第08話_予選終了
足を組み、体重を椅子に預けた礼人は無言のままだった。その目線の先では、美蕾がベッドに横たわっている。窓から差しこむ陽射しは翳りのほうが強くなり、空は茜色に染まっていた。
ここはマリオネット・フォーミュラ大会本部の医務室だ。急患用病室は淡い色合いで統一されており、騒々しい区域から離れていることもあって、静かな雰囲気に満たされていた。
壁時計のたてる規則的な音が、小さいながらもはっきりと聞こえる。礼人は腕時計に視線を落とした。予選が終了してから二時間以上がすぎている。
あの後、救急車が到着する前に、美蕾は礼人の腕の中で気を失った。運ばれた場所がこの大会本部の建物内の医務室だ。それから美蕾はまだ目を覚ましていない。礼人は長く息を吐いた。
ドアが控えめにノックされる。礼人は入室を促した。
「お姉さんを連れてきましたよ」
そう言う土筆に続いて克華と、仄香が入ってきた。和服姿の仄香は、紙束を挟んだボードを携えている。礼人は席を立ち、二つしかない椅子を空けた。土筆が腰をおろすが、仄香は克華譲るつもりのようだ。
克華が美蕾に呼びかける。だが、美蕾は目を閉じたままだ。
「気を失っているんだけど、呼吸は安定してるから。眠っているようなもんだって医者は言ってた」
礼人はそう前置きしてから克華を納得させ、一連の出来事をすべて話して聞かせた。土筆と仄香は美蕾への同情と紅色のマリオネットへの嫌悪感を示したが、克華は考えこむように黙って聞いており、礼人は姉の感情を読むことはできなかった。
「なんにしても、怪我がなくて良かった。心のほうが心配だけど……目が覚めるのを待つしかないね」
克華が腕を組み、美蕾のほうを見やる。礼人は頷き、チームの状況はどうなっているか仄香に尋ねた。「ready」が本戦出場の権利を得たことは、電話で既に確認してある。礼人が知りたいのは、チームが今なにをしているのかだ。
「予選通過の三二チームのうち、二八位でした。下位のほうですが、これまで予選で残れなかったことを思えば、上出来です。夜にお祝いのパーティを予定しています。そろそろ撤収できる頃のはずです」
「わかった」
仄香は続けて言う。
「今回の事故についての大会本部への書類提出はわたくしがおこなっておきます。相手チームの責任を追求するよう指示するつもりですが、良いでしょうか」
頼む、とだけ礼人は答えた。相手はあのマリオネットの暴走の事後処理に追われて、こちらのことなど気づいていないだけかもしれない。だが、黙っておいたのでは、美蕾があまりにも可哀想だ。
「あったあった。これでしょ」
土筆が言い、大会パンフレットの一ページを礼人たちのほうに広げて見せた。あの六本の手を備えた紅色のマリオネットが、大きな写真で載っている。
「マリオネット名『阿修羅』……げっ、去年優賞したK・H・Iの物じゃないか。どうりで見覚えがあったはずだ」、渋面となる礼人。
仄香が頬に手をあてて考えこみ、
「責任は追求できても、出場停止処分は難しいかもしれませんわね」
礼人や克華に弁解するように告げた。
K・H・Iは単なる参加チームというだけでなく、大会運営本部へも多額の寄付金を納めている重工業企業のうちの一つだ。マリオネット・フォーミュラのスポンサーということになるK・H・Iに対して、運営本部が強い姿勢をとれないことはおおいにあり得る。
相手がなんだろうが関係ない。この子にもしものことがあったら、絶対に許さない----自分の考えを礼人は口にしなかった。美蕾が目を覚ます前に不吉なことは言いたくない。
「気がついたみたいよ」、美蕾の様子を見守っていた克華が唐突に告げる。礼人はベッドに歩み寄った。
瞼をゆっくりと上げた美蕾は、何度か目を瞬かせた。横になったまま、周囲を見回す。礼人たち四人の姿の上で目線の動きは止まったが、美蕾はじっと見つめるだけで、それ以外の反応を示さなかった。
「ここは会場の医務室。覚えてないかな、あの後君は意識を失って、それで……」
無言の美蕾に堪えきれず、礼人は一番に口を開いた。克華と土筆、仄香もあれこれと語りかけるが、美蕾は四人を無視するだけだった。
まだ混乱してるのかも、と土筆はパンフレットを美蕾の枕元に立てた。二つ折りにされたそのページにはマリオネット阿修羅が大きく載っている。
「ほら、これ、覚えてるでしょ」
屈託のない笑顔を作る土筆。礼人は「バカっ」とパンフレットを奪おうとしたが、遅かった。
はじかれたように、美蕾は身体を起こし、悲鳴とも呻きともつかない喘ぎをもらしながら。パンフレットから逃れようと後ろに下がる。礼人はベッドの反対側へ急いだ。
ベッドの端から落ちかけた美蕾を礼人は受けとめた。一瞬、美蕾の身体が強張り、表情には恐怖が走った。だが、目の前の人間が礼人であることに気づいたのか、すがるようにして礼人にしがみついてきた。
「あ……うぁ……う……」
言葉にならない不明瞭な発音が美蕾の口からもれてくる。美蕾の両目からは涙がこぼれていた。礼人の腰に回された両腕から、美蕾の震えが伝わってくる。助けを求め、なにかを必死に告げようとする美蕾の姿に、礼人の心は痛かった。
「もう大丈夫。もう恐がらなくていいんだよ」
見上げる美蕾に、礼人はそう言ってやることしかできなかった。それでも美蕾は泣き止まない。礼人はベッドの端に腰を下ろした。一度は離れた美蕾だったが、すぐに礼人の腕にしがみついてくる。礼人は語ってやる言葉を見つけることができず、仕方なく、空いているほうの手を美蕾の頭に回した。
髪をそっとなで続けていると、美蕾の呻きは徐々に小さくなり、止まった。落ちつきを取り戻しても美蕾は礼人の腕に抱きついたままだ。口を閉ざして見つめるだけだが、安心していることだけは礼人にも感じとれた。美蕾が礼人の身体にもたれかかってくる。
「しばらくしたら部屋から出られそうね。車を回してくる。美蕾ちゃんのことお願いね」
克華が医務室から姿を消すと、仄香が控えめな口調で告げた。
「わたくしも退出しますわ。本部への報告書や、チームの残務がありますから。パーティはどうなさいます?」
礼人の考えは決まっていた。
「二人を家まで送っていくよ。監督にもそう言っておいてくれ。予選通過を喜んでないわけじゃないから」
「わかってますって。でも、礼人さんが来ないなら、空也さんが怒るだろうなぁ。
こんなめでたい席にいないなんて許せん、なんて」
「あいつへのフォローは土筆ちゃんに頼むよ」
「はぁい。心得ました。
じゃぁね、美蕾ちゃん。また遊びにきてね」
演技がかった敬礼の後、土筆が手を振る。美蕾がたどたどしい動きで、小さく手を振り返した。
「それでは失礼いたします。どうぞお大事になさってください」
土筆の後に続いた仄香が、静かにドアを閉める。残された礼人は、美蕾の様子に気を配りながら、自分たちが作ったブルー・ヘヴンの戦いぶりを思い返していた。完璧ではないが、それでも、満足のいく仕上がりとなっている。その結果が、予選通過という成績だ。
「初めての本戦か……どうなるかわからないけど、がっちりと決めてやるか」
興奮のあまり、独り言とともに思わず拳を握りしめる礼人。その様子を、美蕾が興味深げにじっと見ていた。礼人は気恥ずかしくなり、咳払いをした。
窓の外には富士山がある。陽はほとんど沈んでおり、空の大部分を濃い紫色が、地平線のあたりを紅色が占めていた。その二つの色の狭間に富士山はくっきりと浮かんでいる。
紅い光の層が弱まるにしたがって富士がその輪郭を溶かしていく光景を、礼人は美蕾のぬくもりを感じながら、じっと眺めていた。
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マリオネット・フォーミュラ2028年度、第一戦(予選)終了。
チーム「ready」の成績、予選通過----
(つづく)




