第26話_逃走
扉は自動のため、礼人は止めることはできなかった。一気に開いた戸口に飛びこみ、礼人は銃を構えた。
「全員動くな!」
そこは、病院の手術室を思わせる空間だった。十畳くらいの広さで、コンクリートが剥き出しになっている。白衣姿の人間が二人おり、天井の照明の強い光が白衣を際立たせていた。
部屋には、隅に数台のコンピュータとモニターがある。奥には、歯科医院で見かけるようながっしりとした造りの医療用イスがあった。そこに座っているのは、地味な貫頭衣を着せられた少女----美蕾だった。手の甲と頭部に電極が取りつけられている。そこから伸びたコードは、隅のコンピュータや計測器につながっていた。それが脳波を測定するためのものであることを、礼人は知っていた。姉の病院で美蕾を検査する時に、同じようなものを見たことがある。
礼人は美蕾の名を叫んだが、美蕾は動かなかった。
「何ですか、あなたは!?」、白衣姿の研究員の一人が甲高い声をあげる。その時になって礼人は、二人の研究員がどちらも女性で、ネームプレートから日本人であることに気づいた。美蕾への接し方を配慮してのことだろう。
「警備員を呼びますよ!」
「わめくな! 俺は拳銃を使うのは初めてなんだ。引き金の加減ってのもわからない。怪我したくなければ、美蕾のそばから離れろ!」
礼人が早口で言うと、研究員は部屋の隅へ移動した。礼人は銃口と視線を二人へ向けたまま、美蕾のいる場所に近づいた。かすかな寝息が聞こえ、礼人は心の中で安堵の息をついた。
『急げ! さっきの主任がエレベーターでその階へ向かった』
礼人は左手でコードの束をつかみ、電極を引きはがした。そのまま、美蕾の身体に片手をまわして抱き寄せ、左肩にかつぎあげる。あまり重さを感じないのは、礼人自身アドレナリンが分泌しているせいだろうか。
「ちょっと! 彼女をどうするの!?」
「こいつは俺たちの仲間だ。家に連れて帰ってどこが悪い?」、引き金にかけていた指を、礼人は理性で押しとどめた。「いいか、動くなよ!」、銃口で二人を牽制しながら、礼人は研究室を出ると同時に走りだした。
来る時に場所を確認しておいたエレベーターへ向かう。エレベーターは二台設置されていた。そのどちらもが、ほぼ同時にこの階についた。左側のほうの扉が数瞬早く開き始める。
『右だ! 左には奴がいる』
礼人は右のエレベーターの扉の右端に身体をよせ、開き始めた隙間に強引に身体をねじこませた。すぐに。扉を閉めるためのボタンをたたく。
扉は静かに閉じ、エレベーターは下降していった。礼人は身体中から汗がふきだすのを感じ、力が抜けてその場にへたりこんだ。たたいたボタンにはヒビが入っていた。
『なんとか成功したようだな。彼女は無事か?』
「ああ。……このエレベーターはどこにつながっているんだ?」
『中央だ。一階についたら、まっすぐ進め。正面玄関にたどりつく』
わかった、とだけ礼人は答えた。へたりこんだ時に美蕾を床に転がしたままだった。
礼人が名前を呼びながら強く揺さぶると、美蕾は薄く目を開けた。しかし、焦点は定まっていないようだ。
「礼人さん……?」、その時、エレベーターが一階に到着した。
「説明は後だ。逃げるぞ。走れるな?」、礼人の切迫した様子に納得したのか、美蕾は無言でうなずき、礼人の手を借りて立ちあがった。
扉が開くと同時に、礼人と美蕾は駆けだした。正面に、ガラス張りの出入り口と、広いエントランスホール見える。半分ほどの位置にきた頃、激しい警報が響き渡り、鼓膜が痛くなった礼人は顔をしかめた。
『セキュリティが非常用に切り替わった。こちらではもう制御できない!』
礼人たちが出入り口にたどり着いても、ガラスでできた自動ドアは開かなかった。隙間に手をかけても、びくともしない。
「ここまで来たってのに……」
毒づく礼人。遠くで人の騒ぎ声がした。警備員たちが近づいてきているようだ。
「礼人さん、あれを!」、美蕾が指差したのは建物内での禁煙を示す、台座のついた金属製の小さな看板だ。礼人はその柄をつかみ、ガラスの扉へ振りおろした。警報に混じり、ガラスの砕ける音があたりを満たす。数回繰り返すと、身をかがめて通り抜けられるだけの穴ができた。
外へ出た礼人たちが先を急ごうとすると、強烈な光が行く手に立ちふさがった。正面に、大勢の人影が壁となってたちはだかっている。
建物を背にする礼人と美蕾は、完全に取り囲まれていた。
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前へ進み出てくる人影。礼人は、刺す光に目を細めながらも、相手が何者なのか理解した。
「貴様か……よくも親子そろって私の邪魔ばかりしてくれる」
人影----癸矢の表情までは見えない。しかし、言葉には怒りと侮蔑の響きが含まれていた。
「俺はあんたらの邪魔をしたいわけじゃないし、何を企んでるのか知ったことじゃない。
けどな、大事な仲間をさらわれたうえに脅かされて、はいそうですかって引き下がれるか!」
礼人は叫び、自分の後ろに美蕾を隠れさせた。正面をにらみつけたまま、拳銃の安全装置が解除されていることを確かめる。
「残念だが、貴様と議論を交わすほど暇ではないのだよ」
癸矢が、背後に従えた武装警備員に手をふり、合図を送る。
「手足を撃ちぬいて無力化させろ。釈迦堂との交渉材料程度には使えるだろう。ただし、女には一発も当てるな……大事な研究材料だからな」
警備員たちが銃を構える。
礼人の耳元ではアルディがなにかを叫んでいたが、内容はわからない。礼人は身体中が熱く、頭の芯がしびれたような鈍い感覚に包まれていた。全身の力が逃げ出してしまいそうだった。
ふいに、美蕾が礼人を呼ぶ。その声も、身体も震えていた。
礼人は銃を握ってないほうの手を伸ばし、美蕾の手を握った。信じられないほど小さく、暖かな指先だ。そうしているだけで、不思議な安心感と、自分がここにいる意義が実感できた。
「大丈夫。俺がなんとかするから」、力強く告げる礼人。
「……はい」、美蕾から短い言葉が返ってくる。礼人の背中には、もう震えは伝わってこなかった。
礼人はふと、昔を思い出した。初めて美蕾と会ったあの頃、美蕾は人に対して、ひどく臆病だった。それはほんの一年前のことだったはずだ。
「きっとみんなのところへ帰れるから」
楽観論ではない。この場を逃れるチャンスがどこからか生まれるかも知れない、という都合のいい期待でもない。
だが、礼人には確信があった。
その確信が何によるものか、考えが結論へとたどりつく前に、癸矢が発砲の合図を出そうとした。礼人は唾を飲みこみ、なにがあっても美蕾をかばえるように、全身に力をこめた。
警備の一人が癸矢の元へ駆け寄る。警備員が癸矢に何かを告げると、癸矢の表情が強ばった。
「礼人さん……きます」、美蕾の声には明るい響きがあった。なにが、と礼人が尋ねるより先に、「それ」はやってきた。
正面玄関の前に広がっていた庭園の木々をへしおりながら突き進んでくる閃光。エンジンの重い唸りを響かせながら、「それ」は礼人たちと癸矢の間へと迫ってきた。
「それ」は、礼人が見間違えようのない、「ready」の搬送用大型トレーラーだった。
トレーラーのコンテナ上部に、空也の姿があった。その手に構えられているのは、不細工な形状をした細長い筒状の道具だ。
「ボルトやネジだけど、怪我しなくなけりゃ退きな!」
空也が、筒の中程にあるレバーを捻ると、先端から高速で撃ち出されるものがあった。自作の圧縮空気機関銃。空也がマリオネット用の武器の余剰パーツを利用して製作しようとしていた物だった。空也の銃身から放たれた弾丸は、威嚇ではあったが、近くの木の太い幹を削り取り、警備員がもっていた大型の透明な楯にヒビを生んだ。
空也は機関銃を乱射した。警備の一団はその弾幕から逃れようと、包囲を解いて散っていく。癸矢だけはその場から動こうとせず、近くの警備員たちが楯を何重にも重ねて護っていた。
トレーラーは速度を落とさない。礼人は慌てて美蕾の手を引き、トレーラーの軌道上から離れた。トレーラーはビルの正面入り口へとつっこみ、ガラス戸や壁を破壊し、かん高い音をまきちらしながら、ようやく停まった。
「おい! 大丈夫か!?」、礼人は駆け寄り、コンテナ上部へ声をかけた。
「おー、どうやら間に合ったみたいだな」と、空也は緊張感の欠片もなく、大きく手を振ってる。
「無茶しやがって……お前は俺たちの帰りを待つ約束だったろ」
「まぁそう言うな。どうしても美蕾ちゃんを助けにいきたいって言い張られてな。それより、早く乗ったほうがいいぞ。すぐに逃げないと」
空也は機関銃の銃身を警備員たちに向けて威嚇射撃を再開した。
礼人は短い感謝の言葉を投げつけ、美蕾とともにトレーラーの運転席へ走った。礼人が運転席のドアを開けると、ハンドルの前で額をおさえてうめいている土筆の姿があった。衝突際に額をぶつけたようだった。
「土筆ちゃん!? なんでここに?」
「あ、礼人さん」、涙ぐむ土筆。土筆の要点を得ない説明によると、礼人の父親が「ready」に連絡をつけたらしい。久梨奈は、礼人たちが美蕾の救出へ向ったことを正直に伝えた。礼人の父はあせって、礼人たちの行動を止めるように懇願したのだった。「逮捕どころではなく命が危険にさらされるかもしれない」、それを聞いた土筆と空也は久梨奈たちを説得して、唯一動かすことのできたトレーラーで駆けつけたのだった。
「本当に良かった……二人とも無事で。美蕾ちゃん、あの時はあたし、何もできなくてごめんなさい……」土筆は美蕾の両手を握り、頭を深くさげる。
「土筆さんのせいじゃありません。助けにきてくれて、ありがとうございます」、土筆の頭に口づけするかのように、美蕾が土筆を抱きしめる。
「二人とも後にしてくれ」、礼人は美蕾を引き離し、助手席へと押しこんだ。ドアを閉めながら、早く出すよう土筆へ促す。土筆は素早くエンジンをかけ、トレーラーを後退させようとした。
『おい! いい加減に返事しろ。どうなったんだ?』、アルディの声が耳に届く。ノイズがひどいうえに、アルディの他にも麗とメイベルが何事かをわめいていたが、内容は聞き取れない。
「空也たちと合流した。今から脱出す----」、大きな揺れを感じ、礼人は舌を噛んだ。この状況だ。土筆があせって運転ミスをしたのだろうと考えて見やると、土筆はアクセルやギアを忙しく操作しながら、ハンドルを左右に回していた。
「変なんですよ! タイヤが空回りしてるみたいで……」
一時は離れていた警備員たちが接近しつつあるのがわかった。「まずいな、急がないと……」、サイドミラーを調整してトレーラーの後部を確認した礼人は、息を呑んだ。
一体のマリオネットが、トレーラーの後部をおさえこんでいる。そして、そのマリオネットには腕が四本備わっていた。
「阿修羅……いや、違う」、礼人の勘が危険を告げる。
「空也! そいつをなんとかしろ!」
「さっきからやってるよ! こいつ、普通のマリオネットの装甲じゃない。硬すぎる!」
空也の声が短い悲鳴に変わり、トレーラーが小さく揺れた。マリオネットが、トレーラーのコンテナ部分を殴ったのだ。空也を狙ったものだろう。空也の姿は、礼人の位置からは確かめることができない。だが、すぐに、空也からのものとわかる銃撃が、コンテナを押さえこんでいるマリオネットの腕に連続して命中しているのがわかった。礼人は、空也の名前を叫んだ。
「大丈夫だ。それより、こいつの手が離れた、トレーラーを動かせ!」、空也が応える。
礼人が伝えるより先に、土筆が反応した。トレーラーは一瞬だけ後退した。マリオネットが押し返そうとするタイミングにあわせ、土筆はアクセルを限界まで踏みこむ。トレーラーは力から解放され、前進していった。後方のマリオネットはよろめき、片膝をついた。その後姿が遠ざかっていくと、礼人と土筆は大きく息を吐き出した。
「これでひと安心ですね」、土筆が誰にともなく言う。しかし、礼人の脳裏に何かがひっかかっていた。横を見やると、美蕾は両目を閉じたままで、なにかかすかな音を聞き取ろうとでもするかのように、耳のそばに細い手をそえていた。
トレーラーは角を曲がり、正面ゲートにつながる直線にたどりついた。その時----木々をへし折る重い音とともに、黒い影が進路上に割りこんできた。
「さっきのマリオネット? どうやって前に?!」
そのマリオネットは四つの腕を広げ、トレーラーを受け止めた。
「土筆ちゃん、アクセルを踏みこんで!」、鈍い振動が伝わり、礼人は舌を噛んだ。マリオネットは低く腰を落とす。トレーラーは少しも前へと進むことができず、タイヤが空回りしていた。マリオネットの腕のひとつが接しているフロントガラスに、太い亀裂が走る。
「空也、なんとかしろ!」、礼人は叫ぶ。
「こっちだって手一杯だ! さっきのやつが追いついてきやがる」、空也の怒声が応えた。
礼人は、空也の言葉の意味がわからなかった。サイドミラーへと視線を走らせた礼人は、目を疑った。
トレーラーの後部に、マリオネットがいる。
「……同じやつが二体いたってのかよ……」、礼人は唾を飲みこんだ。土筆は言葉に何事かをわめきながら、アクセルやハンドルを動かし続けている。
(つづく)




