第05話_マリオネット・フォーミュラ開幕
一昨日から降り続いていた雨は、夜が明ける前から小ぶりとなっていた。
礼人はトレーラーのコンテナ側部に設けられた窓を開け、外の様子をうかがった。
「梅雨入りは来週だって聞いたのに……大会初日は晴れるっていうジンクスもおしまいか」
「ぼやく暇があるなら仕事をしなさい」
怜奈からの叱責が届く。怜奈は、コンテナの一画でコンピュータの相手をしていた。礼人は聞こえなかった振りをして、外を眺めた。
雨足はまだやんでいない。だが、西の空の雨雲は薄くなっており、富士山を隠す雲の量も少なくなりつつある。
富士山のある方角へと伸びる道には車が長々と連なっている。青木ヶ原の樹海に設けられた「マリオネット・フォーミュラ」会場へと向かう人々のものだ。自家用車はもちろんのこと、マリオネットを運搬するための大型トレーラーも目立つ。この先では東富士五湖道路と中央自動車道、産業道路が合流している。そのあたりから交通規制も厳しくなって、参加チームと一般観戦者の車両にわけられる。
湿りきった空気の中に、乾いた音が景気よく鳴り響く。マリオネット・フォーミュラの開幕が迫ったことを告げる花火だ。開会式が始まるまでの数時間、花火が絶えることはないだろう。
「よっしゃ、調整完了。礼人、もう一度やってみっか」
空也に声をかけられ、礼人は窓から離れた。
トレーラーに集まっている面子はみな「ready」の文字が入った作業着やブルゾンを身につけている。「ready」の大型トレーラー内はマリオネットの格納庫兼整備室になっている。整備用の器具やデータ処理のためのコンピュータ、様々な機材と部品類で、コンテナ内では自由に動き回ることが難しかった。礼人は屈んで、天井から垂れている小型クレーンの動力ケーブルの下をくぐり抜け、ブルー・ヘヴンの隣りに座った。
整備用の多目的寝台に横たわった紫色のマリオネットの身の丈は二メートル強。二手二足の標準的な種類だ。機体の外観は大幅に変更され、空也が知り合いに頼んだ物で、洗練された姿となっている。
「格好いいけどさ、趣味の世界だよなぁ。友だちって、なにやってるんだ?」
「イラスト屋兼SFアニメのデザイナー。ほら、日曜の夕方六時からやってる……」
「ああ、あれか」
礼人れいと)もその作品は知っている。細身の四肢でありながら力強さを感じさせるバランスや、非対称に張り出した肩。優雅に流れる頭部と顔の輪郭や、一見無意味な、清楚な女性の長髪を思わせるフェイスガードとアンテナ----それらは確かに、その番組に登場する主役人型メカに通じるものがある。
「チーフ、準備が整ったよ」
整備スタッフの一人が空也へ告げた。前期の大会までいた上司の大部分は、今回のスポンサー離れを機会として「ready」を辞めている。家庭を養う義務のある人間にとって、給料削減は大きな痛手だ。上司たちがいなくなったことにより、礼人や空也はそれぞれの部門の責任者となってしまっていた。とはいえ、他のスタッフとは歳が近いうえに、それまでのつき合いもあるので、敬語を使うことはない。あくまでも部門の責任者としての肩書きがあるだけだ。
礼人はブルー・ヘヴンの側頭部に差しこまれたケーブルに触れ、根本まで入っているかどうか確かめた。ケーブルは、壁際のコンピュータのスロットの一つにつながっている。
「やってくれ」
礼人は、壁際の椅子に座っている怜奈へ告げた。怜奈がコンピュータに命令を入力する。
モニターのひとつに、明るい色の線が格子状に映し出される。縦横の模様は二つに別れて天と地の位置を示し、中央には一筆書きのような紫色の人型が描きだされた。マリオネットの仮想戦闘シミュレーション----ブルー・ヘヴンに蓄積されたデータを試験するためのものだ。
「武装はハンドガンと多連装小型ミサイル、接近戦用の電磁拳。相手はミラーモードで設定」
ミラーモードとは、仮想敵の能力値を同じ状態に設定するものだ。これにより、自分たちのマリオネットの弱点が浮き彫りになる。
仮想戦闘がスタートし、モニター上のフレーム画像が流れ始めた。赤い人型が出現し、紫色の人型を攻撃する。点滅しながら飛来する弾を、紫色の人型は余裕をもって回避する。紫色の人型も点滅弾を発射するが、敵にはあたらなかった。
「戦闘速度をレベル4に」、怜奈が言う。フレーム画像全体が加速した。
連続して接近する弾丸を、紫色の人型はぎりぎりのところで避けていく。紫色の人型が放った弾のいくつかが、赤い人型を捉えた。
「よしっ」、空也が拳を握る。
赤い人型は消えることなく、間合いを詰めてきた。紫色の人型は大きく後退しようとする。赤い人型は近距離から小型ミサイルとハンドガンを連続して撃った。紫色の人型は小刻みに揺れた後、左へ避ける----その瞬間、動きが止まった。赤い人型の攻撃がすべて命中し、赤い拳が紫色の頭部を破壊する。それで、仮想戦闘は終了した。
「まだこのバグは消えないか。もうプログラムをいじっているだけの時間は残ってないぞ」
礼人は言い、歯の隙間から息を吸うと、多目的寝台を叩いた。鋼鉄の多目的寝台は冷たく、そこに横たわったブルー・ヘヴンは身動きひとつしない。
沈黙が少しの間続いていると、奥の扉から仄香が姿をみせた。彼女の新しい和服は華やかで、機械と油の匂いにあふれたこの空間の中では違和感がある。
「お疲れさまです。一息入れてくださいな」
運んできたコーヒーを一人一人に手渡す仄香。泥のように濃いコーヒーは砂糖を入れても苦く、いつもと同じようにまずかった。
シミュレーションの結果とコーヒーの味に礼人が顔をしかめていると、怜奈が、受け取ったばかりのコーヒーカップをキーボードの脇へ置きやりながら告げた。
「いくらあなたが作ったトレーニング・プログラムだからといって、一人で背負う義務はないわ。解決の方法を皆で考えましょう」
「でも、やっぱりトレーニング・プログラムが悪ければ、俺の責任だよ」
今回のトレーニング・プログラムには、礼人の実験的な理論を組みここんである。元々は礼人の父、釈迦堂轟の立てた理論だ。
二か月前----前期のマリオネット・フォーミュラが終了して実家に帰った際、姉からレポート用紙の束を渡された。それは父が礼人に残したもので、擬似人格形成機関のトレーニングに関する理論を書きためたものだった。その理論は未完成の状態だったが、父の発想から礼人はヒントを得て、新たなトレーニング・プログラムの流れを練り上げていた。
「みんなにバレたら絶対に止められるだろうなぁ」
父の理論は従来の擬似人格形成機関の考えを真っ向から否定するものだった。擬似人格形成機関に人間と遜色ない思考力を与えることなど、誰が信じるだろうか。だが、礼人の今回のトレーニング・プログラムはそのことを前提としている。そのため、礼人の実験的プログラムは皆に隠しておく必要があった。胸の奥と胃が痛むが、今期のフォーミュラが終了するまで我慢するしかない。
「うまくいっていないのですか?」
コーヒーカップを乗せていた盆を胸に抱き、仄香が尋ねる。
「ひとつバグが片づけば、また別のバグ。せっかく部品の相性は問題なく組み上げられたのに」
空也が答え、コーヒーをすすった。最後の言葉は、礼人の耳に痛かった。
「悪かったな。どうせ俺のせいだよ」、罪の意識を隠そうと、ぞんざいな態度になってしまう礼人。
「余計なことを伺ってしまいましたか」
仄香がおろおろしながら礼人と空也を交互に見比べる。
礼人と空也がなにか言うより先に、怜奈が椅子から立ち上がって手を叩き、一同を注目させた。
「もう一度シミュレーションをおこなって、バグの在処をつきとめるよ。
釈迦堂くんは、D・POSの思考をモニターして。樒くんは、どこかのパーツに負荷がかかっていないか調べる。他の者はそのフォロー。わたしの指示に従うこと。いいね」
空気が引き締まり、それぞれが持ち場に着く。気まずかった雰囲気から逃れられたことに、礼人は無言で怜奈に感謝した。
ふと目をやると、怜奈のコーヒーはまったく減っていなかった。
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雨はあがり、薄くなった雲を貫いた陽光がいくつもの矢となって降りそそぐ。
富士の裾野に広がる樹海を拓いて作られた広大な敷地。そこにマリオネット・フォーミュラの日本会場は設けられていた。
古代ギリシャの闘技場に似た円筒形の建物は大会の運営委員会の物で、樹海の中から高くそびえている。広大な空間には樹海だけでなく沼地や人工湖、誰も住んでいない市街地が見られた。それらすべてが人型の鋼鉄機械----マリオネットたちの戦場となるのだ。戦場の周囲には特別製の金網が高く、四重五重にはりめぐらされている。金網の外には雛壇状の観戦席があり、強化材質の透明シールドで覆われていた。
観戦席の裏手は関連企業のブースや屋台が並び、人々であふれかえっている。人気のあるチームは自分のところのマリオネットをスポーツ誌の記者や一般の入場者に公開している。
「あ、すみませーん」
土筆は、すれちがった相手に謝り、ぶつかった拍子に落としたパンフレットを拾い上げた。
すぐ近くの広い道をはさんでは、去年の準優勝チームの大型マリオネットがポーズを決めている。撮影者を意識してのことだ。見物人のカメラのシャッター音がそこかしこから聞こえた。
「あの水着姿の女の人目当ての奴もいるんだろうな。仕事かもしんないけど、笑顔でいなきゃいけないなんて大変だ」
警笛が鳴り、交通規制担当の警備員が叫ぶ。道を、数台の大型トレーラーが通過していった。それほど埃がたたないのは雨が降ったおかげだろう。
土筆はそろえたばかりの前髪にさわり、パンフレットをめくった。探したページにはこのブロック周辺の会場図が載っている。
「と、こっちか」
毎年マリオネット・フォーミュラの限定品を出している時計のブランドメーカーのブースの横を通りすぎた。ポケットの中の財布をかたく握りしめ、土筆は人混みの間を走り抜けていく。
どこからか、放送が流れ始める。それは英語だったが、日本語も続いた。
『大会運営本部からの連絡です。間もなく、2028年度マリオネット・フォーミュラが開催されます。予選参加チームのマリオネットは十時までに第四、第五ゲートに運び、最終受付を終了させてください』
さらに中国語やフランス語、土筆の知らない言葉での放送が加わっていく。
「あ、おじさん。やきそばのお肉、さっきの女の人よりも少ないんじゃないの?」
屋台での買い物の最中にふと顔をあげると、テレビ局や新聞社のヘリコプターが会場上空を飛んでいた。大きな字で宣伝文句をくっつけた飛行船が三隻、ゆったりと漂っている。頭に万年雪を抱いた富士山が、雲に隠されることなくはっきりと見えた。
「うーん、今日はなんかいいことがありそ」
屋台めぐりを終えた土筆が戦利品を抱えてチームの待機場所に戻ってみると、トレーラーの中にはブルー・ヘヴンが横たわったままだった。
「まだやっていたんですか? もう受付が終わっちゃいますよ」、焼きイカの足を噛み切り、土筆は空也に尋ねる。
「もう終わる。後は装甲をとめるだけだ」
ブルー・ヘヴンは多目的寝台の上で、腹部と頭部の内部機関を剥きだしにしていた。土筆はこれでもメカニックのはしくれだ。細かいところまでは無理だが、各機構の働きは、だいたい理解している。
礼人がブルー・ヘヴンの頭部にとりつけている物は発信器だ。マリオネットには自ら思考するための機関----擬似人格形成機関がそなわっている。だが、マリオネットに戦うべき相手、敵をプログラムの中で認識させることは不可能であるし、禁じられてもいる。「二手二足の動体物が敵である」などと学習してしまえば自分自身、あるいは人間を攻撃対象と認識してしまう恐れがある。したがって、大会に参加するマリオネットには発信器をとりつけることが規約として定められていた。発信される電波信号を頼りに、「敵」を攻撃するのだ。
隅の椅子で焼きトウモロコシをかじる土筆の前を、多目的寝台とブルー・ヘヴンが移動していく。怜奈が、マリオネットの運搬用架台車の運転席で待機していた。
「空也、補助用のバッテリーも用意しておけよ」
礼人が言う。彼はコンテナの扉脇の壁にあるレバーとボタンを操り、クレーンと連結した多目的寝台を外へ運び出していた。他の者が運搬用架台車との距離をはかりながら、多目的寝台を誘導している。多目的寝台はそのまま、運搬用架台車の後部に載せられた。
「よーし、ゲートへ運ぶか。俺、監督を呼んでくる」
空也がもう一台のトレーラーへと向かう。マリオネットの最終受付は、チームの責任者がおこなわなければならない。久梨奈と空也が乗りこむのを待ってから、怜奈は運搬用架台車を出発させた。
「後は結果待ちか」
土筆も思っていたことを、礼人が代弁した。軍手を外して油汚れのあるブルゾンを脱ぎ捨てる彼は、土筆の目には疲れているようにうつった。疲労がたまっているのは皆同じだが、礼人の表情には翳りがある。そのあたりが空也や他の者とは違う。
「礼人さん、アメリカンドッグでも食べますか?」
「ありがとう。もらうよ」
礼人は遠慮することもなく、土筆のもつスチロールトレイからアメリカンドッグを一本取った。それ以上かける言葉がみつからず、土筆がアメリカンドッグを頬張っていると、チームの一人が礼人を探しにきた。
「お客さんだよ、それも美人二人。おまえに会いたいって」
羨ましそうに肘でつつかれる礼人。時間があるか、と尋ねられると、礼人は二つ返事で頷いた。
「また彼女をつくったのかな」
土筆は、相手がどんな女なのか興味をもった。礼人が、元チームにいた女性と別れたことは「ready」の誰もが知っている。事務所の玄関で、喧嘩別れしたという噂もある。
茶飲み話のネタにしようと考えた土筆は外へ降りて、礼人の姿を追った。トレーラーの陰から覗くと、礼人と面会を求めている相手は一人が二十代も後半の大人の女性、もう片方は土筆と同じくらいの年齢の少女だった。
「どっちが礼人さんの彼女なんだろう……」、などと土筆が考えていると、
「なんだ、姉さんかよ。期待して損した」
礼人が肩を落とすのがわかった。土筆も期待はずれだったが、今さら姿を見せるわけにもいかない。
「なにを期待していたんだか。
それにしても、マリオネット・フォーミュラの会場って騒々しいんだね。美蕾ちゃんが恐がって仕方がないよ」
「モーター・スポーツの現場なんだから当然だろ。
わざわざ会場にくるなんて珍しい。なんかあったのか?」
「わたしがインターン扱いで病院に行っていたのは知ってるよね。来月から本採用になることが決まったの」
「へぇ、よかったな」
「でもね、本採用てことは、宿直で病院に待機しないといけないことが増える。
家を空けることが多くなるから、戻ってきてほしいのさ。美蕾ちゃんを一人にさせたくないからね」
「まあ、いいけどさ。食費をおさめるのだけは勘弁してくれよ」
「商談成立だね。それじゃ早速、美蕾ちゃんに変な虫がつかないようにするんだよ」
礼人の姉が、礼人の肩をぽんぽんと叩く。
「どういうことだよ」
「この会場で人と会う約束をしているの。後はよろしくね」
礼人の姉は、少女の手を強引に礼人の腕にからめる。美蕾と呼ばれた少女は眉一つ動かさず、なされるがままだった。礼人の姉は逃げるようにして背を向けた。去ってゆく彼女に、礼人は大声で文句をぶつけていたが、追いかけることはしなかった。
「なーんだ、あんまりおもしろくないの」
土筆は一足先に「ready」のトレーラーに戻り、屋台で買っておいたエビセンにかぶりついた。
「やるな、釈迦堂。ナンパしてきたのか」「女連れで仕事なんて偉くなったもんだ」、などとチームの仲間がひやかすのが聞こえる。その度に礼人は「そんなのじゃないって。姉貴からお守りを押しつけられたんだ」と言い返していた。
礼人はチームの面々に美蕾をひととおり紹介して回ってるようだった。土筆がトレーラーから降りると、礼人と美蕾にばったりと出会った。
「土筆ちゃん、紹介するよ。早乙女美蕾、俺の実家に居候してるんだ」
「ふーん。あたし、野原土筆。原っぱの野原に、土筆のつくしね。あんず飴、食べない?」
手にしていたあんず飴を差し出す土筆。しかし、美蕾はなんの反応も示さなかった。少しはウケがとれると信じていた土筆は心の中で唸った。土筆の落胆ぶりを察したのか、
「ごめん、土筆ちゃん。この子、言葉がしゃべれないんだ。俺に対しても、まだ心を開いてくれないんだから」
礼人がこっそりと耳打ちする。細かい話は聞けなかったが、土筆は納得するしかなかった。
そうこうしているうちに、運搬用架台車が帰ってきた。ブルー・ヘヴンが積んであった場所には空也が立っている。
「とりあえず、やることはやり終えたな」
「礼人。少し早いけど、ビールあけるか」
「駄目よ。結果が出るまでアルコールは禁止」
空也と礼人のやりとりに、 久梨奈の冷たい声が割りこむ。空也と礼人はがっくりと肩を落とした。彼らを眺めつつ、土筆があんず飴を舐めていると、音楽が止まった。運営本部からの連絡であることを告げるチャイムが流れてくる。
「いよいよか」、礼人が、誰にともなく口にした。
『大変長らくお待たせしました。只今より、2028年度マリオネット・バウト世界大会----マリオネット・フォーミュラを開催いたします』
富士山を揺るがすかと思えるほどの拍手と歓声が沸き起こる中、花火が派手に鳴り響いた。
(つづく)




