10 ロキの休日 4
※流血表現ございます、お気をつけあそばせ?
「――機嫌が悪いのか?」
商館へ向かう人員を揃えるまでの暫しの待ち時間。
私とハーバードに用意された豪華な客間にて。
議場を出てから一言も発していない私に、向かいのソファに座るハーバードがいつも通りの苦笑いを浮かべ口を開いた。
それを聞いて、私は大きくため息をつきながら背凭れに凭れ掛かり、何となく天井を見上げた。
「・・・何と言うか、自分の嫌なところを改めて感じさせられたと言いますか・・・」
国王の器の大きさを見せ付けられたのが、自分の中で思いのほかショックだったらしい。
全く成長していないなぁとひしひしと感じる今日この頃。
前世の父さんと母さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は元気ですけど、少し脂肪のついたその体をぎゅっとしたい気分です。
私の精神年齢は地球で死んだあの時のまま止まってしまっている。
享年16であの世へ渡り、何の因果か世界を超えたこの国で、私は記憶を持ったまま生を受けてしまった。そして、大人になんてなりたくないと思春期らしい思考のまま、ここまで来てしまったのだ。
ステータスは伸びても、これ以上内面が成長する事はないだろう。Sランクになった今、荒療治できる場面なんてそうありはしない。
地球で生きた年月を越えると何か変わってくれるだろうか。
「・・・はぁーー・・・、ダンジョン行きたい」
思考停止・現実逃避の言葉が漏れる。
何も考えず只ひたすら目の前の敵を倒し、アイテムや素材を地上に持ち帰れば、それだけで手放しに讃えられるのだ。逃げたくもなるだろう。
全くこの世界は、強者に優しすぎる。
成長する隙がない。
「――そんなにダンジョンに行きたいのなら、全部国に任せればよかっただろ?ロキが態々行く必要なかったんじゃないか?」
「まぁ、それはそうなんですけどね。・・・正直、変な勘が働いたので」
「勘、ねぇ」
「ハーヴィーは城にいてください。双子が目を覚ました時、知ってる顔がないと不安でしょうから」
「了解だ」
***
王城の敷地内には、いくつか城の様な建物がある。
と言うのも、元日本人の知識があるせいで、ただの施設も城の様に見えるのだ。
そして私が現在いるのは王国騎士団の総本部の前の広場であり、重厚に聳え立つこの施設もまた、城の様な馬鹿でかい建物なのである。
王国騎士団――。
サファイアが国石であるこの国を表から守る組織であり、又の名を蒼玉騎士団と言う。
王族や要人を警護する第1騎士団、王都や国の直轄地の治安を維持する第2騎士団、そして戦闘のみに特化した第3騎士団で構成されており、空から国を守る飛竜部隊は第2と第3騎士団にそれぞれ存在している。
今回動員されるのは王都内での案件なので、第2騎士団である。
「ロキさーーーん!」
そんな騎士団本部前の広場で、騎士たちと軽く打ち合わせをしていると、離れた場所から聞き慣れた声が聞こえた。
正直、面倒なのが来たなぁと思ってしまった。
「ジャックさん。久しぶりですね」
「お久しぶりです!」
灰色の髪と緑の瞳を持つ、ニカっと笑った時の八重歯が印象的な彼は、冒険者協会情報局の記者、ジャックである。
モンダール支部の所属だったがほぼ私の専属の様になっているので、私が王都に移ったのを機に王都に移動してきたのだ。
会うのは1週間ぶりぐらいだろうか。西にある塔のダンジョンを踏破した時以来である。
しかし、やはりと言うか、街での事を嗅ぎつけて来たらしい。
犬っぽい印象の彼だが、実際、胸元には竜と鎖のエンブレムが光るギルドの犬なので、周りの騎士たちは咬み付かれないか表情を固くしている。
今回の案件はギルドを敵に回す寸前なので余計緊張しているのだろう。
「聞きましたよ!街でのこと。目立つ魔法を使ったらしいですね!」
どう見ても目が笑っていない。
笑顔の下の腹黒さがよく分かる。
一連の事について街で聞き込みをして来たのなら、羽耳族の双子を保護した事も勿論知っているだろう。
どうするん?どうするん?と元気に振る尻尾が見えるのは私だけだろうか。
「街中だと電雷の音が思いの外反響してしまって。ダンジョンの外で使ったのは初めてだったので勝手が分からなかったんですよ」
「そうでしたか!――それで、王国騎士の方々とはどこへ向かうのですか?」
キョトンとした顔であざとく首を傾げているが、聞かなくても大体の予想は付いているのだろう。
その白々しさには私も苦笑いするしかない。
因みに、ジャックが到着する遥か以前から、私たちの周りには3名のギルドの諜報員、通称『ユミルの影』が付き、影から様子を伺っている。
正確に言えば私が城に着いた時から、であるが。
城に潜んでいた城内担当のギルドの諜報員が、私が来たので何かあると推測したのだろう。
ユミル公国に総本部を置くギルドであるが、その諜報員が各国の城内に常時潜んでいる事は、もはや公然の秘密とされている。
その能力はアスティアの影と同等以上で簡単には見つけられないし、世界最大の組織であるギルドを敵に回す気がない故に、皆が知らない振りをするのだろう。まさに触らぬ神に祟りなしである。
そのため、今回、他種族への侵害があった事実をギルドに完全に秘匿する事は不可能だが、しかし、やはりと言うか、結局はロキがいれば結果どうにでもなるのである。
『ユミルの影』はギルドの犬だが、その最高司令官である冒険者協会総督の地位に一番近いのは、間違いなく私たちSランク冒険者である。
その上、現状、次代の冒険者協会総督はロキが最有力候補として挙げられている。公式戦にも出ていないのに、グラマスから直接お言葉を貰ってしまったのだ。私の正体を知っているクセに、何を考えてるんだ、あの人は・・・。
現代文明を支えている古代文明の技術は、ギルドが一括して独占している故に、世界を文明単位で破壊する事も可能である覇王への切符が既に私の手の中にある訳なのだが、もちろん学園を卒業して結婚すれば速攻ゴミ箱へポイするつもりである。他のSランカーの誰かが拾ってくれる事だろう。
ロキの注目度の高さはこの辺りの事情も関係しているのかもしれないが、世界の最高権力者冒険者協会総督候補であり、国王に宝剣を渡されているロキにとって、隠蔽改竄なんてなんのその。本当にどうとでも出来るのだ。
ほんと、権力って恐ろしい。うまうま。
「今回の事は新聞には載せませんよ」
「えぇ〜そんなぁ〜〜・・・」
『一閃のロキ』『羽耳族の幼い双子』『侯爵家の奴隷』。
ただそれだけで大スキャンダルの予感がしていたのだろう。
教えて教えてと尻尾を振っていたジャックが大きく肩を落とす。
「面倒な事になるでしょう。終わった後の事は王国に任せるつもりです。私が引き続き様子を見ますから、ギルドは手を引きますよ。・・・他の3名も、報告するならその旨を含めてにして下さい」
「「「――了解」」」
遠い影から聞こえる3つの了承の声を風から拾う。
そしてそれを最後に私たちを囲んでいた3つの気配が城の方に去っていった。
お仕事お疲れ様でーす。
「・・・ロキ様」
気配の消えていった方を眺めていると、騎士の中から声を掛けられた。
腰を低く話しかけて来たのは金髪金眼のクレマン・アルミニウス騎士爵。今回第2騎士団から20名ほど動員される部隊の隊長で、アルミニウス伯爵現当主の末弟である。
後ろに規律的に並ぶ他の隊員に比べ、線は細いがバランスの良い体格をしており、剣も魔法も得意なので、部族との抗争の激しい南部防衛で武功を上げ8年前に叙爵されたらしい。ありがちだが、一番理想的な出世の仕方であろう。
因みに下の息子さんは3年A組に在籍している先輩らしい。
「この度は本国の貴族がご迷惑をお掛けいたしまして、申し訳ございません」
そんな事を言って、彼は私に向かって深々と頭を下げた。
そして隊長の動きに従って後ろの騎士達も同じく頭を下げていく。
一瞬にして重い空気に包まれた現場に、真面目か、とつい突っ込みたくなるが、ロキの方が目上なのでこの態度は仕方がないのだろう。
上司の失態に部下が頭を下げるとは、ブラックな職場だなぁ・・・。
それをなかった事にしようとしているんだから余計タチが悪い。
「・・・頭を上げてください。今回に限っては私は国寄りの立場にいますので、その謝罪は必要ありませんよ。貴族社会ではよくある事でしょうし仕方ありません。今日はよろしくお願いします」
「えぇ、本日はロキ様の思うままにお使い下さい」
騎士団の最高司令官は国王である。
つまり国王の宝剣を持っている私は、国を守るための騎士団を、私情であろうとも自由に使えてしまう。
・・・ああああ。
こんな危険物、今すぐ返還したい。
あの時小切手だけ受け取って逃げればよかったなぁ・・・。
***
最後まで引っ付いて来そうなジャックを追い返した後、騎士の操縦する馬車にアルミニウス隊長と相乗りし目的地に向かう。
ぼんやりと窓の外の流れる景色を眺めているが、どうにも正面からの視線が気になった。
「アルミニウスさん、どうしました?」
「・・・失礼、見つめ過ぎでしたか。――少々お聞きしてもよろしいでしょうか」
「えぇ大丈夫ですよ」
優しいお父さん的な雰囲気を醸し出すアルミニウス騎士爵の声に、自然に頬が緩む。
「ロキ様は学園には通われないのですか?」
意外な話題に虚をつかれて瞬きを数回。
そして首を傾げる。
「どうしてですか?」
ボク、商家ノ三男ダヨ?
「いえ、ロキ様の武勇は予てより冒険者新聞で拝見しておりましたが、実際お会いしてみて、聡明で賢くいらっしゃる様でしたので。確か15歳でしたよね」
「賢いと言っても学園に合格するほどでは・・・。勉強は好きじゃないですし」
謙遜してみるが、嘘は言ってない。うん。
「ロキ様ほどのお力があればSクラスに配属されるかと・・・」
「う〜ん・・・、私がSクラス・・・」
ロキがあのSクラスにいるのをちょっと想像してみる。
――・・・いや、今以上にやりにくそうだな・・・。
「・・・友達は出来なそうですね」
「・・・まぁ、そうですね」
お互い苦笑いである。
「アルミニウスさんはご子息が学園にいると聞きましたが」
「えぇ、長女も今年学園に入りまして、3人の子供全員が無事に入学を迎えられました。これも全てグランテーレ王国の栄光の恩恵かと」
武功で爵位持ちになったからか。
爵位持ちを親に持つ子供は入学義務があるからなぁ・・・。
因みに、親が入学義務の15歳を超えてから叙爵され場合、学園Eクラスへの途中編入が認められる。学園へ編入できるのはこの場合か、他国からの留学ぐらいだろう。
そして、この国の成人は18歳、学園を卒業する年であるため、18歳を超えてから親が叙爵された場合その子供は入学する事が出来ない。貴族の子供、『準貴族』という身分を持つ事は出来るが、周りの準貴族たちが学園の同級生なので相当疎外感を感じるのだろう。その殆どが平民としての暮らしを続行するらしい。
・・・しかし、まさかの同級生のお父さんだった。
娘さんどこのクラスだ?
アルミニウス姓の子はSクラスにはいないな。
学園にも日本の様な参観日があればこの人、全然違和感なく保護者に紛れ込んでそう。身分の差がなければP T A役員とか率先してやりそうだ。
その後はそれとなく学園の話題から話を逸らし、武功を立てた南部防衛の事を聞いていると、いつの間にか馬車は西下区に入っており、下区特有の活気の熱が窓越しに伝わって来た。
スピードを少し落とした馬車は、暫くするとある建物の前で停車した。
「到着した様です」
アルミニウス隊長がそう言うと同時に外から扉がノックされ、扉がゆっくりと開かれる。
先に降りた彼の後を追い扉を潜ると、先に到着していた騎士達が綺麗に整列して出迎えてくれた。圧巻である。
そして目を光らせる騎士越しに、既に集まっていたらしい大勢の市民達から声援が飛んで来た。
まぁ2時間ほど前に私が紫電を放った区画からそこまで離れていないし、ヨーネン侯爵家の奴隷商と分かっていれば、この場所は特定されるだろう。ここにいる人間は私が来る事に賭けたらしい。
「頑張れー」だの「やってしまえー」だの、彼らの目には私が正義のヒーローに見えている様だ。うん、ちょっと恥ずかしいな・・・。
黄色い声援に笑顔で手を振りながら、変な気配がないか確認し、盗み聞きの心配がないと判断していると、横に立つアルミニウス隊長が先着していた騎士に問いかけた。
「どうなっている?」
「既に奴隷商と思われる男と従業員は拘束しております。計12名の人間の奴隷は確認できましたが、地下への入り口は未だ見つけられておりません」
「なるほど、奴隷商の場所に行きましょうか」
「かしこまりました。ご案内いたします」
アルミニウス隊長と共に騎士の後について行く。
奴隷商の商館は後ろ盾が貴族派閥筆頭なだけあって豪華絢爛であった。
敷地面積も広く、下町情緒あふれる下区に似つかわしくない建物である。
こんな金ピカにするなら貴族区に建てろし。場違い過ぎて気持ちが悪い。
広い吹き抜けのホールに入ると、男爵令嬢ver.の時に最近よく嗅ぐ様になった香水の匂いが充満していた。
本物であろう大理石をコツコツと踏み歩きながら進むと、剣を抜き警戒中の騎士数名に囲まれ、四肢を拘束された小太りの男と制服を着た男4人が地面に座り込んでいた。
従業員らしい男達は諦めた様に力なく項垂れているが、その親分は諦め悪く騎士を睨みつけ拘束を解こうと足掻いている。
「お疲れ様です」
騎士の人にそう言うと規律的な動きで礼をしてくれた。
そしてーー
「ロキィィ‼︎お前、私を騙したのか!」
「騙す?」
開口一番唾を飛ばしながら怒鳴ってくる奴隷商に、不愉快さから眉を顰め首を傾げる。
「私の事は訴えないとーーー」
「えぇ、訴えませんよ」
「なら、何故私は拘束されているのだ!」
「何か勘違いしている様ですけど、あなたを拘束しているのはこの国の騎士ですよ。それが全てです」
こいつが言っているのは、私に危害を加えた事は訴えないと言った先刻の会話の事だろう。
ぶっちゃけ、この事件の本質に私は関係ない。
被害なんてないんだし、ギルドに訴える必要は一切ない。面倒臭いしね。
そして勿論、この事件での一番の問題は、異種族の子供が不当に捉えられていた事にある。
ロキが態々ここまで来ている時点で既に詰んでいるのに、まだ助かる気でいるのは相当鈍いな、この男。私の到着から顔面真っ青の他の従業員の方が長生きしそうだ。
「地下への入り口はどこですか?」
面倒臭いのでそうストレートに聞くと、男は一瞬驚いた様に目を見開いたが、すぐに元の顔に戻った。
「何の事か分からんな」
「そうですか」
案の定、すまし顔でそっぽを向かれた。
見つからないと思っているのか、見つかっても問題ないと思っているのか。
でもまぁ、簡単に見つからない場所に隠しているのは、見られたくない本意の現れであろう。
全く情報を吐く気のなさそうな男から視線を外し、気分を切り替える様に、横にいるアルミニウス隊長に笑顔で問いかける。
「――記事には匂わせる程度しか載せてないんですけど、私にはダンジョンならではの得意技があるんです。知っていますか?」
「【雷魔法】と聞いておりますが」
アルミニウス隊長は私の問いにキョトンとした顔で答えた。
うん、なんかこの人、愛嬌あるな。
「まぁ攻撃系だとそうなりますね。しかし今回はハズレです。ヒントは宝探しですよ」
「宝探し・・・、――あぁなる程。それで、あれほど貴重なアイテムを大量に地上に持ち帰る事ができる訳ですね」
「えぇその通りです」
話の流れですぐに答えを導き出せたアルミニウス隊長は相当頭が回るらしい。
彼が率いるこの部隊は暫く安泰だろう。
「・・・何の話をしている?」
怪訝そうに睨みつける男に再び視線を向ける。
「モンダールダンジョンの隠し部屋と貴方の隠し部屋、どちらの方が見つける難易度が高いでしょう」
いきなり確信をつく様な問いかけに、男の顔から一気に血の気が引いた。
どうやらようやっと自らの詰んでいる状況に気付いたらしい。
私の目を睨み付け心底悔しそうに顔を歪めたが、一瞬の潜考の後、顔付きの変わった男は慌てた様に床に耐えれ込み、身を捩らせ始めた。
「・・・?何してるんですか?」
追い詰められ意味の分からない行動に出る男を見て、更に警戒する騎士と共に首を傾げていると、不意にチリンと金属が床に落ちる様な音が聞こえた。
音源に視線を向け、小さくきらりと光ったその場所を見ると、落ちているのは手のひら大の鍵であった。
「――・・・あっ」
見えたのは一瞬。
小太りの男は鬼気迫る勢いで見栄もへったくれもない様な気持ちの悪い動きで、床に落ちていたそれに顔を近づけ、咥え上げた。
「えぇぇ〜〜・・・」
そして上半身を起こしたかと思えば、あろうことかその鍵を飲み込んだのである。
マジないわ、引くわ。
心の中で呟きながら、そのまま喉に詰まらないか見つめていたが、男は少し苦しそうにしただけで完全に飲み干してしまった。彼の喉は相当丈夫に出来ているらしい。
他の従業員も上司の奇行を見て、流石にギョッとしている。
「・・・いやぁ凄いなぁ。人間必死になれば何でもできるんだなぁ」
「いやいやいやいや、ロキ様?どうするんです?今の、明らかに鍵でしたよね?」
「鍵でしたねぇ」
予想外の展開に間伸びした返答をしていると、鍵を飲み干した男が私の顔を見ながらフヒヒヒッと歪んだ顔で笑い出した。
変なものを食べたから壊れてしまったのだろうか。
「フヒッ、キヒヒヒヒッ、これで誰も部屋には入れまい。お前のせいで、捕らえたガキどもはあの牢の中で苦しみながら飢えて死に絶えるのだ。フヒヒヒッ、お前が来なければ生き長らえる事はできたのになぁ。フヒヒ」
異常に歪んだ顔で嘲る男にスンッと表情が抜け落ちる。
「・・・、・・・なるほど。これ、喧嘩売られてます?買って良いでしょうか」
「・・・お気の召すままに」
「ふむ、では失礼して」
虚無顔の後、直ぐに笑顔を浮かべた私に、アルミニウス隊長が若干引いている様な気がするが、まぁ気にしない。
壊れた様に、いや実際、精神的に壊れてしまったのかも知れないが、ケタケタと笑い続ける男に近付きその小太りな体を見下ろす。
目が合っても尚、歪んだ顔で笑い続けている。
それを見ながら私は、足元にある男の丸い膝を踏み抜いた。
「ギッ⁈―ーーぎゃあぁぁぁッッアハハハハ‼︎アハハハハハハハ⁈」
「チッ、もう少し粘ってくれて良かったのに」
膝を踏み潰される痛みに勢い良く倒れ込んだ男だが、悲鳴はそこそこに地面に顔を付けたまま狂気的に笑い始めた。
そのやり甲斐のなさに思わず舌打ちが漏れる。
足を上げると靴底にこびり付いた少し脂っこい血肉がグチョリと音を立てる。
衝撃を分散させたので破裂する様に飛び散ったのだ。見た目は相当に悲惨である。
しかし、人間も魔物も、感覚はそう変わらないんだな。
ベトベトで汚いし男の股間から流れ出る液体でアンモニア臭いので、さっさと【生活魔法】の『浄化』と【生体魔法】を使ってなかった事にする。
そして数秒の内に、泣き別れしていた左膝から下が綺麗にくっ付いた。
【生体魔法】では勿論、なくなった四肢を生やす事も出来るが、生やすと余った脚が残ってしまうので今回はリサイクルさせてもらったのだ。
千切れた脚は右脚に拘束されている訳だし、新しく生やしたら逃げられてしまう。
残りの血肉は『浄化』の方で綺麗さっぱり消えて無くなるので、この二つは完全犯罪にはもってこいの組み合わせである。
いつもは体内から消えて無くなった血の分も【生体魔法】で補うのだが、今回はそこまでする必要もないだろう。貧血のまま倒れてろ。
キレイキレイした後振り返ると、意外にも騎士達の顔色は悪かった。
あらら、この部隊はこう言うのはあんまり慣れてなかったか。
平気そうなのはアルミニウス隊長と馬車を降りてから案内してくれた騎士の2人だけ。
若い騎士が多いし、拷問は専門外なのだろう。
「お目汚しを失礼しました」
素直にそう言うとアルミニウス隊長が苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「足が元に戻った事は置いておいて、・・・少し意外でした。ロキ様は結構過激な事も出来るのですね。サディストの嫌いがあるのですか?」
「そんな訳ないでしょ・・・」
富と名声を手に入れるためにダンジョン内の魔物の生を奪うだけ奪うのだ。ダンジョン冒険者の思考なんて大抵こんなもんだろう。
殺すつもりはないのだし、精神的な負担が特にないだけである。
アルミニウス隊長のちょっと失礼しちゃう言葉にひらひらと手を振り適当に返事をしながら、建物に入っていた時から【感知】スキルに引っ掛かっている場所に向かう。
男はと言うと、未だに地面に這いつくばったまま身体を震わせケタケタと笑っている。
誰がどう見ても不気味である。
正面のカウンター、その向かって左側の壁に手を添える。
【感知】スキルの違和感は、この壁からビンビンに感じるのだ。
グロテスクでショッキングな光景から気持ちを切り替えられたのか、何をするつもりなのかと少し興味深そうにしている騎士達に背後から見守られながら、壁全体の感覚を確かめ、そして壁に掛かっている一枚の絵に注目する。
金色の額縁に収められた無駄に高そうな趣味の悪い絵をひょいと壁から外すと、裏から一つの突起が現れた。いかにも押してくださいと言った感じである。
騎士に絵を渡し、少しワクワクしながらそのボタンを押すと、正面玄関から死角になる位置にある棚がゴゴゴゴと動き、その裏から一枚の重厚な扉が現れた。
「ビンゴ」
すごい、いかにもって感じの隠し扉だ。
少し癪だが、ヨーネン侯爵家とこう言うロマンは気が合いそうだ。
騎士達を引き連れてその扉に向かうが、途中で男の笑い声の質が変わったので視線を向けると、這いつくばったままの男のその顔は、愉快げに歪んでいた。
眼光も少し嫌な光り方をしている。
「何がおかしい?」
「ケヒヒヒッ」
言うつもりはないらしい。
壊れたと思ったがそれなりに理性は残っているらしい。
絶対に開かないと思っているから男は鍵を飲み込んだのだろう。
吐き出させても良いが・・・、浄化したとしてもそれを使うのは嫌である。血肉の方がまだマシと思う辺りは、普通じゃないのかも知れないが。
男の雰囲気に違和感を持ちながらも扉に向かう。
扉は木と鉄で出来た両開きの格子扉で、取っ手の部分には鎖と南京錠が掛かっている。
しかし、ぱっと見は厳重そうだが鍵は簡易なので壊すのは簡単そうだ。
どう言う事だ?
取り敢えず南京錠や鎖の部分を触りかちゃかちゃと弄ってみるが勿論開かない。
そして南京錠の鍵穴を上に向け、【深淵魔法】で実体のある影を鍵穴に流し込みそれを固めて捻ってみるが、しかし、開かない。
いや、どう言うこと?
これで開かないっておかしくない?
一旦離れて考える。
腕を組み考えながら男の方を見ると、男は更にニヤリと笑った。
南京錠はフェイクか。いや、でも男は鍵を飲んだ。鍵は必要の筈だ。
南京錠以外に鍵を刺す場所なんて・・・。
・・・あぁ、魔法か。そうだよ、ここは剣と魔法の世界なんだから。
隠し扉がアナログちっくな仕掛けで隠れていたから、前の思考に戻っていたらしい。
それに魔法の鍵なら南京錠である必要はないな。
扉を破壊すれば中には入れるんだから。
つまりこの扉そのものが魔法の扉、という訳か?
う〜ん、まぁ取り敢えず魔力を流してみて・・・―――
そんな軽い気持ちで扉に手を添え魔力を流したのだが。
ギリリッと赤い魔力光が放たれた瞬間、無数の赤い雫が宙に舞った。
「ッッッーー」
「ロキ様⁉︎」
そう、私の血である。
鋭い痛みが脳に走り、扉に弾かれた後、全く力の入らない右腕を見ると、扉に触れいていた右手には肩にかけて螺旋状に太い傷が走り、無惨にもズタズタになっていた。骨まで見えていて自主規制が必要な程である。全く動かないのを見るに、幾らか神経までやられたらしい。
ボトボトと大量の血が肉片と共に床に溢れ落ち、黒い血溜まりを作っていく。
・・・私のステータスでこれなら、普通の人間は即死だな。
それも木っ端微塵のミンチ肉で・・・。
私に傷が付いた事に反応した騎士が、問答無用に男の首に剣を突き付ける。今にも首を刎ねそうな勢いだ。
Sランカーのロキはギルドの要人である。当然の判断だろう。
「――ロキ様!ロキ様⁈早く治療を!」
弾かれた一瞬だけ見えた、扉の魔力回路を脳裏に思い浮かべ分析していると、アルミニウス隊長が慌てた様に私の体を揺さぶった。
「え?あぁ治療ですね、そうですね」
見慣れない魔力回路を目の当たりにしたからかアドレナリンが出まくっているので、正直気にしなければあまり痛くない。
隊長が声を掛けなければしばらく放置していただろう。
言われた通り男の膝と同じ容量で、【生体魔法】を使い腕を元通りに、【生活魔法】の『浄化』で飛び散った血も綺麗にする。血量は・・・、まぁ大丈夫そうだな。便利な体になったもんだ。
ズタズタの袖から健康的な肌が覗いているが、服についてはここで脱ぐ訳にはいかないし、しばらくはこのままかな。今日に限って女物の肌着を着て来てしまった。
『収納』から予備のマントを取り出し肩にかける。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、私は大丈夫ですよ。これぐらいなら問題ありません。・・・しかし、物騒な扉ですね。普通の人なら即死ですよ、コレ」
マントの留めピンを留めていると、不安げに瞳を揺らすアルミニウス隊長に顔色を伺われたので、変わらず笑顔で扉をノックする。
「即死ですか・・・。そのような魔法具は聞いた事がありませんが・・・」
古代文明の力、古代魔導具を見本に作られた新文明の魔法具は、技術力が古代に大きく劣る故に、即死レベルの強力な攻撃を組み込む技術を未だ開発できていない。
つまりこの目の前の扉は、現文明では実現不可能の代物なのである。
「これはアーティファクトです。術式が古代文明のものですので、間違いありません」
「なっ」
私の発言に騎士達が揃って男の方を振り返る。
「ケヒヒヒッッ」
シーンとしたホールで男の笑い声が響く。
「・・・アーティファクトなら、開ける事は不可能、でしょうか・・・」
「まぁ普通はそうですけどね」
男が鍵を飲み込んだ理由はそれだろう。
古代魔導具は世界で最も融通の利かない道具であり、我々新文明人の改造は一切受け付けてくれない。
故に設定された方法でしか開ける事は不可能。
今回の場合、扉の鍵は男の飲み込んだ物だけのようだ。
証拠が出なければ罪に問われる事はない。そう思っているのだろう。
この場合の選択肢は、吐き出させるか、下から出て来るのを待つか、腹を切って胃から取り出すかぐらいだろう。
いずれは取り出せるのだが、悠長にその時を待っている余裕はない。
どうするのかとアルミニウス隊長の視線を頂いているが、私は無問題と呟きながら『収納』に手を伸ばす。
目的の物を頭に浮かべると、物の感覚が伝わってきた。
取り出したるは何の変哲もない鍵の形をした道具。
しかし鍵全体が黒く透き通っている不思議な素材で作られている。
「万能鍵です。アーティファクト専用の」
そんな馬鹿な、と騎士達の心の声が聞こえた気がした。




