荒ぶる心を察しているメルリィが、取り繕った無表情で声を掛けて来る。
「おめでとうございます。夜も遅い事ですし、本日はこれぐらいにいたしましょう?」
「うん・・・」
上の空の私に変わり、手際よく全ての矢を集め帰る支度を進めるメルリィ。
そして半ば押し出される様な形で、私は王太子たちのいる反対側の扉から修練場を後にした。
***
***
「ーー王太子ともあろう御方が、覗きですか?」
目の前には矢を番え真っ直ぐ的を見据えるロクサーナ嬢がいる。
その横顔は凛としていて、とても、綺麗だった。
彼女が弓を引く度に、ミルクを落とした紅茶色をした髪がふわりと靡く。
大袈裟だろうけど、それを見ていると、彼女だけ神域にいる様な錯覚に陥るのだ。
現に今、僕の意識はとても心地の良い場所にいる。
いつもメガネで隠れてしまっているのが勿体無いと思う。
稀に見る程の端正な顔立ちをしているし、あの日の夜会でも見た瞳は吸い込まれそうな程澄んで輝いている。
「殿下?」
「・・・」
「こりゃダメだ、聞こえてない・・・」
宮内省のゼンが何か言っているが正直言って黙ってほしい。
その間にも彼女は矢を放ち、的を外したそれを静かに眺めながら再び矢を番える。
先程から的を外す回数の方が圧倒的に多いが気落ちした様子は一切見せず、淡々と矢を放って行く。その姿を見て、胸の奥がジリジリと疼く。
これはどう言う感情なのだろう。
憧れの様で、少し違う気がする。
「あの子、すごい集中力ですね・・・」
「休みなく弓を引き続けているが・・・」
「・・・僕がここに来てどれぐらい?」
「30分は過ぎているかと」
ふと耳に入って来た宮内省のロジーヌと騎士のウルカルの会話に問いかけると、半刻以上であると返された。
そんなにいたのか、体感5分ぐらいしか経っていないのだが・・・。
「もちろん我々が来る前から練習していたでしょうし、実際どれほど打ち続けているのかは・・・」
「・・・あれ、よく見るとあの子の左手、血が垂れてないか?」
「ッ⁉︎」
その言葉に思わず彼女の姿を凝視する。
確かに、弓を押す左手を覆う手袋から血が幾らか滴り落ちている。
手袋の中で皮がすり減って流血しているのだろう。
手袋越しなのだから相当の量のはずだが・・・。
しかし、彼女の横顔からは一切辛さを感じない。
痛がる素振りを見せる事なく、悠然と次の矢を番えて弓を引くのだ。
「彼女、凄いな・・・」
そう、彼女は凄い。
脅されても、グラスを投げ付けられても、剣で叩きのめされても、貴族派閥の令嬢に階段から突き落とされても、いつもケロっとしている。
普通の令嬢なら泣いて縋るだろう苦行なのに・・・。
いつも強く言えないのが、ひどくもどかしく感じるのだ。己の発言力が恨めしい。
入学してこの1週間ほど、観察していたが、彼女にはどこか達観している節が伺えた。
その少しマイペースな雰囲気が珍しくて、そして同時に心配でもある。
目を離した隙に、ふわふわと、どこかに飛んで行きそうな気がするのだ。
「――あ」
不意に彼女の澄んだ声が響いた。
その声にふと我に戻る。
宮内省の者達と共に視線を向けると、彼女は弓を下げていた。
「スキル、取れた、気がする」
嬉しそうな声で少し片言な言葉が彼女の口から紡がれた。
どうして片言なんだと苦笑いが漏れるが、朗らかに頬の緩む彼女を見て、胸がじんわりと温かくなる。
そんな彼女の言動に見惚れていると、あっという間に彼女の使用人に連れられて、反対側の扉からいなくなってしまった。
「――帰っちゃいましたね」
「そうだね」
誰もいない修練場を眺めていると、ゼンがしみじみと語り掛けてきた。
「あの子が殿下のお気に入りですか?」
「・・・そう言うのでは」
「彼女、夜会の時に挨拶に来た令嬢でしょう?」
「うん・・・」
ウルカルの指摘に頷く。
「報告では聞いていましたが、あの侯爵を動かしてまで挨拶に来るなんて。・・・脈ありですかね?」
「それはないよ。僕、避けられてるから・・・」
「そりゃぁ、怖〜い婚約者が側で目を光らせているんですから避けるでしょうよ、普通。しかし、お姫様があの様子だと側妃を据えるのは難しそうですね」
「うん・・・」
――リゼルがいなければ、彼女に婚約を申し込んでいただろうか・・・。
・・・いや、これは考えたらダメか。
王の決めた婚約者と婚姻を結ぶのが、王太子の僕に与えられた使命なのだから。
『もしも』の事象なんて存在しない。
いや・・・、・・・でも、・・・そうか・・・。
僕、ロクサーナ嬢の事が好きなのか・・・。
彼女に婚約を申し込む自分の姿が自然と脳裏に浮かんだ事に、自分でも少し驚いた。
それでも、そう思えばこの込み上げるうら寂しい感情にも納得がいく。
目を瞑るとロクサーナ嬢の姿が見える。
人がいる場所では殆ど表情を動かさない彼女だが、気にして見ているとその表情は喜・怒・哀・楽が分かりやすく、彼女の纏う色はコロコロと変わっている。
友人だと言うエレナーレ嬢と話をしている時は、それがより顕著に見られるのだが、それがとても楽しそうで・・・。
出生、身分、派閥の柵で窮屈な思いをしているはずなのに、彼女を見ていると、どこまでも自由に見える。
その隣に並べたら、どんなに良いだろうか。
自分の方が身分は高いのに、不思議な感覚だ。
――野花の咲き乱れる小高い丘に向かい、御伽噺の精霊と戯れながら歩みを進めるロクサーナ嬢。
――思うまま、心から楽しそうにその場をくるくると舞っている。
自由な彼女を見ていると、今にも神話の天使が空から舞い降りて来て彼女を連れ去ってしまいそうで、思わず手を伸ばす。
慌てて彼女の名を呼ぶと、彼女はこちらに振り向いて、――微笑んでくれた気がした。
***
***
「おいエルヴェ様!魔法まだか⁉︎」
「えっ、えっ、ちょ、待って下さい⁈何で、魔法が・・・ッ」
「ヴェラ、落ち着いて!深呼吸よ!」
前衛にいるエトとエレナーレが声を張り上げる。
こんなに切羽詰まった声は平時では聞くことはないだろう。
同年代の中では魔力が一番多く、魔法系授業の小テストでは軒並み好成績を収めているヴェラ・エルヴェステイン伯爵令嬢であるが、学園ダンジョン攻略初日でいきなり乱戦になれば、冷静に魔法構築をする事は流石に難しいだろう。
百戦錬磨の冒険者でも、格上に不意をつかれた際に陥る事のある現象なので、仕方がないと言えば仕方がない。戦闘の行く末を大きく左右する魔法職は、誰よりも冷静さが求められるポジションなのだ。
初めての経験に大いにテンパっている彼女を振り返ると、完全に目を回している様だった。少し可哀想なぐらい慌てているが、小動物の様にあわあわしている彼女には保護欲がそそられるな。
現在いるこの学園ダンジョンは、全15階層で構成されている。
これを完全攻略できれば卒業資格へリーチを掛ける事ができる訳だがーー。
この学園ダンジョンは地形が変わらないタイプのダンジョンなので、歴代の先輩方により隅々まで探索されており、完璧な地図が存在する、学生にとって安心安全なダンジョンである。
イージーモードが過ぎるが、モンダールダンジョンも不変型のダンジョンで、浅い階層の地図はフツーに売られている。それでもあそこが世界最難関と言われるのは、その一階層ごとの規模の大きさと階層の多さ、そして何より敵の強さが所以なのだろう。地図があっても敵を倒せない事には先に進めない。たまにダンジョン内で生活する冒険者も見かけるが、それでも56階層の壁を踏み超えた者は私以外誰一人としていない。
ダンジョンとは階層ごとにその環境をガラッと変える。
草原、森林、湿原、荒野、砂漠、洞窟、遺跡などなど、挙げ出したらキリがない程だ。
しかし、その何が出るか分からない楽しみを味わえるのは、変化型のダンジョンか、踏破されていないモンダールの下層だけだろう。先に述べた通り、この学園ダンジョンは地図があるので、攻略し甲斐は一切ない。
・・・、けど!けれどもッ!
地図はあっても私にとっては未知である事は変わりないのだから、やっぱり初見のダンジョンは特別で、心躍るものがある。1学年の中で一番ワクワクしている自信があるよ。
現在学園ダンジョン第1階層。
初攻略となる今日は1日攻略に潰れるので通常授業は入っていない。
初めてダンジョンに潜る人が殆どなのだから帰還後は皆ヘロヘロなのだろう。
事実、Sクラスの人間であってもまともに戦闘をした事はあるのはエトぐらいなもので、ほとんどの人間がレベル1なのだ。
戦う術はあっても戦えるとは限らない。
そう、今のようにーーー。
パーティーに分かれダンジョンを探索し始めて1時間ほどが経ち、パーティーリーダーのエレナーレの【察知】スキルのお陰もあって不意を打たれる事はなかった。
・・・私?私が口出ししたらズルだし、不自然過ぎるだろう。
冒険者の手を借りる事は別段問題ない。一人までなら雇う事もできる。しかしハーバードは何も言わなかったが、Sランクのロキとなると話は変わってくる。
エレナーレもそれが分かっているから私を後方に置いているのだ。
本当にピンチになったら如何様にも出来るし、彼女からしたらこれ以上ない保険だろう。
・・・と、まぁ今も若干危ない状況だが。
前方には、耐久値が高いだけの無駄に重い鉄の大剣を、ゴブリンの集団に向けて振り回すエト。彼は平民なので贅沢は言っていられないのだろう。学園からの貸し出し武器で一番頑丈そうなものを選んだらしい。
「クララ!」
「はいっ!」
余裕のない声を上げエトが飛び退いた隙に、スッと盾を出したのは、商家の令嬢であるクララ。
見るからに腰が引けているが、まぁ敵の攻撃はしっかりと見えている様なので及第点だろう。
ゴブリンからの攻撃を防ぐ事に成功したクララの脇からエレナーレが飛び出し、盾の向こう側でバランスを崩している敵にメイスを叩き込んだ。
連携は練習通りに出来ているが、敵は1体ではないので後方支援の出番なのだが・・・。
「あうっ、ううぅ・・・」
華奢な杖を前方に向けてはいるが、極度の混乱から魔力が乱れている。
この調子だと一生構築出来そうにないな。
それを見かねた私は腰から新しい矢を抜き、番え、弓を引き、エレナーレの死角を取っていたゴブリンに向けて放つ。
狙うは左目。そしてーー、命中。
――ギャゲゲッ⁈
「ッ⁈助かりましたっロクサーナ!」
「いえ」
いいって事よ、親友。
一昨日【弓術】スキルは無事に獲得出来た訳だが、スキルレベルは1のままで残念ながら一切上がっていない。こんな短時間で上がっていたら、今頃世界は強者で飽和状態になっている事だろう。まぁ、そんな世界も楽しそうではあるのだが。
【弓術】のスキルレベルは命中率とは必ずしも比例しない。もちろんレベルが高い方が補正の様な力が働くため命中率は上がるが、レベルが低くてもスキルを取得さえしていれば集中力の有無で命中率を上げる事ができる。
この土壇場で命中し得たのは修羅場慣れしている私のメンタル故だろう。
対象を即死させる事ができなかったのは、レベルが低いのと弓の性能により威力が足りなかったせいである。一人で戦っている訳ではないので、現状そこまでは求められていない。ロクサーナはか弱い貴族令嬢(笑)なので、学生の範疇のままで問題ないだろう。
私の矢により左目を潰されたゴブリンは、振り返ったエレナーレのメイスで脳天をカチ割られダンジョンに消えていった。
・・・エレナーレがこの中で一番物騒だよなぁ・・・。
アスティアの影たちが護身用に教えたんだろうけど、もう少し何かなかったのか・・・。
その後もヴェラが使い物になる事はなく、経験も体力もあるエトが極力数を減らし、余裕が無くなればクララに交代し、エレナーレがトドメを叩き込んでいく。
その流れの間、前衛の死角にいるゴブリンに矢を放ち、目、眉間、心臓と致命傷になる場所に命中させて行った。
「やっべー・・・、マジやべー・・・、死ぬかと思った・・・」
ゴブリンの姿が消えた場所にドカリと座り込むエトが、大きくため息を吐きながら呟いた。
乱戦に陥ってからと言うもの、いつも付けている敬語も忘れているのだから、相当追い込まれていたのだろう。
湧いてきたゴブリンは軽く20は越えていたし、仕方がないだろうが、流石に彼でもこれほどの乱戦は経験がなかった様だ。恐らく彼は強い敵との一騎打ちでレベルを上げたタイプだ。
それと、彼に掛かる負担は、彼より力の格下の学生とパーディーを組んでいると言う所もあるだろう。村では彼より年長の狩人達と共にモンスターをハントしていた様だし。
しかし、ダンジョン特有の魔力溜まりに踏み入れてしまったのは運が悪かったな。
ダンジョンの魔物は魔力から生まれるため、魔力溜まりではうじゃうじゃ湧いて来る。地上じゃ巣を突かない限り経験する事はないだろう。
この魔力溜まりはダンジョン冒険者が命を落とす原因第2位でもある。数の暴力は恐ろしいからなぁ。もちろん死因第1位はボス部屋である。
いくら安心安全な学園ダンジョンでも死ぬ時は死ぬ。
前衛3名は魔物のいなくなった地面に座り込み肩で息をしている。
私も絶えず立ち位置を変えながら矢を放ち続けていたため、呼吸は大きく乱れていた。
前方の3人を眺めながら肉体的疲労を新鮮に感じていると、エレナーレから視線を頂いてしまった。
・・・いや、うん、まぁ、皆んなが2匹のゴブリンの夢中になっている間に魔力溜まりの範囲に入っていたのは気付いていたけどさ?
今の私にどうしろと・・・?
生きているのだから目を瞑って下さいな・・・。
「――申し訳ありませんッッ」
エレナーレの視線に心の中で言い訳の言葉を並べていると、私の横までやって来たヴェラがパーティー全員に向けて大きく頭を下げた。
「エルヴェ様⁈頭をお上げくださいッ‼︎」
平民のクララからしたら伯爵令嬢のヴェラに頭を下げられるなんて恐れ多い事なのだろう。この現状に大いに恐縮している。
「ですが、私の魔法があれば、エレナーレ様と貴方達はもっと安全に戦う事が出来たのです・・・。いくら魔法が得意でも、使えなければ、・・・意味がないのです・・・」
頭は上げたが俯いてしまっているヴェラの瞳は、申し訳なさと、情けなさに大きく揺れていた。
ヴェラ・エルヴェステイン伯爵令嬢。
彼女の生家はこの国の魔法省に深く関わっている。
歴史あるエルヴェステイン家は建国当初より魔法省の大臣を数多く輩出しており、魔力量の高い子供、もしくは魔力量が増幅しやすい子供が生まれる家系なのである。まぁそれなりに血の選り分けは行われているだろうが・・・。
現在は彼女の大叔父、つまり祖父である現伯爵当主の弟が魔法省大臣を務めており、同じ伯爵位を頂いている。
そんな家に生まれた彼女も例外ではなく、同年代にしては魔力量が多く、そして増えやすい体質でもあった。英才教育の甲斐もあって、『魔法』で遅れを取る事はなかったのだが。
初めての乱戦にテンパって魔力制御が出来なかったなんて、彼女にとってあってはならない事なのだろう。
トラウマ級の事態に彼女のプライドもぐっちゃぐちゃな訳で、目にはありありと涙を浮かべている。
「次に活かしてくれれば大丈夫よ、ヴェラ。そうよね?みんな?」
「そうですよ、ヴェラ様」
エレナーレの言葉に同意の言葉を返すとエトとクララも大きく頷いた。
「本当に・・・、ごめんなさい。・・・ロクサーナ様も、ありがとう、助かったわ」
「いえ。お役に立てて何よりです」
形の良い眉を下げているヴェラににっこりと微笑んだ。
「――それにしても、バートンの命中率えげつないなよな。【弓術】スキルはまだレベル1だろ?」
反省会が終わりそれぞれドロップした魔石とアイテムを拾い集めていると、たまたま近くの場所にいたエトがゆるっと話しかけてきた。
「ええ、そうですが?」
「あの状況で冷静にいれてそれに命中って、どれだけ図太いんだよ」
「・・・肝が据わっていると言ってください」
最近思っている事なのだが、なぜこの男は私にはタメ口で来るのだろう。
他の子息女達には敬語で行くのに、甚だ不思議である。
まぁ別に、人前では敬語で来るので注意する程でもないのだが、仲間意識でもあるのだろうか、妙に懐かれている。
もしかすると彼にとって私は目上の貴族令嬢ではなく、大した抵抗も出来ずにコテンパンに叩きのめされる様な、元平民のか弱い少女なのかも知れない。リーゼロッテに殺されかけた後、エトは仕切りに大丈夫かと話しかけてくれてたし。
「バートンは弓があれば大丈夫だな。敵は後ろに抜かせないから、その腰の短剣を使わなくて大丈夫だぞ。俺に任せとけ」
ニカっと人懐っこい笑みで胸を叩くエト。
どうやら私に近接戦闘はさせたくないらしい。
まぁ、誰がどう見てもへなちょこだもんな。
確かにこの乱戦でも後ろに敵が抜ける事はなかった。
やはり彼にとって私は保護対象らしい。
「ありがとうございます。・・・しかしエト、貴方、弟か妹がいませんか?」
「ん?あぁいるぞ。弟が3人と妹が2人だ」
あぁやっぱり。サラッと任せとけって言えるなんて、流石は5人弟妹のお兄ちゃんだ。こう、包容力が違うよな。
前世は一人っ子、今世もいろんな意味で一人っ子だし、分かりやすくお兄ちゃん風を吹かせている人は新鮮だ。
ハーバードをはじめとする冒険者の先輩方の中にも兄貴っぽい性格の人はいたが、自己責任の世界だし、そもそもソロだったしで、背中で守る様なお兄ちゃんはいなかったな。
キュンとはしないが、人が人なら恋に落ちるシチュエーションだろう。
エトも、十分男前な訳だし。
まぁ私だし何も始まりはしないのだが。
・・・、しかし、平民で学園のしかもSクラス出身なんて相当な優良物件だよな。
「家族は村にいるんでしたよね。・・・やはり卒業後は王国騎士になるんですか?」
「いんや、冒険者になるぞ」
「えぇぇ?せっかくSクラスになれたのに・・・?」
エトの口から出た言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
平民が冒険者になって出世するのは王道だが、学園に入学しSクラス入り出来た平民の人間はほぼ例外なく王国騎士団からのスカウトが掛かる。
Sクラスだけが出場できる冬のランキング戦で目を付けられて、と言うのがその殆どで、その後は大体2パターンの出世方法がある。
一つは、第2騎士団に入りそれなりに安定した人生を送るか。この場合、出世は部隊長で頭打ちである。
もう一つは、第3騎士団に入り戦功を上げ貴族位を頂き中央に移動するか。爵位持ちなら第1騎士団にも第2騎士団にも入団できるので、陞爵も含め事実上何処までも出世出来る。目指せ侯爵。
はっきり言って、Sクラスに配属された平民が卒業後に冒険者になるのは邪道である。
生まれながらに騎士団への入団権を持っている貴族子息でもあるまいし、一度蹴ったら入団への道は限りなく狭くなる。入団出来たとしても出世は絶望的だろう。
一見平民にも出世の余地が大いにある騎士団だが、心象の悪い平民を出生させてあげる程ホワイトではないのだ。
「理由を聞いても?」
「理由って言うほどの事でもないが・・・、騎士団って平民への風当たりが厳しいだろ?Sクラス出身ってのが余計、な」
まぁ確かに言われてみればそうだ。
いくら平民の方が数が多い第2・3騎士団と言っても、貴族や準貴族が中心となって動いている組織である。同期に平民が、更にSクラスに配属される様な優秀な平民がいたら、やっかみも多いだろう。
「それに・・・、やっぱり冒険者って憧れるんだよなぁ」
魔石を拾い終わり、エレナーレとクララの二人が先頭に立ち歩みを進め、エトと私が会話を交わしながらそれに続く。
話すエトの声色にはハッキリと憧れの色が乗っていた。
「憧れ、ですか」
分かる分かる、よ〜く分かる。
私も憧れて登録したタチだもの。
誰もが憧れる王道を突き進むのは、それはそれは心地が良いものである。
「特に『一閃のロキ』がSランクに上がったってのを聞いた時は胸が震えたね。俺もいつかは・・・って、2年前のあの時は分不相応にも思ったもんだ」
「へぇ〜・・・。しかし、分不相応、ですか?」
ロキの話題が上がり白々しく感心してみるが、エトは少し遠い目をしていた。
「あぁ分不相応だね。あの時は同い年のロキの対抗心を燃やして相当無理をして狩りをしたんだ。ボロボロになって両親や弟達を泣かせて、それでも止めなかった。おかげでそれなりにレベルは上がったさ。でも、村に寄る冒険者は口を揃えて、ロキに並ぶのは絶対無理だって言うんだ。モンダールのロキは次元が違うって。あれは生きる世界の違う化け物だってな。・・・その時はその言葉にどうしても納得出来なかったんだ」
失礼な・・・。
誰だそんなこと言った奴は・・・。
でもまぁ、この年でレベル25は異常である。
彼の言う通り相当無理をしたのだろう。それこそ死線を掻い潜る様な地獄だったはずだ。
「モンダールじゃないが一度ダンジョンに潜った事がある」
「え、冒険者登録はしていないんですよね?」
「あぁ、ちょっとコネで引っ付いて行ったんだ」
なるほど、それならダンジョンによっては入れる所もあるな。
因みにモンダールは第5階層から先は端末所持者でないと侵入不可能になっている。つまり非冒険者はその先の攻略が出来ない。
非冒険者が冒険者に引っ付いて入れるダンジョンは下級から下のダンジョンのみで、この学園ダンジョンは例外中の例外である。学園ダンジョンは準下級扱いである。
下級ダンジョンとなるとこの国には・・・、そうだな、20個ほどあるが、エトの出身の村近くとなると2つに絞れる。
「結果、惨敗。冒険者達に付いてくのがやっとで結局途中で引き返したよ。下級でこれならS級はどんなんだって話だろ?」
「まぁ確かにそうですね」
「モンダールダンジョンのモノリスに一人で名前を刻み続けるってマジでやばい事なんだなって、その時ようやく分かったんだ。雲の上の更に上の存在。空の上の別の星にいるんだから、冒険者達の言う生きる世界の違う人間って言葉は、やっぱりその通りなんだろうよ」
生きる世界が違う、ねぇ。
「それで分不相応って訳だ。下らない対抗心を捨てれば、純粋な憧れが残るもんだろう?冒険者になれば少しは近づけるかも知れないしな」
「諦めてないじゃないですか」
対抗心を捨てるって話の流れだったのに、近づく努力を止めるつもりはないらしい。
諦めの悪さに思わず笑ってしまった。
「そりゃぁなぁ?憧れは野望の表れだぜ?ロキもいるだろうし、卒業後はモンダールに行くつもりだよ。バートン領だし、お前が俺の活躍を聞く事もあるかもな?」
「そうですね」
残念だがエトが卒業する頃モンダールにロキはいないし、私もバートン領にはいない。
ただ・・・――
「――エトの活躍が冒険者新聞に載る事を楽しみにしていますね」
学園卒業後の数年間、彼がロキの話題に変わり冒険者新聞を賑わせるのはほぼ確実と言えるだろう。
平民出身で大国の学園のSクラス配属という話題性然り、この年でレベル25という異様性然り。
能力も前衛アタッカーと目立ちやすいしな。ある意味卒業当時のハーバードより話題性はある。
彼が良きパーティーメンバーに恵まれる事を心から願うよ。
私の言葉に満面の笑みで少年らしくい笑い大きく頷くエトを見て、年寄り臭い哀愁染みた感情が芽生えたのは言うまでもないだろう。
世代交代を経験した世の先人達も同じ様に感じたのだろうか。
「少年よ、大志を抱け」と声を上げて言いたくなってしまった。
彼にはもう十分大志はある様だけどな。




