選挙カーがやって来る
安息の時間は破られた。
まさに不意打ち。
不逞の輩は確実に、こちらへと迫りつつある。
今日の仕事を終えて家に帰り、やっとゆっくりできる、そんなタイミングでの奇襲攻撃だった。
「本日午後八時より、◯△公民館で」
選挙カーが来やがった。移動する騒音公害。
即座にテレビをつけて、リモコンの音量ボタンを連打する。
テレビの音で相殺できるのを期待したが、まるで通用していない。接近してくる選挙カーの騒音レベルは桁違いだ。
「応援、ありがとうございます! 応援、ありがとうございます!」
私は不思議に思う。こんな騒音公害をまき散らしておいて、どこの誰が応援しているというのか。
あれだけ連呼しているのだから、そこら中に応援者がいることになる。
が、とてもそうは思えない。選挙カーに乗っている奴には、普通の人間には見えない、別のものでも見えているのか。
そんな奴に、政治を任せたくはない。
早くあっちに行け。しっ、しっ。私はお前なんか、応援していない。
だいたい、お前に投票したら、何かいいことでもあるのか。
私のお肌が、十年分若返るというのか。
三か月前に逃げた彼氏が、戻ってくるというのか。
会社の後輩の結婚式が、無期限延期になるというのか。
私は嘆く。
うううう、まさか彼が後輩と、来月結婚するなんて・・・・・・。
後輩も後輩だ。私に結婚式の招待状を送ってくるなよ。そこは情けをかけるポイントだろ。
私に武器と度胸、それと一生分の逃走資金があれば、確実に式をぶち壊してやるのに・・・・・・。
でも、心の中で号泣しながらも、式にはウソ笑顔で参加することになるんだろうな。
悲しみに暮れる私を、さらに痛めつけたいのか、なおも選挙カーは、爆音を炸裂させている。
どこかの家で、赤ちゃんが泣き出した。
大人でも我慢できない騒音だ。赤ちゃんには厳しすぎる。
本気の大泣きをしているので、選挙カーも少しは懲りるのかと思ったら、
「かわいらしい応援、ありがとうございます!」
私は耳を疑った。
あの泣き声をどう聞いたら、自分への応援だと思うのか。
あの選挙カーに乗っている奴、頭と耳がおかしいんじゃないのか。
ああいう迷惑行為がまかり通っているとは、この国の選挙システムには、大きな欠陥を感じる。
うるさすぎる選挙カーには、ダイヤモンドをぶつけても良い。そんな素敵な法律をつくってくれる候補者がいれば、今なら迷わず投票するのに。
ため息をついていると、選挙カーの騒音が徐々に小さくなっていく。
乗っている奴が悔い改めたわけではなく、私の家から選挙カーが遠ざかっているだけのこと。
だから、同じ悲劇はまた繰り返されるだろう。
選挙カーは去ったが、赤ちゃんは大泣きを続けている。
でも、選挙カーの騒音ほど不快じゃない。あの赤ちゃんも私と同じく、選挙カーの被害者だ。
どうか、たくましい子に育って欲しいと思う。そして、この国を変えて欲しい。
贅沢は言わない。選挙カーだけ廃止してくれれば、君は私の中の偉人になる。
とりあえず、安息の時間が戻ってきた。
選挙カーは一台で、この選挙区内を走り回るわけだから、数日間は来ないだろう。
ところが、五分と経たずに、
「本日午後八時より、◯△公民館で講演会を」
同じ選挙カーだ。まさかの再強襲!
私の読みが甘かった。
◯△公民館はすぐ近くだ。そして、午後八時の講演会。
ここから離れた場所で選挙活動をすれば、渋滞やらなんやらで、時間に遅れる可能性がある。
だったら、このまま午後八時まで、公民館の近所を巡回すればいいんじゃね?
あの選挙カーに乗っている奴は、そんな風に考えているんだろう。
この近所迷惑に、私は腹が立ってきた。
今は午後七時。あと一時間は騒音公害が続く。
私に武器と度胸、それと一生分の逃走資金があれば、確実に講演会をぶち壊してやるのに・・・・・・。
翌日、私は絶望していた。
「本日午後八時より、◯△公民館で講演会を」
またもや選挙カーがやって来たのだ。
しかも、昨日とは別の奴だ。
今は午後七時。昨日と同様、あと一時間は騒音公害が続くことになる。
公民館の近くに住んでいる限り、この展開は延々と続くらしい。
私はインターネットで、今回の選挙の立候補者、その人数を調べてみる。
昨日のバカと、今日のアホ、その二人だけだといいけれど・・・・・・。
スマホに表示された内容に、私は言葉を失った。
やばい。多い。十人近くいる。
もしも候補者全員が順番に、◯△公民館で講演会をするなら、このあと何日も騒音地獄が続く。
一日二日でも我慢ならないのに、そんなことをされたら、私は気が狂うかもしれない。
選挙管理委員会は何をしているのか。この大音量を今すぐ取り締まれ!
昨日と同じく、どこかの家で赤ちゃんが泣き出した。
「かわいらしい応援、ありがとうございます!」
私は怒りが爆発した。
地域住民の迷惑を顧みない政治家が、地域住民のために、まともな政治をできるとは思えない。ああいう政治家にできるのは、自分のための政治だけだ。
決めた。
今回の選挙、あまりにも頭にくるので、投票にはいかない。立候補者全員に「ノー」を突きつけてやる。
投票日の夜、私はテレビを見ていた。
ようやく待望の静けさが戻ってきた。選挙が終わったので、あの騒音を聞かなくて済む。
開票速報の特番によると、今回の投票率は過去最低なんだとか。
当たり前だ。
あれだけ騒音公害をまき散らしておいて、常識的な人間なら、怒りを覚えるだろう。
誰が投票なんかしてやるもんか。有権者の一票は重いのだ。
ところが、この時この国の水面下では、ある改革が進んでいた・・・・・・。
投票日の翌日、私はテレビのニュースを見て仰天した。
次回の選挙から、選挙法が一部改正されるという。
なんでも、今回の選挙で投票率の高かった地区は、「特別エリア」に指定。そのエリア内では、路上での演説、選挙カーによる選挙活動を、全面的に禁止するらしい。
一方で、それ以外の地区は、これまで通りなんだとか。
どこが特別エリアに指定されたのか、真面目な顔したアナウンサーが、次々と読み上げていく。
私の住んでいる地区は、含まれていなかった。
ということは・・・・・・。
アナウンサーの横で、コメンテーターが能天気に語る。
「この改正で、次回の選挙は投票率が上がるといいですね」